モモ・シャルロッティア
「それでは一年試験を開始します。最初は歴史で、試験時間は一時間です」
教室。貴族科一年で二クラスあるうちの一つ。一番前の右から二番目が僕の席だ。
そして、今日この日まで僕の右席であり同時に教室の一番前の右から一番目の席はいつも空席だった。一人の学生の席なのだが、彼女は登校義務がなく自宅で学習することが可能だった。ただ、一年で一回だけあるこの試験の日だけは、登校義務が彼女にも適用される。
クラスにいる男子全員からの視線を感じる。もちろん僕にではなく、右にいる女性に対してだろう。中には女子からの視線も向けられている気がする。初めて登校してきた学生に対するものと、思わず二度見してしまうほどの美貌をもった相手だからかもしれない。
横にいるは、入学試験満点者であり超上流貴族の三女、モモ・シャルロッティアその人である。皆の意識が一人の女性に注がれていようとも、試験の開始時刻は平等に訪れて、合図が言い渡される。
「始めてください」
試験用紙のページをめくる。右をちらりと見た。退屈そうに用紙を眺め、雪のような白い頬に手をあてながら彼女はペンを取る。瞬間、彼女の瞳が僕を見た。
「「……」」
互いに視線が交差して、黙って問題に向ける。
そうだ、今日は僕の試験日であり、彼女と交わした────戦いの日でもあるのだ。
※ ※ ※
時間は戻り、試験を受ける一時間ほど前のことだ。
「噂で申し訳ないけど、シャルロッティアさんは他人との接触を好まないって聞いたよ」
「その通り。厳密には人そのものと話したくないだけね」
「だったら僕を引き止めた理由がわからないな。人と話したくないんでしょ?」
「今さっきも述べたけど、私は人に興味がないだけで、『それ以外には月並みの興味はある』わ」
ロギリアの店内に、二人の貴族と一人のオーナーがいて、貴族は円卓の椅子に座って向かい合い、オーナーは静かに紅茶の準備をしている。
そろそろ彼女の紅茶がきれるのと、僕のために新しいのを用意してくれているのだろう。銀髪こと、個人至上主義者であるジンの言葉を借りるなら、眼前にいる女性に対する情報はこんなところだ。
『モモ・シャルロッティア? あぁ、確か聞いたことあるな。あ、いや、俺じゃねえよ。俺が「知っている女」が言っていただけだ。俺は画麗姫に毛ほども興味はねぇよ。俺が知っている女は俺とは真逆で人当たりが良くてさ、友達なんざわんさかいるんだ。で、そいつの人当たりはシャルロッティア家の三女にも適用されて、他人とほとんど接点を持たない画麗姫の数少ない友人でもあったはずだ』
『誰とも話さない人ってこと?』
『らしいぜ。画麗姫は他人との接触を極力避ける女だ。頭脳は優秀な上、容姿にも恵まれているが如何せん性格に難ありでな。絵ぐらいしか興味が沸かないって聞いてる。あいつも結構画麗姫を外に連れ出そうとしたり交流を持とうと踏ん張ってたが、最終的には話す程度の関係ぐらいしか構築できなかったみたいだ』
『変わった人だね』
『お前が言うなよ。ま、正直貴族なんてろくな奴いねーからさ。そいつも変だが大したことじゃねーだろ。会っても会話はおろか、挨拶すらできねーんじゃね? 人に興味がない奴ってのはそういうもんだ』
挨拶どころか会話してるんだが……。優雅に紅茶飲みながら窓の景色を堪能している画麗姫さんとお話してるんだが……。
改めて見るとやはり信じられないぐらいの美人だ。これほどの美貌ならさぞ寄ってくる男は数知れずだろう。あ、でも他人に興味がないのならそれはないのかな。雪国育ちなのかと思うほど純白の肌。薄らと光り輝く桃色の髪。耳から下はウェーブがかかり、ショートドレスも本当に似合っている。噂以上の美しさだと思う。
ただ、僕としてはもう充分だった。一度会ってみたいとは思っていたけど、それは試験日になれば必ず見る機会はあるだろうし、ましてや話すなんて思ってもみなかった。
ゆえに、僕の作戦はできるだけ早くこの場を離れて教室に向かうことである。もし今日が試験日じゃなかったら、考えも変わってちょっとお近づきになろうなんて思ったかもしれない。さっさと切り上げよう。
「それじゃ、今日は試験日だから。教室に行って準備する必要があるからこの場で失礼させてもらおうかな」
「別に私は構わないのだけれど。せっかく貴方のために用意してくれた彼の紅茶、どうするの?」
振り向けば「え、飲まないの? 行っちゃうの?」という表情でこちらを見ているゴードさんと目が合った。
いや、あんた何暢気に紅茶作ってんだ。こっちは先刻教室に向かうために席を立ったじゃないか。確かに彼女の前に座り直した僕にも責があるが……。
くそ、今交わした会話は玄関の前でするべきだった。馬鹿正直に戻る必要なんてなかった。
「なら一杯だけもらうよ」
「そうね、賢明な判断かしら。私としても『興味対象』が去るのはやや残念なところがあるから」
「……」
人、ではなく興味対象か。言ってくれる。
──あれ、ちょっと待て。彼女は人には興味がないけど、それ以外には月並みの興味があると言った。……それ以外? 何だ?
「ところで、その興味対象ってのは何か教えてくれる? 紅茶を飲むまででいいんだけど」
「改まって話すことじゃないわ。貴族科のことや学園のことは、マリー先生を通して聞いているから」
答えになってない。なんかこの子は不思議と苦手な感じがする。こう、回りくどいというか言い回しというか。できるだけ関わるべきじゃない気もする。もしかしたら僕が苦手なタイプなのかもしれない。若干、姉に似ているふしもある。ちょっとだけだけど。
そう思って、ゴードさんの出してくれた紅茶を可能な限り迅速に飲み、席を立とうとした。改まって話すことじゃないなら、もう彼女が話したいことはないだろう。この場に長居する必要もない。
「あぁ、何度も言うけど私は人に興味がないから。マリー先生の言っていたことの大半が人関連で、正直退屈だったのだけど。一つだけ、面白そうなことを聞いたの」
それはよかったですね、何よりです。「そうなんだ」と言って笑顔で席を立つ。彼女に背を向け、玄関へ一歩、踏み出した。
「それは、ある人物の思想というか、夢だったの。貴族でありながら貴族らしくない、通常は考えつかない夢を抱いた、一人の青年の夢物語だったの」
……。
「私は人には興味がないけれど、その人物の夢にはとても興味が沸いたわ。一体全体、どうしてそんなことを夢として掲げたのか……って。本当に不思議だったの。だってそれは」
あぁ、そうか。わかった。
「愚かとしか、言いようがないものだから」
何故僕が、彼女から逃げようとしていたのかわかった。
だいたい僕は人が嫌いとかそういうのじゃない。普通に人とは接するし、ちょっと会話をしただけでその人から逃げようとすることなんてしない。今までの人生そうだったし、今日この日まで継続していた。
だがしかし、彼女からはできるだけ早く距離をおこうとした。
わからなかった。自分でも、何でこんなに距離をおこうとしたのかが。とりあえず試験の準備とかいろいろ理由を並べてたが、結局のところそうじゃなかった。本心は違ったのだ。単純に、僕は彼女を──
「聞き捨てならないね。僕の何が、愚かだって?」
「全てよ」
直感でわかっていたのだ。
この子は、僕と真反対の人間であると。