運命の出会い
……これか。
定期的というか、数週間に一回は見るようになった。
一人の少女と遊んでいる夢だ。左目にはっきりとある、刃物か何かで斬られたのだろう縦一直線に二本の傷跡。誰がこんな可愛い女の子に傷をつけたのか。笑っている彼女を見ながらいつも思う。
見るたびに少しずつ、何かを思い出していっている感じもするのだが、確信をつかめていないのが現状だ。しかも少しずつ鮮明になっていく夢なんて普通は誰も信じない。
この夢を見始めたのは……、あぁそうだ、アズールへ行く空船内の本部屋で二日ほど読み漁り、自然と寝てしまったあの日からだ。
そうして、ちょくちょくこの夢を見るのだけれど、今日新たにわかったことがあった。
彼女の髪が、金髪なのだ。
アズールにいれば金髪の人なんてよくみかけるが、彼女の髪質は特に美しく、月の光を髪に宿したような眩しい金髪をしている。
最初の頃は視界がぼやけたり相手の身体全体が黒っぽい感じで見づらかった。それも、最近は少しずつ見えるようになっている。ただ、はっきりと見えるようになるにはまだまだ先のことだろう。ま、よくわからない夢だけど、別に悪い夢でもないし、楽しむのも一興じゃないだろうか。
※ ※ ※
きた。
ついにこの日がやってきた。もはや説明も不要、一年生の学園生活において一度だけある試験の日。
今日と明日の二日間を全学科の一年生全員が受けることになる。この日のために何百人、何千人もの学生らが切磋琢磨に励んできたことだろう。それは存外貴族科も同じで、ここ数週間は皆勉強モードに突入していた。当然といえば当然か、貴族にも面子というものがある。
「ねむ……」
けれど、まだ貴族科の校内には僕を除いて誰もいないだろう。ちょっとばかり早起きした自分がいたのだ。こんなにも緊張したのは久しぶりで入学試験より遥か上である。
現段階ではアズール図書館のことについて何一つわかっていないのが現状なれど、ひとまず今日と明日は置いておく。全力で全開で、この試験に挑むのが今やるべきことに他ならない。
さて。
そんなわけで、早起きしたとはいったものの、行くところは実は最初から決まっている。ここ最近、早起きをしてはその場所に向かうのだ。
そこは、この貴族科のテリトリー内にある全三十以上にも及ぶカフェの一つ。この世界ではカフェのことを「フュラン」と呼ぶのだが、フュランの中でもほとんどの人が知らない穴場だ。
貴族科領内の南東、森林の奥にひっそりとある店は今日も早朝から営業していた。といっても、この時間帯に来るのは決まって僕だけで、店長は僕のために営業してくれている。
店の名前はロギリアというこの世界では「宿木」を意味する。お店を一人で切り盛りしているのは六十過ぎのお爺さんマスター、ゴードさん。
最初は本当に偶然見つけたお店で、ゴードさんと話していくうちに仲良くなって常連となっていった。隠れ場的なお店であるためロギリアに来る客は少ない。それで商売大丈夫かと問われそうだが、ここ三十以上あるフュランの運営は王国がやっていて、貴族科のお店は特別な融資もあり問題ないそうだ。
また、ゴードさんは元々商人で六十になるまでいろいろと資金を溜めていて現在は趣味でやっているようなものらしい。
だから、お店に訪れるのは僕や職員の方々ぐらいだ。隠れた名所となっているそう。事実、ゴードさんが淹れてくれる紅茶は絶品である。亡くなった奥さん直伝で、一度お会いしてみたかったものだ。
「今日も香ばしい臭い……。ビュッフェでも作ってるのかな」
朝早くから支度をしてくれ、美味しい朝食をいつも提供してくれるゴードさん。商人をしていたっていうけど、そのレベルはどう考えても商人の域を超えており、いったい彼の過去はなんだったのか興味がつきることはない。
そう思いながら、店の玄関に立ちドアを開ける。カランカラン、と心地よいベル音が店内に響く。同時、ビュッフェの焼きあがった香ばしい臭いと、他では表現できない透き通る紅茶の空気が鼻を通って身体にいき渡る……。
店内のカウンターで裏三法の一つ、除水式の付属魔法が施されたポットにお湯を静かに入れながらマスターがこちらに向いた。
「いらっしゃい、シルドくん」
「おはようございます、ゴードさん。今日はいつもより早いんですね、何かご予定でも?」
店内はジャズに似たアズール音源が流れる。カウンターに椅子が六席。円卓の机が二つに、その机を囲んでそれぞれ三つずつ、計十二席しか座れる場所はないけれど充分な広さだった。
扉は店の右端にあって、カウンターは店内に入るとすぐ目の前にある。だから店に入ればまずはマスターとご対面になるのだ。そのまま左に歩いていくと円卓の机が二つ見えてきて、一人ならそこには行かずにカウンター席へ。三人程度なら円卓へという具合だ。お湯の温度を調整しながらゴードさんは笑顔でこたえる。
「いや、予定はなかったよ。ちょっと早めのお客様がみえただけさ」
「……?」
お客、となると職員の方々だろうか。時々何人かの職員がくつろいでいるところを見るときがある。あ、そうか。今日は一年試験の日だから早目の出勤なんだ。と、なると一応の挨拶をするのがマナーだ。
ゴードさんに再度挨拶をして、左の通路を歩いて店内に。
黙って僕の行動を見ている初老。どうしたんだろう、何か思うことがあるのかな。けれどゴードさんは何も言わずに焼きあがったビュッフェにひと手間加えるため、奥の厨房へ入っていった。そんなちょっといつもと違う彼に疑問を持ちながら、店内の奥へ。そして──
※ ※ ※
この世界に生まれてはや十六年の月日が経過し、貴族にしては様々な人たちと出会った。
近くにある地方や町へ定期的に訪れては領主と会談したり交流を深めたり。そんな貴族っぽいこともやればチェンネルの一ヶ月に一回ある大掃除に毎回駆り出され汗水たらして労働したり。
当時は憂鬱だと思ってたけどおかげで多くの人と知り合う機会に恵まれた。それは、僕の人生にとって必ずプラスになることだろうし、逆にサボっていれば本の虫としての十六年だったのかもしれない。
つまるところ、人との出会いは良くも悪くも僕の体験として刻まれている。
また、派生して異性とも交流はあった。嫁にどうか、という縁談も時々あった。母さんが断固として断っていたのが印象的だったな。中には綺麗な方とお話しする時もあって、緊張しながら必死で頑張った記憶がある……。
他にも、こと女性に対してはチェンネルでも度々出会い的なものはあった。恋に落ちたりすることはなかったものの、ドキドキしたり意識したりと、歳相応にあれこれ考えることも少なくない。十六歳の分際で随分と気取ってると自分でも思ってしまう。そんな、ちょっと普通の人より出会いが多かった十六年だった。
それゆえ、やや恥ずかしながら、綺麗な女性を見る機会は多かったと自負している。だから──、一人の女性に目を奪われたのは、生まれて初めての経験だった。
「……」
言葉が、でない。
早朝より、まだ日が出始めて少ししか経過していない時間帯。彼女は一人、座っていた。円卓の机を囲むように配置されている椅子の一席に、静かに、自然に、慎ましく座っていた。
周りにある紅茶のカップや朝食のショコラ、装飾品に付属品といったものすべてが、彼女のためにあるかのような……そんな錯覚さえ覚えるほどの存在感。
桃色。
首ぐらいまである程度の長さで、ウェーブのかかったミディアムヘアな髪型。色は桃色でありながら真珠のように薄く光っていた。まるで透き通るほど洗練された純水に日の光を照らしたような、濁りなど一切ない光沢ある髪質。ウェーブは耳から下にかけて穏やかでかつ、滑らかにかかっていて、光る桃髪に添えられた花のような可憐さを印象づける。
蒼眼な両目をしていて、ほんの少しだけ垂れた瞳。優しげな……どこか眠たげな目つきで。唇はほんのり赤い。服はスレンダーラインが特徴のショートドレス。左耳に十字架のアクセサリーがあり、小顔で眉は細い。
これまで一度も見たことがないほどの……美しさだった。
これまで出会った女性の誰よりも、綺麗だと感じた。もはや人間なのかと混乱してしまうほどだった。だがしかし、確かに彼女はそこにいたのだ。静かに、虚ろな表情で穏やかに存在していた。
彼女の視界に僕は入っていない。机に左肘をついて、左手で顔を支えながら店の端をぼんやりと眺めている。ちょっと眠そうだ。それでも、彼女の美しさが損なわれることは何一つなく、むしろ際立っているといってもいいほどだった。
「ん……と……」
彼女が浸っている世界を壊さないように静かに後ろを振り向く。
向いた先にはマスターのゴードさんが朝食を両手に持ちながら立っていて、あちらもどこか困ったような表情をしていた。どうやら、常連の人ではないらしい。それでも、ここが貴族科の領内であることと、彼女が着ているショートドレスの質を見ればどういう身分なのかは一目瞭然だった。
ゴードさんと無言で頷きあい、そろりと僕はカウンターに向かい座った。そこへ、これまたそろりと紅茶とビュッフェを添えてくれるゴードさん。僕らの呼吸はまさに阿吽といってもよいできだった。
「で、誰なんですかあの美人さん」
「私も知らないよ。朝来て店を開けた直後に来店されたんだ。まるで私が来るのを待っていたかのように。とても驚いたが、お客様である以上何かお出ししないとと思ってね。特に注文もされなかったので紅茶とショコラをお出ししたんだ。そのまま朝食の用意をしていたらシルドくんが来たというわけさ」
「あんな綺麗な女の子、見たことありませんよ」
「私もさ。ありゃ名のある貴族には違いないだろうが……。あそこまで綺麗だと驚きを通り越して呆然としてしまうね」
「あ、だから僕に何とも言えない視線を向けていたんですね」
「クハハ、その通りだよ」
十六の若造と六十のおじ様が二人でひそひそ話をするのも何か悲しい気もするが。対して意中の女性は一人、静な雰囲気をやんわりと保ちながら明らかに僕らとは違う世界を形成しつつあった。
一通り男二人で話し合った末、そっとしておこう、という自分たちでもわけがわからない結論を出して僕は朝食を、ゴードさんは朝の準備の続きへと移った。カウンターに座っているため、後ろには彼女がいる。見ることはできないがそこにいるという事実だけでも何故か妙な緊張感が背中から感じる。ゴードさんもちょっとぎこちない動きだった。しっかりしてくれ。
そんな、結果として(何だかんだで色んな女性と面識があると密かに思っていた恥ずかしい過去をほっぽりだして)特にこれといった彼女とのイベントもなく、朝食を終えた。最初はどこか緊張もしていたものの、今日は一年試験ということを思い出して考えをそちらに変換し意識を試験に向けた。
いつも店を出る時間より、気持ち早めの時間をみて、席を立つ。だいたい試験が開始される一時間半ぐらい前だろうか。どうせ本番前には緊張するだろうから、早めのうちに教室に入って余裕をもたせたい。
カウンターの上に食器を置く。勘定は必要ない。全部アズールが払ってくれるシステムだ。素晴らしい。そしてゴードさんに一礼して、何故か緊張のあまり後ろを振り向かずに玄関へ向かう。いや、別にこれといって理由はないのだけれど。何だか振り返るのが恥ずかしかった。
気にはなるものの、驚くほど綺麗な美女でした、でいいだろう。もし今度会う機会があるのなら、思い切って話しかけてみるのもいいんじゃないかな。
……縁があればまた、ね。今日は何より一年試験だ。意識はもうそちらにある。絶対に負けられない日が今日と明日なのだ。だから気を引き締めて、僕は店を──
「黄昏る一人の女に対し、何一つ話しかけないというのも、いかがなものかしら」
店の扉の取っ手に右手が触れるまであと数ミリ。あとちょっと前に出せば取っ手に触れることができる領域。
一時停止する僕に、同じく一時停止するゴードさん。彼はカウンターに置いてある朝食を片付けようと手を伸ばしたまま動きを停止して、首だけ僕の方向へ向ける。彼の視線を背中で受け止め、あとちょっとで触れることができた取っ手に僅かばかりの別れを告げて、静かに、ゆっくりと後ろを振り向いた。
「大変失礼ながら、お名前を、聞かせてもらっていいかな」
今日は二、三年生は休み。一年生の一年に一回だけある重大な行事ゆえのことである。
だから、今日この日学校にくる学生は一年生だけだ。そして僕は貴族科一年生合計八十人をおおよそ知っている。二クラスあれど、授業で合同することは多いし、寮では話す機会もままあるからだ。加えて女性となれば男は自然と自分のクラスと、もう一つのクラスをチェックしているものだ。
だから──おおよそ答えは出ていた。九割そうかもな、と頭の片隅で思っていた。
彼女の風貌や雰囲気、外見は噂だけだけど聞いていたし、何より初めて見た第一印象で直感した。
だからこそ、僕はその証明を後回しにしたかった。僕は彼女を見たいとは思っていたが、一度ぐらいは挨拶してみたいとも思っていたが、断じて「会話したい」とは露とも思っていなかった。遠くの方からそっと伺うような、思春期の男の子らしいそんな感じで充分だと思っていた。別段、それ以上望むのに理由がないからだ。
答えはもう出ている。聞く必要がない。足の無い紳士、ロイドさんの言葉を借りるならば……其が女性、他人を寄せ付けない性格ながらも、その才覚はまさに本物。絵画と、頭脳と、そして美しさも兼ね備えた才色兼備のご令嬢。名は──
「モモ・シャルロッティア」
画麗姫の二つ名を持つ、僕が貴族科で最も会いたいと願っていた女性との邂逅だった。




