王都
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王都へ到着する「少し前」のこと。場所は空船。
僕は船から眺めているこの光景を、生涯忘れることはないだろう。
「……」
そこは、夢のようなところだった。夢にまで出てきた舞台だった。クローデリア大陸を治めし、世界屈指の王国アズール。魔法の国の王都。眼前に広がっている景色は、間違いなく本物だった。
「凄い……!」
本や知識で知っていたけれど、本物はやはり違う。全然違う。空から見下ろす王都の風景は、圧倒的な壮麗さで僕の視界を埋め尽くしていた。地平線まで続く広大な王都は、まるで精巧な絵画のようで、思わず息を呑むほどだった。ありとあらゆる建造物が規則正しく並び、朝陽を受けて元気に輝いている。目を凝らすと奥には威風堂々たる王城が見える。
視線を真下に向けると、路地が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、皆の暮らしが生き生きと営まれているのがわかった。僕の故郷もいい所だけど、何もかも違うな。
「街の賑わいがここまで聞こえてくるよ」
王都全体に命があるみたいだ。脈打つように鼓動が聞こえてくる。僕のいる空船まで、人々の声が届いてくる。また、空気にほのかに魔法の気配を感じる。王都の至る所で今も誰かが魔法を発動しているのだろう。
確か、一般市民の場合、王都では上級以上の魔法使用は禁止されているはず。言うまでもなく危険だからだ。逆に言えば、中級以下の魔法は問題ない。今も風に乗った男性が空を舞って荷物を運んでいる。他にも子どもたちが初級の自然魔法と思えるもので雪合戦をしているのが見えた。
王都全体が心地よい魔力に包まれている。風が流れるたびに、魔法のささやきが耳に届くようだ。高揚している自分がいるな。……うぅ、なんだこれは、この気持ちはなんなのだ。憧れ続けた夢の舞台を見ている。その実感が、どうしようもなく胸を熱くする。
「来て良かった。とりあえずは、『当初の目的地』へ急ごう」
空船は無事に港へ着港し、僕はドナールさんと最後の別れをして地面へ降り立った。降り立つ直前、ドナールさんに何故ここへ来たのか聞かれてしまった。思わず「アズール図書館の司書」と言ってしまったけれど、彼は笑顔で「そうか。頑張れよ」と言ってくれた。良い人だ。また会いたいな。何故か名字を教えてくれなかったから、今度会った時に改めて聞こう。
「どうやって行こうかな」
緊張か興奮か、何故か膝が笑っている。ガクガクしている自分の足を軽く叩きながら、改めて前を見て。人、人、人! 建物、建造物、建築物。青い空と雲を飾り立てるように美しい日光が射している。辺りを見渡せば、人の行き交う音という音が演奏となって賑わいを盛り上げる。別段、祭りでもなくただの王都の風景だ。けれど、この圧巻と表現せざるをえないものは……何なのだろう。
「確実に迷子になるよ」
なお、空船専用の港は王都には四十九箇所あり、目的地に行くには空船を降りてからまた空船で移動しなければならない。今回は、たまたま当初の目的地である場所が近くにあって空船の乗り換えが二回ですんだ。
人の行き交う道が眼前に広がる。ざっと視界に映るだけでも大声で客寄せに励む商人らに、魔法書店や魔法具屋、医療関係の魔法専門の店、飲食店。他にもアクセサリー店や服屋も見える。服屋にも種類があって、布をメインとした店もあれば魔法によって改良された神秘的な雰囲気を漂わせる店もある。たとえば、見た目はドレスだけれど触ってみれば鎧並みの硬度を誇っていたりするのだ。
擦れ違う人々も十人十色、千差万別。王国騎士よろしく厳格な顔をしている人、魔女らしいフードを被った無表情な人、大声で笑い都の活況に色を添える人、客寄せに励む人、僕と同じでキョロキョロしている人、俯いたまま歩く人、何かを決意している表情をしている人、その他大勢……。
建物はレンガ風の家が主流なれど、他にも木の建造物や、つなぎ合わせのない摩訶不思議な建物、テントなのか簡易宿舎なのか判断のつかない建物にガラス張りのつい目がいってしまう建物。
それらがズラリと並び、都市の一端となる。そこに人々が出入りし、都市としての機能を確立させていく。そんなこと、当たり前すぎて忘れてしまいそうで。でも、不思議と心に残ったりして。
「おっと」
「あ、すみません」
つい顔を上にして歩いていると、前より歩いてきた初老の男性とぶつかった。僕の歩く速度が速かったため、彼の荷物が地面に落ちてしまい慌てて拾って渡す。
「ごめんなさい、余所見してまして」
「あぁいやいや、大丈夫だよ。蒼くんはアズールが初めてかい?」
蒼くん? あ、蒼髪だからか。
「はい、そうです。広すぎて驚いてます」
「ワハハ、そうだろう。私もそこは大層気に入っていてね。実に素晴らしい。ところで、夢は叶いそうかな?」
「……え」
「おや、夢を持ってここに来たのではないのかい? 若いというのに」
「あ、あぁ! いや、えっとですね。そうですね、夢……は夢なんですが、これまた難しい夢でして」
ビックリした。いきなり夢とか聞かれるから何事かと思った。
「ほぉ。では、難しい夢だから諦めることもあるのかね?」
「……」
──いえ
「いえ、それだけはありえません」
「何故かな?」
「僕は、夢を必ず叶えるためにここに来たのです」
「ワハハ、そうかそうか。なら頑張りたまえ。その言葉、決して忘れぬようにね」
終始穏やかな口調で話し、紳士帽子を華麗に被る初老の男性は、ニッコリとしながら去っていった。たった数回の問答だったのだが、彼の眼差しと言動には引き込まれるものがあって。
……男性が過ぎ去った後も、彼が歩いて行った先をつい見ていた。心の奥底を突付かれたような、そんな気がしたから。でも、不思議と嫌とは思わなかった。むしろホッとした。うん、さすがは王都。行き交う人も十人十色、面白い。
※ ※ ※
昼を過ぎた後。ちょっと日差しが強いかな、と日光に手を挙げながら空を見上げる。気温はやや低いけれど日の温かさが緩和する。常時目まぐるしく過ぎていく王都の風景であるが、対応できるようになれば随分と過ごしやすい都だと思う。
初めての王都は目を奪われる場所がたくさんあり、時間はあっという間に過ぎてしまった。まさか昼を過ぎてしまうとは。近くの人に僕がこれから行く目的地への道なりは合っているか確認する。
「あぁ、そこならあと少しだよ。期待して行くといい。……軽々と超えてくるからさ」
ニッコリと告げられ、手を振られた。会釈して進む足が、段々と早くなっていくのを感じる。たぶん、今の僕は笑みを浮かべているだろう。まだかまだかと、逸る気持ちが落ち着かせてくれない。当たり前か、もうすぐなのだから。
「確か、この角を右に曲がれば」
ここ一帯はレンガで造られてた家々が立ち並び、住宅地となっている。通路を歩けば紙袋にパンや野菜を入れた主婦の方々をよく見かける。また、子供たちが集団で走り回る姿を何回も見た。何だかほんわかしてしまう。
レンガ造りで高めの建物が周りにあるためか、見通しはよくない。そのため、空を見上げても視界に映るのはレンガ風の家・建物で、正直遠くが見えないのだ。目的地に近づいているはずなのだけど、少しも見ることが叶わないため不思議と期待感ばかりが増していく……。
複雑な心境の中、迷わないよう目的地への道のりを確認しながら進んでいく。
今眼前にあるのは、ねじ巻き状の風変わりなデザインをした交番。ここを右に曲がればようやくお目見えだ。……どうしよう。何だか緊張してきた。案外普通の建物かも。いやしかし、世界最高峰のはずだから近未来的なデザインかもしれない。逆をいって質素極まりないものかも。全館ガラス張りも考えられる。妄想がグルグル駆け回る。
「ま、どんな図書館でも驚くだろうなぁ」
アズール図書館。世界最大にして最高たる最超の図書館。夢と切っても切り離せない舞台。僕が目指すべき場所に、ようやく辿り着くことができる。緊張と期待と高揚が一気に高まる。次の角を曲がれば、そこに……!
さぁ、ご対面だ!
「……」
正直言うと、驚くだろうなぁと言ったけどそれは嘘だったりする。所詮は図書館だし、そこまで驚愕のものではないと思っていた。けれどやはり世界最大級の図書館だから、驚かされる可能性は充分にある。でもさ、素直に驚かされるのはこう……癪だ。
だから、事前にこういう図書館かなと想像を巡らせ先手を打っておいたのだ。近未来的、至極普通、全館ガラス張り……。これだけ予想を挙げておけば少しは該当するものになるだろう。たぶん、それは歳相応の考えで。情けないことに、ただそれだけだったりする。だから──
「まいったな」
思わずそう言ってしまうほど予想外だった。
そこは湖だった。
大きな大きな、巨大な湖だった。
その湖は、全て本でできていた。