アズール図書館の司書
ポカンとするルカの君は、シルドの言葉を理解できずにいた。
「一緒に根源星層に……?」
「はい」
「私の暴走を止めるのではなかったのかね」
「古代魔法を奪って一人で勝手に行くのを止める、という意味だったのですが」
「……」
紛らわしい、とルカの君は思った。
同時に、初老は不思議な感覚に陥る。
……このまま、蒼くんの言葉を信じていいのだろうか。そもそもビブリオテカの魔法習得第七発動条件を達成したのは、彼だ。私でない以上、根源星層に至ることなどできようか。
……私は。
今、焦っているのか? そのような感情は「人」が出すものだろう。何故私がそんな感情を……。恐れているのだろうか、目の前の青年に。私が成し得なかったことを簡単に達成してしまったこの青年に。
──いや、訂正しよう。簡単ではなかったであろうな。蒼くんのこれまでの歩みは、私も知るところだ。
「白光か」
「えぇ、三原色全てを合わせた際に、生じる色です」
彼を殺すつもりはない。
殺してしまえば宿主をなくした“ビブリオテカ”がどうなるかわかったものではないからだ。
ただ、どうしてもビブリオテカを必要としていたので、私の所にいるよう意識改造と精神操作をするつもりでいた。もちろん根源星層に辿り着けたら解放する。
しかし、これをサイリスに話せば間違いなく彼女は蒼くんを逃がすだろう。ゆえに秘密裏に動いていた。
一年前の時は、“ビブリオテカ”さえあればいいと思っていた。蒼くんなど廃人同然で構わないと。しかし彼の道のりを見ている中でそれは変わっていった。結果として全て看破されてしまったようだが。
彼が王都にいる間に、私の手で“ビブリオテカ”を解明すれば問題ないと思っていた。しかし、どうにも私の考えは甘かったようだ。
シルディッド・アシュランは、その先へ辿り着いた。今の状況を見れば、私の手で第七発動条件を達成することは無理だったのだろう。
「私」という存在も込みで、全てを知りたかったのだがな。今回において、諦めるほかない。蒼くんは私の気持ちを慮って一緒に根源星層へ行くと言ってくれたが、その方法はないであろう。
「“ジャラン──座標遊び”」
──ルカの君がそこまで考えていた時。
シルドは二代目アズール王の継承魔法“ジャラン──座標遊び”を発動する。
点と点である座標を指定することで、それを結ぶことも、切断することもできる。繋ぐことも、解くこともできる。解読の難しい魔法とされている。
専らサイリス女王は斬首に用いていたが、シルドはこれを別の使い方にできないか考えていた。
特に「結ぶ」「繋ぐ」という言葉だ。シルディッド・アシュランとルカの君を座標として指定し、結ぶ・繋ぐことを可能とするのなら、一緒に根源星層へ行けるのではないかと考えた。
「ただ、ぶっつけ本番です。上手くいかないかもしれません。でも、何もしないよりは絶対にいいはずです。だから」
再び、初老の手を優しく取ったシルドは、笑顔でルカの君に告げる。
「一緒に行きましょう」
呼応するように“ビブリオテカ”は白光を強くしていく。周囲は何も見えなくなり、ただ白のみの世界となっていく中、変わらず青年はルカの君の手を握っていた。
そういえば、自分に手を差し伸べてくれた初めての人もまた、この“ジャラン──座標遊び”の使い手だったと、初老は今さらながらに気づく。
「やはり、間違っていたのは私だったのだな」
「少し前に言いましたけど、これが無事終わったら、サイリス様に謝ってくださいね」
「あぁ、改めて誓おう。誠心誠意、謝るよ」
初老の声を聞いて、とても満足そうにシルドは笑う。
光の世界で見えなくても、ルカの君は彼の微笑みを容易に想像できた。
そんな間柄である今を、申し訳ない気持ちと、嬉しく思う気持ちで、ルカの君は満たされていた。
※ ※ ※
しばし光だけの世界が続く。
いつまでだろうと二人で話していると、あることに気づいたシルドは下を指さした。
目を細めてみれば、真下の方に……何かがある。
また、徐々に光一色であった景色も、輝きの強さが薄れていき、下に見える「それ」を確認できるようになっていく。
どうやら、シルドと初老の二人でかの場所へ落ちていっているようだ。このままいけば墜落死かと思ったが、ふわりと浮き、特に問題なく着地する。
「何もありませんね」
「うむ。『光る球体だけ』のようだ」
着いた先もまた、白の世界。
どこを見ても何もない、ずっと奥の……地平線のさらに先まで白のような感覚。
薄っすらと水のようなものが地面にある。ただ、手にとっても、水を掬うことはできなかった。二人で頭上に疑問符を浮かべて、とりあえず目の前にある唯一の球体のところへ歩を進める。
「あ」
「どうしたのかね」
その時、シルドはその球体が何なのかわかった。
十五の誕生日を迎えたあの日、早朝に向かったチェンネルの図書館の地下二階にある本棚を触った途端、本棚が動き、眼前に高さ五メートル級の扉が出現した。
中心には光る球体があり、それこそが、まさに今シルドの目の前にある球体と同じものであったのだ。
「なんだ、こんな所にもいたのか」
「知っているのかね」
「はい。でも僕はもう興味がありません。だからルカの君、これは貴方の手で触るべきです」
「……いや、断るよ。間違いなくこの球体は蒼くんのものだ」
クハハと笑い出すシルド。一頻り笑った後、じゃあ帰りますねと言って“ビブリオテカ”を出したので、慌てて初老は止めた。
本当に興味ないとするシルドに、再度、全の知を手にする凄さを説明する。ただ、やはりシルドには少しも響いていないようだ。
「何度も言いますが、どうでもいいです。全知全能になるつもりもありません。少し前にもルカの君に言いましたが、僕にとって、こういうのは大それたものです。あと面倒臭いです」
ルカの君も、おそらく古代魔法を作った魔法師ですら引きつるほどシルドは冷たかった。再三に渡りシルドへ確認を取り、微塵もないとの返答を受けた初老は、やれやれとしながら球体の前へ。
初老は触る直前、第七発動条件を満たしていない存在は触らせてもらえないのでは、と身構えたが、特に問題はないようだ。
実を言えば、この球体を作った魔法師は、お一人様しか来ないと考えていたので、二人以上来た場合を想定していなかった。見通しが甘いのだ。しかしそんなことを二人は知らない。
「では、いくよ」
「はい」
ゆっくりと、確かに、掴むように、ルカの君は球体に触れる。
「──ッ」
声にならない衝撃を、初老は全身で受けた。
駆ける記憶。追いつく記憶。巡る記憶。弾ける記憶。
かつて星が生まれ、今日に至るまでの歴史を滑るように通過していく。
光の速度よりも早く、深海に潜るよりも深く、宇宙の先よりも奥へ、止めようのない星の記憶が……ルカの君へ至っていく。
白光と黒闇は爆誕直後に離散して、空と大地と海は荒々しく躍動し、天地万物すら複雑怪奇に折りネジ曲がる。知識など全の断片でしかないと、浅い世界の矜持であると、その身をもって体験させられた。
「……」
星の記憶を見た。
ルカの記憶を見た。
ルカは星の核より生まれしもの。
星もまた生きており、ルカはその源の残滓に過ぎない。
ルカは星全体を循環し、自然界になくてはならない存在である。ただ、どうしても吹き溜まりや過度な場所を生み出してしまう。
ルカの濃度が極限に高まり魔境と化すと、海から生命が誕生したように、そこに「意志」が芽生える。
ルカの君と称される存在の正体はそれだ。
意義・意味・使命・存在価値はない。
星の核より生まれた欠片に過ぎない。
奇跡の上にいるだけの、ルカの残滓である。
何故生まれたのかという理由は、特にない。
「……そうか」
初老はゆっくりと手を離した。
うん、と頷いて軽く球体に会釈する。しばしそのまま球体を見つめて、苦笑しながらシルドを見た。
「ハハッ、この星の搾滓だったよ」
「……そうですか」
「困った。あれだけ御高説をたれておいて、この結果だとはな。私の存在意義はどこにもないそうだ。ふふっ、もはや私の存在する意味すらなくなってしまったよ」
「本当ですか!」
「あぁ……」
「それは良かった!」
え、と素っ頓狂な顔をしてシルドを見ると、本人は嬉しそうに初老へ近づいた。
「一人、じゃなくて一頭ですね。心残りの魔物がクロネア王国におりまして」
「魔物?」
「はい。ちょっと性格があれなのですが、それに加えて不死なんてものになっているのです。ずっと気がかりでした。あの鯨と『対等に接することのできる相手』がいないかなって」
「……しかし」
「存在する意味をなくした? 御冗談を。まだアズール図書館の外に出れる力は数時間が限度でしょう。頑張ってもらいますよ。まずは一日、次は数日、そして一ヶ月! 僕に変わってクロネアにいる鯨のもとへ行き、あの無駄に高慢と偏見をもっている存在と……、無二の友達になってもらいます」
他にもあるとシルドは言った。
初老のようなルカのふき溜まりはクローデリア大陸でも確認されている。魔境と化している場所もあるという。
そこへ行ってくれる存在が必要なのだ。普通の者ならば決して踏み入れることのできない場所も、ルカの君ならば問題ないと。
「さぁ、早速帰ってサイリス様やステラさんと話し合いましょう。やることはたくさんあります。どうやら貴方の存在意義は、目白押しになりそうです。そして残念なことに、僕もいます。逃げられませんね」
「……。ははっ」
初老は笑う。
笑うしかなかった。
自分が今、人であるならば、きっと涙を流していただろう。
どう頑張っても彼には太刀打ちできそうにないと、思わずにはいられない。
手を上げて、この気持ちを伝えるように、そして礼を言うように。かの存在は、破顔する。
「参ったよ、降参だ。勝てんなキミには、シルディッド・アシュラン」
※ ※ ※
遥か昔、ルカを極めし人間がいた。
魂を二つ所有し、それを用いることで根源星層に辿り着いた。
着いたはいいが、彼もまた、シルドと同様、全知全能の神になろうとは思わなかった。面倒臭かった。
同時に、未来、自分のような魂を二つある者が現れた際、その助けになることを願った。
何かないだろうと試行錯誤し、古代魔法“ビブリオテカ──一期一会の法魔”を完成させたのだ。
根源星層に辿り着いた際に使用したこの魔法を、再利用したのだ。
何故、ビブリオテカの訳が一期一会の「魔法」ではなく「法魔」かといえば、本来魔法を生み出すルカは人の魂から生まれるもの。
しかし古代魔法の場合、根源星層からルカを汲み上げてくる。本来のものとありえない方向から向かってくるのを表現したいため、魔法という言葉を逆さまにした。その者の遊び心だ。
「では、帰りますか」
「あぁ」
“ビブリオテカ”に帰還したい旨をシルドは伝える。
もうちょっとここにいたいと駄々をこねる本に「お前だいぶ意志が宿ったな」と青年は軽く喧嘩を始めて。
その様子を眺めながら、全の知識を得た初老は“ビブリオテカ”のことを考えていた。
「……」
古代魔法を手に入れるためには、探究心と叡智を求める心、そして「前世の自分と邂逅した者」でない限り、この部屋を見つけることはできないと魔法書に記されている。彼は十五の誕生日を迎えた後、前世の自分と邂逅した。
“15”
8番目の奇数であり、「完全・完璧」を表す。アズールでは数字の8は「秘密」を意味する。また、青年を年齢で表すなら15〜24歳を指しているという。
つまり一人の魂は──、15で完成する。魂は生まれてから少しずつ成長し、十五の時に完成するのだ。世界の秘密にされている事柄の一つである。
なお、シルドには前世の魂もあり、それが古代魔法を引き寄せた。
古代魔法を発動するには前世の魂が根源星層とリンクする媒介として必要だからである。ただ、ここで一つの疑問が生じる。
そもそも、何故、シルドに前世の魂があったのか、である。
「あ、勝手に本を閉じようとしないでよ! 痛い、掴むな!」
彼は特殊な人間なのかと初老は考えていた。
が、全く違っていた。
彼は平々凡々な文学青年である。
では何故、前世の魂を所有していたのか。
これは実のところ、簡単な話であった。
「っていうか、擬似空間でクローデリア歴1000年の時代に行った時さ、どうしてキミは1000年以降の魔法を発動できなかったの? 実際にその時代に行ったわけじゃないから関係ないでしょ。……もしかして、あの空間に酔ってたんじゃないだろうな。誤作動じゃないだろうな」
そもそもの話、人は皆──「前世の魂」がある。
誰もがもっているのだ。
ただ、今世の魂と肉体が本来の形なので、前世の魂は表に出てこない。不要な存在ともいえる。
しかし、ある条件を満たせば急激に成長する。
その条件が、今世の魂と前世の魂の「夢」が同じ場合である。
世界が違えば夢も違う。そのため、この条件を満たすことはほぼない。
ただし、条件を満たした場合、急激に成長しその者を必死に支えようとする。
「あ、逃げるな! ……え、本当に誤作動だったの? ダッサ──痛い! 噛むな!」
ここに目をつけたのが、古代魔法を作ったルカを極めし人間である。
前世の魂の成長条件を解明したはいいものの、その魂は何もできない。虚しいことに、支えようとするだけ。
ならば、古代魔法の媒介としての役割を担ってもらえばいい、と。
ただしここでも問題があった。
今世の魂と前世の魂の「夢」を同じとした貴重な人間を、古代魔法の書が探知できないのだ。何かしらのきっかけがない限り、かの者の所へいけない──
「ひぃ、ひぃ。……あのさ、魔法書ってそれを記した魔法師の意志が色濃く出るよね。キミの意志も、記した魔法師の性格を反映している感じなの? ……あ、やっぱりそうなんだ。その人だいぶイカれて痛い!」
ルカを極めし者は考えた。
……夢を追うのだ、しかも二世魂分である。きっと熱い情念をもっていることだろう。
けれど、人は夢を追うものだ。そして道半ば諦めることが圧倒的に多い。そういう奴らに古代魔法を授けても価値は薄かろう。俺の魔法をやるのだ。半端な者にはやらん。
夢を叶える者と、叶えられない者の違いは何だろうか。
──ルカを極めし者は一頻り考えて、苦笑した。簡単だった。
シンプルだ。
夢を叶える者は「想いを行動に移せる力」が極めて強い。
夢を叶える者は皆「まずは行動」に対する速度が抜きん出ている。
成功するだろう。
失敗もするだろう。
そこから得たものを夢を叶える材料として糧にし、また次の行動に移す。
なんてことはない力だ。
誰もがもっている力だ。
けれど忘れたり、億劫がったりしてやらないまま、ズルズル終わる者が圧倒的に多い。本当に多い。
これしかないと、ルカを極めし者は決めた。
想いを行動に移せる力を強くもっている者へ、古代魔法が探知できるよう仕掛けた。
あとは、夢を追う者の仕事だ。古代魔法を生かすも殺すも、その者が決めることだ。
「ルカの君?」
ふと、初老は前を見る。
ガジガジと“ビブリオテカ”に頭を噛まれながら、不思議そうにシルドから見つめられていた。
……そうだ、彼は……、普通の青年だけど、誰もがもっている力でここまで来たのだ。
夢を叶えられる秘訣である、想いを行動に移せる力をただひたすらに実行して。
「蒼くん、私の名前を決めてくれないか」
「え?」
「サイリスからはルカの君と呼ばれているが、数百年前から羨ましいと思っていてね。私も自分の名前がほしかったのだ。それに……クロネアにいる鯨と自己紹介する時にも、名前は必要だろう?」
初老の言葉を受けてシルドはポカンとし、表情から鮮やかな花を咲かせる。とても嬉しそうで、どうしようと悩みだす。しばし唸ったり考えたりして……、ふと横にいる本を見つめた。
「僕の前世において、図書館を意味する言葉があります」
「ほぉ」
「どうかこれからも、貴方にはアズール図書館の傍にいてほしい」
「……」
「だから、図書館を意味する言葉を贈ります。──ビブリオテカ、なんていかがでしょう」
今度は初老がポカンとし、直ぐに笑い出した。シルドも笑った。
あれだけ欲しかった古代魔法を、まさか名前として自分に贈られるとは思わなかった。
笑って笑って、互いに頷き合って、少しだけ会釈しながら初老は告げる。
「その名を頂けること、深く感謝いたします」
「いえいえ。……では、帰りましょうか」
「あぁ」
シルドが“ビブリオテカ”を撫でながら帰還の意を告げ、再び左手にある本から光が生まれる。
徐々に光は増していき、体が浮いたような気持ちがした。そのままグングンと上に行き、帰るべき場所へ戻っていく。
意志を宿した古代魔法と、身振り手振りで意思疎通している青年を見て、ビブリオテカは口を開いた。
「これまで、大変だったかな」
「え、と。確かにそうですね……。足を止めたり泣いたり挫けたり、絶望して途方に暮れることだってありました」
照れながら蒼髪の青年は言葉を紡ぐ。
「それでも、諦めずに走り続けた先が今です。頑張って良かったと心から思います」
「そうか。では、もはや私が言うのもおこがましいが、改めて贈る言葉があるよ」
ん? と不思議そうに首を傾げる古代魔法の使い手に。
ビブリオテカという新たな名を頂戴した存在は、優しくハッキリと彼へ言葉を贈る。
「最終試練、合格おめでとう。シルディッド・アシュラン」
あ、と忘れていたのか、みるみる顔が赤くなり照れまくるシルド。
そして嬉しそうに会釈した。
徐々に空が見えてくる。
あの知っている場所が見えてきた。
ビブリオテカはシルドを見ると、彼は真っ直ぐ空を見ていて、微笑んでいた。
小さく、誰にも聞こえない声量で、初老は呟く。
「本当におめでとう。そして、ありがとう」
──その図書館、世界最大にして最高たる最超の図書館。
クローデリア大陸を治めるアズール王都の中心部にあり、常識を遥かに超えた書物が眠っている。
構造、職員数、組織、概要、その他……。全体の九割九分が世間に知らされていない。
そんな図書館の司書になるため、一人の青年が田舎からやって来た。
古代魔法を携えて、夢を叶えるため王都へ来た。
一言では言い表すことの出来ない数多の苦難を乗り越えて、最後の試練を突破した後、ついに夢を叶える。そして次の夢を探すのだろう。彼の人生はこれからも続く。
夢を解き明かし、次の道を歩む男の名は、シルディッド・アシュラン。
チェンネルの次期領主にして。
「行きましょう、ビブリオテカ」
アズール図書館の司書である。
次話に「あとがき」がございます。
お手数ではございますが、そちらもお読みくださいませ。