新たな領域
首を回し、小気味よい骨の音を鳴らしながらジンはシルドに言葉を投げた。
「言うまでもないが、このまま殺し合えば俺らの負けだ。まず勝てん」
「わかってる」
頷くシルド。
初代に勝てるとは最初から思っていない。髪を触りながらジンは言葉を続ける。
「求められるのは捕縛されない立場の約束と、対等に交渉できる関係の構築にあるな」
「あぁ、しかしあの二人を見るに、まるで僕を最初から敵に見ているふしがある」
「昔、何かあったんだろうよ。その経験を活かし、最初から敵と見ている。でだ、本音を言えば……策はあるんだろ?」
「あるには……あるけど……その、ジンも知っている通り……」
「じゃ、それだな」
ふふん、と楽しそうに鼻歌を歌う友を横に、心底嫌そうな表情をするシルド。どうやら、最初からジンにはやるべきことが見えていたようだ。
ただ、しかし、どうしても、生理的に無理な所が蒼髪の青年にはあって──
「乗り越えろ」
「はぁ……。わかってるよ。やるしかない」
「よし! そうと決まったら時間稼ぎだ。任せろ」
「あの二人をジン一人でか?」
「お前は『それ』に集中しろ。なぁに、お安い御用さ。ヒヒッ!」
一歩前へ出るジン。こうなった時の彼は無駄にやる気があることをシルドは知っている。任せろと言ってくれた以上、彼に頼るしかない。そう考えてからシルドは深く集中し、瞑想に入る。
己が役目を果たすために。
対し、ガイとソランドはやれやれとしていた。発光体が自ら作り出した創造物と青春活劇をやり始めたのだ。どう見ても気持ち悪かった。
やっと終わったのかと半ば呆れ顔で、ガイは前へ一歩出る。ソランドの詠唱は終わっており、あとは魔法名を口にするだけだ。準備は万全となっていて。ソランドに魔法を発動させる直前に、尋ねておかねばならないことをガイ王は口にする。
「お前を破壊する前に聞きたいことがある。その魔法は“ルカ・イェン”だな?」
「正解だ」
「何故お前が使用できる。これは俺が創始者となって作り出した継承魔法だ。マネなんぞできん」
「ご丁寧に教えてもらえると思ってるのかぁ? 聞きたいなら力尽くで来いよ」
「そうだな、聞いた俺が馬鹿だったわ」
初代は笑い、十三代目も笑う。
クククと少し抑えながら笑いだし、徐々に高笑いとなっていく。相手を罵倒するような、見下すような笑いをした後に……ガイ王は銀髪を睨みつけながら開口した。
「だったら跡形もなく消し飛ばしてやるよ。ソランド!」
「“空想群獣・超絶──」
「──ドキ! ガイくんの秘密覗き日記! ソランド編!」
ガイとソランドが止まった。
※ ※ ※
ソランドからしてみればあと少しで魔法を発動できていた。正直、ダサ過ぎる魔法名なので、あまり言いたくない。ただアズール王から発動しろと言われた以上、彼に拒否権はなく、しぶしぶ発動する……直前であった。
突如としてガイに口をむんずと掴まれて、最後まで言うのを強制的に中断させられた。びっくり仰天して掴んできた友を見るも、目をこれでもかと大きく開いたアズールの王が、銀髪をガン見していて。
ソランドの心で一つの疑問が生まれる。
……相手は何と言ったか? 上手く聞き取れなかったが、秘密日記と言ったか。もしかしたら私の名を最後に言ったかもしれないが、聞き間違いの可能性が高い。戯言だな。ガイには一切通じない言葉だ。なのに何故こいつは止まっているんだ? あ、やっと手を離した。結構痛かった。いきなり掴むとは失礼な奴だ。今さらだが。
「どうしたガイ。援護は任せろ、発動するぞ」
「駄目だ」
……?
何故?
「ソランド。あれだ、ちょっと、待て」
「待つ必要などないだろう。癒呪魔法でもかけられたのか」
「違う、ただな、あいつが言った」
「──超・英雄ガイ王直伝 “ルカ・イェン”手引完全版」
「ぉ、お前……!」
「──ガイくんだって赤ちゃんになりたい時もある! きつい・むり・大変日記!」
「黙れやお前ぇ!」
熟した林檎のように顔を赤くして、ガイ・フォン・レイリック・アズールは叫ぶ。口から大量のつばを飛ばしながら、わなわなとする頬を自分で一回叩き、鬼の形相でジンを睨みつけた。
対し、ジンは人生最高と言わんばかりの悪魔の笑みをしていて。悪魔どころか魔王のような立ち振る舞いであった。彼の口はさらに動く。
「──門外不出 女を落とす、堕ちさせる、口説き最高泥沼美学」
「黙れっつってんだろうがぁ! お、お前、何故、それを知っているんだ!」
かつてないほど激昂し、ジンに襲いかかろうとする……も、対する相手は手を前に突き出して「まぁ待てよ」とする。ソランドだけが、何をどうしたらいいかわからなかった。
「俺を襲った場合、何故俺がこれらの日記や本を知っているか、未来永劫わからんままだぞぉ?」
「てめぇ、テメェ……!」
「ガイ、どうした!」
「なんでもねぇ! お前には関係」
「あるぞぉ、ソランド。お前、──女装が趣味なんだろ?」
ジンの言葉を受けて、ソランド・コルケットは完全に固まった。
時を止められたように停止した。
誰にもバレないよう、妻や娘にもバレないよう、徹底的に管理している彼の秘密。一人でも知られれば死を選ぶ趣味を、何故こいつが知っている。
ありとあらゆる手段を講じ、万全の体制で楽しんでいる秘境の趣味を……何故にこいつが知っている!!
「簡単だ、覗かれてたんだよ。誰かは、言うまでもないだろう?」
無言で横を見るソランドに、滝のように汗を流して視線を合わせないガイ。
「貴様──」
「違う、これは罠だ、敵の策略だ!」
ガイの趣味は覗きである。生涯唯一の楽しみと言っていい。彼の趣味は常時活用されていた。とりわけ、知人の覗きには快感と愉悦を両方味わえた。
見るだけで済ませればよかったものを、哀れにも彼は日記に残した。日記をつけることもまた、ガイの趣味であって。
ドキ! ガイくんの秘密覗き日記! ソランド編!
超・英雄ガイ王直伝 “ルカ・イェン”手引完全版
ガイくんだって赤ちゃんになりたい時もある! きつい・むり・大変日記!
門外不出 女を落とす、堕ちさせる、口説き最高泥沼美学
……これらは全てガイの残した日記と本の一部である。当然ながらこんなものが後世に知られれば一生の恥だ。いつか処分しようと“ルカ・イェン”を使い超厳重にして超複雑構造にした魔箱に封印していた。
そのまま処分する前に老衰で亡くなるのだが、あまりにも頑丈すぎるためか“ルカ・イェン”の発現者であるアズール三代目、七代目では開けることができなかった。
ジンは8才で開けて、全て読破し、もう一度中に入れて、ミュウ以外には「まだ開けることができない。難しい」と言っている。知っているのはこの世で二人だけである。
なお、ジンの覗き趣味もガイ王の影響を受けたものだ。
「覗き日記は特にヤバいな。さすがに引いたわ。全三十四冊に渡る大長編だぞ」
嘘つけ、まだ九冊目だとガイは思ったが口に出すことはできず。出せば横にいるソランドに殺害されそうだからだ。
横にいるソランドは顔を下に向けたまま動かない。彼もガイの覗き趣味を知っている。だからこそ、万全を期し徹底的に隠していたのに……。身が裂けそうな気持ちだった。怒りを押し殺したソランドの声が友に向けられて。
「これが終わったら話がある」
「……はい」
「サイリス嬢にも言うからな」
「待ってくれ、あいつは──」
「ヒヒッ! よっしゃ、時間稼ぎ終了だ。準備はできたか?」
ハッとする二人。……そうだ、こんな馬鹿なことをしている時ではなかった。
向こうでなにか準備をしている発光体を討つため動こうとした矢先だったはず。
「あぁ、助かったよ」
ゆらりと、それは現れて。
「これでいける」
※ ※ ※
シルディッド・アシュランの古代魔法、“ビブリオテカ──一期一会の法魔”は、魔法を習得するのに現在、三つの条件が確認されている。また、発動する際に各条件で習得したことを示すよう、それぞれ色が光る。
一つは魔法書を読み、理解することで習得する緑光。
もう一つは実際に魔法を見て、かつ魔法名を知ることで習得する赤光。
最後は、只の本を魔法書として認識し、本から魔法書へと格上げさせ、この世に新たな魔法として誕生させた青光。
クロネアでシルドは第三の習得条件を開眼することになった。発動した魔法名は“異世渡り”。彼の努力の結果である。
しかし同時に、踏み込んではいけないものだったのでは……ともシルドは考えている。第三発動条件は、一見“異世渡り”限りの魔法習得だと思っていた。
事実、シルドはあれから只の本を魔法書として認識したことなど一度もない。また、第三の条件を満たすことは、彼の性格上慮るものがあった。身分不相応だと思うのだ。
ただし、一度手に入れた習得の方法及びプロセスは心が拒否しても自然と頭が考えてしまう。そしてその考え方は、本人も自覚しないうちに刻々と進んでいく。
そして、シルドの中で一つの変化が訪れた。思い返すは、クロネアからアズールに帰る際、ジンとの会話である。
『“産女狂苦の血染め子宮”を覚えてる?』
『三傑クロネア代表に発動した魔法だな』
『うん』
『それがどうかしたのか? 確かに趣味は最悪とっていいが』
『あの魔法には「起源」がある』
『……』
『かの“産女狂苦の血染め子宮”を作った魔法師も「それ」を聖書として崇拝していた。魔法書には「聖書」を崇める文言が多数あったよ。だけど僕はこの魔法書は“産女狂苦の血染め子宮”を書いたものだとずっと思っていた。だから「崇拝された魔法」を理解することはなかった』
シルドは、第三試練で培った考察力と分析力で「一冊の魔法書から一つの魔法に加え、別の魔法を認識する」ことが可能になりつつあった。上手く活用すれば、さらに魔法を習得できるかもしれない。
ただ、やはり、彼はこれを拒否する。
怖かったのだ。
あまりにもそれは自分の力を逸脱していないか、と。魔法書には記した人間の想い・願いがギュッと込められている。にも関わらず、一冊から複数の魔法を会得することは、失礼千万であるに違いない。ゆえにシルドは意識的に自らを律していた。駄目だと。
それを今──、解禁する。
“産女狂苦の血染め子宮”を記した魔法書には、とある聖書を崇め奉る文言が多々あった。魔法書を記した人間はそれを神のように崇拝していたのだ。「既に存在するその魔法」を狂愛していた。
シルドが「産女狂苦の血染め子宮」から「別の魔法」を考察する材料は、もう充分すぎるぐらいにあったのだ。
この習得方法は、“ビブリオテカ”魔法習得の第一条件には当てはまらない。“産女狂苦の血染め子宮”を記した魔法書を読み理解しても“産女狂苦の血染め子宮”しか習得できない。
また、実際に「聖書」とされた魔法を見ていないので第二条件も当てはまらない。
さらに、只の本から魔法書へ格上げさせることなどしていないので、第三条件も当てはまらない。
シルドの行ったことは、第一と第三を融合及び改造したもの。応用だ。
つまりは、一つの魔法書を読み、そこから考察・分析を多角的に行い、別の魔法を記された魔法書へと認識・理解し習得する。
"ビブリオテカ”の新たな魔法習得の条件として──、蒼髪の青年はその領域に到達する。
開眼する。
「禁術」
その魔法。
「万人滅失式」
数多の狂人らから聖書と崇められ。
「特級」
史上、最も女性から忌み嫌われた。
「癒呪魔法」
非人道かつ非道徳ゆえ、人間の本能が厭悪し拒絶する、最低最悪の呪い。
軽蔑あれ。
侮蔑あれ。
愛したまえ。
禁術・万人滅失式、特級・癒呪魔法
「“ロマノス・ベィ ──── 女神胎堕”」
かの古代魔法が放つ光色は“水”。
ビブリオテカ・魔法習得“第四”発動条件────、開示。