第三試練 開演
「気分はどうだい? 化け物くん」
「……ァ、ぅ!」
「おいおい、まるで人間のような苦しみっぷりじゃねーの。ん?」
想定を通り越した、想定外にもほどがある事態にシルドの頭が回らない。未だ現実を受け入れられない状況の中、無慈悲にも相手はこちらへ近づいて来る。
落ち着け、呑まれるなと心で警報を鳴らす。下腹部からの灼熱の痛みが今も脳天まで走る。滝のように出る汗は、既に全身を濡らしていて。
「改めて驚いたな。今まで気づかなかったぞ、ガイ」
「さすがに俺も勘だったよ。マジで出てくるとは思わなかったがな。ヒヒッ」
話す二人を前に、再度横の第三試練をシルドは見た。
“擬似空間として構成されたクローデリア歴1000年の王都へ渡り、初代アズール王とソランド・コルケットの前に現れた「謎の存在そのもの」となって彼らと邂逅し、一切やり直しのきかない自己判断と、死を含む自己責任の全権をもって、アズール図書館を建造するまで導き、司書を誕生させ、かつ司書の誕生は真実のものと完全一致するよう辿り着いた後。
何故、アズール図書館の司書が存在するのか、述べよ”。
……長すぎだろ! と、数秒呆然として、半ば怒りの変な笑いが出た。どうにもこうにも、今起こっていることは現実で、試練もまた揺るぎないようだ。変えようのない悪魔の試練が、堂々と立ちはだかる。
「すぅー……」
ゆっくりと深呼吸して、心の芯だけは冷ましていく。冷静を欠けば死だ。相手は初代アズール王とその親友。戦えば万が一にも勝ち目はない。まずは回復し、それから話し合いに持ち込むしかない。
あまりにも急変した事態に対処するには、自分を見失わないことが最上だ。まずは止血。中級・癒呪魔法……。
「“復癒の床”」
発動しなかった。
「……」
発動しなかった。
「は?」
「何が『は』なんだ、あ?」
眼前にアズール王がいて、気づいた時には遅く、シルドは後方へ蹴り飛ばされた。
しかも蹴られた場所は寸分の狂いなく傷口であって。全身を衝撃が疾走する。蹴られた痛みだけではない、魔法が発動しなかった現実に──
「ぁああ! い、ぅぁ!」
「今、魔法を発動しようとしたか? ソランド」
「うむ。『それ』がどのようにして魔法を発動するのか興味はあるが、危険でもあったね」
「聞いたことねぇ魔法名だったな」
「何にせよ貴重な存在だ。是非とも調べたい」
「当然だな。いい土産ができたぜ」
激痛により、意識が途切れそうになりながらも、シルドは相手を見る。そこには、つい先ほどまで談笑していた二人はいない。
全く見たことのない、歪で歪んだ笑みをする者たちがいた。こんな二人をシルドは知らない。当然であろうか。
相手は、英雄なのだ。
クローデリア大陸を統一するため、何千人を殺してきたかわからない。どれだけの人を騙してきたのかも知らない。
アズール王国のために、彼らが何を思い何を犠牲にし、何を捨ててきたのかも……知るよしはない。仮に知っていたとしても、今のシルドにとって同情する余裕はなかった。
確実に、自分がまともな扱いを受けない、という未来だけは確信できる。
そう断言できるほどの、真っ暗な笑みであったのだから。
「“止血”」
初級・癒呪魔法が発動する。癒しの魔法であり、止血を防ぐ魔法だ。けれど、シルドの外傷はとても初級魔法で治せるものではなかった。わかってはいたが、それでも使用せざるを得ない……。つい先ほど、魔法を発動できなかった不可解な現実を受け入れたくなかった。
しかし今、魔法は発動された。
どうなっている……! 噴火の如く、疑問が噴出する。
「へぇ。見たかソランド」
「見たとも。魔法を発動したね。知っている魔法だ。下級魔法の中でも底辺の初級魔法だが」
「程度の問題じゃねぇさ。ヒヒッ、『これ』が魔法を発動した、ってだけで充分だぜ」
「実に興味深い。で、どうする?」
「もうちっと様子をみてぇな。おい、黙って捕まるのもいいが、足掻くのを勧めるぜ」
言い終わるか否、ガイ王が俊足でこちらへ駆ける。まだ攻撃をするつもりだ。ガイ王らが何を考えているか不明ながら、捕まえようとする一方、こちらの出方を見たいとも思われたようだ。
シルドの脳内で、未だ混乱の渦が激しく旋回している。しかし、いくら悩み苦しもうと、事態を好転できる材料など一切ない。今は、この状況を打開するしか、生きる道はないのだ。
「“三十の娘扉”!」
中級・創造魔法“三十の娘扉”。厚みのある扉を三十召喚する魔法である。自身を囲むように発動し、一時的な防御に使うことも可能。発動すればの話であるが。
「あ? 何言ってんだ?」
発動しなかった。横からの蹴りに、シルドは無防備で受けることになる。せめてものと右腕で防ぐも、やはり平均的な体のシルドではあまり意味をなさず、無慈悲に吹き飛んだ。右腕の骨は折れ、ダランと使い物にならなくなって。
「どうして、発動しないんだ……!」
「おいおい、おいおいおい! 何言ってんだお前! さっきの魔法はどうした! もっと見せろ化け物!」
あまりの痛みと、事態の危機的状況により、一周回ってシルドは冷静を取り戻しつつあった。
1. 第三試練が正式に判明
2. 発動しない魔法がある
3. シルドのことを化け物やそれ、これと表現する
4. 極めて深刻な命の危機
以上、四つが喫緊の課題である。1は今考えても無意味だ。2も時間がないため検証できない。3も自分をどう見ているのか不明だ。
……ならば、やはり4を最優先に回避する他ない。それに、この狂った展開に対して少しずつ……怒りに似た感情をシルドは感じていて。
先から好き放題やられ放題だ。このまま甘んじて状況を受け入れても、好転する可能性は低いだろう。
「話がしたい」
激痛の波に襲われる中、数秒でそこまで結論付け、まずは言葉を発した。
対し、相手二人はキョトンとし、互いに目を合わせ、ゲラゲラと笑いだす。
……あぁ、やはりジンとミュウの言っていたことは本当のようだ。狂人の類でなければ、どうにもクローデリア大陸は統一できなかったと、シルドは思った。そして心から相手を軽蔑した。
「いいぜ、話をしよう」
「だが、こちらとしては敵意むき出しなのだがね」
「見るからに人間じゃねぇお前と話をするってのは面白いわけよ」
「……人間には見えないのか」
「あ? 当然だろ」
情報が一つ、シルドへ。
嬉しいと思う感情に青年は苦笑する。自分は今、狂気の水を飲んでいる……そんな気がした。
「人のようには見えないのか」
「当たり前だ。『全身発色生命体』が何ほざいてやがる」
「肌色だと思っているのだが、そうは見えないのか」
「その虹色光源を肌色というのなら、お前の感性は死んでるぞ、化け物」
どうにも、二人からシルドは虹色の光を発する生命体に見えているようだ。確かに、化け物と呼ぶに問題ない。
もう少し配慮のある言葉を言ってもいいと思えるが、人でないものを的確に表す言葉として、これ以上のものはないと思えた。顎髭に手をあてながら、ガイ王は楽しそうに言葉を紡ぐ。
「でだ、化け物よ。お前は何者だ?」
「答えられない」
「何故だ」
「いきなり攻撃してきた相手に対し、答えに応ずる義理はない」
「正論を言われたぞ友よ」
「黙れ」
今、シルドにとって大事なのは時間稼ぎである。
頭が発狂の波に易々と呑まれそうになる。それを必死に食い止めながら、現状分析と最適解を叩き出せねばならない。
目線を下に向ければ、止血の初級魔法では止めようもない現実が視界に映る。あぁ、これはまずいなぁと他人事とも思えるその感想を、シルドは死に直面した際、人がとる回避行動と判断した。
まだ生きているのが不思議だった。そして、戦えば死である。絶対的な運命が提示されている。
「ここに宿る生命体というのは理解しているよ。人ならざるもの」
ソランドが一歩前へ出る。
「実に興味深くてね。是非とも持ち帰りたい。だがキミはそれを拒否するだろう? 話し合えるとは思えない。そして我々はそんな無駄な時間を使いたくない。キミを持ち帰る。確定事項に相違ない。理解してくれたかな。ちなみに、言うまでもないが、いつでも滅せる」
「うわーソランドくん最低最悪だね。もうちっと相手のことを考えなよー」
「ハハハ、お前が言うのかねガイくん死にたまえ」
悪口を言い合いながらも、決して視線をシルドからは外さない。何かしようものなら即座に行動できるようだ。
話し合いはできるようだが、シルドの目的である身の安全を確保しながらの対等の話し合いは、水と油の関係と同義のようだ。隔たりが大きすぎる。向こうの言い方で充分にわかった。
明らかにこちらを下に見ていて、そして生命与奪権を渡すつもりもないようだ。嫌悪感も凄い。殺意に近いようだ。このまま何もせず相手の意のままに従うものなら、実験動物が関の山である。
自分は何故、ここにいる。
シルドは答えのない問いを、既に十数回繰り返している。そして……その思考をゴミ箱へ捨てた。
「やるしかない」
「おぉ! やる気じゃないか! いいぞ!」
「ありがたいね。興味深く拝見しよう」
「早く出せよ」
「“ロル・ソニレヌ──鋼の羽衣”、“騎兵親衛衆”、“山彦の捨て子”、“グランロカッセ──岩炎壁”、“ファグ・ヌロン──鈍針基盤”」
計五つの魔法名を口にする。
さすがの相手二人も、まさか魔法を五連続で口にするとは想定していなかったようだ。目を見開き、姿勢を低くし構えるガイ王とソランド。シルドの周囲にふわりと粒子が舞い、呼び出された魔法が現出する。
炎を纏った岩壁がシルドを中心に展開。円を描くように一つ、二つ、三つと外に向けて火の壁が生み出される。
それと同時、鋼の強度を誇る翼がシルドの服より生え出る。首から下は羽に覆われて、身を守る頑強な盾となる。
また、地面も薄っすらと光れば、辺りにある土埃や砂が時を鈍らせたかのようにゆっくりと動く。
発動された魔法は三つ。
中級・自然魔法“グランロカッセ──岩炎壁”、中級・付属魔法“ロル・ソニレヌ──鋼の羽衣”、上級・陣形魔法“ファグ・ヌロン──鈍針基盤”である。
そして、発動されなかった魔法は二つ。
中級・創造魔法“騎兵親衛衆”、上級・呪癒魔法“山彦の捨て子”であった。
「おいおい! 見たかソランド!」
「見てるよ。凄いね」
発動する・しないものについて、何が根拠となっているか確かめる必要があった。そのため、手っ取り早く、一度に自然・陣形・創造・付属・呪癒魔法を発動した。
先ほど発動しなかった魔法は“復癒の床”と“三十の娘扉”。発動したのは“止血”。
中級魔法は発動しないと思われたが、問題なく他の中級魔法は発動した。
自然魔法だから発動しなかったと思われたが、先ほど“グランロカッセ──岩炎壁”は発動した。つまり、魔法の難易度は関係ない。また、魔法の種類も関係ない。発動しなかった魔法は“騎兵親衛衆”と“山彦の捨て子”。と、なれば……。
「種類の違う魔法を立て続けに発動したぞ! まじかよ!」
「他の魔法も発動できるのかな? だとすれば是非とも見てみたいね。うーん、興味深い。来てよかったよ」
「これ、欲しいわ」
「同感だ。是非とも欲しい」
嬉しそうに会話する二人を前に、燃える岩壁に囲まれたシルドは冷静に考察する。既に幾つかの魔法による立証は済ませた。次点で思い当たる節に、仮説を立て、即座に実践する。
「“伍光・万華鏡”」
発動しなかった。
「“ズレミィ・ジャイ──錯綜砂漠”」
下級・自然魔法“ズレミィ・ジャイ──錯綜砂漠”が発動される。
地面は砂へと変わり、常時変化し動き続ける。解除すれば砂はもとの地面へ戻る。
「やはりそうか」
まだ確証はもてないまでも、おおよそ納得のいく結果を得た。小さく頷き、考えをまとめる。
ここはシルドのいた時代より六百年前の、クローデリア歴1000年。
大きな転換期となった時代だ。それはクローデリア大陸を生きる人々の歴史、文化、文明、ありとあらゆるものを動かした。
当然その中には魔法も含まれているだろう。祖先の方々は多種多様な魔法を繁栄させてきたのだ。
大きく息を吸い、心を落ち着かせるように……自分自身に告げる。
「クローデリア歴1000年以降の魔法は、ここだと発動しない」
※ ※ ※
古語。
古より存在する言葉とされ、今は使われていない不思議な言葉。
魔法名はシンプルに“○○”と称される時と、“○○──○○”と称される場合がある。
シルドのいる時代からすれば、シンプルな“○○”は新たに発明されたか、約六百年前からの魔法。
もう一つの“○○──○○”は、前にある言語が古語を指す。つまり、昔あった魔法を現代で使う際、魔法師が認識している証として現代語に訳したものが後にくる。
シルドの発動できた魔法のほとんどがこれであった。また、“止血”も発動できた。これは古語を言っていないけれど、遥か昔よりあったとされる魔法で、子供でも扱える魔法だ。
初級・自然魔法“魔炎”も同様で、いわば遺伝子レベルでアズール人に刻まれている魔法である。この場合、古語と現代語を言う必要はない。
現在、シルドのいる空間はクローデリア歴1000年。
発動できた魔法は、全てこの1000年より前に生まれた魔法だ。
反対に、この年以降に生まれたとされる魔法は発動しなかった。
「法則性は理解したけど、原因が不明だ……」
シルドは、クローデリア歴1000年の時代にタイムスリップしたわけではない。ここは擬似空間のはずだ。
発動しない原因までは、皆目見当がつかない。不安の渦が濃く染まる。染まりに染まって、思考の迷路へと誘われそうになる。
──今は状況を打開する策を講じるべきだ。シルドは自分にそう言い聞かせて、前を見る。
「最悪の気分だが、落ち着け。過去最大にして最難関の第三試練を選んだのは自分だろ。ならこうなるのは覚悟していたはずだ」
このレベルだとは思っていなかったけどね、と少し弱音を吐きそうになるが、やめておく。
言ってしまえば後悔しそうだったから。幸い、発動できた魔法は防御に適した魔法たちである。
“グランロカッセ──岩炎壁”は文字度通り炎を纏いし岩壁を召喚する。自分を中心に三重に囲んでおり、相手に与える威圧感としては申し分ない。
また、中級・付属魔法“ロル・ソニレヌ──鋼の羽衣”も防御の魔法だ。鋼羽を服より生ませ、物理的な攻撃を軽減する。
上級・陣形魔法“ファグ・ヌロン──鈍針基盤”は発動している限り、陣の上をゆったりと時が進む仕様である。仮に相手の突発的な攻撃も、これなら防ぐ時間を稼げる。
あの状況下の中で、シルドは仮説と検証をしながら、もし発動できたのなら防御に類した魔法を選択した。その中でも発動できた三つは心理的に安堵を覚える。
今やるべきことは、なんとしても話し合いだ。万が一でも戦闘は避けたい。死が待っている。同時にこうもシルドは思った。
……何故、彼らは僕に敵意むき出しなのだ。摩訶不思議な相手なのだから当然かもしれないが……。それでも、様子見も兼ねての対応が普通だ。
──過去に、何かあったのではないか。ならば、可能な限り防御に徹し、対応すべきだ。
「話を聞いて頂きたい!」
「断る」
後ろより、声が聞こえた。
「同じ轍は踏まんよ」
即、振り向けば。
「なぁ、化け物よ」
ガイ王がそこにいて。隣にはソランドも。
いつから……!
シルドが思った時と同時。
ガイ王に掴まれたのは鋼の羽。シルドを防御せし“ロル・ソニレヌ──鋼の羽衣”。掴んだと同時、羽ごと抉るような手刀をシルドの下腹部めがけて突き刺して、むんずと「それ」を掴んでから、もはやシルドがどうこうできる隙すら与えず……
「さぁ、次の魔法を出せ」
回転蹴りを叩き込んだ。
思考する時間などなかった。
声が聞こえて後ろを振り向いた瞬間にそうなったのだから。蹴り飛ばされ、意識が飛びそうになる。目がチカチカする。それでも必死の思いで起き上がり、シルディッド・アシュランは……ふと、見たのだ。
自分の下腹部から「紐状の何か」が出ていることを。
それが「自身の大腸」だと気付くのに、そう時間もかからなかった。
「……ははっ」
絶望と死を前にして。
こうもシルドは思うのだ。
……モモと、もっと話しておけばよかった。
勝てない。
死ぬ。