明かされる真実
一歩、また一歩と後ずさりするシルド。歴史上の人物に出会えたという感動もややあるが、それ以上の感情が彼を支配していた。
──圧迫感。
自分と同じ人間であるのに、この存在感の濃さは何だ。生き物として同様のカテゴリのはずが、全く別の生き物と感じられる圧がそこにはあった。
「それで? ガイ。ここに何の用だ」
「ヒョハハ、ソランドくん。それを俺に言うのかよ」
「あまりここへは来たくないのだよ。友が眠っている場所だ。静かにしたいものさ」
「百年もすりゃ、ここで散っていった者らのことなんざ皆、忘れちまうだろうよ」
「環境による。記念碑でも建てるか?」
「馬鹿いうな、とっくに至る所で建ててるだろ。もっと有意義なことに使わなきゃ、あいつらに顔向けできんぞ。つーか、最初からわかってて質問するその悪癖やめろ」
「……ふむ」
ソランド・コルケットは涼しげな顔で前を見る。無論、彼の視界にシルドも入るが、まるで気づいていないようである。周囲に人がいないことを確認したのか、真顔となってソランドは初代アズール王を見た。
「莫大な魔が埋蔵されているという禁止区域……、魔境。敵にも利用されそうになったここへ来たのだ。目的は一つに相違ない」
「禁忌・禁止・禁則……蓋をし続けた結果がこれだろ。危うく王都が無くなる所だった。だったら俺らが後世へ残すべきものは、今後もここを禁止区域にすることじゃねぇよ」
アズール王が指を鳴らせば、虹色に光るルカが二人を囲む。
“ルカ・イェン──魔統”。ルカそのものを統べる魔法。シルドの親友であるジン・フォン・ティック・アズールの魔法と同時に、この魔法の創設者が彼である。そして“ルカ・イェン”を扱える技量は、明らかに初代が上回る。
「普通の人間が入りゃ即座に倒れてあの世行きだぜ」
「濃すぎるのだろ? 結界を張ってあるが、それでもわかる異常濃度だ。正直、吐きそうだよ」
「まぁ俺ぐらいしか入れんわな」
「中で魔法を解くなよ……昔のように」
「へぃへぃ、わかってるさ」
シルドの目論見通り、二人は調査のため訪れたようだ。自分が過去を追体験していると考えれば、彼らについていくのが当然であろうか。「いない存在」であるのに、つい忍び足で二人の後ろへ移動する。
そっとソランドの服に手を近づけ、触れないことに安堵する蒼髪の青年。尾行しているような、不思議な後ろめたさを感じつつ、一緒に中へと入っていった。
入った直後、ガクンと体が揺れる。
中はポッカリと空いた地下空洞となっており、何もしなければ真っ逆さまに落ちていくだけだ。そこを初代アズール王の作りしルカの階段で補っている。
現在のアズール図書館では超巨大な本湖となっている場所だ。わかってはいたが、やや緊張の一瞬でもあった。そして前を向けば、……アズール王がこちらを見ていて。シルドを見ていた。ソランドではなく、シルドを見ていた。
「どうした? ガイ」
「いやぁ、何か、あー? まぁいいや」
「娘に呼ばれたか」
「殺すぞ」
「冗談だよ、友よ」
ふぃ、と前へ顔を向ける王。やれやれとするソランド。対し、シルドは心臓が止まるかと思った。
自分は存在しないはずであるのに、ピンポイントで凝視されては、蛇に睨まれた蛙であって。汗が背中をサッと走る。
「予想通りだが、なんつーか」
「星々の世界にいるようだな」
言い得て妙な言葉である。
宇宙空間に放り投げだされたように、周囲はありとあらゆる輝きに満ちていた。宇宙と違うのは周囲が暗くなく、白色の世界。ただし燦々と光る粒子の数が全方位より展開され、目を細めるのに充分な強さの輝きを放っている。
容易に立ち眩みに襲われそうな世界であった。ガイ王は紐状のルカを作り出し、ソランドと自分の腰回りを縛る。また、作り出したルカの階段を大きめに変更した。落ちるリスクを軽減する狙いだ。
「ヤバいと思ったら足を止めろ」
「もう既に止めたい思いだよ」
「貧弱な野郎だ」
「娘に頭の上がらない王様に言われたくないね」
軽く口喧嘩をしながら二人は階段を降りていく。その間も流星の如く周囲は輝きに満ちていた。
最初は綺麗と思ったものの、ずっとここに居れば気が狂ってしまうかもとシルドは思った。どこまでも広がるただ輝くだけの世界というのは、存外悲しいものでもあって。
そうこうしているうちに三人は地底へ到達する。
相も変わらずそこは光る粒子の空間だった。どこを見てもそれで、悲しいことにそれだけで、何か違うものを探して周囲を見渡す。
しかし、どこにもガイ王とソランドの「目的のもの」はなかった。そのまま一時間ほど周囲を歩きながら探索するも、やはり何も起こらず発見できず、ただ時間だけが過ぎていく。
「あぁ……探索は飽きてきたな」
「おいおい。もう飽きたのか王様」
「うるせぇよ。ったく」
初代アズール王は右手を上にし、目を閉じて集中する。三人の周囲にだけに張られていたルカの結界が、目に見えて拡大していった。
瞬く間に結界はドーム状の規模となり、辺りに輝いていた粒子は外へと追いやられていく。……結果として、白色の世界だけが残り、空を見上げれば星々が天より地底を照らしている。
「最初からこうすれば良かったのではないのか?」
「何が起こるかわからねぇから、周囲の警戒に神経を使っていた。その必要がなさそうなんで、邪魔だった輝きどもを一蹴しただけだ。わかってるのに聞くんじゃねぇよ」
「照れるね」
「うっぜ。外面満点男は言うことが洒落てるぜ」
事あるごとに口喧嘩する二人にも慣れてきたシルドは、二人と少し離れた場所へ移動し考える。
……僕の知っているアズール図書館の本湖の地下空洞は、決してこんな場所ではなかった。真っ暗な空洞だけで、一度もこんな輝き全開の世界など見たことがない。果たして今、目に映る光景は事実なのだろうか……。第三試練は僕に、何を見せようとしているのだろう。
「どうするガイ。どうやら、ここにいても時間の無駄なようだぞ」
「……そうか?」
「予想通りとも言える。『魔境級の危険』と改めて判明したと、一先ず終えるのが良いのではないか」
「そうか?」
「先にも言ったが、あまりここへ居たくはない。お前の“ルカ・イェン”で何とか立っていられるが、昔のように何かが起こる可能性も捨てきれない。そうなれば、私もお前も危険といえる」
「そうか?」
「……? ガイ?」
未来を知るシルドからすれば、ここで「何らかのアクシデント」が発生するはずである。
そして、魔境と呼ばれる高濃度のルカ危険地域から、平和なアズール図書館となるのだ。その流れを今、シルドは見せられている……のだが……やはり引っかかるものがある。違和感を覚える。大事な何かを見落としているような気がする。
しかし、その引っかかりが何なのか、わからない。言いようのない不安が背後にいるような感覚。
「ソランド。確かにお前の言う通りだ。ここは異常濃度の危険地域、魔境。それで終わりだ」
「あぁ。ならさっさと帰ろう」
二人の会話から地上へ戻ると思い、足早へ彼らの近くへ行くシルド。
その間も。
頭の中で、不安が蠢く。
謎の違和感がどうしても拭えない。
やはり、何か、自分は、見落としている気がする。
「だが、違うんだよ。やはりここには俺らの求めていたものがある」
「……」
「ここへ入った瞬間から気づいていた。しかし、極めて僅かな違和感だった。勘違いと思うほどさ」
何だ。
何なのだ。
疑念がシルドの中で増幅されていく。
渦巻き旋回し堂々に巡る。
……僕は、何を見落としている。
「だからよ、ソランド。答えを聞こうぜ」
僕は──何を……?
「なぁ、おい」
不意にシルドは前を見た。
辿り着かない思考の迷路に惑わされ、注意を怠っていた。
眼前に初代アズール王が立っていて。
どうやら自分の後ろを見ているようだ。
と思ったが。
違う。
後ろではない。
自分だ。
シルドを見ている。
見ている……?
何故。
自分はこの時代には存在しない。
追体験をさせられているだけの存在。
通行人に手を出してもスルリと通過された。
見えているわけがない。
ましてや触れない。
この時代には、存在しない人間なのだから。
「……?」
シルドは視線を下に向けた。
奇妙な違和感があって。
不可解な感覚があって。
熱い。
鋭く熱い。
灼熱の熱さ。
何かが熱い。
どうして。
どこが?
……。
……?
自分の腹に。
シルドの腹に。
右の腹に。
何かが入っている。
入れ込まれている。
抉り込まれている。
左手が。
初代アズール王の左手が。
躊躇なく。
確かに。
深々と。
「ヒヒッ!」
シルドの右腹に突き刺さっていた。
「……え?」
※ ※ ※
シルドの視線は自身の腹へ向けられる。
痛みは、まったくなかった。驚くほど自然で、寒気がするほど見事な手刀である。
入っている。
間違いなく確かに、ガイ・フォン・レイリック・アズールの手が、シルドの腹へ挿入されている。あまりの衝撃に脳が機能を停止し、黙って見続けるしかできないシルドの前で、ゆっくりと引き抜かれた。
まるでワイン樽の栓を抜いたように、止めようのないワインが……色の濃い液体が、体から出てきた。
「……ッ。……ァあ、ゥ」
シルディッド・アシュランの頭は、状況への理解が追いついていなかった。脳内では未だ「何故こうなっている、何が起きている」と何度も警報が鳴るだけで、現実を直視できないのだ。
……先ほどまで僕はいない存在だったはずだ。最初この擬似空間へ来た際もそうだ。誰だって僕を感知しなかった。知覚しなかった。
いない存在であったはず。
なのに何だ、これは……!
どうして僕は「実体化」しているんだ。僕はここへタイムスリップしたってのか!? だとしても不可解すぎるだろう。仮にそうだとしても、「シルディッド・アシュラン」として形作られているはずだ。
何故、他人から見えなかったり、僕から触れなかったり、かと思えばガイ王から刺し貫かれたりできたんだ!
これではまるで、僕がこの時代へタイムスリップしたとかではなく──
「──」
──その時。
ここまでシルドが考えた時。
ある仮説が蒼髪青年の頭に浮かぶ。
他人からは見えていなかった。消えている。しかし実体化した。ガイ王には見えていた。第三試練。何が起きても不思議ではない。天変地異やら世界反転してもおかしくない。過去最大にして最難関の試練。始まる前、ファリィ・クサリーは何と言った。彼女はこう言った。『ファリィ・クサリーの名のもとに、死の絶望と希望を宣言する』と。第三試練の内容は……
“……。何故、アズール図書館の司書が存在するのか、述べよ”
「ハァッ、クゥ、ァア……!」
「ガイ」
「何だね、ソランドくん」
「お手柄だな」
「ヒョハハ、見事な演技だったぞ相棒!」
「こういうのは我々の十八番だからね」
第三試練、不可解な点があった。最初の「……。」についてだ。何かを意図してあのような文字を入れているのは明白だった。しかし、何を示しているのかまでは、残念ながらわからなかった。
一般的に「……。」は沈黙を意味する。しかし、わざわざ第三試練の内容として沈黙などと無意味なものを入れるはずがない。何らかのミスでない限り、きっと意味があったはず。
仮にだ、もしもだ、「他の役割」があったとしたら。今、シルドの眼前で起きている状況で、あの沈黙に考えられる役割があったとすれば──
あの「……。」は、「省略」を意味していたとしたら。不公平極まる意図が込められていたとしたら──
「……」
シルディッド・アシュランに、一つの仮説が生まれた。そしてそれを、彼は即座に叩き潰した。
彼に浮かんだ仮説が無意味だからではない。純粋にシルドの中で……、受け入れたくなかったからだ。断じて、そんな試練が第三試練などと、受け入れたくなかったからだ。
横に、ルカの粒子が現出する。
咄嗟にそれを見て悪寒が走る。
まるで見透かしたかのようなタイミングだった。
シルドの呼吸がさらに粗くなる。早くなる。加速する。現実を受け入れられない言の葉が、シルドの口から微かに溢れて。
「違、う、そんな、はず」
そんな彼の横で、ルカの粒子は淡々と変化し、文字となった。
“……。何故、アズール図書館の司書が存在するのか、述べよ”。
第三試練の内容だ。そしてそのまま、「……。」の部分が赤く光り、徐々に文字となって、文章となっていく。シルドの視界が微かに揺らめく。目に薄っすらと涙が出る。呼吸が今より段違いで加速する。鼓動が激しく鳴りだす。
「やめて、くれ、それは」
思わず口から、漏れた言葉。
「解けるわけが」
※ ※ ※
シルドやモモ、ジンたちのいる大陸を、クローデリア大陸と呼ぶ。
また、その大陸の歴史も、わかりやすいようにクローデリア歴(略してク歴)と呼ばれている。現在シルドたちが生きている時代は、クローデリア歴1600年である。
シルドの前世で西暦と呼ばれる歴があり、西暦1600年でシルドの前世の時代といえば、関ヶ原の戦いが有名である。
徳川家康と石田三成が天下分け目の戦をし、勝者は徳川家康であった。彼はそのまま全国統一を果たし、新たな時代を作っていく。その道のりは実に険しく、命の危機も何度もあった。決して楽なものでは断じてなかった。人に歴史あり、千辛万苦な生き様であったと断言できるだろう。
──では、問おう。
もしも西暦2000年以降に生きる一人の人間が、徳川家康の誕生した西暦1543年へ渡り、かつ「徳川家康そのもの」となって生まれ変わったとしたら。
果たしてその者は、西暦1600年の関ヶ原の戦いまで、徳川家康として史実通り導くことはできるだろうか。
彼の歴史を全て知っている者なれば、もしかしたら可能かもしれない。しかし、関ヶ原の戦いで勝った、という知識しかない場合、つまりはゴールの部分しかほとんど知らない場合、果たしてここまで辿り着ける者は……。
一人として、存在するであろうか。
「やめてくれ」
「……。」が文字へと変化する。
文章となる。
「たのむ……!」
省略されていた、隠されていたそれが明らかとなる。
鼓動が鳴る。限界まで鳴り響く。
限界など、とうに超えて発狂する。
呼吸できない。呼吸がわからない。
超弩級の極限の狭間において。
無慈悲に残酷に、同情したくなるほどに。
過去最大にして最難関の試練の扉が……。
第三試練の扉が──、開放されたのだ。
※ ※ ※
“擬似空間として構成されたクローデリア歴1000年の王都へ渡り、初代アズール王とソランド・コルケットの前に現れた「謎の存在そのもの」となって彼らと邂逅し、一切やり直しのきかない自己判断と、死を含む自己責任の全権をもって、アズール図書館を建造するまで導き、司書を誕生させ、かつ司書の誕生は真実のものと完全一致するよう辿り着いた後。
何故、アズール図書館の司書が存在するのか、述べよ”。
シルドへ蹴りが入った。砲丸のような威力であり、棒切れのように転がる青年を、笑顔全開のまま王は見下ろす。
「どうしたぁ? 化け物」
初代アズール王が無邪気に笑う。皮肉にも、かの王様から絶望の淵にいるシルドへ現実を教えるように、絶対不可避の宣言が振り下ろされた。
「始めようぜ」
絶望の鐘が空へ響く。
第三試練、開演である────。