久しぶりの再会
灼熱の焼けた溶岩に溶けない宝石を散りばめ、下から光を当てたらどうなるだろう。
オレンジと赤の混合色が、周囲を鮮やかに照らすだろうか。宝石を見ている側は眩しさのあまり目を細めるかもしれない。でも、その美しい輝きに魅了され心を奪われるのは、生きるものとして自然なことだと思う。
「綺麗な夕日」
「うん」
アズール王都を視認できる距離まで来たものの、待っていたのはジン・フォン・ティック・アズールのために用意された極秘着港であった。
一応、ジンがクロネアに行くのは秘密だったということで、帰りもまた警備に万全を期している。加えて過保護なユンゲル右大臣が「到着するその時こそが一番危ないのだ!」と先陣を切って指示を出しているそう。結果として、ジンは船内で最も警備が厳重な場所へ隔離されており(当然激怒したがミュウ兄妹によって拘束)僕らも部屋から出ないよう命令が出ているのだ。
ただ、「部屋から出るなとは言われているけど、誰がどの部屋に入るかは指示されていない」とモモが頓智みたいなことを言い出して、現在、僕とモモ、リュネさんにレノンは同室でのんびりと過ごしている。あと一時間もすれば問題なく解放されるだろう。ジンはこれから国務で大忙しだ。
僕とモモは部屋の窓から空を眺めていて。久しぶりのアズール王都、毎日見ていたはずなのに何年ぶりかのような錯覚を覚える。暁の光が地平線の彼方よりゆらりと見えて、そこから生じる温かくも落ち着かせる光色は、朝日とは違った世界を見せてくれていた。
モモの顔が、そっと肩に乗る。一瞬ドキッとするも、……いや現在進行形でドキドキするも、なんとかこらえて平常通りの素振りをみせる。ただ、横の女の子はそんな心境など軽く見抜いているらしく、いたずらっ子のように笑うのだ。
笑顔が、グッと増えた。あの月夜を迎えてから、目に見えて彼女は笑うようになった。
感情も表に出すことが増えたように感じる。それはリュネさんも同意見で、いい意味で変化に戸惑っているようだった。それはそうだろう、僕もこんなに変わるとは思っていなかった。驚きと嬉しさの両方が心の中でピョンピョンと跳ねている。
「シルドくん、到着したらアズール図書館に行くの?」
「うん。ってその質問はジンにもされたよ」
「一日置くのが自然だと思うけど」
「第二試練の結果を教えてほしくてさ」
「危険じゃないかしら」
「……」
珍しい。
モモがアズール図書館を危険と称したのは初めてのことである。僕に対して嫌味を言うのではなく、彼女なりの考えがあってのこと。だからそのままの流れで委ねてみる。
「危険って?」
「第二試練の結果次第では、シルドくんの身に危険が及ぶかもしれない」
「仮に第二試練に落ちた瞬間、アズール図書館の内部情報を知った者として処分されるということ?」
「えぇ。また、第二試練に合格したとしても、そこから先は問答無用で第三試練に突入するかもしれない。そうなれば、きっと第二試練より激しい戦いになると思う」
「どちらにせよ、今日行くのにモモは反対なんだ」
顔を下に向けたまま、服だけをギュッと握っている。肯定だ。
よく笑うようになったモモだけど、もちろん根本的な部分は変わらない。感情を言葉にするのではなく、身振りや手振り、僅かな表情の変化で表すことが多いのだ。
もう慣れた身なれど、初見で看破できる人はそういないと思う。今の桃髪少女は純粋に僕を案じてくれているのだろう。だから彼女に応える形で、握っている手に、そっと僕の手を被せる。
「大丈夫だよ。危険があると判断したら、逃げればいいし」
「……それが出来る相手だとは思えない」
「まぁねぇ」
「そもそもの話。つまりは『アズール図書館の司書がどうして公にされていないのか』、考えたことは?」
「もちろんあるよ。そして大体の結論も出ている」
図書館。本を貯蔵する施設のこと。
当然ながら施設を運営する以上、人手がいるだろう。世界広しといえど、図書館だけで運営している施設はない。図書館には人が必要なのだ。
本の手入れや図書館内の掃除はもちろん、返却・貸し出しの手続き、新しい本の入荷、廃棄とリサイクル、利用する人々への注意喚起や配慮、日頃の警備、要望の処理、etc……。考えたらきりがない。司書がいない図書館など、やはり世界中でも一つだけなのだ。
「司書を不要にする必要性が見当たらないよね」
「えぇ」
どうして「司書を不要」としているのか。
デメリットしかないだろう。アズール図書館の事情を知った者ならば皆が考えることだ。奇跡的(というか魔法的)に無人で何とかなっているアズール図書館。実際は地下にステラ・マーカーソンという司書がいるのだけれど、世間一般には“0人”として知られている。
構造、職員数、組織、概要、その他……、全体の九割九分を世間に公表していない図書館。絶対的に存在不要とされる司書の秘密。常識的な思慮を巡らせたら、自ずと結論は一つになるだろう。
そしてそれは、モモが出している結論と同じなのだ。前々から僕に言おうと思っていたのか、意を決して彼女は口にした。
「アズール図書館は『何かを隠していて、秘密をバレないようにしている』と考えるのが自然だと思うの」
「司書を自由に働かせていれば、その秘密を探り当てられる可能性があるからね」
「えぇ。だから、司書を不要としている。そんな中でステラさんのように『司書が秘密裏に存在している』ということは」
「うん、『アズール図書館の司書とは、図書館の秘密を守る存在』だと考えられる」
「……」
「用心棒、ともいえるね」
用心棒。つい最近、その言葉を聞いたものだ。まさか異世界から用心棒を召喚しただなんて、中々に刺激的な体験をしたもの。誰に話しても信じてもらえないだろう。
モモが危険、と言ったのは。
それほどの「秘密を守る用心棒を雇う試験」であるのなら、第一・第二試練ともに納得がいくという。第一試練はアズール図書館の内部へ侵入することだ。これは情報収集力や決断力、密偵の能力が試される。そして第二試練は謎解きに挑む思考力や推理力、他国であろうとも物怖じしない勇気が求められる。どちらも用心棒を雇う試験としては実によく出来ている。
その二つを乗り越えた先にある第三試練だ。
まず危険であろう。それこそ「命を懸けて挑む」ものかもしれない。とても本を片手に歩いている司書さんには似つかわしくない試験である。
確かにモモの言うことはもっともだ。僕もその結論は既に出ている。だから、自分なりの見解を述べるために彼女を見た。
「モモの考えは正しいと思うよ」
「でも?」
「僕はこう考えている」
モモの言うことが正しいとして。
つまりは仮に、アズール図書館には誰にも言えない秘密があって、それを外部に漏らさないため、絶対的に隠しているのなら……。
「アズール図書館の司書を、秘密裏にアズール側で用意するはずだ」
アズール絶対忠誠の輩を用意するはず。それこそ、アズール十四師団の隊長格や、外部に漏らせば自決する癒呪魔法をかけられた政府関係者など。秘密にしたいのなら、それこそアズールの息がかかった最も信頼のおける重要人物を、起用するはずである。
司書になるための試練なんて、用意する意味がないのだ。外部から採用なんてしていたら、いつかはきっと危ない輩を採用してしまう危険性がある。博打以外の何ものでもないだろう。僕がアズール図書館の秘密を絶対に保守したいのなら、断じて外部から採用という手段はとらない。
「だが、彼らはアズール図書館の司書専用の採用試験を用意していた。つまり、秘密を守るため用心棒的存在を司書として採用しているのではなく……」
「『別の意図をもって、司書を独自に採用している』と考えているのね」
「あ、やっぱりそっちにも考えを巡らせてたんだ」
「うん。シルドくんならこっちだと思った」
「照れるな」
「褒めてないんだけど。でも、そうよね。やっぱりそっちだよね」
うんうん、と頷きながら微笑むモモ。
さすがというべきだ、既に彼女の中では答えをいくつか用意していたけれど、その中でも最も危ないと思う選択肢を取ったのだ。僕を思ってくれてのことである。
「じゃあその『別の意図』なんだけど、シルドくんには当てがあるの?」
「ないです」
「……」
「こ、怖い顔しないで」
「心配して損したわ」
「で、でもさ、ステラさんを見る限り、とても悪いことだとは思えないんだよ。なんだかんだであの人は、僕を応援してくれているから」
「罠かもしれないわ」
「厳しいなぁ」
おそらくクロネアへ行く前なら、こういった不安を何度も考えては苦悩していただろう。だが、不思議と今の自分は苦悩していない。自信といえるほど大げさではないが、きっと何とかなる。……いや、してみせる。
「実際、僕の身を案じて用心棒的存在と結論づけたモモだけどさ」
「うん」
「それ抜きにしたら、どう思ってるの?」
「シルドくんと同じ」
「ほらぁ!」
「でも、心配なの!」
「いいじゃん、僕と同じじゃないか!」
「それとこれとは話が違うのよ!」
話は脱線し、軽い口喧嘩へと移行する。
わかっているさ、この司書へ挑む危険性は熟考済みだ。
それでも挑みたいのだ。自分の夢だから、掴み取りたいのだ。
きっと第三試練に合格したら、答えは自ずと──、明らかになるだろうから。
それから一時間が経過して、僕らは無事、王都へ到着した。
* * *
肺が熱い。焼けるようだ。
「ハァッ、ハァ……!」
魔法で移動すればいいのに、何故かしたくなかった。たった一ヶ月であったのに、目に映る街の景色は随分と懐かしく思えてしまう。
外国にいたからこそ感じる自国の良さ。その想いと感動を、走ることで体中から出している気がした。いつもの王都であるのに、どうしてこうも嬉しくなるのだろう。
「もう、少し」
時折止まっては、再び走り出す。頬を滑る汗がやけに気持ちよく、思わず変な笑みが零れる。
夜のアズールは昼とは違う景色になる。子供は帰宅しているので、少し危険な魔法も外で発動していいことになっている。流れるように魔法があちこちで灯り、視界の端で輝いている。そう、帰ってきたのだ、ここへ。
「あの建物を曲がれば」
止めようのないほどの興奮は、心臓の鼓動をひたすらに打ち続ける。ほとばしる顔からの蒸気は、湯気のように立ち昇り空を舞う。
焦がれる想いは身体を突き動かし、前へ前へと走らせる。胸の痛みはなく、ただただ会いたいという気持ちだけが強くなっていく。そして──、目的地の場所へ。
「……」
目の前には橋がある。
綺麗に真っすぐ伸びるそれは、奥にある建物へ障害物なく一本通り。
……。
あぁ、帰ってきたのだ。
少しだけ、その場に止まったものの、自然と足が動き出した。呼吸を落ち着かせながらゆっくりと歩を進める。橋の下からは夜の世界に染められながらも、湖がくっきりと見えた。全て本の……ね。
「変わらないな」
当たり前なのに、笑みが零れる。どんぶらこっこと流れる本の群れは、今日も湖となって周囲を旋回していた。橋は建物を中心に四方からあり、どの方角から来ても渡りやすい仕組みとなっている。
ゆらゆら揺れている本たち。たまにその中から一つ浮き、中央の建物へ飛んでいく。また、逆に建物からふわりと出て来て、ジュボッと湖へ飛び込んでくる本もある。何度も見た仕様だ。見慣れた光景だ。未だに意味はわからないけど、どうしようもなく好きな自分がいる。
時間にして十分程度だろうか。
焦がれた場所へ到着する。聳えるそれは、夜なので明かりは灯っていない。静寂な世界を独自に形成していて。
アズール図書館。
四億五千万以上の蔵書数を誇るとされし、世界最大にして最高たる最超の図書館。世間では二億弱と推測されているが、実際はその倍以上の蔵書なのだから恐れ入る。そんな大量の書物、いったいどこに保管しているのか不思議とされているだろう。僕はそこへ、今から行く。
誰にも見られていないか注意を払い、橋の手すりを越えて本湖へ飛び込んだ。
本来なら、湖は何か異物を取り込むと吐き出す習性を持っている。特に人ならば本たちに抱えられて元いた場所へ戻される(何度もやると治安部隊に通報されて怒られる)。
また、火といった危険物を入れると拘束されて御用となる(もちろん犯人は治安部隊に通報されて、彼らが到着する前に本たちから尋常でないほどシバかれる)。ただ、僕の場合はそういった問題は起こらない。
「アズール図書館の司書」
言葉と同時、足元にいた本らが組み合わさっていき大きな正方形となった。中からは金色の光が生まれ、そのまま中へ呑み込れて。何度も経験しているのに何故か慣れない。自分で言うのもなんだが、もうちょっと優しい入り方を望みたい。
本門を通過すれば広い洞窟内へ移動する。天井の高さは二十メートルを超え、周りには本棚が所狭しと並べられていて、本も隙間なく収容されている。
ここはアズール図書館の地下空洞である。
現在、その空洞のとある場所へ移動している。立っている場所は数メートル程度の通路だ。一本道となっており、綺麗に向こう側へ続いている。もちろん右左どちらを見ても本棚で、まさに本に囲まれた空間となっている。
「おかえり、青少年」
そして、この場所に一人の女性が住んでいる。
腰まである焦げ茶色の髪をした二十代後半の女性。眠たそうな目をして、気怠そうな姿勢でもって、やる気のなさそうな笑顔で迎えてくれた。いつも通りだ。
着ている服はブカブカの民族衣装であり、その上に半纏を羽織っている。一ヶ月前に見た姿と変わらず、煙管を持ちながら優しげな瞳で僕を見つめていた。
「ただいま戻りました、ステラさん」
「上の上。名前を憶えてくれていただなんて嬉しい、感動して涙が出そうだよ」
「いやいや、さすがに忘れませんよ」
「二年間ほど遠距離恋愛していた気分で楽しかったなぁ」
「想像力たくまし過ぎますね……」
「ところで、青少年」
「はい?」
「変わったね」
クルクルと煙管を回転させながら、こちらへ一歩踏み出した。
「──男子、三日会わざれば括目して見よ。さすがに行き過ぎた言葉だと思っていたけれど、いやいや馬鹿にはできないね。まさか一ヶ月でここまで成長していようとは」
クックックと変な笑い方をしながらこちらへ歩を進めてくる司書。……軽くスキップもしている。どうしようか迷っていると、あっという間に一歩手前まで近づかれた。
戸惑う僕の前で、ステラさんは身体を少しジャンプし始める。首を左右に揺らし、リラックスしているようだ。えへへと照れ笑いを続けながら彼女自身の頭を軽く触り、目を少し逸らしながら頬をやや赤くもして。なんだか、ちょっと僕もドキドキしてしまう。そして声高らかに、彼女は言った。
「上の上だ、青少年! 帰ってきてくれて嬉しいよ」
ギュッと抱きしめられて。
「“束縛紙”」
紙でグルグル巻きにされた。
第一試練を突破した時と全く同じオチになりながら、自分の情けなさに落胆する。
ただ、同時に懐かしくもあった。
この自由気ままな魅力こそ、ステラ・マーカーソンという女性なのだ。
そしてこうも思う。
大事な話の前にふざけるのは彼女の癖であると。
言うまでもなく──、いよいよ、第二試練の合否が言い渡されるのだ。