また会おう
「こんなに朝早く、何用かな? お兄さん」
「最後の挨拶と思いましてね」
「それは嬉しいね。わざわざ余の背中にまで来てくれるとは」
「まだ開館時間前だったので、こういう形になってすみません」
「いやいや、嬉しい限りだよ。……おや、少し顔色が悪いような気がするけど大丈夫かな」
「あ、いや、その」
朝。僕は“不死なる図書”の背中に着地し、まだ肌寒い風を身体で感じながら鯨と話していた。本来なら開館時間と共に内部へ入り、彼と対面するところであるが、昼前にクロネアを出発する予定となっているため、こうして早い時間帯に会う形となった。申し訳ないようなありがたいような不思議な感覚だ。
魔法の館を出る直前。どう見ても泥酔しているルェンさんがやって来て。何やらここに来るまでの道のりを言っていたが、呂律が回らない上に小声だったのでさっぱりわからなかった。そして、「義弟いるぅ?」と頓珍漢なことを言い出したのでとりあえずお断りをしておいた。
途端に泣き出すルェンさん。何とかウチの姉妹に手伝ってもらい館に入れて看病するも、直ぐに寝息を立てて就寝してしまう。その後、彼女の部下たちが慌ててやって来るも熟睡しているルェンさんを起こすことも可哀そうなので、話し合いの結果、起きるまで待っておこうという結論になった。
さらにはシェリナ王女から「ルェンがそちらにいると聞いたが本当か!?」という緊急伝令が来たので、ミュウが「いるよ。ウチ来るー?」と返信していた。そんなこんなで、朝から慌ただしい一日が始まっている。きっと今頃シェリナ王女が館に到着している頃だろう。
「ちょっと、いろいろありまして。クロネアも大変ですね」
「余としてはお兄さんとの戦いの方が大変だったけどさ」
「ご冗談を」
「本当だよ? まぁ、結果として謎は解かれてしまった。残念だったよ。何も変わりやしないけどね」
……そう、僕は鯨の不死について謎を解くことに成功した。といっても、鯨の言う通り何かが変わるわけではない。クロネアの貴重な歴史が大改変することはなく、今までの常識が覆ることもない。
ただ、僕というアズール人が鯨の正体を知っただけのこと。仮に世にバラしたとしても、鯨の正体が魔法による不死だなんて誰が信じようか。
「貴方のその姿を僕とルーゼンさん以外に見せたことは?」
「ないよ」
「だったら、僕が鯨の正体をバラしたとして、調査団がここへ入っても貴方が現れない限り何も始まらないということですね」
「そういうこと。この前と同じセリフになるけれど、余としては不死の秘密を知ってもらえたことが重要なのさ。ずっと胸の内に潜ませていただけだったからね。正直、肩の荷どころか心の荷が下りた気分だよ。ホッとしたっていうのかな、少し救われた気分さ」
「そうですか」
「まぁ、これからも遠慮なく余はクロネア最大の謎として君臨するけどね。不死生活に終わりはない。お兄さんはこの1ヵ月、どうだったかな?」
「あっという間でした。本当に矢のように過ぎていった気分です」
「辛かったかい?」
「そりゃあ、もう。でも、楽しく……嬉しくもあった」
「余も同じさ」
「騙す気満々だったくせに」
「そうだっけ?」
素知らぬ顔で、はぐらかす。苦笑しながら顔を横に向ければ、美しい景色が視界いっぱいに広がる。大草原が海のように颯爽と風に揺られていて、奥には険しい山々もあり、その間から輝かしい朝日が昇っていく。日の光を全身で浴びながら、徐々に暖かくなっていくそれを感じ入る……。
空気が美味しい。アズールとは違う、クロネアだからこそわかる大自然の恵み。他に替えようのない唯一無二の世界が眼前にある。1ヵ月前の自分ならば絶対に信じないだろう出来事を終え、今ここに僕はいるのだ。いることができたのだ。
「お兄さん」
不意に、前から声がかかる。
人型になっている鯨が、安らぎに似た微笑みをしていた。そして少し恥ずかしそうにしながらも、口を開く。
「来てくれて、ありがとう」
「僕の方こそ、ありがとうございました。鯨」
「ヨルヴァだ」
「……え?」
「余の名だ。ヨルヴァ・ソルティアーノ。ソルティアーノはクロネア語で鯨を意味する。アズール人に自己紹介をしたのは、お兄さんで二人目だよ」
「そうですか。光栄ですね」
「覚えておいてくれよ。一千年ぶりの自己紹介だからね」
「えぇ」
「それじゃ、行きたまえ。今日は忙しいのだろう? 鯨なぞに付き合っている暇はないぞ」
手をヒラヒラとして、別れの言葉を口にするヨルヴァ。
頷き、魔法の館に戻るため踵を返すも……、もう一度彼と向き合う。
「ヨルヴァ」
「ん?」
「別れの挨拶でいいんですか? 違うでしょう」
「なら、何といえばいいのだね」
「また会おう、ですよ」
「……。はぁん、そうかい」
僕の意図を読み取ったのか、ニヤニヤとしてこちらを見続けるヨルヴァ。今回、僕は第二試練のことばかりで頭をいっぱいにして来た。まだまだここには行くべき場所や楽しめるところが山のようにあるのに。
だから、次は純粋に旅行者として来よう。そして彼の……ヨルヴァの友として、再びクロネア永年図書館を訪れよう。だから──。
「また会おう、お兄さん」
「また会いましょう、ヨルヴァ。次は友達として参ります」
「はぁ? 余とお友達になったつもりかね。十数年しか生きていない若造が偉そうに」
「駄目ですか?」
「駄目とは言っていないよ」
「もしかしたら、二十年後ぐらいには僕の子供が来るかもしれませんよ」
「クロネアに留学させるつもりかい。まぁいいけどね、その時は遠慮なく遊ばせてもらおうかな」
「いいですけど、お手柔らかにお願いしますよ」
「ちなみに誰との子だい?」
「そろそろ帰りますね」
ヨルヴァに背を向けて歩き出す。後ろから「ヘタレー」と言われた気もするが無視しよう。約束したのだ、また会おうと。ならばここで今生の別れをするなど野暮に相違ない。また会うのだから、軽い挨拶でいい。そうして次に繋げよう。今度はまた一つ成長した僕を見せるためにも、純粋な友達としてヨルヴァと話をするためにも。
「素敵な国だ、文句なしですよ」
「当然だ。余がいるのだからね」
また会おう。
必ず。
* * *
昼前。空船が行き交う港で僕ら一行は集まっていた。そこで知ることになったのは、ルェンさんの泥酔騒動についてだ。何でも、昨日の夜遅くに極長会議があって、酒を飲みつつ談議に花を咲かせていたら彼女が突然いなくなったという。
すぐ帰って来ると思っていたが、中々戻って来ず朝まで捜索していたそうだ。何かしら溜め込む癖があるルェンさんだから、強いお酒を飲むと泥酔する率が高いそうで。
今は『妃人』『聴人』『紙人』が魔法の館に集まって彼女を介護しているという。ルェンさんのことだから、目が覚めて自分のしでかしたことに気づいた途端、電光石火で自殺するだろうからとシェリナ王女の配慮だ。同僚がいることでショックを軽減できるだろうと。
「本当に館を壊さなくてよかったのか? クロネアからしてみりゃ邪魔だろう」
「問題ない。あの館は観光客向けとしても価値がある。ジン・フォン・ティック・アズールが滞在していた館と宣伝すれば、そこそこ人も集まる」
「ちゃっかりしてるぜ。……ミュウ」
「うん、大丈夫。改めて造り変えたから内部もアズール独自の造りを楽しめると思う」
思えば、あぁしてジンとシェリナ王女が普通に話すこと自体が凄いことなのだ。何せあの二人ときたら会った瞬間に喧嘩を始めるのだから。ミュウが間にいることもあって順調に話は進んでいる。ジンとしても、クロネアへ来た意味は多少あったようだ。仲良くなることは二国においてもプラスになるだろう。
「本来なら宿泊料を取っておくところだが、特別に無料で母国に帰してやろう。感謝するがいい」
「はぁ? ざけんなよボケ。この俺が泊まってやったんだ。むしろそっちが感謝料払えや」
「喧嘩しないと間をとれないの? 二人とも」
さて、こちらとしてもやることはやっておきたい。
後ろを振り返ると、姉と妹が立っている。ユミ姉とイヴはクロネア留学中の身だ。このままアズールには戻らず、留学生活を続けることになる。ユミ姉は今年で卒業し、帰国。婚儀の話はあちこちから来ているし、そろそろ本腰を上げる時だろうか。イヴの方はまだ二年ある。うーん、不安だ。
「お前ユミ姉がいなくなったら、一人でやっていけるのか?」
「いける。子供じゃねーんだよ」
「子供だよ」
「偉そうに兄貴面しないでくれる」
「いっちょ前に大人面しないでくれるか」
「“愛しき髏頸”」
ユミ姉の発動した魔法でイヴと一緒に地面とゴリゴリ。
相も変わらずこの髑髏はケタケタ笑う。今更ながらこの髑髏、身体のどこかに数倍の重さを付与させるというが、髑髏である必要は全くないよな。そうして妹と一緒に起き上がって。
「そうだ、兄貴に一応言っておきたい言葉があったんだよ」
「ちょっと待て、まだ口に砂ついてるから。……ペッペッ! 何? あの全裸についてか? そういや見当たらないが」
「『家族との別れに我は邪魔だ』とか言って、今日は来てないよ。知らんけど」
「そうか」
「……」
「……?」
「……え、とさ。話は、戻るけど、兄貴」
「うん」
「……その」
「……ん?」
「司書、頑張ってね」
恥ずかしいのか、目を合わせず横目で話す妹。まぁイヴにしては頑張った方だ。一昔前ならこの言葉を出すなんて無理だっただろうから。イヴにとっても、クロネアでの生活は大きな成長をもたらしているらしい。確かに、いつまでも子ども扱いするのは失礼というものだろう。
「あぁ、頑張る。ありがとう。アズールに着いたら手紙書くよ」
「うん」
「私にはないの?」
「あるさユミ姉。もうすぐ卒業だろうから、クロネア生活楽しんでね。それから……」
ユミ姉は貴族の令嬢として卒業後は多忙な毎日が待っている。主に婚儀関係だけど。こうして何にも束縛されない家族として話し合えるのは今だけなのだ。
嫁入りしてしまえば、一年に一回会うぐらいの関係になってしまう。嫁いだ先のあれこれもあるだろうし、そういう面倒ごとを考えずに話せるのも、やっぱり今だけなのだ。
「あと、体調に無理しないでね。そんなに身体、強くないでしょ」
「子供扱いしないで」
「してないよ」
「子供扱いして」
「どっちだよ」
特に意味のある会話ではない。至って普通の、他愛のない世間話。お互いの身体を気遣ったり、悪口言ったり、褒めたり、笑ったり。そんな時間の使い方でいいのかと問われれば、いいに決まっていると答えよう。当たり前じゃないか、家族なのだから。
どうしようもないほど世話の焼ける妹と、達観してるけど中身は子供っぽい姉との、もうそんなにないかもしれない、三人だけの世間話。いつかこの会話すら、懐かしむ時が来るのだろう。
「それじゃ、そろそろ出航の時間だ。じゃあね」
「兄貴」
「シルド」
「ん?」
空船に乗り込もうと一歩踏み出すと、後ろから改めて呼び掛けられる。
今度は二人して顔の至近距離までグィッと顔を近づけてきて、同じ言葉を口にする。
「「頑張れ!」」
「…………」
昔、よく泣いていた。魔法が使えないこともあったし、臆病な性格でもあったら、虐められる格好の獲物だった。でもその時は、颯爽とウチの姉妹が登場していじめっ子を蹴散らしてくれたものだ。「もう大丈夫」、「あたしらが、傍にいるよ」と言って。だが、もう正義の味方はいないのだ。その代わり、応援してくれる家族がいる。
「うん、頑張る。二人とも元気でね」
ある意味、卒業の時なのだ。もう二人に助けてもらうばかりの僕ではなく、一人で歩ける自分として。暫くは会えないだろう。だからこそ意味がある。互いに成長の瞬間を感じながら空船に乗り込んだ。母さんに「二人とも元気にしていて、成長していた」と手紙を送ろう。きっと喜ぶ。
船内には、ジンとミュウにピッチェスさん。モモとリュネさん、レノン。そしてリリィがいた。来た時とは二人少ない。僕の家族がいない。皆が僕を見つけると、笑顔で迎えてくれた。つられて僕も笑顔になって、皆の方へ向かう。甲板に出て改めて外を見れば。
「やっと帰れるぜー!」
「そんなにアズールに帰りたかったのか?」
「当然だろ。だがまぁ、あれだ、あぁ、うーん、まぁ。悪くはなかったぞ」
「素直に言えよ」
「断る」
グン、と船が上昇する。姉妹に手を振れば、二人もこちらへ満面の笑みで手を振ってくれている。今度会う時は、また楽しい話をしよう。
他に見送りの人らはいない。一応、内密に来ている手前、盛大な見送りなどはない。だが、シェリナ王女がいるということで随分と目立っていた。……確か、クロネアに来た当初は彼女は港ではなく大園都の王芯にいた。それが、今は港まで来てくれている。それを察しないジンではない。彼女なりの歩み寄りの気持ちをわからない男ではない。
「シェリナ・モントール・クローネリ!」
「何だ!」
「近々、ルーゼン・バッハとアズールに来い! 王都へ行ったら国務で忙しいだろう! だったら今しかねぇ! 内密に外遊しに来い!」
「内密なら大声で言うなぁ!」
「んで、どっちなんだ!」
「……」
しばし沈黙し、一度口を開くも、再び閉じる。もう一度開けるも、閉じる。
その間も船は上昇していく。
どう言おうか迷っているシェリナ王女の横に……、一人の男が現れて。そっと彼女の手を握った。王女が横に目を向けると、ルーゼンさんが優しく微笑んでいて……頷く。勇気をもらったという顔をして、僕らが初めて見る、笑顔の女性がそこにいた。
「わかった! 盛大にもてなすがいい!」
「内密だから無理に決まってんだろうが!」
「だから大声で言うなと言っているだろうが!」
「お前の声がでかいんだよ!」
「貴様の方がでかいわ!」
最後の最後まで喧嘩をする両者。
犬猿の仲といわれるアズールとクロネアである、それを最後まで体現してくれるとは素晴らしい王族だ。本当に王族なのだろうか……。
ただ、喧嘩するほど仲がいい、とも言うではないか。
まず間違いないのは、今後のアズールとクロネアは、少なくとも昔のような関係にはならず、ほんの一歩かもしれないけれど、良い方向へ向かうだろうということ。国同士の問題だからいざこざ、諸問題は山積している。国民同士の亀裂もある。少しずつ半歩ずつ、時間はかかるだろうが近づいていくしかない。たいていの問題は、不可能ではないのだから。
「……あ」
船が上昇して、進路変更し、いよいよ出発する直前。
山より高く上昇したことで、視界の先にある魔物が小さく見えた。
“不死なる図書”。
真の名は、ヨルヴァ・ソルティアーノ。
第二試練。
友達。
1ヵ月。
旅行。
謎。
戦い。
告白。
多くのことが頭をよぎる。たった1ヵ月であったのに、濃密な時間だった。
本当に、本当に、かけがえのない毎日だった。
大変だった。
苦しさの連続だった。
けれど乗り越えた。そして今を迎えた。
「また、会いにくるよ」
天気は快晴。晴れ晴れとした晴天の彼方。
日の光がまるで道しるべのように、僕らをカッと照らしてくれる。夢を追う僕は第二試練を最後まで走れただろうか。その答えは今のところ、誰も教えてくれない。だが勇気をもって言いたい。この試練で多くのものを教えてもらい、受け入れ、成長できたと。だからどんな形であろうとも、第二試練の結果に自信をもって臨めるはずだ。
鯨の鳴き声が聞こえた────。
それは遥か遠くから聞こえてくるように感じた。
思わず後ろを振り返り、自然と出てしまう笑みと共に、きっと見えてはいないだろうけど手を振る。
「ありがとう」
来る前はどうしようもなく不安だったけど、今は違う。
胸を張って帰ろう。
自信をもって帰郷しよう。
それが、僕の今なのだから。
晴れやかに輝く日の光が、どこまでも世界を照らしていた。
また会おう、魔術の国……クロネア王国。