あれから四日
あれから、四日が過ぎた。
この四日間に何があったのか、正直なところ僕は知らない。目を覚ました時には既に四日が経過していて、時を超えた感覚を味わっただけなのだ。“戦慄の脳華”の副作用による四日間の睡眠は、思っていた以上に長かったと思う。起きた後は姉から散々怒られたものだ。
あの戦争の決着は、一応の落としどころを見つけた。非公認で行われた戦争であったことを全面に押し出す形にして、何とか乗り切る方向へ話が進んだようである。
非公認なのだから今後一切、此度の戦争を外交・国際上で出さない。この点はシェリナ王女への配慮である。国としては断固として認められないものを、非公認という形で歴史の闇へ葬ったようだ。
代わりに、出場者二十四名の中では此度の戦争を持ち出していいということにした。これはジンへの配慮である。どうしても決着を付けたかったジンとしては、僕らだけという縛りはあるものの、責任を負えることとなった。
ただ、今回の戦争を国際上では何も言えないので、実際はシェリナ王女と会った際に話のネタとして出すぐらいにしか使い道はなくなったが。
……うーん。
随分と苦し紛れというか、無茶な落とし所だと思う。こんな決着の付け方は普通、容認できるものではない。
しかし、ジンがこの条件を呑んだ理由は、たぶん僕にある。
古代魔法の使い手である僕のことを外部へ一切漏らさないジンの提案を、シェリナ王女は二つ返事で了承した。僕が普通と違う魔法の使い手であることは、クロネア側はもちろん、アズール側にも知られるのは面倒なのだ。
また、クロネア側としても僕のような存在はなかったことにしたいらしい。奇跡的に三傑を倒した事実はあちら側も無視できない。その存在をなかったことにできるのなら、むしろそちらの方が都合がいいらしい。
何より、僕を守りたいというジンの気持ちを、シェリナ王女が察してくれたのが一番の要因だと思う。もしジンが僕ではなく己のことを優先したのなら、このような決着にはならなかったはずだから……。
ちなみに、僕らの感想としては「形式的にはクロネアの勝ちだけど、実質的にはアズールの勝ち」となっている。それはクロネア側も同じだそうで。
三傑の介入がなかった場合、シェリナ王女は僕とジン、ルーゼンさんと戦わねばならなかった。勝率は極めて低いだろう。頑なにクロネアの勝ちだと主張しているジンを除けば、ほぼほぼ僕らの勝ちということで意見は一致している。
レイヴン・バザードはクロネア最大の監獄に収容された。
罪状は山ほどあり、前々からクロネアはレイヴンを拘束したくて目を光らせていたそうだ。
今回、三傑にはあるまじき敗北という事実、王族に手を出した罪、加えて二度と他人に危害を与えることが不可能となった魔法の力により、とんとん拍子で彼を監獄へぶち込む作業は行われた。そのため、レイヴン・バザードは未来永劫、外の空気を吸うことはできなくなった。そろそろ王都へ到着している頃だろうか。
どのようにして三傑を倒したのか、それについての過程はジンやシェリナ王女の徹底された計画でクロネア政府に報告された。……ジン曰く、あるようでない話を完璧にでっちあげたそうだ。悪巧みに関しては天下随一のジン、加えてシェリナ王女からの報告、さらになんとしてもレイヴン・バザードを監獄にぶちこみたい政府の思惑など合間って、上手くいったという。
いろいろあったものの、周りから聞いた情報はそれぐらいで、今、僕は図書館へ向かっている。
見えてきたのは巨大な鯨。今日も半透明な魔物は、気持ちよさそうに空を泳いでいた。いつもの手順で中へ入り、人が少ない場所へ移動する。辺りを見渡していると、後方から声がかかった。いつも聞いている、あの声だ。
「四日ぶりの訪問かな。お兄さん」
「えぇ、お久しぶりです、鯨」
いつも通りの男のようで女、女のようで男の姿がそこにはあった。先日の時と違うのは、鯨の表情はとても穏やかなことであって。四日ぶりの再会となり、嬉しいやら少し恥ずかしいやら不思議な感覚だ。
「まず最初に。三傑の件について教えていただき、ありがとうございました」
「ん? 何かしたかな」
「僕との問答を終えた直後に『至急、皆の所へ向かえ。三傑クロネア代表に狙われている。全員死ぬぞ!』と血相変えて言ってもらえなかったら、間に合いませんでしたよ」
「何だそんなことか。余としても驚きだったよ。てっきり全員で逃げたかと思えば三傑をぶっ倒したんだからさ。お兄さん、めっちゃ強かったんだねぇ」
「いえ、もう同じことはできませんよ。……あれ、鯨。どうして僕が戦ったなんて知ってるんですか?」
「ルーゼンが教えてくれたのさ。彼なりの義理を果たした感じだろう。余としても申し訳ないと前々から思っていてね。誠心誠意、彼に今まで利用したことを謝ったよ。謝りついでに謎の真実も教えておいた」
「えぇ!?」
「今更、隠す必要もないからね」
「ルーゼンさん、驚いたんじゃないですか?」
「まぁね。ただ薄々気付いていたようで『その真実は歴史の闇に葬った方がいいでしょう』と言っていたよ。何にせよ、出来た男だ」
二人して頷く。確かに、出来た人だ。謎は多いけど、決して悪い人ではない。三傑をギリギリ足止めしてくれていたのもルーゼンさんだし、彼がいなければ僕は間に合わなかったかもしれない。今考えてもあの三傑に勝ったことは驚きだ。本当に自分がやったのかと不思議に思うぐらいに……。
鯨曰く、レイヴン・バザードは生まれた時から異端児であったという。
彼の魔術は絶大で、生まれて直ぐにクロネアへ知ることになった。このまま順調に育ってくれれば問題ないであろうが、罪人として道を踏み外してしまえば脅威になる。そのため、クロネアは早い段階から彼を国へ取り込むことを決めた。国そのものとして動く傀儡を作り上げようとしたのだ。しかし、それが悪手だった。
わずか十三歳で当時の三傑を一騎討ちの末、殺害。首を持って「俺を三傑にしろ」と脅迫してきたという。最初は渋ったクロネア王も、首輪を付けねば何をするかわからない彼の魔術を心底恐れたそうだ。寝首を掻かれるかもしれない。そのため、三傑の地位を与えながらボロを出す機会を伺っていた。
「シェリナ姫が四剣を呼び、あいつには近づくなと言ったのも余の体内でのことだ。必要以上に近づかなければ危害を加えてこなかったので、姫も必要最小限の情報だけを四剣に与えていたようだね。だが……どうにも『怪人』が情報をレイヴンに横流ししていたようだ」
「あぁ、そういえば『怪人』もレイヴンと一緒に王都へ連行されましたよ。倒したアズール代表の女性を強姦しようとした罪と、これまでの余罪が一気に出てきたそうです。ルェンさんたちが密かに探っていたようで」
「ほほっ! 身分不相応なことをすれば自ずと天罰が下るものさ」
話はそのまま鯨とブロウザの話へ移る。僕が話した「真実」は、おおよそ当たっていると鯨は言った。一千年前、人魔差別を受けている時に一人の魔法師が現れたという。
鯨は学園啓都の端っこで寂しく暮らしていた。すると、どこから聞きつけたのかブロウザという魔法師がやって来た。最初は素っ気なくしていたものの、毎日やって来ては満面の笑みで話しかけてくる姿に、鬱陶しくありながら少しずつ惹かれていったという。
「変な奴だったよ。クロネアに来ても当時は差別の世界だったからね。魔法師なんて格好の獲物だ。だが、あいつは差別をものともしない明るさと前向きさを持っていた。話しているうちに、段々と楽しくなってきてね。気付けば友達になっていた。冥界に渡り帰って来た、なんて聞いた時はさすがに驚いたが、ブロウザならやりかねないとも思ったよ。前々から突拍子もない行動ばかりしていたからさ」
「あ。そうそう、忘れるところでした」
「ん?」
「鯨へ伝言を頼まれていたんですよ」
「誰に?」
そこで、三傑を倒す際に発動した魔法のことを話し、“異世渡り”を説明した。
ブロウザが冥界に渡った際に一緒に冒険した用心棒を、一時的ではあるがこちらの世界へ召喚したことを。鯨も僕と同様、用心棒は男性と思っていたようで。女性と知った時は大層驚いていた。そして、彼女からの伝言も無事伝えることができた。
ここへ来たのは、彼女の言葉を届ける目的もあったからだ。
『ブロウザはキミのことを誰よりも信頼し、最高の友だと自慢していた。だから必ず帰るのだといつも言っていた。正直、羨ましかったよ』。
一言一句、話している際の用心棒の優しい表情も付け加えながら、鯨に彼女の言葉を伝える。静かに聞いていた鯨は、やや照れ臭そうにして顔を背けた。恥ずかしいのか、変な声を出しながらこちらへ顔をグルンと向ける。
「でだ! 何か目的があってここへ来たんじゃないのかい? お兄さん」
「はい、彼女の言葉を伝えるために来ました。ですので、今終わりましたね」
「なら帰っていいよ」
「照れ臭いからって無理に逃げないでくださいよ」
「余の目的はおおよそ達成されたのだ。お兄さんに知ってもらったというのは大きな意味を為すのさ。いろいろあったが、知っている人がいるだけで、大分肩の荷が下りた気がするよ」
「といっても、真実が魔法だなんて誰も信じませんけどね」
まぁね、と苦笑する鯨。
……本当に、この前と比べれば随分と余裕があるように見れる。一千年もの間、ずっと謎を隠し続けてきたことは、それだけ鯨にとって苦しいものだったに違いない。
「それでもさ、余は嬉しいんだよ。知ってるかい? 創作で度々取り上げられるネタとして『不死』がある。不死を題材にした作品のお約束は、不死とは呪いだとする物語だ。永遠に生きられる魅力は絶大ながら、いざ不死となってみれば死ねない地獄が待っている。だから不死に憧れるのは愚かなことだと……」
「そうですね」
「あれね、五百年ぐらい生きたらそんな悩み、ぶっちゃけ『どうでもよくなる』から。地獄だの悩みだのは、作り手の想像上の限界だよ。もっと気合い入れて作れってんだ」
どやぁという顔をしながら鼻息荒く語る鯨。
僕としては用心棒の言葉を伝えるという目的を達成できたので、一先ず満足しているものの……。実はもう一つ個人的な目的もあってここへ来た。
ただ、まぁ、その、ね。
もう一つの方はそれとなく聞ければいいのだ。どうやって聞くかいろいろ思案したけれど、中々思いつかなかった。さりげなく聞くのが一番だよな。うん、頑張ろう。
「ふふん、どうやら気付いてないようだね、お兄さん」
「え? 何がですか」
「想像上の限界だと言っただろ? もっと『気合い入れて作れ』と」
「……?」
「本当に聞きたいことがあるのなら、もっと上手く話しに紛れ込ませろと言っているのだよ、お兄さん。真の目的は未だ聞けずじまいだろう? んー?」
……。
固まってしまった。
何とか、笑みを作ろうとするも、顔が動かない。バレている。いつの間に……!
おのれ、さすがは一千年の時を無駄に生きているだけのことはある。こちらの考えはお見通しということか。ふわふわ空中に浮いてるから頭もふわふわしてると思っていたが。
「今、失礼なこと考えなかったかい?」
「いえいえ」
「謎解きやブロウザ、用心棒といった如何にも大事そうな話を先に出し、最後辺りに雑談として真の目的を聞く算段だったね? 中々に出来た作戦だが、バレてしまっては意味がないよ」
「……いつ、気付いたのですか」
「話が出来すぎている。前々から話の道筋を用意周到に作り上げてきた感じが伝わってきた。普通ならもっと会話の中に脱線や戯言が混じるものだ。それがないということは、真の目的を忘れないよう自分の中で制御しているということさ」
「……参りましたね」
「で? 目的は何だい? ん? ちょっと脱いでみようかぁ、心を」
めっちゃ気持ち悪い。帰りたい。
アンタそんなキャラだったか? むしろ本性はこっちなのかもしれない。困ったな、まさか見破られるとは思っていなかった。ただ、どちらにせよ聞こうとも思っていたからこれはこれでいいのかもしれない。前向きに考えよう。
「真の目的とかじゃないですよ。出来れば聞けたらいいなぁと思っていただけです」
「ふーん。で?」
「……」
「で?」
圧迫感が凄い。
「……その、ですね」
「うんうん」
「明後日僕らはアズールに帰るのですが、自由行動の出来る日は明日だけです」
「ほぅほぅ」
「それで、ですね」
「うん」
「……」
「……」
「前々から、想っている人がいまして」
「ほぅ」
「え、と……」
一呼吸。
「想いを、伝えようかなって」
僕の声を受けて。
鯨は右手を顔に当てて、左手を腰に回し、思いきりふんぞり返りながら「わひゅー!」と叫んだ。その後は奇妙なダンスをズンドコズンドコ踊りながら周囲を練り歩き、こちらへ戻って来る。確信した。鯨に相談したのは間違いだった。
「実に素晴らしぃっ!」
「そろそろ帰ります」
「待ちたまえ。余としてもこういう話は大好きだ」
「一千年も生きているのに、恋話が好きなんですか」
「当然だ。ナマの恋話は大好きだ」
「はぁ」
「話はまだ終わっていないだろう。むしろここからが本番だ! それで、相談事は何なのかね!」
「相談というか……聞きたいことがありまして。魔法の館周辺で、いい雰囲気になれる場所はないかなって」
「ここだ!」
「帰りますね」
「待ちたまえよ!」
服を引っ張られて、逃げようとするもガッチリ掴まれていて逃げられない。
どんだけ好きなんだよアンタ。
「ここだと夕方に閉館するじゃないですか。夜にしようと思ってるんです」
「うわ、卑猥っ」
「“ビブリオテカ”」
「冗談だ、冗談だよ。……まぁお兄さんには一ヵ月、楽しませてもらったからね。お兄さんの住む場所の周辺だと『清華の丘』ぐらいしかないよ」
「はい。ただ、そこは既に行きまして」
「うん、だからこそ、余の出番だ」
「……?」
「まぁ、任せてくれたまえ。ちょうど明日は満月だ。余の勘だと……そうだね、うん」
「鯨?」
「お兄さん、こういう作戦はどうだろうか」
* * *
夜。
明後日は帰国のためか、明日は帰り支度をすることになった。その打ち合わせを皆でして、早めの就寝をとることとなる。一人、また一人と部屋へ向かう中で何とか彼女を呼び止めて二人きりになった。意中の相手は少し眠たそうにしながらも、トロンとした瞳に思わず吸い込まれそうになる。
「どうしたの? こっちは男子禁制だから来ちゃ駄目なのに」
「うん、直ぐ戻るよ。ただ、今日のうちに言いたいことがあってさ」
「……?」
本番は明日なのに、心臓の鼓動が耳に届く。落ち着け、今の段階で緊張してどうするんだ。冷静にモモの目を見ながらちゃんと言うんだ。
「明日の夜、予定ある?」
「ううん、ない」
「ならさ。……二人で出かけないか。一緒に行きたい場所があるんだ」
「どこに行くかは、秘密なの?」
「うん」
「期待してもいいのかしら?」
「もちろん」
僕の即答を受けて、モモはやや驚いた表情をした。正直、今の僕がどんな顔をしているのか想像もできない。たぶん赤面していると思うけど、何とか表情だけは踏みとどまっているはずだ。目を大きくして見つめてくる彼女は、ややあってスッと目を細め、嬉しそうな顔をしてくれた。
「そう。なら、二人でこっそり行きましょう」
「あぁ」
「本当はね、私も明日誘おうと思ってたの。でも、シルドくんから誘ってくれて嬉しかった」
「うん。何だか照れるね」
「えぇ、すごく照れるわ」
二人して何とも言えない恥ずかしさに笑い合う。
モモの目はどこかおぼつかなくて、行ったり来たりを繰り返している。僕もそうだ。彼女のどこを見ればいいのか何故かわからなくなっている。こういう時は、頑張って僕がリードするべきだと思う。
モモと明日の打ち合わせを軽くすませる。夕食を取った後に二人で館を抜け出して、目的地に向かうという計画になった。何だかいけないことをしている気分にもなって、照れ笑い。
そして……。
僕とモモは、真顔になった。
「と、なればだ」
「えぇ。間違いなく、あの人が動く」
「覗きすることに人生を捧げている奴だから。絶対にこの機会を逃すあいつじゃない」
「今日はもう遅いから、明日の朝、ミュウに相談しましょう」
「あぁ。ミュウだったら全力で協力してくれるだろうし、三人で作戦を練る必要がある。いい加減、あいつとの無意味な戦いにも“決着”をつけよう」
「明日は忙しくなりそうね」
「うん。でも楽しみだね」
「えぇ」
「それじゃ、おやすみ。モモ」
「おやすみなさい。シルドくん」
こうして、準備は整った。
いや、整ってなどいない。第一段階が終了したに過ぎない。本番は明日だ。何としてでも想いを伝えるため、可能な限りの準備をして臨むべきだ。大丈夫さ、第二試練を突破したんだ。きっとやれる。自分を信じろ。勇気を前へ、一歩前へ。今までの僕とは違うところを、しっかりと形にするんだ。
そうだ。
たとえ覗き大魔神と戦うことになろうとも、明日、必ず達成してみせる。思えばジンとの覗き対決も長くなったもの。ちょうどいい機会だ、しっかりとここで終わらせるとしよう。決着をつけよう。ミュウという強力な味方もいる。きっと上手くいく!
こうして僕は、クロネア生活において……、“最後の山場”を迎えることになる。
* * *
「おーい、ミュウ」
「ん、何? もう寝ないと駄目だよジン」
「ちょっと話があってな」
「話?」
「あぁ、皆の幸せのため、大事な話さ……」