鯨の思惑
シルドが初めてクロネア永年図書館に行った翌日、彼とモモは二人で学園啓都を観光した。表向きの目的は観光なのだから、クロネア側に変に気取られないよう、観光客としての一面も見せておかねばならないためだ。
シルドはモモと観光した後、屋敷に戻るも、観光中に発動していた中級・陣形魔法“イレブイ・ヤンレ──反逆の眼”が効果を発揮する。発動した魔法師に対して長時間視線を向けてくる者を探知する魔法で、これによりシルドは「何者かに尾行されているという事実」を掴むことができた。さらに翌日、シルドたちは釣りに出掛け、翌々日は自由行動。模範的な観光客を演じたのだった。
では、この際、鯨は何をしていたのか。
鯨自身は何もしていないが、駒となったルーゼンは別である。シルドの行動を彼の魔術によりバレることなく尾行していた。さすがというべきは、“イレブイ・ヤンレ──反逆の眼”がルーゼンに反応しなかったことだろう。密偵のプロである彼は、長時間相手に視線を向けるなどというヘマはしない。魔法に感知されることなく完璧な尾行を成し遂げていた。そしてシルドたちの情報を、契約主である鯨のもとへ言伝する。
「標的は、魔術についてもっと情報が欲しい」と考えている。そのため、シルドたちはルェンにお願いし魔術に詳しい者と会うことになった。……会う場所は、不死なる図書。二度目の訪問だ。目的は、魔術を調べるため。
「いかにして『謎の正体が古代魔術』と誘導しようか考えていた貴方にとって、朗報であったはずだ。僕らが『魔術』について詳しく知りたいと動いたからさ。誘導する必要もなく向こうから魔術に近づいてきた。これは好機だ。まだ手探りで探している僕らを、一気に罠へ誘い込むことができる」
だから。
『お困りかい。お兄さん』
悩める者に手を差し伸べにきた、というような言葉を皮切りに。
『いやしかし、嬉しいな。ようやく余は、解放されるかもしれないのか』
二言目には解放されるかもしれないと言って。
『そんなに驚くことじゃない。お兄さんならわかるはずだ』
シルドにはわかる、という意味深な文言も添えてから。
『奇跡の魔術に……興味はあるかい?』
魔術を名指しで告げてきた。シルドは最初、鯨と会った際にこう感じている。
『今の状況がおかしいことに気付き始めた時、まるで見透かしたように後方から声がかかった』と。
そう、見透かされていたのだ。
あの時、何もかもが鯨に筒抜けであった。駒の働きにより、見通され見抜かれ見続けられていた。混乱するシルドとは反対に、落ち着き悠々と謎の舞台へ登場した鯨は、一気に相手を己が術中へ引きずり込む。気付かせることなく、ただただ恐ろしい……偽りの解答へ。
この時、シルドが考えていた謎に対する候補は以下の三つ。
候補①『いかにして奇跡の魔術が発動したか、解明せよ』。
候補②『如何にして双子の王族はクロネア永年図書館が不死とわかったのか、解明せよ』
候補③『どうして、魔術定義の例外とされる外から受けた魔術であるのに、内から魔術が解除できることを断言できるのか、解明せよ』
この候補のうち、「どれかに絞って考えよう」としていた。
当然、鯨はこのことを知っている。どれか一つに絞ってから自分が登場し、古代魔術が答えという餌を垂らしてもよかったが、それだとややインパクトに欠ける。
それよりも「古代魔術だからこそ候補全てを説明できる」という餌にした方が、より魅惑的ではなかろうか。絞られては困る。難易度を上げ、本当にこれら全てを説明できる答えなどがあるのだろうかと頭をかかえる状態にした方が……。餌に食いつく率は高かろう。心の中で歪な笑みを浮かべながら、相手の問いにゆったりと答える。
『貴方は何者ですか』
『その質問には答えられない。答えてしまってはお兄さんが残念な結果になるだろう』
『残念な結果?』
『うむ。ふぅむ、そうだ。ではこれを「謎」にしよう!』
『……は?』
『お兄さんが求めている謎だよ。よかったねぇ。候補の一つに加えておくといい。「クロネア永年図書館に現れる、不可解なる存在が何なのか解明せよ」……だ』
『貴方は、僕が何をしにここへ来たのか知っているのですか?』
『当然じゃないか……』
謎の候補をもう一つ追加し、それら全てが繋がっているというニュアンスを残して鯨は姿を消した。もちろん、会話の中で「古代魔術」なんて言葉は絶対に言わない。シルドが自分の力で古代魔術に辿り着いたと錯覚し、悦に浸れるよう、慎重に言葉を選んで鯨は話したのだ。
後は、自分がシルドの前に現れたこと、クロネア永年図書館そのものと仄めかすこと、これからが大変なんだよと優しく忠告すること、候補は繋がっていると諭すこと、ゆえに謎を解くには情報がまだ必要だということ、けど候補を探す作業は終わり、次の段階に進んでいいんだよ……と相手に思わせることが成功すれば。
そういう風にとらえてしまう言葉を鯨が述べてしまえば。
『うむ。一歩前進したと思っていいよ。だがね、「これから」が大変だぞ。トントン拍子に事が運んでいるとは思わないことだ。あくまでお兄さんが今日までにやったことは、謎を列挙しただけなのだから。肝心の材料となるものは何一つ手に入れていない。覚悟したまえ。すぐ気付くことになるだろうが、余の存在は大きな足かせになるだろう』
計画通りに、事は運ぶ。事実、シルドたちはその晩、話し合いの末に候補を列挙する作業から、結ぶ作業へ変更すると決めた。候補①から④は全て繋がっていると彼らに思わせたことで、候補を探し謎を一つに絞るなんていう甘い考えは……彼らから消えてしまったのだ。
鯨の掌で踊るアズール人。
結果として難易度はさらに上がった。
四つの候補を全て解決できる奇想天外な答えがあると彼らの脳内に植え付けることができた。しかも断じてこちらの思惑を気取らせることなくだ。さぞシルドにとっては嬉しいことだったであろう。正体不明の存在が出現し、優しく語り掛け、どうやら自分は一歩前進していると感じることができたのだから。これ以上ない蜜であった。
「そうして僕は候補を探すことを止めた。そして、答えに繋がる鍵を求めて学園啓都の歴史を知る人物に会いに行った。貴方が裏でほくそ笑んでいることも知らずに」
候補全ての共通事項は、クロネア永年図書館の謎であるということ。ならば、かの図書館が作られた経緯を知る必要がある。作ったのは当時学園啓都を統治していた双子の王族だ。二人について調べてみよう。
……そう考えるのは至極当然であり、シルドもまた同じであった。後日、彼はモモとミュウ、ジンの四人で「霊父」と呼ばれる男のもとへ向かう。名をレイヴン・バザード、クロネア王直轄の役人と紹介された。
そこで、シルドらは双子の王族と不死なる図書の始まりを知る。
未だ人魔差別が根深かった時代、双子の王族は差別を解決しようと躍起になっていた。そんな時、鯨が現れ、奇跡の魔術としか言いようのない出来事が起こった。結果として双子は、人魔差別を解消させた名誉として後世に名を残すこととなったのだ。
性格は穏やかだったが、時々常識離れした決断と非人道的な考えを起こす時もあったとされる。また、クロネア永年図書館が作られて以降、双子が魔術に関して度を超えるほど研究に没頭したと記録されている。奇跡の魔術を解明するためだろうとレイヴンは語った。
不可解な点としては、二人が学園を卒業して以降……一度たりとも、学園啓都に足を運ばなかった。生涯死ぬまで、一度も。以上のことを霊父から聞き、帰路に着く。
「貴方にとっては順調な進行具合だったでしょうね。結果として僕が手に入れたのは『双子の王族は魔術を解明するため研究に没頭したが、生涯死ぬまでわからなかった』ことだ。つまり、現存する魔術では説明できないという事実を、僕に知らしめたかった。そうなれば答えは自然と一つに絞られていく。常識や理屈では説明できないのなら、非常識や幻想の類に考えを移行せざるを得ない。……そう、古代魔術しかないと考えざるを得ない」
淡々とシルドは言葉を繋ぐ。ある種、機械のようなものであって。
対し鯨といえば、いつの間にか出していた椅子にもたれかかり、顔を上げ、どこか遠い方を見ている。黙って何も言わず、相手の好きなように言わせている。何を考えているのかまるでわからないが、表情を読み取らせないためだろうとシルドは考え、口を動かす。
「ただ、予定通りであった貴方の計画にも少し変わった出来事が生じた。計画自体に支障はきたさないものの、無視もできない事件だ」
それが、賊による襲撃事件である。ジンたちがクロネアに滞在していることは秘匿事項であったものの、クロネア側の不手際によって情報が漏洩し、敵に襲われた。幸い、イヴキュール・アシュランが事前に敵を察知する魔法を発動していたことで直ぐに把握。混乱することなく、リリィ・サランティス一人だけで敵を掃討した。
クロネア側の失態である。次の日、ジンとシェリナが会談しジンにはクロネア側の護衛をつけることとなった。その代わり、ジン以外の連中には護衛もしくは尾行者をつけることを禁じることに成功し、シルドは何者にも邪魔されない環境を手にする。わざわざ観光客を装う必要がなくなったともいえる。
さらにはジンの護衛が変態であったためか、アズール王子が館に閉じこもり、付き添いでシルドも数日館いることとなった。結果として、蒼髪の青年が二回目の図書館に行ってから、一週間が経過してしまった。
「クロネア側もまた動いていると悟った貴方は、僕だけじゃなく、シェリナ王女の動向にも目を光らせる必要が出てきた。……けれど、正直なところ大した問題ではなかったはずです。何故なら既に準備は整っていたからだ」
三回目の図書館訪問。
シルドと鯨にとっては、二回目の問答。
鯨は、シルドの心情を巧みに把握していた。彼が何を考えここに来たのか手に取るようにわかっていた。そして、偽の解答へ導くため、質問に入ろうとした相手に対し……こう告げる。
『質問に答えるのは、一つだけだ』
一つ。それ以外の問いは却下。
質問の内容など既に知っている。ならば、いくつか質問させるより一つの質問に絞った方が、衝撃は大きいはずだ。複数の質問により価値が薄れさせないよう、一個の強みを選ばせた。と、なればシルドが選ぶ質問もまた、たった一つに限定される。
二回目の問答前に、蒼髪の青年はウサギ耳の第十極長『聴人』ポポル・プレナから魔術について教わった。その際、彼女やルェンに古代魔術について尋ねたところ、二人はおとぎ話と称し、まるで存在しないと思っている様子だった。幻想の類であると。
また、霊父ことレイヴン・バザードから双子の王族について聞いた際、双子は魔術の研究に没頭したという。しかし結局は奇跡の魔術を解けずじまいであった。獣叉・剛身・英鳳・人叉・神然魔術のどれも説明できない魔術ということになる。
ならば自ずと答えは一つになる。クロネア人には考えが浮かばない魔術。おとぎ話、夢物語、童話、創作に分類されてしまった、潜在意識の奥底にしまわれた魔術。
『“不死なる図書”よ、一つだけ質問できると言いましたね? ならば教えてください。貴方が知っている……古代魔術について』
獲物がかかった、瞬間だった。
万事子細なく完了。
鯨の心情は、悦そのものであっただろう。もちろんシルドがここまで導き出す必要があったわけだが、彼はちゃんと考え行動し古代魔術へと辿り着いた。普通は古代などという存在するのかしないのか不明な魔術に意識など向かない。ましてや質問は一つに絞られたわけで、もっと建設的な実りのある質問をする者もいるはずだ。
しかし、彼は古代魔術を選択した。
実に小気味よい胸の内であった。
鯨は質問を受け、古代に関係する魔術や魔法の歴史を語り始める。質問の内容にいきなり返すのではない。問答ではよくある、本題に入る前の前座であり、焦らす意味もあった。当然ながらシルドは鯨の言葉を一言一句、細心の注意を払いながら聞き入る。焦れた青年に対し、鯨はさらなる一手を指す。
『古代魔術について、知っているのですね』
『いいや』
『え?』
『余が古代魔術で知っているのは以上だ』
『そんな!? 嘘はやめてください!』
『嘘ではない。余が嘘をついてどうするのだ』
『候補に上がっている四つの謎を解く鍵は、間違いなく古代魔術のはずです! 貴方が知らないはずがない!』
『──三つ存在した』
『……』
『古代魔術は、三つ存在した』
古代魔術について教えない。しかし、ほんの少しの情報は教える。まるで答えたくないようなニュアンスを仄めかして……。こうすることで、相手に「古代魔術が答えだけど、それを言ってしまったら謎を解かれてしまうから数だけ教えたのだ」と思わせることができる。
古代魔術が答えに違いないと相手に思わせることができる。
思うことは確信に変わり、確信は確定的な結論へと至る。
そうなれば、もはや偽の解答から逃げることは容易ではない。与える情報や態度、言い方で少しずつ、しかし着実に鯨はシルドを誘導していく。そして“仕上げ”の前準備を行った。
『次回は会っていただけるのですか』
『うーん、まぁキミと話すのは好きだからね。余としては、謎を抜きにすると会いたいかな』
『会いたい?』
『あぁ。ちょっとばかり、お兄さんからきな臭い感じがするね。どうにも面倒な輩がお兄さんを狙っているようだ』
シルドにとって、この言葉はモモと観光中に尾行していた敵のことだと考えた。
しかし実際は全く違うものであった。
そもそも、この言葉は「シルドへ向けての言葉」ではなかったのだ。鯨とシルドだけがいる空間に、ひっそりと鯨の指示で隠れていた……「ルーゼンへ向けての言葉」だったのだから。
「ルーゼンさんは、息が止まるほど驚いたはずです。まさか自分の情報を僕へ漏らすだなんて考えもしなかったからだ。貴方に対する信頼はここで一気に落ちることになる。そのルーゼンさんの気持ちの変化も充分に計算に入れながら、貴方はさらに言葉を重ねる」
別れの際、鯨はシルドに名を尋ねた。
自己紹介するアズール人に対し「古代魔術を手に入れた方法」を間接的に教えるため、鯨もまた己が名を告げる。
『いい名だ。では余のことを今度からこう呼んでほしい────ブロウザと』
ブロウザ。
この言葉に関係するものは一つのみ、「ブロウザの大冒険」だ。
主人公であるブロウザが冥界に渡り、用心棒と一緒に冒険をして最後は冥界の王から秘術を授かり、元の世界へ帰還する物語。自らをブロウザと名乗ることで、鯨は自身をその主人公だとシルドに伝え、結果として「冥王から授かった秘術=古代魔術」であると誤信させることに成功した。
これにより、奇跡の魔術が古代魔術である確信させ、加えてそれを得た方法も教えることができた。計画は順調、仕上げの前準備も完了し、満足げな表情で鯨は姿を消したのだった。
「ルーゼンさんは直ぐに問いただしたはずです。何故、自分が尾行していることを言ったのだと。また何故、古代魔術のことを教えなかったのだと。ルーゼンさんは謎の答えが古代魔術だと思わされている。謎を知った見返りとして僕たちを密かに尾行していたが、やはり罪悪感はあったはずです。その罪の意識と闘いながら貴方に協力していた。そんな中、貴方の裏切りだ。自分を売ったことに対する怒りと、そして尾行していることを僕らに知られたくないという自分可愛さの思考に嫌悪していた。そんなルーゼンさんの心境を巧みに操っている貴方は……仕上げをする」
──彼らに、謎を解かせるつもりはないよ。
──余はクロネアの民だからね。
──だから古代魔術も、“奏流の全”と“想念なる幻獣”の二つまでしか教えない。
──ルーゼン。わかってくれるだろ? お前も余と同じ、クロネア人なのだから。
「ルーゼンさんの苦悩はいかほどのものであったか、僕にはわかりません」
自分だけが古代魔術が答えだと知っている。その見返りとして鯨の駒とされた。尾行する毎日。シルドが必死に謎に取り組んでいる日々を目の当たりにしてきた。元々シルドにはアズール王都で助けてもらった借りもある。
何とか手助けしたいが、やはり今の自分では何もすることができない。密かに尾行しているなどと、シルドに知られることも耐えられない。悔しいが、見守るしかない。それしか、手立てがない。唯一できるのは、シルドたちが無事に謎の答えが古代魔術であると辿り着けるよう、祈ることだけ……。
「しかし、貴方から最終的に謎は解かせないと言われた時、ルーゼンさんの罪悪感が頂点に達した。自分の情報を売ったことからも、もはや貴方は信頼できないと判断した。だから……ルーゼンさんは古代魔術の三つ全てを教えるため、魔法の館を訪れたのだ」
ルーゼンの魔術“鏡身”であれば、その特異性から魔力を感知されることはない。特級・陣形魔法“不死人”と同様の効果を発揮する脅威の魔術であるため、今まで彼は一切探知されなかった。
しかし、ルーゼンは魔力不探知を解除した。
ハッキリと自分の居場所をアズール人に知らせるため、そしてシルドに伝えなければならないことがあるため、彼は鯨に反旗を翻したのだ。────それらの行動も全て、鯨の計画通りであることを知らずに……!
「貴方は最初からルーゼンさんを“仕上げ”に利用するつもりでしたね。だから最初から偽の解答を教えたんだ。そうして一日一日を尾行させ、彼の罪悪感を育てつつ、裏切る最善の日を探していた。そうして僕が自力で古代魔術へと至ったことで、準備は全て完了し、駒を捨てた」
ルーゼンが鯨を裏切り、シルドのところへ現れた。リスクも大いにあったであろうに、それを冒してまでも伝えたかった三つの古代魔術。かの内容を聞いた者は、果たして、ルーゼンの言動を疑うだろうか。
信じるに決まっている。
まず間違いなく、信じてしまう。
多少の疑惑はあるものの、そこまでして行動してくれた彼の言葉に疑いの余地はない。古代魔術の情報を手に入れたことで、シルドは謎の答えを得ることができた。計画は完璧なまでに達成された……。
「後は、『謎の答えを知られてしまったと落胆している様子』を僕に見せるだけでいい。他には何もいらない。勝手に僕が偽の解答を構築していくだけだから」
四回目の訪問。シルドと鯨にとっては三回目の問答。
明らかに、げんなりした表情で鯨は姿を現した。そのまま少しの会話をした後、「さらばだ。余はこれで去るとしよう」とシルドとの別離を告げた。
混乱するシルドに対し、最後の別れは明日の朝までと言って姿を消す。タイムリミットを短くすることで熟考の余地を生じさせず、同時に相手を混乱のまま期限まで維持させることが可能となった。そうして夜を迎え、アズールとクロネアの選抜集団代理戦争をルーゼンから聞くことになる。
「ルーゼンさんなりの最後のケジメであったと思われます。裏切ったとしても、最後までは貴方の駒として働いた。もしかしたらその場で殺されるかもしれなかったのに、あの人はここへ赴き戦争の件を伝え、せめてもの罪滅ぼしと自身の参加を告げた。そんな彼に対して、貴方は何もせずに見送った。生かすも殺すも必要ない、既にどうでもいい存在だったからだ。……そうして笑顔のまま僕を待ち、今に至る」
息を吸い。
相手を見据え。
一人の青年は話を締める。
「これが、僕がクロネアに来てから今日までに至る、貴方の行動の全てだ」
* * *
「ふーん、そう」
長いシルドの話を受けて、先から遠い方ばかりを見ていた鯨が、ようやく口を開く。
どっしりと腰を下ろした椅子から立ち上がり、指を鳴らして椅子を消してから歩き始めた。再度シルドの前に立ち、表情を変えずに佇む。そして不意に笑ったかと思うと、少し首を傾けて口を開いた。
「それで?」
鼻で笑う。
「だから何だというのだね? 魔法じゃないよそれは。今の話は全て、“真実は古代魔術だ”と思うまでの道程を話しただけじゃないか。それでいいじゃないか、あぁ? 何が不満だというのかな」
「ルーゼンさんに対し何も思わないのですか」
「思わんよ。余も必死だったのだ。クロネアの敵に真実は古代魔術だと知られたくなかったからね。当然の行動をしたまでに過ぎない」
「ここまでの話を、否定しないのですね」
「…………」
「では、“最後”にいきましょうか」
何か言おうと口を開くも、閉じ、相手を見つめる鯨。頭の中でどうシルドの話を切り崩すか画策するも、否定できないほど彼の話は淡々と進んでいく。横やりを入れようと思えば可能だが、そうはしなかった。崩すべき場所はここではないのだ。つまり……。
「貴方の正体が、魔法である話をしましょう」
ここなのだ。
正体が魔法。魔術ではなく魔法。どのような解釈をすれば「それ」に至ったのか、遂に明かされることになる。そしてこれが最大の難所であり、ハリボテ説の随意であり、真実でもある。
途方もなく長く感じた第二試練の謎解きは、いよいよ最後を迎える。
例えるなら、シルドはどこに行くのかわからない列車に乗り、ずっと彷徨っていた。
このままいけば霧の中を永劫迷うだけであったが、自ら車掌となって終着駅へと辿り着いたのだ。
あとは降りるだけ。
解答の“最後”が一つでも間違っていたのなら、降りた瞬間地面が割れ、奈落の底へ堕とされる。
真実が魔法とする解答。
これを語ることで、謎は解ける。
対し鯨の心を例えるなら海であろう。
地平線の彼方まで広がっている大海原は、余裕をもって優雅に揺れていた。
そんな折、海へ黒いインクが落とされる。
ポタ……と。
不安や焦燥という名のインクが落とされる。
しかし所詮はインク。大きな海に落とされたところで、意味もなく消えていく。
鯨は気付いていない。
ポタ、ポタ、ポタ、と。
明らかに、海へ落されるインクの量が増えていることに……。
静かなる空間にいる両者は再び視線を交差させた。
一方は強い意志の瞳で、一方は強い覚悟の瞳で。
決着を迎えるのだ。