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真相




 魔。

 古語で「ルカ」と呼ばれ、この世界に存在する生物が等しく享受している「源素げんそ」である。

 魔法・魔術・魔具を扱う者の全てがこのルカを用いて力を発揮している。当然ながら、自身の体内からルカを作り出すことも可能であり、この作り出した現象のことを魔力と呼ぶ。ルカは世界の至る所で流動的に存在していて、一説には星のエネルギーそのものと言われている。

 シルドの前世の世界では存在しなかったものだ。逆説的にいえば、存在しているからこそ魔法・魔術・魔具が発展していったともいえよう。このルカがあるからこそ、アズール人は自由に魔法を使い、クロネア人は思うがまま魔術を行使でき、カイゼン人は魔具を我が物として発揮できる。


 ルカはそこら中にフワフワと浮いているものの、知覚できる濃度に達しているものはまずない。地形的にルカの濃い場所もあるが、そういった場所は危険地域に指定されることがほとんどである。自動式または自律型の魔法や魔具はこの浮遊しているルカを用いて活動しており、昨今では魔学者や魔法学者の間で注目される分野となっている。しかし、ルカも無尽蔵ではないので、使い切ってしまうと森が砂漠になるのと同様、悪影響が懸念されている。どちらにせよ、これからの世界の発展において重要なものになっていくことは間違いないであろう。

 何故、今更このような説明をするのか。

 答えとして、アズール王子の魔法と関係するからである。


「よっと」


 ジンが指を鳴らすと、下にあった剣山が瞬時に消え、魔力の欠片……つまりはルカとなってキラキラと宝石のように輝きながら周囲に散った。本来なら目に見える程度のルカは外気に触れるとすぐに見えない濃度に下がり、消えてしまう。しかし、何故かジンの周りにあるルカは消えなかった。

 アズールの王子が人差し指を軽く回す。呼応するように周囲にあったルカが一つに集まり、太い糸のような状態となった。そして糸は真っすぐミュウの所へ流れていき彼女の身体を優しく包むと、ミュウのあちこちから流れていた血が……止まる。ミュウ本来に備わっている治癒力の増強剤としてルカが使われたのだ。ポカン、と口を開けながら視線を向けてくる女の子に一応の注意を促す王子。


「止血しただけだから、あんま動くなよ」

「うん」

「それと、魔力が」


 言葉を遮るように。

 クロネア王女の剣が一本、ジン目掛けて高速で放たれた。

 王子が手を右へやると、剣も右に逸れて地面に突き刺さる。


「回復するまでは、魔法も使うなよ」

「うん」

「ついでに、涙も」


 空間を切り裂きそうなほどの斬撃が放たれた。

 ジンが手を左へやると、斬撃も左に逸れて壁に突っ込んでいった。

 

「拭いとけ。泣き顔なんざ他の奴に見せるな」

「うん」

「あとは、そうだな」


 眼前に王女が現れて。

 剣を勢いよく振り下ろす。それを避けることなく、王子は左手の甲で受け止めた。辺りに耳をつんざくような衝突音が響き渡るが、そんな音など気にする素ぶりもなく二人の男女は視線を交差させたまま動かない。

 静寂な広間に包まれて数秒後、ジンが右の薬指を軽く上へ向ける。連動して地面に突き刺さっていた剣が宙に浮き、剣先を王女へ向けて間髪入れずに突っ込む……も、シェリナの出現させた剣により難なくそれは相殺された。

 ほぼ同時、敵に近接していたはずのシェリナが後方に吹き飛ばされる。相手の魔法の鬱陶しさに苛立ちを隠せず、歯を食いしばりながら宙を舞って地面に着地した。そして再び敵の姿を視認しては、唾を吐き捨てるように言い放つ。


「ふざけた魔法だ」

「なんだ、知ってんのかよ」

「当然だ。実際に見なくては信用できなかったが、どうにも伝承は本当らしい。随分と身分不相応な魔法を使うではないか……。“ルカ・イェン──魔統”。ルカそのものを支配下におき、統べる魔法か」

「魔法名まで知ってるなんて大したもんだな。まぁ、俺としてはどうでもいいことなんだがよ。ヒヒッ」


 ジンが右手を軽く回す。周囲に薄っすらとルカの粒子が現れ、強く光ったかと思えば直ぐに消えた。濃度を自在に操っているのだ。相手に見えるように高濃度にもできるし、見えないよう低濃度にもできる。濃度をある一定以上濃くすればそれは有体となり、「形」となる。先ほどシェリナが振り下ろした剣を左手の甲で受け止めることができたのも、甲の部分にルカを集め形にし、硬質化させたに過ぎない。“ルカ・イェン──魔統”。

 文字通り、ルカを統べる。

 ありとあらゆるルカが、彼の前では支配下に置かれる。

 それは他人の魔力で作られたものであろうとも同じであり、一度でも所有者から離れた魔力体は全てジンに統べられる。シェリナの魔力で作られた剣も、髪から離脱するまではシェリナのものであるが、一度でも浮遊し離れた以上、彼のものになる。斬撃もまた、シェリナの魔力が備わっている以上、等しく同じでありジンの支配下になる。

 ルカそのものを己のものとする魔法。七大魔法の中でも古代に次いで希少であり、創始者の子孫しか扱えず、そして自然・陣形・創造・付属・癒呪魔法のどこにも該当しない……継承魔法。創始者は初代アズール王で、ジンはその魔法の使い手である。


 ただし、この魔法も無敵ではない。

 断じてない。

 確かに、ルカを統べ操る力は脅威である。シェリナとの攻防を見てもわかる通り、中距離・遠距離の攻撃は通用しないだろう。一度でも所有者から離れたら駄目なのだ。ならば、彼を倒す方法は一つである。あくまでも統べるということは己のものとすることであり、他者のものである以上は統べることなどできない。ここでいう他者とは、所有者から離れていないことを指す。つまり……。


「接近戦のみでしか貴様は屠れない。極長四人にもそれは伝えていたはずなのだが、な」

「伝えれば問題が解消すると思ってる時点で甘いな。たかが四匹、弱者の集まりだ」

「ククク、本当にそうか? 貴様とて、あの四人を相手に無傷では済まなかったはずだ。ここに来る前にルカを操り応急処置をして外傷無しと見せているが、実際は違うであろう? 見え透いた虚言ほど愚かなものはないぞ」

「はぁ? 何勝手にほざいてやがる。こちとらピンピンしてんだよ。てめぇみたいなミュウの“喰人鬼”でボロボロの奴に言われたかねーよ糞虫」


 互いに笑い、不気味に微笑み、口を開いて、相手をけなす。

 双方、体力的に長期戦は難しい状況にある。また、後半戦はどれも短期戦で終わっており、この二人もそれに漏れることはない。最後の決着がつこうとしている。勝敗がどちらに決するか、長きにわたっていた戦いも……いよいよ終わりなのだ。


「ひれ伏せ、クロネア」

「朽ち果てろ、アズール」


 言葉を発した刹那、両者は激突した。

 一人は己のために。

 一人は国のために。

 その想いを、力に変えて。




   * * *




 候補①『いかにして奇跡の魔術が発動したか、解明せよ』。

 候補②『如何にして双子の王族はクロネア永年図書館が不死とわかったのか、解明せよ』。

 候補③『どうして、魔術定義の例外とされる外から受けた魔術であるのに、内から魔術が解除できると断言できるのか、解明せよ』。

 候補④『クロネア永年図書館に現れる、不可解なる存在が何なのか解明せよ』。


 クロネアに来てから先日まで、シルドは謎に対し躍起になっていた。第二試練が「他国の図書館の謎を解決せよ」なのだから当然ともいえよう。候補をどれにするのか考えるのも自然な流れであった。苦しいながらも自分にできることを精一杯やり、少しずつではあるが道が開けてくる感覚は、彼の心を強く奮い立たせ動かした。間違っていないと。この道で合っていると。

 結果として自らを「余」と言う正体不明な存在を引き出すことに成功し、謎の答えとして古代魔術を提示するまでに至った。候補を解決する糸口は三つの古代魔術に他ならないと。十二分な成果であろう。僅か一か月しかない時間の中でよくぞここまで導き出せたと称賛されるものだ。


「けれど、この解答では説明できない点がある」


 シルドの先に述べた解答の中では、鯨は病に侵された。病は身体を蝕み、ついには動けなくなり、学園啓都から東の山を越えた先に瀕死の状態で倒れてしまった。実際、“不死なる図書”であるクロネア永年図書館もそこにある。また、霊父ことレイヴンが言っていた過去の話からも瀕死の鯨が発見されたとある。以上のことから、難病な状態の鯨が学園啓都に姿を現したというのは間違いないであろう。

 しかし、この鯨は古代魔術が使えたはずだ。“想念なる幻獣”を使っているはずだ。想像から情念へ昇華させ、頭の中で思い浮かべた獣に姿かたちを変えることが可能な魔術。それによりブロウザという人から鯨になった。想像するだけで思うが儘の姿かたちになれる。


 ──ならば、難病でも治る身体を想像すればいいだけではないのか。

 自らの肉体を変化させることが魔術の本質ならば、それもまた可能なはずだ。

 もしくは、古代魔術の一つである“魂交”により別の健全な肉体と魂を交換すればいい。非人道的かもしれないが死ぬよりはマシだ。ましてや古代魔術の三つを手に入れ強大な優越感があったであろう存在。周り全てより遥かに自分が崇高な存在であると思っていたはず。そんな自分が死ぬなど、到底受け入れられるわけがない。

 使ったはずだ。

 生きるために、迷わず“魂交”を使ったはずだ。腐って死んでいく肉体に別の魂を生贄として入れ、空いた別の肉体に自分の魂を入れて。……が、実際は難病の状態で現れたという。おかしいではないか。


「他にもある」


 シルドがクロネア永年図書館に到着してから現在いる場所に移動中の時、鯨といくつか言葉を交わしている。大体がどうでもいい話であるのだが、少し妙な点もあった。


『さて、戦争の方はどうなっているのだろうね。中々に興味深いが』

『貴方の“眼”があれば、どうなっているのか容易にわかるのではないのですか』

『いや、余が現在この姿になっているからには、眼を発動することはできないよ』

『そうですか。万能とはいかないのですね』

『まぁね』


 「この姿」とは。シルドの眼前にいる男のようであり女でもある姿の時である。“想念なる幻獣”により生み出しているだろうと思われる姿。この時は、鯨は外の景色が見れないという。果たしてそれは、どういうことなのだろうか。魔術は己が身体に変化をもたらすものであり、周囲の景色を知覚できる魔術などない。唯一あるとするならば、古代魔術の一つである“奏流の全”であろう。大自然を流れる『核』と称されし源と一体化し、ありとあらゆる自然を視ることが可能な魔術。これを発動すれば、視ることができる。

 しかし、今、鯨は視ることができないという。

 それはつまるところ、“想念なる幻獣”を発動している時は、“奏流の全”が使えないことを指す。古代魔術は同時に使えないのだ。

 

「だが、約一千年前……貴方が難病により学園啓都に不時着した時。不死という名の“想念なる幻獣”を発動しながら“魂交”を発動して当時いた双子の王族と直接話をしている」


 矛盾する。古代魔術を同時に使えないはずであるのに、双子の王族の前では使えている。

 「まだある」とシルドは言葉を続けた。絵本についてだ。『ブロウザの冒険』と書かれているこの絵本、鯨は自らのことをブロウザと言った。自分が物語の主人公だと告げたのだ。しかし、主人公が鯨だと仮定したとしても……何故アズールに、この本があるのだろうか。

 二国の仲は悪く、長らく冷戦状態であったはずだ。昨今、ようやく交流が広がり始めた頃である。クロネアで発売され出回っているのならわかる。主人公がクロネアの民なのだから。けれど、絵本はアズールにあった。ずっと前からある絵本で、アズール産のおとぎ話である。クロネアのものではない。


「これはアズール人が書いたものだ。断じて貴方ではない。仮に貴方を主役として書かれたものだとしても、出版されるのならクロネアで発売されるはず。アズールで発売される必要性が皆無だ。長らく不仲であった両国で絵本だけ独自に流通していると考えるのは現実的ではない」


 結論として、何が言いたいのか。

 鯨が古代魔術を全て体得したという解答には、おかしな点があるのだ。

 説明できない部分が多数にある。他にも挙げようと思えば出てくるし、探そうと思えばまだまだある。

 ……けれど、シルドにとってこの解答はやっとの思いで出したものだった。確かに、矛盾点や不可解な点は出せばある。それでも、彼の中ではようやく見つけた解答だったのだ。多少の汚れた部分はあるものの、堂々と言える答えであったのだ。……そうして古代魔術を答えとして再び鯨のもとへ向かうとジンに話していた、あの日。


「ようやく、気付くことができた」


 それは、ふとしたキッカケに過ぎなかったものだけれど。

 シルドに、ある一つの仮説が生まれた。その仮説は実に弱々しく論理の欠片もないものであった。だが、蒼髪の青年にとっては不思議としっくりくる説であった……。その時、初めて、シルドは今までの出来事をこう思ったのだ。思えたのだ。思いついたのだ。



 ──今までの流れが、全て何者かに仕組まれていたのではないか。



 古代魔術が解答だとするために、今まで苦労はあったが一歩ずつ前進していく毎日だった。皆と考え、行動に移し、答えになりそうなものを集めていく。壁にぶつかることはあったけれど、それでも何とか道を作り歩んでいけた。苦しいものの、立ちふさがるような絶対的な壁は出てこなかった。

 それが、おかしいのだ。

 たった数週間の滞在で、そこまで上手く出来るだろうか。

 第一試練のように、半年かけて作り出していった解答ならわかる。だが、これはたったの十数日間である。仲間と歩んできた十数日間であろうとも、あまりにも早すぎやしないだろうか。そう、思った。今までそんなことを考えもしなかったのだが、初めてシルドはそう思ったのだ。……ならば、もしもだ、今までの歩みが全て出来すぎであったのなら、誰がそんなことを仕掛けたというのか。いつから仕掛けが施されていたというのか。そして……、出来すぎた解答の裏にある真相は、何だというのか。考えに考え、これまでの経過に思慮を巡らし、一つの分岐点を探し出した。

 シルドたちが順調に歩んできた道のりの中で、最も意味深な出来事であり、かつ偽の解答へと引きずり込まれた出来事があったとするならば────。


「貴方が出てきてからだ。鯨」

「……」

「貴方が僕の前に姿を現したことで、僕は『謎の候補を探すこと』から『謎を解くこと』に変更した。それは謎を探そうと奮闘していた僕からすれば実に嬉しいものだった。自分のやっていることが間違いでないと確信できたからだ。だが、おかしいじゃないか。貴方が登場する理由なんて、そもそも最初からないのだから。貴方が出てこなければ、もしかしたら僕は謎の候補を探すことに尽力してそこから動けず、クロネア滞在を終えていたかもしれなかった」


 何故、鯨は出てきたのか。それは鯨自身でなければわからない問いである。

 ただ、鯨の登場によりクロネアでの謎が一段階上になったことは間違いない。ありとあらゆる不可解さを振りまいて、ばら撒いて、散見させて、その中にある偽の真実を探らせようと仕向けた。それにまんまと嵌ってしまったシルド。

 だが、これら全てが仕組まれたものであるのなら、やるべきことは明白である。相手が隠そうとしている核を穿り出す。と、なれば、使える情報はたった一つに絞られる。鯨の発言だ。シルドと初めて会った際、鯨はこう言った。


『お困りかい。お兄さん』


 悩める者に手を差し伸べにきた、というような言葉を皮切りに。


『いやしかし、嬉しいな。ようやく余は、解放されるかもしれないのか』


 笑顔で二言目には解放されるかもしれないと言って。


『そんなに驚くことじゃない。お兄さんならわかるはずだ』


 シルドにはわかる、という意味深な文言も添えてから。


『奇跡の魔術に……興味はあるかい?』


 魔術を名指しで告げてきた。

 古代魔術が偽とするのなら、四つ目の言葉である「奇跡の魔術に興味はあるか」は罠だ。既にこの時から鯨の策は始まっていた。シルドがまだ不安定な謎の候補をしていた状態を、意図的に終わらせるために候補を奇跡の魔術に固定化させた。決して悟られぬよう、気づかれぬよう……。

 案の定、シルドは奇跡の魔術に没頭する。どうすれば解けるのか必死に奔走し、答えとして奇跡とは古代魔術のことであるのでは、と導き出していく。そうして二度目の邂逅の際、鯨は嬉しそうにこう言うのだった。


『悩め悩め。余は悩む者が大好きだ』

『もうちょっと優しめにしてくれると助かるのですが』

『ハハハ、無理からぬことさ。正味、余はお兄さんに“不死なる図書”を解かせるつもりはない』

『……』

『それはね、クロネアの歴史に大きな大きな、とても大きな傷をつけることになるからさ』

『では、何故僕のようなアズール人に?』

『クロネアの民を傷つけると同時に、お兄さんのような者には知っておいて欲しいと思ったからだ』


 答えが古代魔術であるのだが、未だ誰にも解かれていないため、アズール人であるシルドには解かれて欲しくないと解釈できそうな文言。だが、これも違うのだ。決してそのような意味ではなく、別の意味であった。なんら難しいことじゃない、単純なものなのであり、罠であると同時に鯨の本音がここに含まれていた。


「貴方は、解かせるつもりはないと言った。これは本音だ。解いて欲しくはなかったんだ。それはクロネアの歴史に大きな傷をつけるものであるから。けど、本当にそんな謎があるだろうか。貴方が古代魔術を使っていたからだといって、クロネアの歴史そのものに傷をつけることになるだろうか」


 シルドが一歩、歩み寄る。

 それは真実の解答を言う瞬間が訪れつつあることを意味する。


「貴方は僕がアズール人だからああ言った。クロネア人を傷つけると同時に、僕のような者には知っておいて欲しいからだと。初めて会った時の三言目には僕ならわかるとも言っていた。アズール人だからこそ知ってほしく、そしてアズール人だからこそわかる答えが……、真実だったのではないのか」

「先から疑問だらけじゃないか、クロネアの敵。さっさと答えを言ったらどうなんだぃ?」

「貴方の心の中にあるのは、二律背反する葛藤だ。鯨よ」


 もう一歩、深くゆっくりと歩むシルド。

 彼の姿をジッと見つめる相手は、最初は動く気配が全くなかったのに……、ほんの少しだけ、後ろへ引いた。


「貴方は一つの真実を知っている。だが、それは決して外部に知られてはいけないものだった。知って欲しいと思う自分と、知って欲しくないと思う自分。知られればクロネアの歴史に大きな傷をつけることになる真実。それでも、アズール人である僕には知って欲しいと思う真実。ずっとずっと苦しんできた貴方は、僕を前にして一つの賭けに出ることにした。──真実と偽の解答を両方提示することにしたのだ」


 最初は少しだった後退が、次第に大きくなり、鯨はシルドの歩みと同じぐらいの歩幅で後ろに進んでいく。それを急ぐことなく、先と変わらない歩幅と速さで歩いていく青年。両者の距離は同じ程度のものであったのだが、いよいよ鯨の後退は止まってしまう。この空間の端に着いてしまったからだ。


「限りなく偽の解答へと歩めるようありとあらゆる細工を施して。けれど真実にも気づけるようほんの一握りの情報を言葉のみに集約して。貴方は解いて欲しかったんだ。解いて欲しくて仕方がなかったんだ。だがそれを許さない自分と必死に戦っていた」


 クロネアは歴史の国である。歴史を何よりも重んじ、祖先が作ってきた道を何よりも尊ぶ。自分らも功績を残せば未来の子孫に尊敬されることは明白だ。一生を懸けて費やす価値がある。ゆえに、結果や実力を残すことが何よりも重要視される。実力主義国家・クロネアの基軸はここから来ている。

 そのため、自分ら以外の二国は極めて蔑む傾向にある。アズールもカイゼンも二流国家だ。奴らの作り出すもの全てがまがい物だ。自分たちのような一流には到底及ばない。歴史も自然も国民も国家も……、全てが秀でた最高の国なのだ。

 だから、そんなクロネアの歴史に汚点が生まれるようなものがあるとすれば言語道断である。ましてや、他国に知られてしまえば一大事である。自分たちの祖先が作り出した過去が実は「偽もの」であったとしたら、絶対に受け入れられぬものになる。断じてそんなことはあってはならない。


「僕は最初から間違っていたんだ。ここ、クロネアにたどり着く前からそれに気づかず、謎を解こうと躍起になっていた。クロネアは何の国か。……魔術の国だ」


 クロネアは歴史を重んじる。

 文化や文明品も全て自国のものであり、決して外部に影響されてはならない。


「貴方はクロネアの最高傑作の魔術だと称されている。歴史の代表そのものだ」


 鯨は歴史の代表物。魔術史上、最高傑作にして奇跡の魔術。

 誰にも解かれてはいけないし、解けない魔術。

 絶対不可侵の魔術。

 そう。

 魔術。

 術なる魔。

 己の魔力を使い自分自身に術を施し、驚異的な力を発動する事象。

 魔術が「答え」だと考えていた。

 無意識のうちに決めていた。

 魔術以外の答えなど、意識の外であった。


「貴方が真に気づいて欲しくないことは、そこだったんだ」


 アズール人だからこそ気づいてしまうかもしれない答え。仮にきづかれても一蹴される程度のものだけど、それでも絶対に気づかれるわけにはいかなかった。


「外部から施された奇跡の魔術? そんなもの、あるわけないだろう。だって貴方は……外部から不老不死にされたのだから」


 シルドは土台から間違っていたのだ。

 ただそれだけであったのに、途方もない迷路に誘われてしまった。

 第二試練の舞台はクロネア。

 ゆえに謎の答えもクロネアにあるものだと、思い込んでしまった。

 ──“魔術”であると、思ってしまっていた。


「そう、答えとは。貴方を含めたクロネア人にとって、歴史を何よりも重んじる民にとって、絶対に知られてはいけないもの。知られれば今まで築いてきた歴史の一部に大きな、とても大きな傷を残してしまうもの。鯨よ、一千年の時を生きる魔物よ。謎の答えそのものが貴方の正体である以上、知られたい気持ちと知られてほしくない気持ちが貴方にある。だからこそ僕は言う。不死なる身体を手に入れた、貴方の正体は……」


 クロネア永年図書館。

 不死なる図書。

 奇跡の魔術。

 クロネア史そのもの。

 クロネア人にとって誇りの文明品であり、最高級の国宝。自国の代表ともいえよう至上の産物。

 今までシルドたちを幾度となく悩ませ、されど羨望され、まさに魔術の国に相応しいクロネア史上最高傑作の……、正体は────。





「魔法だ」





 他国の文明品であった。





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