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其が、覇王の名は




 向かい合うシルドと鯨の論述戦は、いよいよ終盤に突入した。既にシルドが相手の策略を見破り、真実と考えている解答を述べる時となっていた。

 これを話し、鯨がどういう反応を示すかで戦法が変わるのであるが、肝心の相手は先に見せた本性は何処へやら、いつものニコニコ顔で蒼髪青年に語りかける。


「いやいやしかし、いやしかし、話を折って悪いけどさ。クロネアの敵よ、いいのかい?」

「何がですか」

「戦争のことだよ。既にそちらの残りは三となり、こちらは五となった。数では僅差といえるものの、アズール側は実質……二人だね。おまけにルーゼンはこのままいけば退場してしまう。さてさて、となればだよ、クロネアの敵。たった一人だけで戦況を覆す必要があるというわけだ」


 何故、ルーゼンがこのままいけば退場してしまうのか。直ぐにでも聞きたいシルドであったが、仮にそれを口にしても不安にさせるような遠回しな言い方をされるだけであろう。相手はこちらの心を乱すためにあえて陰湿な言い回しをしている。そのため、心中を悟られぬよう平常心で淡々と返すことが模範的な対応であるのだが、実際のところ、シルドにとってはどうでもよかった。


「一人で戦況を覆す必要があると言いましたが、意味がわかりませんね」

「おんや、難しかったかい? 戦力が明らかに違いすぎると言いたいのだよ。つまりはね」

「アズールの王子が負ける、と言いたいのですか?」


 鯨の言葉を遮った彼の顔は、薄く笑ってどこか楽しそうに見える。そんな様子を目をパチクリさせて見た鯨は、改めて戦力がどれくらい違うのか口を開くも、それより早くシルドが告げた。


「確かに、極長の方々は強いでしょう。既にアズール側もほとんどが退場している。それだけで相手の戦力は充分にわかる。けれど、僕の考えが変わることはないですよ」

「何故だい? 彼は今の今まで特に動くことなく、ただ戦争に参加しているだけだ。自分勝手で我儘、己さえよければ他人はどうでもいいとしている男だと聞いているよ? 腕っぷしに自信があるのかもしれないが、それだけの男をよくもまぁ擁護する気になれたものだね」


 鯨の言葉を受けて、シルドは思わず声をあげて笑った。ぼんやりとオレンジ色が灯る空間の中で、一しきり笑った後、怪訝そうに見つめる鯨に優しい目をしながら……微笑む。


「鯨よ。貴方は一つ勘違いをしている」



   * * *



 憲皇と呼ばれる塔の最上階で、二人の女性がいた。

 一人は床に伏したまま身動き一つできずにいる。一人はその女性に目を向けることなく歩を進めている。敗者と勝者がいる状態で、時間がゆったりとまどろむ様に進んでいた。下に降りるため階段へ向かう女性の頭の中には、残るアズール側の三人の名があった。

 ジン・フォン・ティック・アズール。

 シルディッド・アシュラン。

 ルーゼン・バッハ。

 この三名さえ討てば、もしくはアズール側の代表を討てば、戦争は終結する。残りの魔力や体力を考えると、やはりアズールの次期王を狙うのが合理的だ。あの男を討てば全てが終わり、そして私というクロネアの名誉もまた至高のものとなる。あのゴミ男をついに屠る時が来たのだ。完膚なきまでに叩きのめしてやろうと、シェリナは極上の笑みを浮かべ歩を進める……も。


「フフッ」

 

 シェリナの歩く音よりも大きな声が、その場に響く。

 足を止め、軽く息を吐きながら首だけを後ろに向ければ、床に伏し、辺りには血が広がっている少女の姿があった。苛立ちのためか、少し表情が歪になりながら舌打ちをして、一本の剣を宙に浮かす。敗者如きが鬱陶しいと心底思った。


「何がおかしい」

「貴方は、本当にそれでいいの?」


 右手を地面について、少しずつ身体を起こす。グ、グググ……と何とか垂れる血に注意を払いながら起き上がる少女。何もせず黙ってそこにいればいいものを、腐れアズール人がと思いながらシェリナは踵を返した。

 無視すればいいだけなのに、シェリナはミュウの下へ歩く。理由は……正直、王女自身もわからない。ただ、何となく、歯がゆく鬱陶しかったが率直な心情であった。あの少女の微笑みが、どうしようもなく腹立たしくて汚らわしくて……不快だった。


「まだ息があるのか。ほとほと見上げた根性といえよう」

「わざわざこっちに来てくれてありがとう。シェリナ王女」


 ミュウの右肩に、剣が突き刺さる。「アァ!」と叫んでから、何とか起こした身体が一瞬のけぞって、前へいく。反動で剣が抜けて、床へと転がった。ハァ、ハァと少女から苦しい声が漏れていて。


「しぶといと思っただけだ。思い上がるなよ、敗者風情が」

「……!」


 ミュウの顎下に足を伸ばし、勢いよく蹴り上げる。蹴られた女性は為すすべなく跳ばされて、荒い息をしながら何とか身体を起こした。ミュウは創造魔法の使い手ゆえ、癒し系統の魔法を持ち合わせていない。あればとっくに自分を癒していることだろう。応急処置である包帯を魔法で作り出し、身体に巻くぐらいしかできることはなかった。


「大人しくそこで伏していろ。不殺の取り決めなのだ、退場者をどう処分するかは決めていないが、わざわざ自ら死へ手を伸ばす必要もない。つまり、貴様が自殺をしても何も益はないということだ。わかったら伏して寝ていろ」

「貴方は、本当にそれでいいの? シェリナ王女」


 もう一度、剣がミュウの肩に刺さった。今度は左肩である。「うぅっ!」と先と同じように呻き声をあげてもがく。本当の馬鹿だな、と思いながらシェリナは階段へ向かった。やはり敗者の言葉に耳を傾けるべきではなかった。出来るだけ早く戦争を終わらせるため、早急にゴミ男の元へ向かうべきだろう。既に極長四名を奴にぶつけている。決着がつくのは、時間の問題でもあるだろうが。

 

「このままだと、全てを失ってしまうよ」


 不快極まりない言葉がどうしようもなく耳に入る。入ってしまう。何故だ、と苛立つ自分に疑問しながら立ち止まった。……止めろ、歩け、聞く必要のない言葉だと心に言い聞かせる。今一度、歩くため足をあげた。


「一生、孤独に生きていくの?」


 しかし。


「愛する人もいない世界で?」


 どうしても。


「自分を殺した世界で?」


 身体が、命令に背く。

 シェリナ・モントール・クローネリは階段へ向かうのを止めた。変わりに魔力を髪に通わせて、強制的に髪を伸ばす。伸びた髪からズラリと剣が生え出ては、七十を超える群れとなって王女の空中に展開された。剣先は一人の少女へ向けられて、有無を言わさぬ圧を感じさせる。


「次、口を開けば貴様の両腕を斬り落とす。落とした両腕は剣によって肉の塊とする。よって貴様は両腕無しの后候補となろう。この意味がわかるな?」


 ミュウ・コルケットは次期アズール王の后とされているが、厳密には第一后候補である。候補は第三十まであるものの、選んでいいのはジンの上、彼自身がミュウ以外に一切興味を示していない。そのため、残りの后候補は登録しているだけのようなものとなっている。

 ──が、もし、第一候補の彼女が両腕を失ってしまう出来事が起きたなら、事態はやや変わると言わざるを得ない。アズール内部において、ミュウを后にすべきだという意見が大半を占める。しかし、様々な利権や思惑があるのも事実であり、ミュウ以外を……と思っている者もいる。そんな中で、将来の后が両腕無しという出来事が起こった場合、世論を操作して他の候補に変えようと動くのは必然であろう。


「いや、両腕だけでは足りぬな。両足も斬ろう。安心しろ、失血死しないよう私の髪で延命措置は取るつもりだ」


 達磨。両腕両足を斬られた末路。

 国の代表である王の妻が、そんな状態でよいのか。

 世間体、外見、日ごろの業務など、あらゆる面で不都合が生じる。それだけではない、“例の后”だと一生言われ続け、死ぬまで奇異の目で見られる運命を背負うことになる。たった一言、言葉を発しただけで、ミュウのこれからの人生が決まる。


 シェリナにとって、敗者などどうでもいい存在だ。わざわざ相手の言葉に耳を貸すなどありえない。だが、どうしても奴の言葉が耳に残る。反響する。ジワジワと侵食する。根の深いところまでやってくる。居続ける。それがどうしても我慢ならなかった。

 だから、精神的に追い詰め、黙らせ、上からの勝利を手に入れたかった。そのためならば、手段を選んでなどいられないのだ。私は、クロネアなのだから──。


「シェリナ王女」


 碧髪の少女は口を開く。

 

「貴方にとって、国とは自分自身でもあるのでしょう」


 恐れることなく、怯えることなく、ただ、ひたすらに。


「けど、それでは貴方は幸せになれない」


 相手のことだけを考える。

 ミュウ・コルケットは集団至上主義者である。ジンが自分さえよければいいとする個人至上主義者であるの対し、彼女は周りさえよければいいとする対の考え方をする。

 一人の男が異常なまでに突出した考え方をしていたので、その考えに見合うよう釣り合う考えを自分に課した。天秤で表すなら、二人は両端のギリギリのところに何とか立っているようなものである。


 ただ、ミュウはこの考え方を心から好いている。自分を捧げることで皆の幸せを手に入れる。何という素敵な理論なのだろう。自分の性格にも合っているし、何より大好きな人と調和を図れる唯一の方法だ。

 だから幼少の頃から着実に軸を形成し、彼と一緒に歩めるよう努力を惜しまなかった。そのため、今では集団至上主義者の体現者といってもいい存在になった。


「私はね、シェリナ王女」


 皆の幸せが私の幸せ。自分は置いといていい。

 この戦争で何が最も皆の幸せになるのか。自分を捨て、何をどう動けば皆が幸福となれるのか。その一点のみに集中した彼女は、やはり、シェリナが歩こうとしている道を助けねば皆の幸福は成り立たないと結論づけた。

 王女はこのままいけば自分という存在を殺す。殺させない手段としての最善手は、ルーゼン・バッハに会わせるしかない。

 彼が鍵なのだ。

 ならば、何がなんでも彼女をここに引き留めておく必要がある。戦争が終われば途端にルーゼンは身を潜ませる可能性が高い。そうなれば、もはやシェリナを止められる存在はミュウの考えにはいない。誰一人としていなくなる。結果としてクロネア全体が不幸となって、皆の笑顔がなくなってしまう。だが、もし自分がここで踏ん張れば……、必ずルーゼンはやって来るだろう。あと、少しでいいのだ。


「貴方に幸せになって欲しい。私は」


 ミュウは考える。将来のことを考えれば、皆の幸せを考えれば。

 自分の両足と両腕が無くなろうが関係ない。そんなことで済むのなら、あぁ、うん、安いものだよ。

 周りのために自分を捨てる考え方なんてイカレてる。知ってるよ。頭のおかしい女だってのもわかってる。だけど私はね、この考えがあったからここまで来れたんだ。今更変えるだなんて、自分自身を否定することと一緒だよ。だから……!


「クロネアとアズールの両方が幸せになれる道を選びたいよ」


 ミュウの両腕に、それぞれ二本の剣が差し込まれた。

 ミュウの両足に、それぞれ三本の剣が差し込まれた。

 声は、もう、出なかった。出る暇がないほどの見事な射出であり、会話など既に無意味な間柄だ。何を言おうが何を語ろうが、王女には虫唾が走るノイズでしかない。きっと今言った言葉も、極上なる不快言語として翻訳され、シェリナの脳内に注ぎ込まれたであろう。たった、それだけのことなのだ。


「もうよい」


 七十を超える剣が、鳥の大群のように向かってくる。

 あぁ、馬鹿だなぁと、ミュウは後悔でいっぱいだった。同時に安堵でいっぱいだった。後悔はこれから先、達磨な人生を歩むこと。安堵は最後まで自分の考えを貫き通せたこと。今回においては、両立させることは無理だったようであるが。それでも彼女は、自分の生き方、生き様に一片足りとも辛いと思うことはない。

 ただ……ふと、想像してみる。

 これからの未来についてだ。奇妙なことに、シェリナが“喰人鬼”の最後の攻撃を受ける時と同様に、ミュウにもこれから先の未来が……圧縮した世界の中で如実に展開された。剣が鳩のように羽ばたいてこちらへ向かってくる中、眼前の光景とは全く違う世界が少女に見えていた。


「…………」


 両手両足がなくなった以上、見栄えは大層悪い。自分で動くことはできず、魔法を使ってもやれる範囲は限られてくるだろう。ジンの対応にもよるが、おそらくは后候補を断念する他ない。何より、皆の幸せを考えれば、自分は身を引くのが最善である。

 そうなれば、自然と第二候補が后として選ばれる。確か、魔法研究機関に所属している一流階級の貴族だったか。変人とも言われているが、極めて優秀で評判も良い。ゴタゴタはあるものの案外、すんなりと決まるかもしれない。結果として、私はお払い箱になる。

 

 自分は、きっと遠くからジンを見ることになる。

 ジンは私のことを案じて気を使ってくれるかもしれないと周りは思うだろうが、違うだろう。ジンのことだ、「自分自身で考え、決め、選んだ道だ。それに派生して起きた責任も、お前が背負うべきもんだ」と言うだろう。

 彼は個人至上主義者ゆえ自分勝手に動くけど、同時に責任や障害も自分で対処し、解決していく。そういう強さをもっている。だから、私が達磨になったとしても、私が選択したことだからと同情してくれたりはしないだろう。


 次第に、新しい后候補と一緒に行動することが多くなっていく。

 最初は私のことを案じて、周りの皆も優しくしてくれたり、言葉をかけたりしてくれるだろう。けど、いづれ、そういった気遣いも風化していくものだ。

 時が経つにつれ、ジンと后は皆に当たり前の関係として見られていく。横にいたのが私であったのが、別の女性になることへの違和感が消えていく。そして二人は皆に祝福されながら、婚儀を済ますのだ。結婚するのだ。愛を誓い合うのだ……。

 幸せそうな二人。

 そんな未来が見える。

 子供も産まれるだろう。ジンがその子を抱っこして、笑っている。后もその横で嬉しそうに笑っている。皆も新たな生命の誕生に、これからのアズールに喜ぶに決まっている。私もそれを遠くから眺めながら、静かに祝福しているだろう。おめでとう、と言っているのかな。


 ……。 


 あぁ。


 私は、本当にその時、笑っているのだろうか。笑顔で二人を見ていられるのだろうか。わからない。けど、笑わないと自分が壊れてしまいそうだから、グチャグチャになった心に命令して、歪な笑みをしているのだろう。だって、私が選んだ道なのだから。当然のことでしょ?

 あぁ。

 …………あぁ。

 私は、嫌な女だ。

 こんな未来を、よくもありありと想像できるものだ。

 他の人から見たら気持ち悪い女だと気味悪がられるに決まっている。だって、私はひたすらに嫉妬しているのだ。新しい后候補に、心から羨ましいと妬んでいるのだ。その程度の女、やはり王族の后には相応しくないのだろう。これでよかったのかもしれない。


 それでも。

 私は、彼の傍にいたかった。傍にいることが喜びだった。

 ジンから好きだとか愛してるとか、そんな言葉は一度たりとも言われたことがない。また、俺の嫁とか后とかも、言われたことがない。

 私が傍にいたいから、勝手にずっと横にいるだけのことだ。好きだよと言っても、あっそーと仄めかされるだけ。けど、それでも……、私にとってジンと一緒にいることが人生だった。大好きなのだ。本当に、本当に、好きで好きで仕方がないのだ。こんな気味の悪い私を傍に置いてくれる人は、もういない。


「いるわけない」


 ミュウの光景から、想像されていた未来が消えた。

 現実の世界が現れ、視界に剣の群れが鮮明に展開される。剣は一本いっぽんが実に綺麗で、今から彼女の四肢を斬り落とすのだろう。そして癒呪魔法でくっつけさせないように、ズタズタに切り刻むのだ。もう防壁の魔法を作り出す気力すら、ミュウには残っていなかった。彼女には、背負うものが多すぎたのかもしれない。たった一人の少女の限界を、その身で必死に耐えてきた人生だったのだから。

 ──つぅ、と両の頬に雫が走る。

 初めての涙。

 痛み、苦しみ、哀れみ、シェリナとの戦闘を通してあらゆる感情が入り混じったけれど、ミュウを涙するものではなかった。しかし、たった一つの感情が、悲しみという感情が、少女の涙をいとも容易く流させた。

 剣が来る。もはや止められない。生まれてからこの時まで、ただひたすらに一人の男のためだけに走り続けてきた少女の元へ、容赦無用の魔術の剣が、彼女の四肢を奪うために……突貫する。目を瞑り、愛する人への最後の言葉を、涙声でミュウは言った。



「ごめんね、ジン」



 剣が、グニャリと曲がった。



 同時。

 戦争で退場した者の中で意識がある全員が、咄嗟に塔を見た。

 反射的というのか、身体が勝手に動いた感覚である。クロネア人は、何故自身の身体が憲皇の塔へ目を向けたのか疑問に思う。首を傾げ、疑問符を頭上に浮かべていた。

 対し、アズール人はやれやれとしながらも自然と笑ってしまった。不思議と、おおよその見当はついていたからだ。それほどまでに、ハッキリとしたものを彼らは感じ取っていた。


「勘違い、だと? 余のどこが間違っているというのだね、クロネアの敵」

「確かにジンという男は自分勝手です。自己中の塊だし、我儘で、粗暴で、覗き魔です。もうマジで何でこいつと友達になってしまったのか、時々後悔する時だってあります。池に落とされるわ、騙されるわ、変な言いがかりをつけてくるわ、揉め事を持ち込んでくるわ、エロ本を勝手に送ってくるわ、ありがたいわ、意味のわからないことしてくるわ、遊びに付き合わされるわ、ユンゲルさんを泣かせるわ、もう本当に散々です。未だに王族なのか疑うぐらいです」

「酷い男だ」

「えぇ。でもね、鯨よ。それでもですよ、貴方は一つ思い違いをしているんですよ」

「……教えてくれるかい?」


 鯨の質問を受けて、シルドは目を細めながらこれまでのジンとのあれこれを回想した。回想は数秒に満たないものであったが、それでも、彼にとっては充分なもので。目を開けて、朗らかに笑ってしまう。やれやれと、全くどうしてアイツと関わってしまったのか、甚だ疑問この上ないと心から思う。……だから。


「アイツもまた、人間なんですよ」

「は?」

「ジンもね、やっぱり人間なんです。まぁ、普通ではないですね、狂人です。王子じゃなかったら、とっくの昔に捕まっていますね」

「だから?」

「それでも、アイツは人間なんです。一人の人間で、男で、この世界に生きる王子なんです」


 何を言っているのか、さっぱりわからない鯨は先と変わらず怪訝そうに見てくる。対し、シルドは相手の疑問を払拭するため、少しだけ声を大きくして返した。


「ジンもまた、“独り”では生きていけない」

「……」

「アイツもきっと、個人至上主義を貫く以上、必ずどこかで自分が壊れてしまうと悟っています。だから、そのために自分以外の誰かを必要としていた。自分が好き放題に暴走しても、個人至上を貫き周りに被害が生じても、万が一のために現れる唯一つの存在を」


 声は大きいけれど、シルドの声色は優しく、慈愛に満ちていた。


「それがミュウだ。ミュウ・コルケットという女性だ」

「ふぅん。で、だから何だというのかね? 仮にそうだとしても、この戦力差は埋まらないよ?」

「いいや、充分だ。もう充分に埋まる」


 納得がいかないとする鯨の表情を見て、シルドは少し考えたものの、もう一度“果たし状なる選名”を呼び戻した。そして電子板を鯨に向け、今の現状を見せた。だから何だ、とする鯨は見せられた電子板の今を見て……、固まる。目を大きくして、無言でただただ電子板を食い入るように見つめていた。その様子を眺めながら、“果たし状なる選名”を消したシルドは鯨と再び向かい合って、口を開いた。


「鯨よ。あの男は自分以外にはまるで興味がない。が、ただ一人の例外もまた、存在するのです。まぁ、本人は認めないんですけどね」



   * * *



 シェリナから見えていた光景は、実に面妖なものであった。

 剣の群れは、確かに相手の女性目がけて突撃した。それは確かである。ただし、ぶち当たる直前にグニャリと曲がった。「剣自体」ではない。「軌道」が曲がったのだ。

 つまり、シェリナから見れば、剣の群れが相手に当たる直前で、左にグニャッと方向を曲げ、そのまま決してミュウを傷つけないよう彼女を中心に大きく時計回りにグルリと回って、さらに天高く飛翔し、天井すれすれまで到達すると、徐々に落下してきて……。



 剣先を、王女へ向けた。



「ッ!?」


 咄嗟に、後方へ跳ぶ。

 何から何までわからないが、自身が放った剣たちが敵を貫く直前に反旗を翻し、天から降ってきた。

 つい先ほどまでシェリナがいた周囲には、降下した剣らが連続で何十本も突き刺さっていく。ガガガガガと、けたたましい音を響かせながら剣の後に剣が、また剣がと雨の如く刺さっていく。その様は王女にとって不気味以外の何ものでもなかった。自身の魔術が制御不能になるなど、未だかつてなかった。いや、制御不能というよりも、丸ごと剣たちを奪われたかのようだった。

 剣の群れは合わさり重なり、大きな山と化していく。

 剣山となった異様な姿を怪な目で凝視しながら、その向こう側にいるであろう相手へ向け、声を荒げて王女は叫んだ。


「貴様がやったのか!? ミュウ・コルケット!」


 しかし、王女の言葉は相手に届いていなかった。肝心のミュウ自身は、口を開けて一つの方向へ視線を向けていて。シェリナの声など、まるで届いていなかったからだ。

 ──ふわりと、その者は現れた。

 シェリナもまた気配に気づき、顔を上げる。雄々しくも威圧感を与える剣山の頂上へ、視線を向けた。

 剣の山は、実に無造作で無秩序な山であった。あちこちに剣が飛び出ていたり、衝撃で折れているのもある。今となっては山と表現すべきか、やや悩むものでもあるけれど確かにある。また、頂上には一本の剣が突き刺さっていて、輝かしくも鋭い光を放っていた。

 そして。

 その更に上へ。

 一人の男が立っており、こちらを見下ろしていた。


「よぉ」


 銀髪の男である。アズールの次期王となるであろう、あの男である。

 いつも通りの白い服を愛用しており、襟を立てて軽く着崩した格好で。その着崩しも彼の存在感を邪魔しない程度のものであり、嫌に似合って見えた。そして、それ以上に目についたのが、男が羽織っている「白銀の衣」である。雪のような、けれど光のような、不思議な輝きを放つ衣を背中に纏い、剣山の頂上に彼はいた。

 対し、クロネアの王女といえば。

 視界に敵を捉えながらも、混乱の極致にあった。

 何故、こいつが今ここにいる、と何度も自問し続けていた。おかしいのだ。絶対におかしいのだ。こいつはここにいてはおかしい理由があるのだ。クロネア側の残り五名のうち、四名は戦争が始まった瞬間にシェリナが唯一命令を出し動かしていた部隊である。「あのゴミ男を倒せ」と、命を下した四名である。

 なのに、何故、こいつはここにいるのだ。

 どうして……?

 

「“果たし状なる選名”!」


 言いたくなかったが、魔法など見たくもなかったが、そんな考えなど今は捨ておくべきだ。

 どうなっている。

 何がどうなっている。

 私が電子板を叩き斬ってから今までの間に、何が起きたというのだ!?


「まぁ、戦争は俺が仕掛けたもんだからな。こうなったのも俺の責任になるんだろうよ」


 シェリナが電子版が出現し、食い入るように見つめている様子など気にも留めずに、ちらりと後ろへ顔を向けたアズールの王子。その先には、一人の少女が血だらけで、ボロボロの姿があった。細い糸で何とか身体を起こしているかのような華奢で弱々しい体躯。もはや失神していてもおかしくない、いや、本来ならとうの昔に意識を失っているであろう外傷。……ただ、彼が見たのはそんなところではなく、たった一つの箇所だけである。

 頬。

 涙。

 ミュウの、泣き顔。


「だがそれでも、言うべき言葉があるのだろうな」


 後ろに向けていた視線を、前へ向き直す。それだけの行動であったのだが、ミュウには充分すぎるほどのものであって。痛みや苦しみはもう、彼女から消えていた。

 そんな二人に対し、シェリナ王女の方はもはや言葉など出ない状況下にあった。ありえない現実が連続で起こっているのもさることながら、その最たるものが、電子板として視界に映っているからである。

 第六極長『穿人』、ルェン・ジャスキリー。

 第七極長『牙人』、ウルフェイド・バミュータ。

 第十極長『聴人』、ポポル・プレナ。

 第十二極長『紙人』、ミカ・インシェルン。

 奴を討つよう命を出した部隊。彼らはクロネア側残り五名のうち、王女を除いた四名であったのだが、その全員が……。



 電子板から、消えていた。



「シェリナ・モントール・クローネリ」



 虫女ではなく名を言われる。電子板へ向けていたのを、そのまま剣山の頂へと変えた。

 銀髪にとって、ミュウの名が電子板から消えた瞬間、どのような決着がついたかは大体予想ができていた。追い詰められたミュウが“喰人鬼”を発動させたであろうこともわかっていた。そして、ミュウの性格上、負けた後もシェリナに声をかけることも想像できた。

 ただ、その時、王女がどのような対応をとるかまではわからず。普段と変わらない彼女ならば一蹴するであろうが、もし、自分を捨ててしまったならば……、敵に情けなどかけるわけがない。結果、現実は後者だった。


 戦争を起こしたのは彼だ。責任も彼にある。

 しかし、それでも、言うべき言葉があった。

 一人の男として言わねばならぬ言葉があった。

 

 場所は憲皇最上階。

 相対するは王子と王女。

 魔法と魔術。アズールとクロネア。

 見上げるシェリナの脳内で、ある伝承が木霊する。

 それは、シルドがクロネアへ向かう際、空船でルェン・ジャスキリーに教えてもらった伝承。コエン戦争でクロネアがアズールと戦った時に、初代アズール王の脅威を子孫らに伝えるため語られることになった言の葉。

 皮肉にも、その伝承と全く同じ状況が、今、現実のものとなっていた。それは────。



“銀なる髪を靡かせて、悠々たるは法魔の風格。

 西より飛来し星の者、白銀の衣を纏いたり。

 見下ろす瞳の奥底に、如何なる景が見えるのか。


 見上げる我らと見下ろす覇王。

 何処までも不変の笑みは揺るぎなく。

 ただただ奴は、笑い往く。


 それ即ち存在の業。

 法魔を携え意志を力に。

 森羅万象すら顧みず。 


 見縊みくびるなかれ。

 侮るなかれ。

 決して呑まれず奮い立て。


 未来の愛しき我らが子らよ。

 忘れるなかれ。

 奴の子孫はいつか必ず。

 そなたを天より見下ろしながら……。

 綽々として、笑うだろう。其が、覇王の名は”



「──俺の妻を泣かせた罪、万死に値する」



 ジン・フォン・ティック・アズール、推参。


 

 アズール側、残り三。

 クロネア側、残り一。



 選抜集団代理戦争、大詰めである。






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