リリィ・サランティス
魔法科。貴族科のすぐ横に位置し、アズールが最も力を注いでいる科。貴族科の在籍数は三学年合わせて二百ちょいに対し、魔法科は合計三千を超える。
尋常ではない数に加え、毎年受験する数も全受験科の中でトップを誇る。当然ながら実力もあり素質ある生徒が毎年アズールから旅立っている。
歴代二位。彼女の称号だ。魔法科の試験は筆記が一割で実技が九割。その実技、つまり魔法のセンスや魔力値や素質で合否が発表されるのだが、中でも歴代クラスは百年に一度出るか出ないとされている。
歴代一位はアズール建国と同時、魔法科を設立した初代魔法研究機関総長……ククル・ブラッティだ。そして歴代二位は、彼女の一番弟子とされていた、エハ・アフェート。裏三法の一つ、癒呪魔法の申し子とまで言われた天才である。
この二人は今や魔法大国アズールにおいて伝説とされている。二人が魔法科の礎を築いたと言っても過言ではないからだ。
その歴代二位の記録が、建国して約六百年たった今……塗り替えられた。一人の赤髪少女によって。
「ねぇ、どこに向かっているの? 立会の教師はもういないから、二人でこっそりやろうよ」
「戦いたくないと言っても無理矢理やるんでしょ?」
「当然だよ、善は急げと言うじゃない。でも夜はちょっと寒いね……うーん、微熱程度の温かい炎の毛布がほしいな。魔法名は可愛いのがいいし。“触り火猫”。うん、これだ」
指をパチンと鳴らし、彼女が目を瞑ると、周囲より火で作られた猫のイラスト付きの毛布が生まれた。
……まさかとは思うけど……。
「もしかして、今作ったとか言わないよね」
「え、そうだけど」
「詠唱は?」
「いらないよ。生まれてこの方したことない」
「自然魔法を全て?」
「そうだね、頭の中で思い描いたらできる感じ。例外はないかなー」
歴代二位。信じがたい話だと思っていたが、それは間違っていた。間違いなく彼女は歴代二位の称号に相応しい。数日のうちに彼女の名はこの国に轟くことになるのだ。
常識外れ?
違う、常識を消し炭にしている。
彼女は創作も可能なのだ。“触り火猫”を今作った。さらに詠唱をしたことがない。自然魔法全ての系統を、だ。頭の中で思い描いたらできる? 嘘だろ、ありえない。信じられない……!
一つの魔法を創作するのに、普通は三年を要する。
詠唱は必ず初学者には必要なもの。
本来、自然魔法は系統のうち一つか二つを上達させていく。
このどれもがアズールの常識となっている。けれど彼女には無意味であって……。やはり何度考えても別世界の住人だ。どれだけルカに愛されれば、こんな子が生まれるのか。
「ねぇ、さっきから歩いてばっかりだよ。どこに向かっているの?」
「着くまでのお楽しみってことで」
実際はどこにも向かってなどいない。適当に歩いて時間稼ぎをしているだけだ。ジン王子に連絡を取るべきかもしれないが、これ以上彼に迷惑もかけたくない。かといって策はなく、なんとかしようと外に出たはいいものの、今のところ良い案は浮かばなかった。
あのまま貴族科の寮にいれば、彼女が何をするかわからない。外出までは正解だとして、ここからどうするか。とりあえず、彼女の行動原理を尋ねよう。解決策を模索できるかもしれない。
「三年の首席ジャガー・ノヴァさんとも戦っていたけど、どうしてそこまで試合にこだわるの?」
「一言で言うと、征服したいからなんだよね」
征服……少し前に聞いた言葉だ。
また、ジャガー・ノヴァとも戦う前に、そのような会話をしていた。
『改めて聞くけど、本当にやるの? 貴方、試験で「歴代二位」の成績を叩き出したリリィ・サランティスでしょ? その結果だけで充分強さは認められていると思うのだけど』
『ただ魔法を出しただけで決まったあの試験に興味はないよ。貴方がこの学校の魔法科で一番強いと聞いたからさ。どのくらいの強さなのか知りたくて』
『知ってどうするの?』
『征服したいの』
どうにも、征服という言葉にリリィ・サランティスなりの思い入れがあるようだ。征服……武力や征伐をして相手を負かし服従させることを意味する。物騒な言葉であり、僕とは無縁なものだと思う。
「征服したい理由とか聞いてもいい?」
「細かい理由はないかなー。ただこの世全てを征服したい願望があってさ。私の力ならそれが可能でしょ? 自分が他人と違う力を持っているのは知っていたから、何もしないのは宝の持ち腐れかなって。以前はそれでも別にいいかなって思ってたんだけど『ちょっと色々あって』ね。自分に素直になることに決めたんだ」
「ということは、僕を倒したら次の征服先に行くってこと?」
「うん。ローゼ島にいる魔法科の教員を全員倒したい。それも終わったら王様のところへ向かおうと思ってる。アズール十四師団がいるんでしょ? この国の最高戦力。欲を言えば、頂きの『三傑』アズール代表も出てきてくれたら最高かな」
「……冗談だよね」
「私、嘘ついたことないんだぁ」
「死ぬよ」
「死なないよ、私強いし。まぁでも、仮に死んだとしたらそれまでの話。私が弱かっただけのこと」
絵空事をこの歳で聞くことになろうとは思ってもいなかった。彼女は本気でそう言っているのか。
自分の命を軽くみている。どうでもいいような、興味すらないような話し方だ。
まるで死に場所を求めているようで。
彼女の言っていることが本当なら、明日にでもリリィ・サランティスは魔法科の教員らに宣戦布告をするだろう。ローゼ島を揺るがす大事件になる。規模によるが、負傷者は出るだろうし、最悪死人も出るだろう。ここまで話を聞いても、とても赤髪の少女が本気で征服するとは思えなかった。七才ぐらいの子どもが野望を口にしている風にしか感じない。けれど……
「私は自然魔法に関して天才だと思ってる。謙遜なんていらないよ。事実をありのまま形にするだけ。そしてこの力を存分にふるいたい。相手を討ち倒してこその生き様を私は描きたい。より強く、より高みへ登りたい。ならやることは明白なのさ。征服だ。私の名は世界へ知れ渡る」
「魔法科にいれば年に数回の正式な試合とかあるはずだよ。それで武功を上げていけばいい。キミなら数年で世界中にその名が知れ渡るだろう」
「待ってられないよ。それにこの学校の雑魚を何人倒しても意味はないでしょ? 魔法科で一番強い人は残念だったし。時間の無駄だよ、もう生徒に興味はない。次にいく。最終的には王城へ。そう……ジン・フォン・ティック・アズールがいる場所へ」
無意識に。
僕の足が止まった。アハッ、と後ろから声が聞こえる。
……一呼吸おいて、振り返り彼女を見れば、目を細めて微笑んでいるリリィ・サランティス。
「さっき部屋で便箋が届いてたね。“琴吹き”ってやつでしょ? 差出人はジン・フォン・ティック・アズールだった。正直驚いたよ。さすが貴族、王族とも知り合いなんだって。ジン王子とも仲良くしている間柄なんでしょ? だったらキミを倒したらさ」
両手をパッと広げて。
「この国の王子もここへ来てくれるんじゃないかな。そしたら私、凄く嬉しい。だってそうでしょ? 彼も征服しちゃったらそれこそ──アズールそのものが敵になる。私が望んだものが……明日にでも形になる。阿鼻叫喚なる世界への幕が再び上がる」
「キミは死にたいのか」
「征服したいんだよ。どこまでも」
理解できない。狂っている。これ以上会話していたらこっちがおかしくなりそうな気さえする。誰一人彼女の考えを共感できる人はいない。
同時に、悲しくもあった。一体全体、何があればこのような思考になるのだろう。それこそ、地獄絵図な世界を経験しない限り、こうはならない。今しがた彼女は言った。──阿鼻叫喚なる世界への幕が「再び」上がる、と。初めてではないのだ。一度その世界を……目の当たりにしている。
もしかしたら、その日から壊れたのかもしれない。自分でもわかっていながら、けれど止めようのない感情の波。理性という名の防波堤は、既に決壊している。
「理解や共感なんかしなくていいよ。むしろ迷惑だから、虫酸が走るだけだから。意味不明だ、理解できないなんて凡人の言葉も……私にとって何の価値もない」
意志とは、時に残酷なほど強固なものとなる。溶けゆく氷山のように、少しずつ、けれど確実に露となっていく。言葉の重みや眼の燻りで、絶対的な本能の塊と化していく彼女の姿は、もはや否定しきれないほど確かなものとなった。
「……」
どうする。どうする僕。黙って彼女を連れて歩いているそこの匿名希望の田舎貴族、どうする。
まっこと信じがたいが、このままいけば彼女の未来がどうなるかわかってしまった。冗談だと笑ってすごしたいと死ぬほど思うけど、後ろの女の子は本気だそうだ。ならばどうなる、どういう結果にいきつく?
──死ぬ。殺される。
ごく当然のように殺されるだろう。裁判なんか面倒だ、即刻その場で殺されるだろう。どんなに実力があろうとも、国相手に一人でなんて、無謀もいいとこ笑いすら起きない。馬鹿野郎と一蹴できるほど必然で。考えるだけ無駄だと言い捨てられるほど事実な。そんなこと。
「へー、『魔力界場』なんて貴族科にもあるんだ。意外だよ」
「そうだね」
こんなの嘘だ、ありえない。現実に起こりえない出来事だ。
だが事実だ。頭のネジが飛びまくった女の子がいるのだ。
……わかってる、わかってる、わかってるよ。死ぬ、殺される。明日にでも、彼女の死は決まるだろう。
笑ってくれよ、何だよそれ。一体全体何だよそれ。何だってんだよ、おい。そんなの……
「ようやく試合してくれる気になったんだね。ありがとう」
「まぁ、とりあえずは中に入ろうか」
「うん!」
そんなの──




