化かし合い
「んで? あんたらの中で一番強いのは誰なのよ」
「決まっているじゃないか我妻よ。第一極長『魔人』、アニー・キトス・ウーヌだ」
「誰が我妻だハゲ」
イヴキュールの蹴りがナクトの腹部に命中する。
グッハァと悶絶するも、四秒で立ち上がって優しく笑い、早歩きで向かって来た。どうにもイヴキュールの攻撃だけは、魔術を発動させず生の身体で受け止めると決めたようだ。深い意味はなく、ただイヴキュールに対しての愛情表現である。相手側に理解は勿論されていない。
「淑女ならば暴力よりも慎みを持つべきだよ、愛妻よ」
「来んなって言ってんだろ」
「言葉遣いも華麗に着こなすべきであろうね」
「お前は服を着こなせよ全裸!」
二人の喧嘩を聞き流しながら、ユミリアーナは空を見上げていた。彼女らがいる場所は樹木がなく、夜空を万遍なく見ることができる。そんな中、アシュラン姉は華麗に光る星空の中で、チラチラと大きく光る空間を見続ける。モモが向かったであろう位置だ。
心配の念が増す。名家シャルロッティアの三女だとしても、相手はおそらく四剣が一剣。戦闘力で考えれば、あちら側が有利であろう。事実、妹と戯れている全裸にも、陣形魔法の頂点“さようなら”がなければ確実に負けていた。
「ヴェルートさん」
「ナクトで構わないよ我妻の姉よ」
無視する。
「クロネア代表者の中で、最強はアニーという子だと言ったけれど」
「うむ」
「では、現在出場している中では、誰が最強なのですか」
全裸の顔つきが変わる。微笑みを浮かべていた表情から一変、真剣な顔つきとなる。隣で全裸体操をしているフラワーに目をやり、互いに頷いた。そして空を見上げて、ユミリアーナが何を思って自分に問うたのか理解する。女性には優しくするのは紳士の誉れ。だからこそ、正直にナクトは言った。
「今、上空で戦っているであろう第四極長『妃人』、フレイヤ・クラメンヌだ」
「……そう」
イヴキュールもまた空を見上げる。
勝てないと思うと、戦況は一気に変わるものだ。自分もそうだった。でも、あの時は兄貴からの魔法があったから勝てた。モモは……きっとないだろう。自分しかいない、己しか支えてくれるものがない。孤独なる戦い。
「笑うのだ」
横に全裸がいた。
「心配な時、不安な時は笑うのだ。大丈夫だと、無理やりに」
「意味があるとは思えないけど……」
「あるとも。人間とは感情で大きく動く生き物だ。だから苦しい時こそ笑い、大丈夫と自らを騙し、前へ向かう。これこそが勝利への王道に他ならないよ」
「根性論じゃん」
「そうだね我妻よ。だが……気持ちは戦いの中で何よりも重要なのさ。それは我との戦いでも証明してくれただろう?」
自分が負けたことを平気でぶり返し、自ら言った。男であるならば中々できぬことなれど、ナクトは平然と言う。彼にとって、その程度はプライドに何ら障りない。本当のプライドを、第二極長はよく知っているから。
「全てわかった上で、アズールの代表者はあの場所へ向かったのだろう? ならばその覚悟は岩より固く、海より深い。きっと強いことだろう。勝つために必要な準備は、できているよ」
「仲間が負けるってことだよ、それ」
「構わんよ。フレイヤも四剣の一剣を担う者。負ける気はないはずさ。強い者が勝ち、弱い者が負ける。世界共通の認識だ。だからこそ、応援する者は……笑って信じてあげればいい」
えぇ、とユミリアーナが言葉を続ける。
きっと今頃、モモは必死に戦っているだろう。負ける可能性も充分にある。それでも己の威信に懸けて、譲れないのだ。ならば……。
「読み合いも、恋も、戦闘も。全部勝ちなさいモモちゃん。女が負けていい相手はね、──好きな男にだけって……古来から決まっているのよ」
頑張ってと、エールを送りながらシルドの姉は祈った。
* * *
「“矢郷の黄”・六百」
上空に黄色く光る球体が六百出現し、間髪いれず雹のように敵へ飛来した。
対し。
火花の髪が妖しく光る。フレイヤは軽く振りかぶると、向かってくる矢に対して宥めるように右腕を右から左へ切った。紅蓮の火が生まれ、布に近い形状へと変化する。夜空に流れる銀河のような、輝かしい炎布が女の魔物を瞬時に囲んだ。
黄と赤がぶつかり、衝突音が天空に響き渡る。ただ、響き渡る……だけであったともいえた。そこからの連携はなく、また反撃もない。ただの一方的な攻撃を、ただの一方的な防御で迎え撃つ。初撃にしては不十分と言えるものだった。
「……」
モモ・シャルロッティアはしゃべらない。心髄を見通す・見透かす相手ならば、まず絶対に禁じるべきは自らの発言であろう。どれだけ言葉の飾り物や服を着ようとも、敵は透視能力があるかのようにこちらの心意を見抜いてくる。
ならば精神と行動を統一化すればいいだけのことだ。
そして相手の『惑い言葉』に翻弄されないことだ。
「変わった魔法よね。ウフフ、魔法については何も知らないけれど、貴方の魔法が変わりものだということぐらいは理解できる」
『妃人』は『火人』でもある。
彼女が神然魔術の『火』を司るのは戦う前から予想できていたことであり、今更それに驚くことは、無意味この上ないもの。
モモは敵が魂の動きを見て心理状態を掌握してこようとする女として相対しているが、出来れば不確定要素をもう少し引きずり出したいとも考えていた。
先の初撃を不十分にしたのも、相手側から何か出てくることを期待していたからだ。しかし……。
「期待していたものは、見れたかしら?」
こちらが策を巡らし、少しでもそれを期待してしまったなら……相手に見透かされる。
厄介極まりない相手である。心なんてものは不安や期待、焦りに苦悩など複雑に変化するものだ。戦闘をしていればなおのこと変化するものではなかろうか。
そんな状態を無条件でギョロギョロ見られるとなれば心底嫌がるのは自然なことだ。やはり改めて、相手の能力には嫌悪感を覚えた。
同時、フレイヤが薄く笑う。
今、モモが感じた敵に対する嫌な気持ちも、間違いなく魂が証明してしまった。見通されたのだろう。何もかも。
「抱かれなさい」
次は、あちらの番というように。
炎布がフレイヤの周囲に四つ生まれ、桃髪の貴女を目がけて獣のように襲いかかった。
すぐさま絨毯を急上昇後、軽く後ろへ下がらせる。真上から見れば布は生き物のようにグニャグニャと蠢きながら追ってくる。あまり見たいものではない。
「“束縛の紫”」
紫で染められた縄と鎖が多数出現。縄と言っても本物のそれではなく、魔力体で作られたものだ。火で燃えることはない。ジャラジャラと涎を音で表現するように、モモの周りでしばし動いて……迫りくる炎布を迎撃した。
荒れ狂う紫と赤。
まるで共食いする蛇のように、空中で複雑に絡みながら激しく交差する。ただの炎と縄鎖であるのに、思わず見はまってしまう光景であった。
「ッ!」
魔法と魔術の激突を『二秒』見てしまったモモは、我に返るや瞬時に左を見た。
何故、左を見たか。
予感がしたからだ。
何かが──来ると。
「遅いわ」
相手の姿を見た時。
さすがのモモ・シャルロッティアも驚きを禁じ得なかった。
モモにとっては“それ”を見るまでに、どれだけ魔法の手の内を見せずに戦うかが重要であったのだ。ゆえに、まさか、敵が“真の姿”をこうも早く見せるとは……彼女の想定を超えていた。
事実、フレイヤも見せる予定はなかった。
そう簡単に見せていい姿でもない。
だが、つい先ほど見事にやられた──『妻よ』という完璧なまでの読み負けを、少しでも埋め合わせしたいという思いもまた、彼女にあった。
だから見せた。
魅せた。
モモ・シャルロッティアが敵の姿を見て、魅せられて、思考がほんの一瞬でも止まってしまう隙を生じさせるため、そして隙が生まれれば確実に仕留めるため……第四極長『妃人』は、己の姿を解放した。
ひ。
『妃人』は『火人』にして『卑人』であり『緋人』でもあった。
王妃のように美しく。
火を優雅に司り。
時に卑屈な物言いを告げ。
そして……、緋色なる姿を身に宿す。
鳳凰という伝説の獣がいる。幻ですらあろうか。とにかく神話上の鳥がいた。シルディッド・アシュランの前世における話であるが、おかしいかな、世界が変わっても同じような神話は存在し、同じとしか思えない幻獣も存在した。
この世界では、クラメンヌという。やや黄色がかった鮮やかな赤色……緋色を全身に纏う、神々しく光り輝く美しき……大鳥。
「散りなさい」
不死鳥ともいうべき、全身から迸る炎を携えて。
巨大な鳥の嘴が、モモの視界いっぱいに映り込んだ。それほどの距離にして、もはや避けようもないほどの位置関係。一極に定められた敵の嘴からは、見た者の全身を硬直させてしまうほどの畏怖を感じさせる。至近距離で見てしまったならば……感じた度合いは、さらに増幅されたであろう。
恐怖が、目の前にある。
迫る。
来る。
動けない。動かない。だが、口は開いた。
「“絶壁の黒”」
モモと嘴のギリギリ中間に、黒き壁が出現した。口が開き、魔法が発動したことで、意識が激動し、全身の硬直が解けてゆく。ピクン、と震えにも似た感覚で右手が動いた。呑み込まれそうになった敵の悪感たる威圧に、あと一歩のところまで追い込まれるも、モモの身体は屈することを拒否し……反撃した。
戦えと、言っている気がした。
桃髪の貴女は考える時間などゼロの状態で右手を大きく前へ突き出し、同時に“絨布の紺”を消して──叫んだ!
「“妁撃の赤”!」
相手に叩き込むのではなく、眼前にある自らが作り出した黒壁に向かってぶち込んだ。それも壁の上部分にである。
紺色の絨毯が消え、彼女を空中で支えてくれる存在はおらず、あとはただ落ちるだけ。しかし単純な落ちる速度では、敵の攻撃からは決して逃れられないであろう圧を肌身で感じ取った。
“絶壁の黒”では防げない。確実に壊され自分も嘴の餌食となる。やるべきは絶対回避。
そしてこの逼迫した今を打破できる策は……これしかないと『考えと行動』が一緒に起こったのだった。
両者からの強烈な一撃により、当然ながら板挟みとなった“絶壁の黒”は崩壊。
嘴により突撃したフレイヤからしてみれば、確実に仕留めたと思った瞬間、目の前に黒い壁が生まれた。もはや勢いを殺すことなどできず、また自らの力の自信もあって、壁ごと壊してやろうと突っ込んだが……、いたはずの敵がいなかった。
眼球を下へと向ける。
面白いことに、相手のお嬢さんは生きていた。それも結構な距離を移動して。終わらせるつもりであった攻撃を交わされたことに喜びを感じる。えぇ、えぇ、素敵なことねと相手を心の中で賞賛し、直後に魂を見る。一秒ごとに、上下に高速で揺れ動いていた。緊張が異常に強くなった際にみられる魂の動きだ。
「才女ね」
見た目からして戦闘慣れはしていないだろう。貴族女性の魔法師であるため身体の弱さは折り紙つきだ。
だからこそ賞賛に値する。先の状況、とてもじゃないが動けないものだ。恐怖に立ち竦むものである。目の前に炎を纏う巨大な緋鳥が現れたのだ。しかも大きな嘴を真ん前に突きつけて。
……当たってたら死んでたかも。今にして気づき、苦笑する。
天才肌というものか。それとも想い人が懸かった戦いであるがゆえか。中々どうして面白い。恋のライバルとして申し分ないほどの相手であろう。愛しいおもちゃを見つけた感覚であった。
「じゃあ、次は」
フレイヤの声はそこで止まった。敵の魂に動きがあったためだ。それも、理解できない動き。つい先まで緊迫の心髄であったのに、今や全く違うものとなっていた。常に一定の輝きを放つ魂のそれが、中心部分のみ一度だけパッと光る現象。
何かを『思い出した』時に生じる動き。
しかし、もし何かを思い出したなら、中心部で光る現象が数回続くはずであった。現象が続く限り思い出していることになるのだが、桃髪の魂が光ったのは、一回だけ。さらに直後、ぼんやりとした薄暗い光となる。『後悔』を意味する動きである。
「……?」
思い出すことはよくあることだ。思い出した際はしばし回想に浸るのも同じ。戦闘中であれ、数秒は浸るものである。しかし、一瞬だけ思い出し、かつ瞬時に回想が終了することは稀である。もっと解せぬのは直後に起こった後悔の動き。
この二つ、何かしらの繋がりがあるように感じるも意図がわからない。が、このまま敵側の出方をみるのはマズいと直感した。理由は明白で、敵の女性が……二つの動きの後に……ゆったりと笑ったからだ。
何か来る。
「ッ!?」
動こうとするも、遅かった。
フレイヤ・クラメンヌは上からの“壁”に叩きつけられた。そう感じたのも無理はなく、彼女にとってはまるで予想外の出来事なれど、現実は確かだ。身体全体を強烈な痛みが襲った。意味がわからず顔を上空へ向け、正体を視認する。
黄色の球体。
“矢郷の黄”だった。それも、びっしりと埋め尽くされた壁と見間違うほどの物量である!
しかし、これほどの量ならば気づかないはずがない。光るのなら尚更だ。如何にして今まで隠し通してきたのか、フレイヤには皆目見当がつかなかった。加えて──
「ン、グァ……!」
動けない。でたらめな量である黄色き矢は、激痛を伴わせて火鳥に襲い掛かる。食らい続けながらも終始考えるのは、摩訶不思議な現象の答えだ。何故、敵の貴族はあのような魂の動きをしたのか。何故、この矢は今まで自分にバレなかったのか。そして何故、今まで天空に隠してきたならば、罠をかけているという『欺瞞』の動きが魂になかったのか。
謎は簡単である。
ただ、それを見事成功させたのはモモ・シャルロッティアならではといえよう。
まず、予め用意しておいた“矢郷の黄”・五千を上空に待機させる。そして相手に攻撃を与えることはできないが如何なる攻撃も効かない絶対存在の霧“困窮の緑”を発動させ、夜空に上手く紛れ込ませた。しかし、このままではフレイヤに心髄を見抜かれ策がバレる可能性がある。
だからモモはこれを捨てた。
つまり、上空の矢を攻撃の一手として完全に度外視したのだ。最初からなかったものとして考えた。仮にあると思っても敵が二名以上になった場合のみ発動し、その隙に森へ逃げるための保険とした。
堅実に上空の矢の使用目的を決定し、それ以外では一切使い道がないと戒め、敵が一名である以上『どうでもいい存在』として自分の魔法を放置したのだ。結果、フレイヤと戦っている際、あったことすら忘れていた。
一見、何とか出来そうでもあるが極めて難しい。
攻撃の手はあるに越したことはなく、作戦を考える上でも重要なことだ。さらに奇襲としても使える矢を、完全に頭の中から消すことは……難業と言わざるを得ない。そもそも頭から切り離すことなどできようか。
しかし、モモはやり遂げた。
やり遂げるしか敵には勝てないと確信していた。
だから、実際に彼女は天空の矢を降らせる直前まで存在をさっぱりと忘れていた。思い出したのは、敵を下から見上げた際──。
『あぁ、そういえばあったわね』
と、思い出し、しかし。
『忘れてたら意味ないじゃないの……』
と、後悔したのだ。そして敵に悟られる前に速攻で矢に命令したのだった。
モモは笑った。
再度出した絨毯を急上昇させ、矢の壁で動けない鳥の腹部分に手を置いて。
「自分を騙すって、本当に難しいわね」
“灼撃の赤”を全力でぶつけた。
勝ちの目を出したと悟った。
瞬間。
鳥の身体が火となって、空に散った。
「…………え」
読み合いとは、逆説的に化かし合いともいえる。
相手の心を読み、先に手を打ち、反撃の妙手を滑り込ませ、機会を伺い、相手が乗ってきたと思ったら落ち着いて対応し、決定打の一撃を深く刺して、勝つ。
けれど、時として演技をし、騙し、こちらのペースに引きずり込ませる場合もある。どれだけ相手の心理状態と先読みを出来るかが鍵である。
その際、演技力は相手を騙す際に最も要求される力だ。
心理戦で何より恐ろしいことは、『自分が勝った』と思った瞬間にある。本当に勝ったのかどうか、結果をみらねばわからないが、ほぼ勝ったと思った際……本当は敵側がほくそ笑んでいる場合も、充分にあるのだ。
モモは視界の先に女を見た。
人型になり、自分を見ている女を見た。
ニンマリと、これ以上ないほどの笑みを浮かべた……敵を見た。自分の周囲に散った炎は、消えることはなく羽の形へと変化する。何十、何百、何千となって、全方位よりモモを標的にし囲む悪魔の武器となる。逃げられない。避けられない。
意識の世界。
瞬間の世界。
狭間の世界で、モモの心が目まぐるしく激動している中、確かに彼女は聞いたのだった。
透き通るような声色を惜しげもなく口から吐いた──、敵の言葉を。
「彼のこと、嫌い?」
鼓動が、鳴いた。
実に女らしい言葉である。これほど奥底に意味を隠した文言も珍しい。好き、ではなく嫌いと聞いた。いや、聞いたのではなく諭したのだ。
嫌いなわけがない。当然尋ねられた問いに否と答える。が、全方位より迫る火羽の攻撃を全身で食らえば、モモは戦闘を継続することができなくなる。となれば、先の質問の答えを言えなくなる。否と言えない、それは曲解すれば、肯定となる。
嫌いになれと言われたのだ。
諦めろと言われたのだ。
敵に、恋敵に、勝利宣言を口にされたのだ!
「駆けなさい!」
紺の絨毯が、かつてないほどの速度でフレイヤの下へ飛んだ。羽はどの方角からも彼女を狙うも、あのまま留まれば堕ちるのは確実。どちらにしてもモモができる方法は進む他なかったのである。行く、行く。視界いっぱいに炎の羽が迫ってくる。だが行く。行く以外にないのだ。
「“矢郷の黄”!」
羽に対し矢で応戦。しかし全て防ぐことは叶わず羽が彼女を襲った。絹のような美しい柔肌に、羽が刺さる。食い込む。ザリィッと嫌な音が聞こえ歯を噛みながら痛みに耐えて、絨毯にしがみつく。
フレイヤの目には、モモの魂が濁りのない澄んだ光となって映し出された。『決意』の動きである。
そうでしょうね、と魔物は思う。これが最後の攻撃になる。おそらく爆発的な攻撃を加える赤い一撃を食らわせる魂胆だろう。そこまで読んで、やはり笑った。勝利を確信したからだ。こちらへ向かってくる貴女の後ろには……怨霊が如き猛威で迫る、火羽があるのだから。
敵の速度は速いかもしれないが、フレイヤからしてみれば遅い。火羽には劣る。だから……終わり。
そして。
モモ・シャルロッティアは火羽に呑まれた。
* * *
森を駆けるは一人の男。アズール側の出場者にして、唯一のクロネア人。
ルーゼン・バッハである。
戦争開始早々、彼は、北西から攻め寄せてくる敵に対し、全くの方向違いである真南へと疾走した。そして一定の距離にまで進むとグルリと西回りに方向転換し、かなりの大回りを経て……憲皇の後ろ側へと回り込んだのである。
時間にして戦争の前半戦を丸々使うことになってしまったが、これにより誰とも遭遇することなく移動できた。鏡を使わなかったのも敵側の魔術師に気取られぬよう配慮したためだ。
魔術師の中には魔術を発動しただけで位置を特定してくる者がいる。幸い、此度の戦争ではその魔術を扱える者はいなかったが、極長全員の魔術を知らないルーゼンにとっては念には念を入れた形であった。
あと少しで塔に到着する。
そこには彼の────
「ルーゼン・バッハ殿とお見受けする」
視線のずっと先に、影が生まれた。
のっそりと現れた影は、道を塞ぐように立っていて。
しかも影は一人ではなく。
二人。
「……」
全身を黒服で纏った男は、速度を上げた。普通なら敵が現れ、しかも二人となれば落とすものだ。
が、彼は迷わず上げた。
行動で己の意思を示したのだ。
敵が二人がかりで来ようとも、まるで相手にならないと。
「第八極長『爆人』、ジオン・エスプリカ」
「第九極長『音人』、ラグノ・セルン」
「「御首、頂戴仕る」」
「──是非に及ばず」
新たな戦場が生まれるも、着々と、戦争は決着へと加速する。