古代魔法
つい先ほど、彼は去っていったはずだが……。
音もなく横にいて、僕に笑顔で、しかしどす黒い瞳を向けていて。エメラルド色の瞳であるのに、吸い込まれそうなほど深い。
本性はこっちの方か。どうりで変に近づいてきたわけだ。こちらの油断を誘い、核心の言葉を深く突き刺す。事実、動揺している自分がいる。ふぅと息を吐く。落ち着け。こういう手合いは臆したら負けだ。
「いきなり何ですか、ジン王子」
「敬語禁止」
「……用事は済んだと思うんだけど、違ったのかな」
「話を変える時、雰囲気って大事じゃん? 俺なりの配慮さ」
「……古代魔法と聞こえたけど、気のせいだよね」
「ヒヒッ、自分に聞けばいいだろう?」
罠だ。古代魔法は、遥か昔に存在したけれど失われたとされる夢・幻の魔法である。信じる方が頭おかしいと馬鹿にされる魔法だ。誰にも古代魔法について言ったことはないので、どこかで僕に対する情報が漏れることもない。
つまり、彼が僕の魔法を知ることができる方法はないのだ。別の目的があってあえて古代魔法の名を出したに過ぎない。
「わからないな。僕はただの田舎者だよ。魔法の才能もない普通の男さ」
「“干し乾き”は見事だったぞ」
「……」
あぁ、なるほど。どうやら僕のミスらしい。
リリィ・サランティスとジャガー・ノヴァの試合の際、“干し乾き”を発動した時か……。彼もあの時、試合を見ていたのか。失敗した、よりによってこの男に見られていたとは。
しかし、まだ問題ない。全く焦る必要はない。“干し乾き”から古代魔法に繋がることはないからだ。冷静に落ち着いて。
「運が良かったんだ。たまたま“干し乾き”を習得していたからさ」
ジン王子が微笑む。
ドス黒い笑み。
「あれはお前の魔法じゃねぇだろ」
鼓動が、跳ね上がる。
……。
心臓の音が耳にまで届く。
「意味が、よく」
「お前が発動した魔法であるのに『違う何かが間に入っている』感じだった。お前の魔力も“干し乾き”から感じたが、極微量に別のものも一緒に感じた。普通じゃ考えられんことだ。上手く言えないが……『発動した魔法そのものが、全く別の魔法を発動した』という感覚に近いな。左手に持っていた本が原因だろう?」
……冷や汗が背中を伝うのを感じる。あの状況で、しかも初見でそこまで看破してきたというのか。末恐ろしい洞察力と観察力。ここまで知られるとは思っていなかった。
あの喧騒の中、僕の魔力と魔法の本から出る僅かな魔力を感じ取ったのか。人間業とは思えない。彼の言うことが本当なら魔法に関しての誤魔化しが一切効かないことになる。どうする……!
「古代魔法なんてのはおとぎ話の類だわな。普通ならその魔法の本は創造魔法で生まれたものだと思うだろう。しかし『魔法自体が独立して別の魔法を生み出す』なんてのは聞いたことがない。自然、陣形、創造、付属、癒呪、継承の六つではありえない。となれば、自ずと一つとなる。古代しかなくなる。ただの消去法だ。だからよ、見せてもらえないか。左手に出現させていた……魔法の本をよ。正直な話、興味はそれなのさ」
どうしようも……ないか。このまま逃げ切れるとも思えない。本まで見られていた上、本独自の魔力すら感知されているのなら、隠し通せるものではないか。それに相手は王族だ。ここで無駄に時間を浪費しても勝てる相手ではないだろう。
一呼吸し、自分の左手を仰向けにして、かの古代魔法の名を呼ぶ。
「“ビブリオテカ ── 一期一会の法魔”」
現れるは一冊の本。古代の魔法。鮮やかな魔の粒子を纏わせながら、パラパラと小気味よい音を出して綺麗に捲れていく。
ジン王子はその本を目を大きくして黙って見ていた。そして顎に手を当てて、しばし考えている。やがて僕の目を真っ直ぐ見ながら口を開いて。
「お前……は失礼か。シルディッド」
「シルドでいいよ」
「おぅ。シルドの魔力で“ビブリオテカ”を発動する。そして“ビブリオテカ”自体が魔法を発動する仕組みだな」
「うん。正確には、習得した魔法を“ビブリオテカ”を介して発動する。“ビブリオテカ”そのものが単独で別の魔法を発動することはないよ」
「習得する条件としては……、それを記した魔法書を読まなければならない」
「正解。追加するなら、一度使えば二度と使えない」
「ほぅ。……シルドが死ぬまでか?」
「そうだね」
古代魔法“ビブリオテカ ── 一期一会の法魔”。
言葉の意味通り一期一会の魔法だ。一つの魔法を一回しか使えない。一度使ってしまえば、もう二度とその魔法を発動することはできなくなる。例え下級魔法であっても、生涯自分の手によって発動することは叶わなくなる。
だが同時に、どんな魔法でも……この世に存在している魔法ならば、いかなる魔法でも一回限りなら発動することが可能だ。もちろん、条件はある。単純なんだけど、やや面倒な。それが、魔法書を読み内容を理解することだ。
「質問。“ビブリオテカ”を発動せずに、何もない状態でシルドが別の魔法を発動したらどうなる?」
「それも一回きりだ。古代魔法と契約した以上、この制約には一生縛られる」
「中々に面倒だな。しかも狂った魔法だ。魔法書を読めば発動できるとなれば──特級魔法をいくらでも自分のものにできるのか。いつ、これと出会ったんだ?」
「一年前」
「そうか。なるほどな。珍妙な魔法もあるもんだ」
……さて、かなり困ったことになった。
まさか入学初日にアズールの次期王様に古代魔法を知られてしまうとは。一応、奥の手はある。相手の記憶を消す魔法“忘却の彼方”だ。禁術に該当するも、癒呪魔法の一つとして習得している。だから彼に“忘却の彼方”を発動すれば、何事もなくこの状況を切り抜けられる。
しかし、人道的に……どうなのか。自分の安全を確保するため禁術まで使い状況を乗り切ることは愚かだと思う。仮にここで上手くいったとしても、この王子のことだ。きっと何かしらのキッカケを機に僕の前へ現れるだろう。
また、彼には助けてもらっている点もある。やり方は乱暴だったとしても、グヴォング家から僕を守ってくれたとも言えるからだ。
けれど、このままいけば魔法研究機関に古代魔法のことを知らされると思う。何せおとぎ話の魔法だ。いざ実在とするとわかれば、連中は僕のことを何が何でも「捕獲」しに来るだろう。
そんなことになればアズール図書館の司書はおろか、故郷の両親にも迷惑をかけ、さらにいえば研究施設から出ることすら叶わなくなる。この状況を打開するには、ジン王子との交渉が不可欠だ。
彼の逆鱗に触れず、上手く立ち回らなければならない。いつかは直面するものだったと自分に言い聞かせ、口を開く。
「“ビブリオテカ”についてだけど」
「あぁ、死んでも誰にも言わんから安心しろ。あと、外部に漏れそうになったらもみ消してやるから」
「……え?」
想定外の言葉に思わず固まる。
いや、待て。どうしてそうなる。彼は古代魔法について知りたかったのではないのか。
「……みたいな顔してんな。確かに古代魔法については知りたかったが、もう教えてもらったから満足だ。このことを魔法研究機関にチクるなんてことはしねぇよ。チクってどうすんだ、お前と会えなくなるだろ。あいつら魔法探求に関しては一切容赦しねぇぞ」
「それは、そうだけど」
「さっきも言ったはずだ。シルディッド・アシュラン……他の貴族とお前は違う。面白そうな奴だと。夢のために古代魔法まで引っ提げてここへ来たんだろ? 普通は古代魔法なんて超弩級のもん手に入れたら世界最強とか国家転覆みたいなデカいことするんだがよ、アズール図書館の司書になるためってのが最高に狂ってて好きだわ」
「……」
「司書だぜ? 古代魔法を手に入れた先が本の仕事だぜ? 最高じゃん。そんな面白人間を誰が魔法研究機関なんぞに渡すかよ。もっと楽しもうぜ、己のためによ。そうだろ?」
のべつ幕なしに銀髪の王子は語った。
とても楽しそうに、ジン・フォン・ティック・アズールは笑顔のまま口を動かす。こういう人間もいるんだなと思った。
また、彼の言う通り冷静に考えたら、古代魔法の使い手として司書を目指しているのは確かに斜め上の発想なのかもしれない。しかし、それでも僕はこの道を行きたい。自分が信じる夢を掴み取りたい。
「それこそ、俺が求めてきた男なんだよシルド。人間って奴はな、まず自分を第一に考えるべきだ。他人なんでどうでもいいんだ。あんなの風景だ、そこら辺の木々と一緒さ。『他人を幸せにしてこそ、自分の幸せを見つけられる』なんて言う女がいるが、絶対に間違っている。『自分が幸せになってこそ、他人の幸せの手伝いに余裕ができる』が正しいんだ。それこそ、人間に最も必要なことなんだよ」
よくもまぁそんなに語れるもんだと感心する。同時に、彼の言わんとしている事がわかった。
あぁ、この人は「個人至上主義者」なのだ。
自分のことをまず第一に考え、自分以外のことは二の次とする。普通の人間なら当たり前のことだが、これはその自分第一を極限に強化した考えといったところだろう。
仮に彼の目の前にパンがあったとして、他にも周りに二人いるとする。三人とも空腹だった場合、どうするか。なお、数十分後には救援が来る予定となっている。
この問題の際、ジン王子は迷いなく自分だけが食べるという選択をするだろう。他人なんてどうでもいい。まず第一に自分。数十分後に救援が来るとわかっていても、他の二人を励ます意味で分けるなんてことはしない。
自分が幸福になってから、初めて、他の人間の幸福に目を向ける。そういう考えなのだ。そしてそれをやってこそ、人間といえる存在なのだと。
そして僕に対してもその考えは適用される。貴族なのにアズール図書館の司書という風変わりな夢に向かって一心に走る僕の姿は、さぞや彼の目に「面白く」映っていたことだろう。
「お前は正しいぜ、シルド。一度きりの人生だ。自分のやりたいことを最優先にすべきだよな。だから俺はお前を応援する。負けんな、己が求めるものを掴み取れ」
「凄く良いこと言っている風だけど、超我儘ってだけだよね」
「そうとも言えるな。しかしだ、シルド」
銀髪をユラユラ揺らしながら、かの王子はしたり顔で笑う。
「──我儘は悪じゃないさ」
「……」
「俺はお前と出会えた。それが今日一番の喜びだ。己が欲のため、楽しんでいこうぜ」
※ ※ ※
それから滞りなく一日は過ぎ、時刻は夜になる。
貴族科の寮にある自分の部屋でくつろぎながら、改めて今日を振り返ると波乱の一日であった。王子様とお友達(?)になりましたなんて、うちの両親は信じるだろうか。
一応手紙を書いておこう。きっと驚く。そう思い机に向かい紙とペンを取り出した。今日あった一日を回想しながら、去っていく際にジン王子が最後に言った言葉を思い出す。
『あぁそれとな、シルドの魔と“ビブリオテカ”の魔の違いに気づけたのは俺だからできたことだ。種明かしをすれば俺の「継承魔法」はルカを全て把握できるのよ。ゆえに超微量なルカでも感じ取ることができた。つまり、他の者にはまずできん芸当だから安心しろ。ただ、極稀にいる「ルカに愛された者」なら話は別だが、早々いるもんじゃない。むしろ俺が会いたいぐらいだ』
“ビブリオテカ”のことがバレてしまった時はこの世の終わりかと思ったけれど、雨降って地固まるとはこのことか。ジン王子の行動力は並外れており、寮に帰るとグヴォング家の連中から謝罪された。
今後一切、マリー先生と僕には関わらないと誓われた。おそらく、何かしらの圧力をかけられたのだろう。明らかに恐怖の色が顔に出ていた。なので、今度あの王子に会ったらそれを止めるよう言わなくては。
ジン王子なりに僕やマリー先生を守ろうとしていると思う。やり方はアレだが、気持ちはありがたかった。
「……よし、こんなもんかな」
今日あった内容を簡単に記して、早速手紙に封をする。魔法で送る方法もあるけれど、空船を渡り郵便として送る方が僕は好きだった。
時間をかけて届くことに、少しワクワク感があるような気がして。きっと驚くはずだ。妹と姉は他国に留学しているので、教えてやれないのが悔やまれる。特に妹はきっと悔しがるだろう。
「ようやく、ここまで来たなぁ」
そうだ。やっと僕は王都へ来たのだ。理由はもちろん夢を叶えるために。
左手を見て、魔法の本を出す。ルカの粒子を薄く輝かせながら、パラパラと捲れていく。この魔法と前世との邂逅がなければ僕はここまで来なかった。決心がつかなかった。
感謝しかない。だからこそ、行動しなけらばならないだろう。僕がやるべきことは、一つだけなのだ。
「よし。明日の夕方は休みだから、早速アズール図書館へ行こう!」
丁寧に折りたたまれた便箋が眼前に出現した。
「……え?」
【ジン・フォン・ティック・アズール様から、シルディッド・アシュラン様に伝言がございます】
便箋は解かれ、中から一枚の紙が露わとなる。
その紙には……文字が書かれていた。“琴吹き”と呼ばれる創造と陣形の複合魔法で、相手側に便箋を一瞬で送ることが可能な魔法である。ジン王子が僕の部屋を既に知っていることに些かの恐怖もあったけれど、それ以上に脳裏をよぎったのは……このタイミングだ。
既にジン王子は僕に対し、言いたいことを十全に述べた。仮にまだ言いたいことがあったとしても、明日で充分なはず。それをせずに、わざわざ“琴吹き”で送ったということは──
「見つけた」
窓が開かれる。僕のいる部屋は最上階の五階(成績優秀者の特典)で、窓から見える景色は最高だった。高さは約十五メートルで、落ちれば難なく死ぬだろう。そんな身分不相応な部屋の外に、一人の少女が立っていた。空中で、颯爽とこちらを見つめていた。
「その本を発動してくれてありがとう。昼頃にも感じたんだけど、何故か特定できなくてさ。何かしらの妨害系魔法があったと思うんだけど」
この時、ようやく僕はジン王子が『邪魔が入っちゃ興ざめだ。俺らの所へ外部の人間は来れなくした。心配すんな、俺の魔法だからよ』と言っていた言葉の意味を理解した。あれは単に人が来れないようにしていただけでなく、別の意味もあったのだと。
「あの魔法……“干し乾き”……だったっけ? 変な名前だね。まぁいいや。発動した魔法師を探しててさ、一日かけてようやく見つけることができたよ。よかったぁ」
空中に浮いている便箋が紐解かれる。
王子から僕への、伝言が開封される。
そして眼前の少女は、そんなことお構いなしというふうに。
「ねぇ、早速で悪いんだけどさ」
ニッコリと微笑んで──
「キミ強いよね? 三年の首席よりもずっと。ちょっと試合しようよ、征服したいんだ」
意味不明な脅迫をしてきた。
チラリと横目で、便箋を見る。
【すまん、忘れてた。「ルカに愛された者」が一人いて、リリィ・サランティスだな。明日俺が対策考えておくから、外で“ビブリオテカ”は使うなよ。勘だが、あいつは常識外れのルカへの嗅覚があると思うんで、発動したら居場所がバレる可能性あるぞ。さっさと寝ろよ】
ありがとう、ジン・フォン・ティック・アズール様。
今日が命日だ。