歴代
数分前。
リリィ・サランティスが第十三極長『梟人』マヨネーズ・カタクリコを倒し、それぞれの出場者に彼が退場したことを知らせる電子版が出現していた頃……魔法の館を出る蒼髪の青年がいた。
シルディッド・アシュランである。
古代魔法“ビブリオテカ ── 一期一会の法魔”を左手に添えて、彼は憲皇がある場所の反対方向へ歩を進める。もどかしい気持ちを隠し切れないのか、数歩歩いて後ろを振り返った。館の向こう側で繰り広げられているであろう戦いを前に、参加できない自分を悔やむ。火の波が寂しく彼を照らしていて。
ややあって、左手に光る本を見た。
古代魔法。これを手に入れたあの日、シルドは夢を叶えるため覚悟を決めた。
自分が何をしにここへ来たのか……改めて思い出す。苦笑し、前を向き、再び歩き出して、館を支える巨大な岩石の端へと到着した。
「“草の旅人”」
眼下の森から、何百枚もの草の葉が風に乗って彼の下へ集まってきた。それらはシルドの前にくると姿形を変え、巨大な絨毯に変わる。中級・自然魔法“草の旅人”。草を使役できる魔法であり、姿も自由に変更できる。空を飛んでいく場合、彼は想い人がよく使う絨毯をイメージした。
次いで特級・陣形魔法“不死人”を発動する。これにより足音、呼吸音、絨毯の移動する際に生じる音といった、一切の『音』に関わる事象を消した。さらに背景と同化しているよう相手側に錯覚させる中級・癒呪魔法“染色”を用い、隠密移動として可能な限りの魔法を発動する。
ふぅ、と息を吐いて。思い出すことがある。
日付が変わったと同時に、ジンが皆の前でシルドへ投げた言葉があった。
『第二試練に合格して帰ってきた際、普通に言うんじゃ面白くねーよな。普段“シルドが絶対にやらない行動”をしてくれや。そっちの方が、一発でわかるし面白そうだろ?』
何が「面白そうだろ?」だ。内心で毒つきながらも、不思議と笑みがこぼれる。
もう既に、ジンはシルドが第二試練に合格するのが当たり前のような口ぶりだった。不合格を引っ提げて帰ってくるなんて、露とも考えていない物言いだった。
実に彼らしく一方的で、我儘で……ありがたい言葉だと、蒼髪の青年は思わずにいられない。さらにその言葉を聞いた皆も口々に「楽しみだなぁ」「頑張って」「失敗したら罰ね」と嬉しそうに言っていた。数分前の光景を思い出しながら空を見上げ、口を閉じ──視線をある図書館へ向ける。
クロネア永年図書館。“不死なる図書”。
第二試練、最初にして最後の舞台。
彼はいく……。自分の夢を、叶えるために。
時間は戻り、戦争が始まって十五分が経過した。
退場者は互いに一名ずつ。
数でいうなら十三対九であり、アズールの劣勢は変わらぬままだ。その中で、魔法の館から森の中へ入り、ある場所へ駆ける二人の姿があった。二人とも茶髪ながら、一人は針金のような長髪をした女性と、ニット帽を深々と被った女性。どちらもアシュランという姓を持つ魔法師である。二人で森林を走りながら、陣形魔法の使い手であるイヴキュール・アシュランが口を開いた。
「姉ちゃん」
「何?」
「リュネさん、大丈夫かな」
「相手によるでしょう」
「上空で何かあったってことだよね?」
「えぇ。そう判断して間違いないわ」
「いいの?」
「何が?」
視線を前に向けたまま、ユミリアーナ・アシュランは淡々と返す。
その返し方にやや不満な顔をしながらも、イヴキュールは言葉を続ける。
「あたしの“透面なる道末”を使えば、空を走ってモモたちの現場に行けると思うけど」
「イヴ。私たちはモモちゃんが見つけてくれた敵を真っ先に倒すことが先決よ。そうでないと、数で勝るあちらが増々有利になる。確実に敵を倒して、少なくとも数を同程度にしないと、まずいわ」
「……そうだね。うん。はぁ」
「イヴ」
「わかってるよ」
戦争である以上、気持ちだけを先行させて挑んだ場合、ミスを招く危険が高くなる。
貴族にしては珍しい、幼少の頃から母親に叩き込まれたことで養った彼女らの力は、此度の戦争において貴重な戦力であることは間違いない。それは本人らも十二分に自覚しており、相手側の戦力を削ることを第一に考えている。
また、同時にこうも思った。
空で何かがあったなら、魔法の館上空より見ていたリリィ・サランティスが何か反応を示したはずだ。
にも関わらず、リュネ・ゴーゴンが退場してしまった原因は……おそらくであるが、リリィにもまた何かあったのではないだろうか、と。
「近いわよ」
「うん」
徐々に見えてくる黄色い明かり。
心に不安を残しながらも、アシュラン姉妹は戦いの場へと赴く。
* * *
各地で戦闘の火種が芽吹き始める頃、魔法の館は変わらず沈黙を守り続けていた。沈黙といっても、建物なのだからそれは当然であり、仮に感情があったとしても表現する方法はない。しかし、もしも、アズール一行の住まいであるこの館に、感情を表現できる術があったとしたら。
きっと彼は、叫んでいただろう。
逃げろ、と。
上空の少女に向かって。
「……」
リリィ・サランティスは、ある一点を凝視していた。
凝視する以外に彼女がとっている行動はない。空中に浮いたまま、『それ』を食い入るように見続けていた。
視界の外で、モモとリュネが乗っていた絨毯が狙撃され、リュネが落ちていったのも知っている。数分後、電子版が出現したこともわかっている。仲間が一人退場したことも……理解している。
しかし、目を離さずにいた。
もし一度でも離していたなら……それがモモとリュネの場所へ行き、二人を八つ裂きにするとわかっていたからだ。
狙っているのは自分であると同時に、自分以外にはまるで興味を持っていないと、見た瞬間に悟った。
それが動く。
「“紫蜂”」
無表情のまま征服少女は告げる。リリィが持つ魔法の中で、最速を誇る電撃弾が放たれた。“紫蜂”は発動された一瞬で目標に命中し雷撃音を鳴り響かせる。雷の速度でターゲットに到達する弾を避けられる者は……まずいないだろう。
ただし。
避ける必要がない者も、存在する。
無傷。それは一切の外傷なしで動きを継続する。傷がつくことは疎か、秒単位で止めることもできなかった。ゆらりふらりと揺れ動きながら、こちらへ来る。視線は変わらず、リリィに向けられたままであった。
「“紅大蛇”」
灼熱の炎を纏った大蛇が生まれ、大口を開けて突進する。“紫蜂”のような速度で通らない相手なら、威力を持った大蛇の攻撃ではどうか確かめると同時に、火を司る神然魔術の使い手なのか調べる意味も込められていた。対象は炎に包まれた蛇を見て、笑い、舌を出して涎を垂らす。そして身体を大きくねじらせ、振りかぶり。
自らを呑み込もうとした蛇に昇拳を見舞った。
刹那、ありったけの空気を破裂させたような打撃音が生まれ、大蛇が仰け反る。仰け反った蛇は動けないのか、数秒静止して……魔力の欠片となって消えていった。
「キヒ」
笑みがこぼれる。
「キヒヒヒ」
止まらない。
「キヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ」
こぼれが、止められない。
「キヒャヒャヒヒヒヒヒヒャハハヒャハヒヒヒヒッヒッヒヒヒヒヒヒヒヒ見つけた見つけた見ぃつけたいたいたいたいたいいいいいいいたあああああああああやったやったやったあひゃひゃひゃひゃひゃひゃひひひひひひひひひキヒキヒぃいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」
嬉しさが理性を吹き飛ばした。もう感情を堪え切れない。口に出てしまう。我慢できない。
待ちに待ったその時が訪れたから。会いたかった。会いたくてたまらなかった。どうしようもなく会いたかった。死んじゃうじゃないかと思えるほど焦がれた想い。たまらない。嬉しい。狂喜。愉悦。
どれも自分の中でぐちゃぐちゃに溶けて混ざり合い、絞られ、一滴の液体となる。
その液体を舌で受け止めて、含み、ねちゃねちゃと何度も何度も味わってから……息を漏らす。
「キヒィ」
例えるなら、そのような印象であった。
先と変わらず空をゆらりふらりと移動していたが……動きが止まる。
リリィ・サランティスの前で。
相対する、赤髪と虹髪。
「……」
リリィの前にいる少女は七色の髪をしていた。小顔であり、後頭部からはやや長めの髪が伸びていて、風にひらひら揺れている。また、彼女の額の両端からは小さく細いツノが生えていて、目は真珠のように輝き、肌は透明感ある美しさをもつ。鼻はすらりとして口も小さく、人間とは言い難い容姿であった。水色と白の上下一体型の薄着を身に纏い、腰部分には黒の縄を結んでいる。
「初めまして、リリィ・サランティス」
ニッコリと笑う。つい数秒前に見せていた笑みではない、愛らしい微笑み。それを受けたリリィは、同じように笑う……ことはなく、無表情で見つめる。
「一つよろしいでしょうか」
「何だシャドゥ」
その二人の様子を、遠くから眺める二人がいた。憲皇の最上階にいるシェリナとシャドゥである。眺めるといっても遠すぎるため、二人には見えないが、おおよそ察することはできていた。
「何故、彼女をジン王子にぶつけなかったのですか? そうすれば、この戦争は数分で終わっていたはずですが」
「二つある。一つはアレがどうしてもリリィ・サランティスと戦いたいと言ってきかなかったから。そしてもう一つが、アズール側にただの敗北を与えても面白くないからだ」
「と、いうと?」
「考えてもみろ。たかが数分で決着する戦争なんぞ、奴らに悲しみや恐怖を与える時間があっという間に終わってしまうではないか。それでは駄目だ。面白くない。つまらん。奴らの中における最強を倒してから、じっくり存分に一人ずつ丁寧に摘んでいった方が……クロネアの強さを一層引き立たせ、そして絶望させるに相応しかろう?」
「……」
「この戦争は勝って当然だ。だが勝つだけで終わるつもりもない。徹底的に叩きのめす。潰す。磨り潰す。クロネア魔術の恐ろしさ、魔法師どもに身体の髄まで刻んでやる。たかが六百年の歴史である三流国家が、二度と我が国と同格とは思えないようにな……!」
徐々にシェリナの表情は、『彼女本人のもの』ではなく、『クロネアのもの』として出始めていく。
己の心を消し、王として進む。
進む以上、捨てるものが当然ある。クロネアそのものであろうとする彼女は、国が抱える情念を代弁し、掲げ、行動するようになっていく。それは王家として相応しいのだろう。正しいのだろう。だが、彼女は気づけていない。未熟ゆえ、国の代表になるということへの解釈をはき違えている。そのまま己を押し込めて、クロネアと同化した果てにある姿は……。
自分を殺すということである。
自分がなくなってしまうということである。
「……」
第十一極長は、黙っている他なかった。彼はシェリナの補佐であり、友ではない。ゆえに彼女を諭したり、説得することは彼に許されていない。シャドゥ・ブレィはそう考えている。だから自分は王女が望むことを全力で行動しようと、誓っている。
シェリナ・モントール・クローネリを導く者は、自分ではなく、他にいる。その者に……託すのだと。
邪の眼差しで外を眺める女性を見ながら、彼もまた視線を前に向けた。自分の不甲斐なさ、やりきれない歯がゆさを横にいる女性に気づかれぬよう……強く固く、拳を握り締めながら。
「“魔法科・歴代二位”とは素敵な称号だねぇ。羨ましいよ。キヒ」
虹髪の少女を纏っていた魔力が、次第に濃くなっていく。
全身を包むように纏う。
暗の空が、一際闇を深めた。まるで彼女の存在を前にして萎縮しているかのようでもあった。少女は虹色に光る髪を一度触り、手を前に突き出す。
「二位如きとは、本当に羨ましい」
リリィ・サランティスが両手をスッと挙げる。
火・水・雷・風・氷など……自然魔法で操れる全ての要素が周囲に展開した。これを展開するのは、故郷の民を皆殺しにした殺人鬼以来の、二度目。本気で戦う前に行う、リリィ特有の儀式である。
初めて見た瞬間から、リリィは自分のなすべきことを悟った。
この戦争における勝敗の有無は、こいつを倒せるかどうかで決まるのだと。十四いる敵の数を出来るだけ倒すことが役割だと考えていた。……しかし、違った。こいつを倒すことが、自分の使命である。
「自己紹介、してもいい?」
何故なら。
「第一極長『魔人』、アニー・キトス・ウーヌだよ。そして……」
こいつは。
「“魔術科・歴代一位”の称号を持つ者さ。────キヒ!」
クロネアで、一番強い。
* * *
「あぁ、師よ。いよいよ始まるのですね! 神としての戦いが!」
「そうだフラワー。始まるのだ、我らの愛を届けるために」
「あああああああああああああああああああああああ! 師よ、師よ、私はもう我慢できません! あああ、この気持ち、もう抑えきれません! あ、あ、あああ、あ、あ、あ、ああああ、あ。もう……絶頂」
「駄目だフラワー。まだ駄目だよ。抑えるのだ」
「はぁ、はぁ、はぁ……はぁっ……! おうふっ」
「そうだ、さすがだ。我が子らの中でもフラワーは極めて優秀であるよ。神である我も心から嬉しい」
「んんっ、はぁあああんっ! 感じます師よ! 私たちのところへ、あぁっ、迷える子羊が来ます!」
「そうだ。我も感じる。びくんびくん感じる。んんっ!」
「あぁぁ、たまらないっ!」
「あぁ、我もそろそろ抑えがきかなくなってきた……!」
「師よ!」
「おおぅ……ぅ。では、参ろうか」
「はい!」
「「愛を教えに。神は降臨す」」