ジン・フォン・ティック・アズール
大体の悪役は悲惨な目にあうのがお約束だけど、まさか数分で退場させられるとは思っていなかった。
哀れみの極地というべきか。突如としてガラリと後ろのドアが開いたかと思うと、派手な爆風音を木霊せながら僕を野次っていたグヴォング家の連中は吹き飛んだ。
ちょうど、クラスの後方横一直線に座っていたこともあって、彼らだけ襲撃に見舞われた。吹き飛ばされたのは四人、そのうち一人は窓を突き破って落ちていっ……あれ、ここ二階じゃなかったか。
「な、なななな、な!?」
今し方起こった光景を見る皆の視線を背に、リーダー格のメゾン・グヴォングは開いたドアを愕然としながら涙目で見つめた。他の二人もフラフラと頭を回しながら自分を襲った正体を視界に捉える。さらに、僕の横でアタフタしていたマリー先生は……。
「ジジジジ、ジジ、ジ……!」と、ジという単語を震えながら呪文のように唱えている。どうした先生、しっかりしてくれ。ともかく、そんな状況下の中で、事態を引き起こした原因がクラスへ入って来る。
──銀髪。第一印象は光沢ある、そして靡く髪色だった。
男だ。男だった。
この流れで登場してくるとしたら普通は試験一位だったあの人でしょうよとか、そんなことがチラリと脳裏をかすめるものの、見事にこちらの期待を裏切ってくれたそいつは、カジュアルでかつ動きやすそうな服をしていて。
襟をほんの少しだけ上げ、全身からはどことなく威圧感を与える。髪型はオールバック風のウェーブがきいた感じで、眼はエメラルド。ぶっちゃけ、そこらの兄ちゃんと何ら変わらない気がする。違うのは、服の質がここから見てもかなり上等なものぐらいか。
威風堂々。彼の身なりを体現した言葉。動き一つひとつに目がいってしまう。皆が、クラス中の誰もが黙って見ていた。否、魅入られた。誰も彼もがそんな状況で、静まり返ったクラスを一通り眺め終わった彼は、唸りながらはっきり言った。
「何やってんの?」
こっちのセリフだ。
※ ※ ※
入学の儀が終わり、時刻は昼を過ぎた頃合い。
校内を歩きながら、思い出すはマリー先生との会話。
『モモ・シャルロッティアさん? あぁ、彼女はね。その……来ないと思うよ。特別枠というか、そんな感じでね。ほら、彼女は貴族の中でも相当上の階級の方でしょ? だから、彼女の家はとっても……その……権力があってね。おおよそのことは通っちゃうんだよね。だから、彼女は特別枠として登校義務がないの』
『随分と変わってますよね』
『うん。勉強も自宅ですれば充分みたい。けどね、一年生のテストは年に一回、ちょうど今から半年後にある「一年試験」には登校義務があるから、登校するならその日だけだと思う。その、シルドくんも……いろいろあると思うけど、頑張ってね。先生頼りないけど、相談ぐらいなら乗れると思うから』
実質、アズールの貿易関係はシャルロッティア家が掌握しているとも言われている。今も力は健在で、当主とその長女・次女の二人が前線に出て活躍している。
形式上は貴族だけど、実質は公爵家に近いものがある。また、シャルロッティア家は権力乱用をしない家柄なので、おおむね周りからも好印象として捉えられている。その家の三女であるモモ・シャルロッティアはとても頭が良く美人であるも、周りと接触することを極端に嫌う性格のようだ。
『でも、すごく才能はある子なの。特に絵は天才なんだって!』
癖っ毛のある髪を触りながらマリー先生は教えてくれた。
驚くことにマリー先生は王家の家庭教師をしていたそうである。ただ、元々は教師が夢だったようで、少しずつ勉強してようやく今年、アズール王立学校の教師として仕事を授与されたそうだ。普通順序が逆だと思うのだが……。
「あんな性格だけどマリーの能力はすんげぇ高くてさ。教え方も超上手い。オドオドしてるところも愛嬌があるし、先生としては充分当たりだと思うぜ?」
以前ロイドさんからも聞いていた通り、モモ・シャルロッティアさんは登校しないらしい。するとしたら、半年後に控えている一年試験の日だけだそうだ。
残念だけど、こればっかりは仕方ない。アズールでも有数の上級貴族、シャルロッティア家なら多少のわがままも通るものだ。それに一度見てみたかっただけだから、それが半年後になっただけだ。加えて半年後といったが、存外思わぬ形で出会うことだってあるかもしれない。そう、ほんの数日後の可能性もないわけではない。問題はそうだな。
「ま、この王国も今は停滞気味だしな。何か新しい動きでもなきゃ暇だよなぁ」
あぁ、あったあった。大いにあった。あることこの上ない、山の如しだ。
入学の儀も無事に終わり、後は寮に帰るか外をブラブラするか、はたまたローゼ島を降りて王都を探索するか、選択肢は多岐に渡る。けれど、今はそんなことを考えている暇はないようだ。……理由は言わずもがな、僕の横にいる男が原因だ。
「で、他に何か聞きたいことは?」
「ないですよ……ジン王子」
ジン・フォン・ティック・アズール。
アズール王国の次期王にして、現在この国の王子であらせられる方。銀髪でやんちゃっけがあり、いつも白い服を愛用しているそうだ。
また、王族・貴族の催しをかなり嫌っており、そのような行事にはまず出席しない。それゆえ、貴族でも彼をまともに見たことがある人は少ない。この情報も後になって知ることになったものだ。とまぁ、そんな彼の基本情報は置いておこう。今彼は、廊下を歩いている僕の……横にいる。
「ジン王子」
「どうした?」
「申し訳ないのですが、ジン王子はこれから何をされるのでしょうか」
「いや、別に。暇だからお前についてきてるだけ」
そうなのだ。この人、さっきからずっと僕の横にぴったりとくっついてきて、自由気ままに話している。
正直、辛い。当たり前だが、死ぬほど辛い。相手がこの国最高権力者の息子であること。これが何を意味しているのか。こちらの言動で人生が決まるようなものだ。腹痛い。
「それに、敬語止めろっつってんだろ」
「いえ、さすがにそれは」
「ちぇー、何だよ。仕方ねぇな」
「そうですよ。仕方ないですよ」
「貴族剥奪のやり方ってどうやるんだっけかなぁ」
「……」
ニタリ、と笑う。──もんのすごく腹立つ。この野郎、王権全開で行使してきやがった。マズイ、これはマズイ。洒落にならん!
遡ること、数十分ほど前。
彼が、ジン・フォン・ティック・アズールがこのクラスへ降臨した際。最初は皆、ジンが誰なのかわからなかった。当然だ、先にも述べたが彼は社交会や舞踏会といった貴族の催しには出ない。ジン王子という存在は知っているのだが、実物(本人)を見たことはないのだ。
グヴォング家の連中も同じで、彼が自分らよりも階級が上だとは露知らず、「由緒正しき我が家柄をよくも汚したな!」と意味不明な怒号を飛ばす。
対し、我らが王子は知らんぷりで本来の目的だった「マリー、教師おめでとう」と大声で言った。その後、「大丈夫か、緊張してねぇ?」といったグヴォング家ガン無視で話を進めていく。もちろん、その間も彼らは喧しくジンを捲くし立てる。マリー先生が「ジ」という単語を連発していたのも、彼の名前を言おうとしていたからだ。ま、すぐに言うことになるのだが。
『何をされておいでなのですか!? ジン・フォン・ティック・アズール様!』
そうして、ようやく皆が彼の正体を知ることになった。なってしまった。
空気が変わった。今目の前にいる男が、自分たちの国の王になる人なのだ。しかし今までの自分たちはただただあっけらかんと見ていた手前、何か行動を起こそうという気にもなれない。そして、そんな状況下の中で、特に固まっていた連中がいただろう。
『そんじゃ、手前らの要件に入ろうか?』
首をコキリと回し、ジンはグヴォング家を見る。
静まりかえるクラスの中、顎を軽く上げ、銀髪の男はグヴォング家を見下ろす。顔が真っ青、という言葉があるが、彼らの顔色はとてもじゃないが青どころではなかった。紫に近い。空気は鋭く、重いものであり、誰の発言も許可しない独特の空間が形成されていて。
『グヴォング家っていやぁ、アズール建国の際、物資援助をしていた商人の家系だったな。かなり強引なやり方で稼いだ金を頼んでもいねーのにガンガン投資してきた連中と聞いているぜ?』
『そ、そのようなことは』
『んで、いざ建国して貴族になってみたものの、まったくというほどそれからは国の発展に貢献せず、昔の権威で今に至る……って感じだったな』
『わ、私どもは決してそんな。我らが王国のために日夜』
『あんたらの長男が都の娼婦に手を出して隠蔽したの、確か二年前だったか』
『……ッ!』
驚いたことは二つ。
一つはグヴォング家の長男がそんな失態を犯していたこと。まぁこれは貴族にはよくあることだし別にどうでもいい。実質、王都貴族の七割程度は国政に関与せず、好き勝手遊ぶのが仕事みたいなもんだし。地方の貴族は領主として励むのが普通だからそうもいってられない。
驚いたことのもう一つは、彼の知識量だ。
王都にいる貴族の数は有に三百を超える。その中の一つであろう家柄を憶えていたのだ。二年前の隠蔽事件で知ったかもしれないが、それでも二年前。普通なら三百を超える内のいち貴族の名前、忘れるものである。かなりの記憶力だ。
『王族に罵声暴言。覚悟はできてるな』
『も、もう……しわけ……ございません!』
『おう、いいよ』
え、とするメゾン・グヴォング。目が点となり、パチパチとしている。見ていたクラスの皆も同じだ。先程まで有無を言わさぬ雰囲気であったのに、何事もなかったのかのように話を終わらせた。そして今に至る。
……危険だ。
間違いなく……この男、危険だ。
腹黒いなんてものじゃない。それ以上の恐ろしさを秘めている。だから答え合わせのために問うた。
「一つ確認なんだけど」
「なんだ」
「グヴォング家をどうするつもり?」
「潰す」
即答であった。
……予想通りだ。理由はやはり……
「マリー先生を脅迫したから?」
「それもあるが、前々から悪い話しか聞かなかったからな。いい機会だ。来週にはいなくなってるから安心していいぞ」
「可能なら、許してあげてほしい」
「おう、いいぞ」
……その返答を受け、僕の歩みは止まった。
少し先を行き、銀髪の男は楽しそうにこちらを振り返る。
実に不気味な笑み。
どうにも、僕の言葉を待っていたようである。無性に腹が立つ。彼がコロコロ発言を変えることにではない。こちらの考えを想定して遊んでいるその性格にだ。静かに相手を見つめていると、ぶら下げた三日月のような笑みのまま銀髪は顔を傾けて。
「そうだ、その通りだ、シルディッド・アシュラン。俺は自由にグヴォング家の処遇を決められる。そしてどういう結末にするか、お前が好きに決めていい。初めて生殺与奪の権利をもった気分はどうだい?」
「重ねて言う。グヴォング家を許してほしい」
「おいおい、もうちっと会話を楽しもうぜ。まぁいいや。了解だ、あいつらを許そう」
「そして、目的は何だ」
「ん?」
「わざわざこんな恩着せがましいことをして、僕に優しくした理由を教えてくれ」
「ヒヒ、ヒャヒャ、大したことじゃないさ。個人的にお前に興味があってなぁ」
ジン・フォン・ティック・アズールは指を鳴らすと、ふわりと光る粒子が彼の周囲に生まれた。魔だ。ジン王子の魔力が蒸気のように彼から生まれている。
この世界に住む人々は魔力をもつ。ルカはそこから生まれるもので、普段は目に見えないけど魔力の濃さで目視することも可能となる。とても美しく綺麗なそれは、僕とジン王子のいる廊下を颯爽と駆けていった。
「邪魔が入っちゃ興ざめだ。俺らの所へ外部の人間は来れなくした。心配すんな、俺の魔法だからよ」
「次期アズール王が僕みたいな田舎者に興味をもつとは考えにくいね」
「──アズールに来た理由は?」
殺人鬼が獲物にナイフを差し込むように、スルリと躊躇なく問いを投げられる。
アズールに来た理由……。ここで変に嘘をついても意味はない。正直に応えよう。ただし、信じてもらえない前世や第三者に知られるとマズい古代魔法については割愛だ。あくまで冷静に淡々と、淀みなく答えた。
幼少の頃より本が好きだったこと。十六歳になりアズール学校の試験を受けられるようになったので受験したこと。目指すはアズール図書館の司書であること。両親には学校生活の三年以内に司書になれなければ領主になると約束していること。一切嘘は言わず、正直に答えた。
「ほぉ、アズール図書館の司書か。確かにありゃ謎だらけだもんな。歴代のアズール王しか知ることを許されない『王律厳守』に該当している。だから俺も知らん」
「満足してもらえたかな」
「おうとも、確かに来る価値はあるだろう。シルディッド・アシュラン……他の貴族とは違うなお前。面白そうな奴じゃないか」
うんうん、と頷いてニヤリと笑う王子。
どうにも、何故か王子様に気に入られたようだ。おかしい、僕はこの人に気に入られることなんて何一つしていないというのに。グヴォング家に立ち向かおうとしたぐらいか。……となると、状況はややマズいと思う。平和に過ごす予定だった日常が崩れそうになっている。
学校生活は大人しく過ごし、それ以外は全て図書館に行く予定であったのに。あぁしかし初日からグヴォング家とやり合おうとしていた辺り、僕もまだ未熟なのだろう。今日は頭に血が上ってミスをしてばかりだ。反省しないと。
「それでは、これで」
「おぅ」
銀髪の青年は直ぐに去っていった。
見えなくなったけど、一応ジン王子の方向に会釈して、反対方向へ歩を進める。今日の出来事を振り返りながら次に活かせる手を考えよう。何も全てミスしたわけじゃない。
先程のアズールへ来た理由を述べた際、上手く隠し通すことができた部分もある。また、魔法科での戦いで“巨星水晶”が暴走した際も上手く隠れて被害を防ぐことができた。
ちゃんとできた点もある。
失敗ばかりじゃないさ。次にしっかりと活かしていこう。
とりあえずは、今日一番の褒めて良い点を挙げるとするなら──
「古代魔法については隠し通せたか? シルディッド・アシュラン」
ジン・フォン・ティック・アズールが横にいた。




