三度目
「いやいや、まさかこの館が幽霊館になるなんて思いもしなかったぜ」
「冗談言ってる場合じゃないぞ。非常事態だ」
「まぁな。しかしだからといって、こいつはちぃとやっかいだぜ? やっかい極まれりだぜ?」
両手を開き、大げさなリアクションをとりながらジンは意地悪くにやけた。
外の雨音がひどく五月蠅く、まるで轟音に囲まれた島に取り残された気分だ。状況は切迫している。まさかとは思うが、思いたいが、やはり……正体不明の何かがこの館にいるのは……事実なようだ。
イヴの“偽らざる図表”を拡大し、館全体を見えるようにする。確かに、僕らの他にもう一つ、別の丸い何かが見える。
ひゅんひゅんと、瞬間移動しながら。
その魔力を帯びた何かは、約一秒おきに館をくまなく移動していた。上下左右、東西南北、ありとあらゆる方向に動いていて、とてもじゃないが人間とは思えない行動だ。魔物であろうともありえない動きだ。ジンが言う通り、幽霊ではなかろうか。
ただ、それであっても。
腑に落ちない点がある。
仮にこの不可解な魔力体が人間・魔物・幽霊であろうと、必ず発動しなければならないことがあるはずだ。魔法の屋敷を作り出す際にウチの姉妹が発動させていた、対迎撃用の魔法である。それが、屋敷内に僕ら以外の何かがいるにも関わらず、うんともすんとも言わないのは、奇妙としか言いようがない。もっと言えば、ありえない。
「ユミ姉、イヴ」
「魔法は確実に仕込まれているはずよ。今確かめたけど、ちゃんと『ある』わ。イヴはどう?」
「あたしのもだよ。どう考えても魔法が発動しない原因がわからない。どうなってんのよさ」
苦々しい表情で姉と妹が下を向く。思わず顔を下げてしまうほど、二人はショックを受けている。当然かもしれない、あれほど自信満々だった魔法が一切合切発動されず、しかも侵入を許してしまった。それがどれだけの罪悪を彼女らに圧し掛からせているのか。
本来なら二人を励ますか慰めることが大事なれど、他にやるべきことがある。
単純明快にして、至極真っ当なものだ。
「ジン、わかってるとは思うけど」
「俺はここで待機、だろ?」
「あぁ」
「なら、私が!」
「駄目だよリリィ。リリィはジンをミュウと一緒に守ってもらう必要がある。この館内でジンを守ることに最も優れた魔法師はミュウとリリィを置いて他にいない」
そう言った矢先、モモが立ち上がる。
「だったら、私とリュネが」
「いや、モモもリュネさんと一緒にここにいて欲しい。あまり戦力を分散させるのはよくない。敵の罠かもしれないし、何よりまずは動きを探る必要がある。ここから一階の東通路を行きながら一つずつ部屋を見ていく。そのまま通路を右に曲がって、景観広間を確認して二階へ。二階も同じように部屋を見て回りこの広間のちょうど真上へ到達できたら、一旦一階へ降りてこよう」
つまりは、館の右半分を見て回るというもの。
正体不明のそれにとっては、僕らが分散したというのはきっとわかるはずだ。だとすれば、分散し、かつ戦力が低い『僕とレノン』を狙うはず。ジンを守ることが最重要案件で、次点で敵の捕獲もしくは撃退にある。相手は僕ら二人だと油断する可能性も充分にあるだろう。
そこを狙う。
否、仕留める。
レノンも付き人ながら陣形魔法の使い手だ。レベルは妹よりも低いながら、充分魔法師としての力がある。信頼できる頼もしい相棒だ。
「シルド」
「ん? 何だ、ジン」
「油断するなよ。最悪この館ごとぶっ壊していい。後手にだけは絶対に回るな」
「あぁ、わかってるさ」
意気消沈なウチの姉妹の頭をよしよしと撫でる。妹は家族以外に撫でられることを極端に嫌い、何故か家族である僕からも撫でられることを嫌うが、今回ばかりは借りてきた猫のように大人しくしていた。姉はちょっと嬉しそうにしている。普段、彼女の頭を撫でる人はそういないので、新鮮なのだろう。
「落ち込んでいる暇はないよ。僕らの仕事はこれからだ。ジンのこと、頼むよ。ユミ姉、イヴ」
「えぇ」
「うん」
それからモモを見て、無言で頷き合い、レノンと一緒に東通路の扉を開く。
相手がどのような方法で動いているのか定かでない点。また、皆に、もしもの危害を加えられないよう、開けた扉をゆっくりと閉めた。
いつも聞いている扉の音。しかし、今は、数倍大きな音に聞こえた。静まり返った薄暗い通路にて、レノンとアイコンタクトし、僕らは深淵の奥へ歩き出した。
幽霊を、迎撃するために。
仕留めるために。
「ミュウ」
「何? ジン」
「お前の家に代々伝わる魔法の中で、だいたいのものは詠唱破棄で習得したんだよな」
「うん、さすがにジンも知ってるあの三つの魔法は詠唱破棄では無理だけど」
「その三つの中に、一度アズール城をしっちゃかめっちゃかにした魔法があったよな」
「うん。でも、どうして今そんなこと」
「準備しとけ」
「……ジン?」
「嫌な予感がする。どうにもこうにも、生ぬるい空気を掴むような……ねっとりしたもんがな」
* * *
レノンには、今まで僕が古代魔法の使い手であることを伏せていた。
それは、正直なところ言う機会を無くしていたというのが原因だ。
クロネアにまで同行してくれている彼に自分の秘密を話さないということは甚だ失礼に当たるし、さっさと言えば良かったものを、僕は今まで言うことができなかった。そのためか、この場面になってようやく彼に伝えることができたのは、ある意味幽霊に感謝したいものでもあった。
「そうか。わかった」
実にシンプルで、レノンらしい受け答え。
「その。ごめ」
「謝るな。別に怒っているわけじゃない。おおよそ、言う機会を逃していただけなのだろう?」
「うん」
「逃していただけで、いつかは言おうと思っていたのなら、俺にとっては大した意味はない。言うつもりがなかったのと、言う機会がなかったのでは、まったく意味合いが違ってくる。そしてシルドは後者だった。俺としてはそれで満足だ。今回そういう機会が巡ったことで知ることができた。だからいい」
「……」
「何だ?」
「レノンって、かっこいいな」
殴られた。
「あまり冗談を言い合っている場合ではないだろ、本虫」
「そこはかとなく馬鹿にされている気がするけど、そうだね」
「ジン王子殿にはああ言ったが、本心では俺らで捕まえるつもりなのだろう?」
「当たり前だ。このままおずおずと帰ってモモとリュネさんに女子部屋をお願いするなんて、彼女たちが危険にさらされる可能性が極めて高い。絶対に阻止するためにも、僕らがここで捕まえるしかない」
「無論だ。して、策は」
「景観広間を使う」
ジンたちには一階の部屋を順に見て回ると言ったけれど、それをせずに通路をまっすぐ歩き、突き当りを右に曲がって、その先にある景観広間に向かう。
景観広間は、特にこれと言って何もない広間である。本来ならばこの部屋に荷物を置いたり休憩家具を置いたりするものの、荷物は自分の部屋に充分置けるスペースがあるし休憩場所は玄関広間を皆は使っている。そのため、普段は誰も使わない無人の広間となっている。
仮に、上空から見下ろした平面図で説明すると、広間は正方形の形をしている。
北に扉があり、僕らはそこから広間に入る。扉と真反対の場所である南にやや大きめの窓があって、後は天井に豪華なシャンデリアがあるぐらいであった。それほど質素な部屋だ。
だからこそ、今は末恐ろしくも感じた。
生活感がない場所ほど、『住まい』として不気味な空間があろうか。
広間の中心に移動して、レノンが陣を記しているメモ帳を破って“偽らざる図表”を発動する。相も変わらず一秒毎に瞬間移動していた。
「一秒という僅かな時間で捕まえるのは俺の持っている陣形魔法では無理だぞ」
「僕もだよ。だからまずは、捕まえるのではなく足止めする」
「ほぉ」
「でも、ユミ姉とイヴが用意していた迎撃魔法が発動していないとすると、仕込みをしても意味はない」
「ならば、“偽らざる図表”で奴がここに来た瞬間に……」
「あぁ。相手の視覚をぐちゃぐちゃにする“五洸・万華鏡”を発動させるよ。敵が幽霊の場合に効くかどうかにあるけどね」
ようは、相手の注意をこちらに向けることができたらいい。ヒュンヒュン移動されては困るのだ。
数秒でもいいので、相手が動きを止めた時にレノンと一緒に拘束系の魔法をぶつける。すり抜けられたら元も子もないが、やってみなければわからないだろう。さすがに幽霊相手の戦闘は対処法が思いつかない。もう少し時間があれば、何かいい案が出るかもしれないけど今それがひらめくことはなかった。
出たとこ勝負、か。
「レノン、敵は今どこにいるの?」
レノンが消えていた。
「……? ────ッ!?」
凝、縮。
時間をぎゅぅっと凝縮したように、ゆっくりと。
感覚的にはそれに近い。
頭の中だけは、嫌にはっきりとしているのに。
体感的には、時間を引き延ばされたように遅く感じた。
目を右に、左に。
二秒にも満たないはずの目線の動き、しかし十秒以上もかかっている気がした。
視界に映る全てを『レノンはどこだ』という一点のみに集中。
いない。
消えた。
続いて後ろを振り返った。誰もいない。景観広間にいるのは、自分だけ。
一人。
やられた!
「“偽らざる図表”!」
落ち着け、落ち着け。
左手に本を出し即座に魔法名を告げる。くそっ、早く発動しろ!
この感覚、憶えてる。一年前、アズール図書館の保管部屋を探すために夕方、空っぽになった本湖に飛び込んだことがあった。追ってくる本らを避けながら探すものの、あえなく落下。そして本の群れが螺旋階段の形態をとりながら迫ってきた時。
時間だけが、引き延ばされたアレと同じ。考えろ、今何をすることが最善かを。
「レノンは!?」
レノンの反応は……ある。
僕とほぼ同じ場所? いや、違う。二階だ!
でも、どうしてレノンは二階にいるんだ。今さっきまで横にいたはずだ。
一体全体、何が起こって──
「ご機嫌よう」
後方から声がした。
「先に一つだけ言わせていただきたいのですが、私に貴方たちを害する気は一切ありません。ですので、よろしければ、何も魔法を発動せずにこちらを向いていただけるとありがたいのですが」
こちらを少しでも安堵させたいのか。それとも魔法を発動させずに向けという脅迫か。
どちらにも取れる。なら、今の状況でどちらかを選択するのは愚策。いつでも魔法を発動させられる状態で、向くしかない。レノンを人質に取られている以上、僕ができることはそれだけだ。完全に後手に回った。「まずは足止めだ」なんて馬鹿じゃないのか……!
最悪だ。
唾を飲み込み、浅く呼吸しながら後ろを──振り返る。
「ようやく会えた。いや、“三度目”かな?」
三度目という言葉には、多くの意味が込められていた。
視界に映る光景に、驚かない人はこの世にいないだろう。ユミ姉とイヴの迎撃魔法には、決定的な弱点があった。それは相手を『地に足をつけた生き物』に限定して作られた魔法ならではの欠点でもあった。だから、やっぱり、二人を責めることなどできないだろう。元から責めるつもりなど毛頭ないけど、ちょっと安心した。よかった、ウチの姉妹はミスなどしていなかった。
だってこれは、明らかに相手が異質過ぎたのが原因なのだから。
「私のことを、憶えていますか?」
「……えぇ」
鏡。
宙に浮かぶ、大きな一枚の鏡があった。
アシュラン姉妹の魔法は、館内に敵が足を踏み入れた瞬間に発動するもの。つまりは、空中にいる者には発動しない。簡単なことだった。複雑怪奇なマジックも、タネを明かされれば簡単なもの。それでも……答えを知るまでは、散々悩ませるものでもある。
鏡の中にいる男性は、慎み深く一礼して。
彼が今言った、自分のことを憶えているかという問いは、空船に乗ってクロネアへ移動していた際に起こった出来事のことでは──“ない”。それよりも、前のこと。
「あの時は初めてのアズールで、ほとほと困っていてね。いやぁ、シルディッドくんが話しかけてくれなければ、私はずっとあのままでしたよ」
「……それは何よりでした」
「では、私が別れの際に言った言葉もまた、憶えてくれているんだね」
一年とちょっと前。
アズール王立学校の入学試験に無事合格した僕は、足無し紳士ことロイドさんに連れられて、空に浮かぶローゼ島へ向かった。ローゼ島に移動するには、専用の陣形魔法が描かれた場所に行く必要があったからだ。すぐに移動できると思っていたものの、予想以上に人は多く、ロイドさんと別れた後は陣形魔法を待つ人々の列に並んでいた。そんな中、並びながら周りの景色を眺めていると……。
ある人物がいた。
全身黒服の、男がいた。
彼は一人で悩んでいる様子であった。
『えぇ、ちょっと迷っていまして。いやはや、この国は広いね、広すぎだ』
やや躊躇したものの、勇気を出してその方に話しかけた。フードを降ろした男性は、言葉を失うほどの美男子で。整った顔立ち、シャープな顎のライン、手入れされている眉に白い肌、加えて優しげな眼差しに光沢のある黒のスーツ。足まである長髪も、彼には不思議と似合っていた。
少しだけ会話して、別れの時。
にっこり笑って、その男はこう言った。
『それでは、お礼は必ず。また縁の糸が合わさった時に』
縁。
いやはや人生とは、一体全体どうなっているのか。
この世界に神がいるのなら、あんたはどういう世界を作ってしまったんだよと問いたい。
それほど可笑しく、滑稽で、面白くて、理解できない。そんな世の中を、僕は歩んでいるのだろう。
彼との再会は、今回で……三度目。
だが。
この時はまだ、知る由もない。
予知できる魔法があるのなら、是が非でも知りたかった。
何故なら、彼の登場により第二試練の謎が、解ける解けないに関わらず。
絶対的な無慈悲の下に──
「いつぞやのお礼を、今果たします」
たった“三日”で決着してしまうことになるのだから。
* * *
「駄目、駄目、嫌ぁ!」
「イヴ、しっかりしなさい! 何があったの!」
「あ、兄貴とレノンくんが分断されて……移動していた敵が、兄貴の場所にい続けてる!」
≪ッ!?≫
「まずいよ! 敵の狙いはジン王子じゃない──兄貴だ!」
「ミュウォ!!」
「“正六面体百面奇想・空間隔離奇術・転向煩雑奇塞”」