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始まるとでも?




 もし自分に前世の記憶があるのなら。

 ほとんどの者は、そっと胸にしまい生きていくことでしょう。仮に話したとしても詮無きこと。自分をわかってくれる相手なんているわけない。

 夢物語。

 なら、ここで問いましょう。

 その話を信じるどころか、共感し支え合える存在が現れたなら──貴方はどうする?

 前世と現世の自分と向き合う際に、心から応援してくれる存在がいたとしたら──貴方はどうする?

 ずっと求めてきた相手が現れた時──シルディッド・アシュラン。貴方は……どうする?


 私は。

 貴方を知りたい。


「前世と向き合うことの重みが、どれほどのものなのか。知る術はないわ」

「……」

「でも私は、貴方に前世の記憶があることを、知っている存在なの」


 顔の筋肉を一筋も動かすことなく、大きく見開いた目で私を見続ける。魂も全く同じ反応をしていて。

 動くという事象を完全に切り離されたような静止。ピクリとも動かない。いえ、動けないが正しいのでしょうね。

 きっと私は今日、彼に嫌な女だと思われて終わるでしょう。

 いきなりこんな喫茶店に連れて来られて、強制的に話をさせられて、内情を知るためとまで言われた。心中はさぞ穏やかではないでしょう。嫌われても仕方ないこと。


 それでも、私を忘れることはできない。

 自分が今まで一人だけで対峙していた前世との折り合いを、理解してくれる存在が現れたのだから。上辺だけの同情ではなく、本当の意味での……同情。


 全て計算通りに事が運んでいるわ。

 えぇ、えぇ、素敵なことね。

 今日どれだけ嫌われようとも構わない。疎遠されても、避けられても構わない。むしろ嬉しい。感情の始まりから私を『意識』していることが生まれ、徐々に忘れようとも忘れられない、唯一無二の存在になる。だって彼にとって今まで一度たりとも会ったことがない相手なのだから。


「私が、どう見える?」


 未だ表情が変わらず、魂も動かない彼の頬にそっと右手を添える。暖かい……。

 ずっと、触っていたい。

 もし私が彼ならば、眼前の女はさぞ怖い生き物に見えるでしょう。だって自分の魂を見えるだなんて言うんだもの。普通は気味悪がるわ。でも嘘じゃない。偽りなど一切なく、あるのは真実の秘境。まだ誰も辿り着けなかったそこに、現れた。


 いいわよ、シルディッド・アシュラン。

 次に貴方がどういう対応をしようとも許されます。許しましょう。

 突然すぎる現実の衝撃は、受け止める時間が必要。だから何をしようとも、何を吐こうとも、私は受け入れましょう。第四極長『妃人』フレイヤ・クラメンヌが包み込みましょう。

 そうね、強がりの発言が一番素敵よ。

 もう時間も残り僅か。だからせめて、貴方のオスとしての輝きが見たいわ。ただただ現実の大波に呑み込まれまいと、必死にもがこうとする姿が見たい。私という恐怖としか思えないでしょう相手に、自分が崩れないよう繋ぎとめるため。


 そんな貴方が見たいの。

 だって。

 そこから、私と貴方の物語が──



「始まるとでも?」



   * * *



 数分後。

 店内にいるのは私だけ。

 二つあった飲み物は、水を雪原に投げ入れたように冷めてしまっていた。ツツィと人差し指で容器をなぞる。無音に近い無機物な声。誰も反応することはなく、動くのは時間と心臓のみ。時計の針は我がもの顔で進み行き、視界に広がる光景が、現実世界だと知らしめるように淡々と時を刻んでいて。

 目を瞑って椅子に背を預け。

 はぁ……と無意識に出てしまった何か。

 溜め息だと思うけど、もしかしたら違うのかもしれないわね。

 反省と後悔と、悲しさと歯痒さが混在した、どうにもやりきれない……心の涙。


「フレイヤ!」


 そんなことを考えていたら、あらあら、ウフフ。規律正しくレギオンを着て、馬のように煌めきある黒髪を宿した女の子が店に飛び込んで来た。いつ見ても綺麗な顔立ちをしているわ。凛々しく真っ直ぐで、純粋な頑張り屋さん。第六極長『穿人』、ルェン・ジャスキリー。


「どうしたの? 怖そうな顔をして。せっかくの美人が台無しよ」

「世辞などいりません! アシュラン様が……! あれ?」

 

 店内を見渡しながら必死に彼を探すルェン。でも、今はもうその人はいない。

 産まれたての小鳥のように辺りを見渡して、彼がいないとわかるや、答えを求めるように視線を私に向ける。ウフフ、可愛い。えぇ、本当に。

 彼がつい先ほどまでいた椅子を指さして、ルェンに座るよう促す。何かを言おうと口を開くも、まずは状況を確認することが先だと判断して不承不承と席につく。シェリナったら、こんな良い子に慕われてるなんて……羨ましいわ。女王の器かしらね。


「どういうことですか」


 何が、と聞く前に言葉を続ける第六の極長。


「私はてっきり、ここにアシュラン様と貴方がいるものだと思っていました」

「えぇ、そうよ。つい先ほどまで彼はいたわ。その席にね」

「では、要件は終わったのですか? あの短期間で」

「うーん、終わったというより、終わらせられたが正しいかしら」

「?」

「私の考えが、看破されたの」

「ありえないっ!」


 石の塊を二階から落としたように、荒々しく両手で机を叩く。

 嬉しいわ。ここで憤慨してくれたということは、ルェンは私が彼を手中に納めると思っていたのでしょう。しかし、それは成らなかった。だから「ありえない」。

 自分の意思で今回の件を止めようと来ていながら、内心は私のことを尊敬してくれている証。敬ってくれているからこそ、私が彼に読み負けしたことが……納得できないということかしら。

 えぇ、えぇ。

 嬉しくも、申し訳ないわ。


「心髄を見通すフレイヤが、こと読み合いで後れを取るなんて!」

「ウフフ、そんなに驚くことかしら」

「何を言っているんですか!」 

「あら?」

「一番驚いているのは、他でもない、貴方でしょう」


 …………。

 やっぱり良い女ね、この子は。ちゃんと相手の気持ちになって受け答えができている。その歳でやれる芸当ではないからこそ、ルェンは第六極長まで登りつめた。元々努力家なこともあるけど、やっぱり性格も彼女の大きな武器に違いないわ。

 きっと将来、クロネアに必要な女になる。シェリナにとっても、かけがえのない存在になるでしょう。

 

「ルェンに嘘をついても詮無きことね。驚いたのは事実だし」

「私の予想はフレイヤがアシュラン様を翻弄し誘惑するものでした」

「ひどいわ」

「半分本気だったでしょう?」

「えぇ。ウフフ、でもね。それは最初に考えていたことよ。彼と話すにつれ、段々と変わっていった。最後にはもう、あの人を翻弄しようとも誘惑しようとも考えていなかった。ただ、単に……知りたかった」

「知りたかった?」

「そう。ルェンなら話してもいいかしら。まだシェリナにしか言ってないことだけど」


 彼に魂が二つあること。片方は現世の、もう片方は前世のものであること。また、シルディッド・アシュランが、双方の魂について知っていること。

 つまりは、前世の自分と邂逅していること。それに伴って生まれる苦痛やしがらみもあるでしょうけど、乗り越えていること。そして──自分に前世の記憶があることを知っている者が、眼前にいると告げたこと。

 

「ここまでは、私の計算通りだった」

「……」

「全て順調に事が運び、後はもう消化試合のようなもの。彼がどのような反応を示そうとも、快く受け入れるつもりだった。そこから私と彼の物語が始まるから。……でも、彼は真っ直ぐ私を見据えて、はっきりと言い放ったわ。“始まるとでも?”って」

「相手の心が読める魔法ですか」

「いいえ、違うでしょう。ルェンと交代する時から私は彼の様子をずっと見ていたけど、魔法を発動する隙なんてなかった。ルェンと会う前から発動していたとしたら、ルェンの気持ちを逆手に取った行動をしていたからそれもない。何もない状態で、あの言葉を言ったのでしょうね」

「信じられません」

「えぇ、えぇ、私もよ。正直、彼が魔法を何かしらの方法で発動しているとしか思えなかった。でも、違うとわかってしまったの」

「何故?」

「魂が、示していたから」


 あの時。

 シルディッド・アシュランが「始まるとでも?」と言った時。

 彼の魂を見た私は、思わず、声をあげそうになった。それを必死の思いで呑み込み、食い入るように見つめた。


 二つの魂が、一つになったのを。


 しばらくしたら二つに戻ったけど、それが何を意味しているのか。わからない。幾千の心髄を見通してきた私でさえ、二つの魂が重なるという行動は一度も見たことがない。初めての光景、初めての体験。そのため予想することでしか私のできることはなかった……。

 ただ、彼の表情には、眼には、心には。

 私という女を射貫かんとする情念が、燃え上がっていた。


「たったそれだけで、私はね、折れてしまったの。いいえ、屈してしまったの」

「……」

「私にとっては魂は“秤”でしかなかった。相手の心を見通すものでしかなかった。それが、一切効かない相手。動揺なんて生易しいものじゃないわ。衝撃だった。感動すら覚えた」


 どんなことでもいいわ。

 初めての経験をした時、人であろうと魔物であろうと、純粋に魂が打ち震えるものなのよ。それは生きとし生けるものなら全て該当し、魂を宿すものならば等しく享受できる必然の権利。たったあれだけのものだったけれど、私の中では、革命が起きた。


「その後は、どうなったのですか」

「帰っちゃった」

「え?」

「魂が見える相手はさすがに分が悪いから、退かせてもらえないかって」

「ド直球ですね」

「偽っても無意味なのだから、むしろ当然かも。でもあんなにはっきり言うとは思わなかったけどね」

「……それで?」

「あら、どうしたの」

「誤魔化さないでください。今回の件による、フレイヤの結論を聞きたいのです」


 その言葉にはいろいろな意味が込められているわね。でも、どの方面から答えたとしても……。

 行きつく先は決まっている。

 息つく暇すらないように。

 だってもう、私の答えは、決まっているのだから。

 ねぇ、ルェン。と、猫なで声で彼女にささやく。その声色に、彼女は瞬間的に姿勢を正した。何を感じ、何を見たのかわからない。けれどもルェンの魂は氷のように冷たくて、でもひび割れそうなぐらい小刻みに震える。ごめんなさい、ルェン。貴方が危惧しているものは十二分に理解しているつもりなの。

 

 でも。

 無理。

 えぇ。

 止められない。


「所詮、この世は男と女。オスとメス。惹かれ合わずして何を引き合わせるというのかしら」

「フレ、イヤ」

「どんな世界であろうとも、どんな生き方であろうとも、魂が発狂するぐらいの衝撃を受ける時というものは…………一つか、二つ」

「フレイヤ」

「そしてその時というものは、存外あっけなく来るものなのよ。ならば、私はどうしたらいいのかしら」

「フレイヤ……!」

「私はね、ルェン」

「フレイヤ!!!」



 ────シルディッド・アシュランが、欲しい。



「あの方にはモモ・シャルロッティア嬢がいます!」

「詮無きことよ」

「今の貴方は常軌を逸しています!」

「そうね。だから次に会うのは一回だけよ」

「一回も……! え? はえ? 一回、だけ?」

「えぇ。一回だけ」

「いつ?」

「さぁ?」


 呆然としてその場で固まるルェン。


「ルェン。覚えておきなさい。いい女というものはね、意中の相手に会った回数では決して決まらないの。“質”なのよ」

「……」

「どれだけ相手に私という存在を忘れさせないかが重要なの。一度だけの出会いでも、決して忘れることのできない衝撃を、いかに相手に与えるか。魅せれるか。それが、最も女として必要なことよ」

「だから、次の一回でいいと?」

「そうよ。前座、前菜、前置きは終わったの。完璧なほどに整った。そして次に出会う時、一生に二度だけでいい相手とはとても思えないほどの“質”を彼に魅せた時、私と彼の物語は一つになる。始まりを告げる」

「……では、次回というのいつですか」

「わからないわ。でも、きっと来る。必ずその時はやって来る」

「勘ですか」

「勘よ」

「貴方の勘は外れた例がありません……はぁ」


 身体を上下させながら感情を表に出していたルェン。今は先ほどとは違い、随分と落着きを取り戻しているわね。いつもながらこの子の表情や仕草は見てて飽きないわぁ。楽しいしずっと一緒にいてもいいぐらい。

 まぁ、今までアズール一行と行動を共にしてきたのだから、シルディッド・アシュランの味方になりたい気持ちもわからなくもないけど。ルェン、貴方はクロネアの人間であることを忘れては駄目よ? あくまで、仕事として捉えないと。……あら、私情で動き回っている私の言えたことじゃないわね。ウフフフフフ。


「どうするんですか、シェリナ様に何と言うおつもりですか」

「それなら大丈夫。もうシェリナはアズールのことなんて、気にしていないから」

「そうなんですか?」

「ジン王子が嫌いだから躍起になっていただけよ。今は元に戻ったから安心して」

「……なら」

「えぇ、えぇ、ご名答。元々シェリナはアズールに構ってなんていられないはずなのよ。今年であの子は学園啓都を卒業する身。なら、はっきりとしなくてはならないことがある。そっちに集中してもらわねば、私たちとしても困るもの」

「フレイヤ……」


 そう。

 私たちの姫には、刻一刻と期限が迫ってきている。アズールと遊んでいる暇はもうない。

 あの子は、あの子の未来のために動かなければならない。自身のため、そしてクロネアの未来のために。ルェンはもちろん、それは十三極長全員が心配していること。我らが次期女王が、今年中に決断できるのかどうか。


「ねぇルェン」

「何でしょう」

「今夜は、大雨の予報だったわね」

「はい」

「今年一番の豪雨とか」

「えぇ。それがどうかしたのですか?」


 今のルェンの表情を世の男性が見たならば、惚れる可能性大ね。子犬が首を傾げたような、愛くるしい仕草。それが素でできるのだから羨ましいわ。


「六百年前、アズールとクロネアが互いに武力衝突したコエン戦争。初代アズール王がその奇天烈な行動によって随分とやんちゃをされたと記されているけれど……結局はどう終結したか、知ってる?」

「和解、だったかと。初代アズール王がとある晩、当時のクロネア王、ゾイガン・モントール・クローネリ様の屋敷に忍び込んで酒を交えて語り合ったとか。互いの武勇を男同士、熱く論じたそうですね。男性はこの逸話を好きな方が多いとよく聞きます。私も結構好きですよっ!」

「そうそう、あれね、本当はお酒だけじゃなくて屋敷内にあった女湯を一緒に覗きに行ったそうよ」

「……………………」

「まぁルェンがドン引きしちゃう裏知識はともかく。その日はね、尋常じゃなく前が見えないほどの、大雨だったそうよ」

「雨」

「そう。クロネアでは昔から、ある大きな契機が訪れる夜には必ず……豪雨になると伝えられているわ」


 二人で一緒に窓を見る。

 既に外はどんよりとした曇り空。どす黒い天空の絨毯が、学園啓都をすっぽりと覆う。

 これも天命なのかしら。

 それとも悪運なのかしら。

 はたまた因果なのかしら。 

 どちらにせよ、私がやるべきことは愛しい愛しい私の姫を支えること。恋愛も大事だけど、えぇ、まぁ、どちらも大事といきましょう。刺激的な事柄は、多いに越したことはないのだから。そうでしょ? シェリナ。


 貴方の未来は、貴方が開けるのよ。



「今夜は……荒れそうね」


 

 私の勘では今夜、アズール側に、クロネアをも呑み込むほどの“契機”が訪れる。

 シルディッド・アシュラン。

 貴方はその時、何をするのかしら?




   ★ ★ ★

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