手強い相手
「古代魔術か。久しぶりにその名を聞いたよ。いや、あの時は古代なんて大それた名前じゃなかったけどね」
ツンツンに尖った頭を触りながら赤いスカートをめくる。スラリと伸びた細い脚が見え隠れし色っぽい。そんな女性らしい容姿をしていながらも、未だに目の前の存在を女性と認識できない。まるでだまし絵のように、見る角度によって惑わせる不思議な力があった。
「お兄さんの国にとって古代魔法はどういう代物なんだい?」
「失われた魔法ですね。今の我々では到達できない未知の魔法です」
「そうだね。古代魔術も似たような部分がある。最初に魔術の始まりとされる獣叉魔術を発現したのは、今から一千六百年前。クロネアの歴史としては、そこから始まっている。建国したのが一千四百年前だからまぁそんなところかな。ちなみにぃ……魔法の始まりはいつか知っているのかな」
「今から一千八百年前です。僕らアズール人が住まうクローデリア大陸に生きる人々の歴史の始まりでもあります」
「そうさ。余の記憶が確かなら、双方の歴史の始まりは、魔法と魔術の始まりでもある。だがね、歴史が全て正しいとは限らない」
不死となってから、一千年の時を生き続けてきた鯨は懐かしそうに外を見た。灰色と黒の綿あめを絨毯状に伸ばしたような曇り空。午後から小雨のようで、早めに帰った方がいいかもしれない。
「こと古代魔法も古代魔術も、始まったとされる一千八百年前と一千六百年前より『以前』に生まれたものだ。既に魔法や魔術を体得していた未開の者たちが作り上げた結晶に他ならない。だが、残念なことに彼らはそれを世に残す前に絶滅してしまった。絶滅したはずの生き残りか、はたまた伝承か、古代魔法ないし魔術は同じ経路を辿って今の世に残っている」
「……」
前世において、一千八百年前となれば人が毛皮を着て稲刈りをしていた時代だ。
対し、今の世界では魔法が初めて生まれた時代。僕らにとって魔法こそが文化・文明の結晶であり魔法の成り立ちを学ぶことが歴史を学ぶことにもなる。
そして、前世における『オーパーツ』や『超古代文明』が、僕らにおける『古代魔法』となる。“不死なる図書”が言っていることは理解できるし前世と照らし合わせても繋がるものだった。ちなみに現在における七大魔法は、細かく言えばこの一千年以上の歴史の中で極めて複雑化している。前世で考えると一千年以上も時が経過すれば相当な文明の進化がもたらされた。されどクローデリア大陸では魔法をひたすら研究・研磨し向上させてきた。
たかが魔法だけで、と鼻で笑われるかもしれない。
しかし。
何ももたぬ人間から、魔法を生み出し実用化させるまでの道のりは、想像を絶するものであり、一千年以上かかった今でも、未解明の領域は多いのである……。そう考えれば、この世界における『古代』の意味が一際恐ろしくもあった。古代魔法ないし古代魔術を会得していた彼らは、いったいどのような連中であったのだろうか、と。
不可解なる存在の言葉は続く。
「余はそんな未開の者たちが、どのように生き死んでいったのかを見てきた。皇鯨と呼ばれていただけはあって長寿の生物だったのでね」
「古代魔術について、知っているのですね」
「いいや」
「え?」
「余が古代魔術で知っているのは以上だ」
「そんな!? 嘘はやめてください!」
「嘘ではない。余が嘘をついてどうするのだ」
「候補に上がっている四つの謎を解く鍵は、間違いなく古代魔術のはずです! 貴方が知らないはずがない!」
「──三つ存在した」
「……」
「古代魔術は、三つ存在した」
「どうあっても教えないということですか」
「これ以上話すと、また余計なことを言ってしまいそうだ。悪い癖だ。今日はこのあたりで終わらせるとしよう」
無表情。感情を吐き捨てたように言葉だけを紡ぐ。
質問に答えるとしたのに、いざ話せば蜻蛉きりのような状態となった。……けれど、本来なら僕は自力で答えを探さないといけない身。彼もしくは彼女が話したくないとする以上、強引に聞き出すわけにもいかない。
同時にそれは、話したくない理由があるからに他ならない。古代魔術について踏み込んでしまうとあちら側にとって何か問題があるからだ。謎を解く重大な鍵がそこにある。第二試練の答えへ一気に近づけることにもなる。
「今日はいつもと雰囲気が違うんですね」
「話を変えようと思わせて不意の一手を仕込む算段だな? 余には効かんぞ」
「違いますよ。本当にそう思っただけです。そもそもずっとおかしいと思っていた。どうしてあなたに対して僕は男女の区別ができないのか。見た目は充分女性らしいのに『頭』が違うと言っているような気分になる。いったいどういう仕掛けですか」
「それを解き明かすのがキミの仕事じゃないのかね」
「と、いうことは男女入り乱れた容姿をしているのにも、原因があるんですね」
「……。むぅ。余はお兄さんが嫌いになりそうだ」
「掴めるものは全部掴みます」
「最低」
「こっちも本気なので」
一息。
「満足したかい? そろそろお別れといこうじゃないか」
「残念です。正直、収穫がない」
「余としてはお兄さんの性格が悪いと知れた時点で充分な収穫さ」
「次回は会っていただけるのですか」
「うーん、まぁキミと話すのは好きだからね。余としては、謎を抜きにすると会いたいかな」
「会いたい?」
「あぁ。ちょっとばかり、お兄さんからきな臭い感じがするね。どうにも面倒な輩がお兄さんを狙っているようだ」
ニタリと顎を触りながら余裕の笑みを浮かべている。
面倒な輩。思い当たる節がないわけではない。先日あった尾行者についてだ。あれは結局、ジンを標的にしていた賊だったという結論で終わったが、自分の中ではモヤモヤしている感覚がまだある。考えすぎかもしれないが、シェリナ王女が尾行者の情報開示を否としたことが一番の要因だ。普通なら反アズール組織の一員だったと言うはずなのに。
彼女はそれすらも言わず、即座に謝罪し、一切の情報を拒否した。
つまり、僕らの予想とは違う……別の要因があったからこそ、あのような対応をとらざるをえなかったのではないだろうか。
「気を付けたまえ。次回は、うん、面倒な輩がいなかったら会おう。いたら会わないよ。余はお兄さんと話がしたいのだ」
「今更ですが、どうして僕とそんなに接触しようとしてくれているのですか」
「答えず」
「いよいよ一言に集約してきましたね……!」
「だってそうしないとまた根掘り葉掘り言われそうだもん。余はそこまで頭はよくないのだよ。だが話すことは好きだ。ふふん、どうだこの面倒な存在。素敵だろう?」
「えぇ。なら次は、その面倒な輩とのいざこざを終わらせて会いに来ます」
「楽しみにしてるよ。それと最後に、『お兄さん』というのもよくないね。名前を教えてくれるかな」
「シルディッド・アシュランです。皆からはシルドと呼ばれています」
「いい名だ。では余のことを今度からこう呼んでほしい────ブロウザと」
「ッ!?」
「では、また」
してやったりという表情と言葉を残して、目の前からブロウザは消えた。
館内の奥にいるためか、元に戻ってもとりわけ変わることもなかった。背伸びをすると、数人の姿が見える程度である。息を吐き、やや重い足取りで四階へと上がる。考えをまとめるためにも出来るだけ高い場所から、のんびりと眺めたかったからだ。
階段を上がり終わって外を見た時には、曇りだった空はちょっと小雨が降っていた。
一人で佇みながら、ポツポツと草原に水を撒く景色を見てぼんやりとする。
……何が『今日は収穫がない』だ。ちくしょう、大きな大きな爆弾を手に入れてしまった。まさか最後にあんな返しがこようとは思いもしなかった。しかも謎をさらにややこしくするものじゃないか。いつも持ち歩いている本をバックから取り出し表紙を見る。ここに来てそれを見ることはあまりなかったが、不思議と常に持ち歩いてしまう自分がいた。
『ブロウザの大冒険』
第一試練に合格し、ステラさんから第二試練を決めるために好きな本を一冊選びなさいと言われた。あの時、良く言えば己の直感で、悪く言えば適当に取った本。冥界という世界へブロウザが渡り、運命的な出会いをした用心棒を雇って自分の世界へ戻るため奮闘していく小説。実際に読んでみると、小説ではなく絵本のような書き方で物語が描かれる。
自分のことをブロウザと呼べとは……繋がりを全面に押し出してきたか。
『余はそこまで頭はよくない』とは随分と舐められたものだ。全て計算の内で最後にあの名前を告げて終わらせる算段だったに違いない。なら僕が古代魔術について聞いてくるのも想定内だった可能性すらある。
浅慮だった。
相手は一千年の時を生きる魔獣なのだ。少しの油断も許されない。
ステラさんとは一線を画す相手である。隙があるように見える立ち振る舞いも、饒舌な言い回しも、どこか親しげな性格も……見事に惑わされた。なかなかに手強い。だが動じるつもりもないさ。最後に名前を告げられたのは僕からすれば貴重な情報だった。活かさない手はない。
さて、新しい収穫があったことに喜びを感じつつ、これから僕がすべきことは……一つか。
「面倒な輩とやらを、やっつけるとしよう」
数日の間に終わらせたいな。
こっちはまだまだやることが、山積みなんでね。
* * *
「皆、準備はどうかしら?」
≪はい『妃人』様。滞りなく≫
「うふふ、楽しみ。彼と私が初めて出会う場所になるのだから、用意は万全にしないとね」
「あまり……こういうのはどうかと思います」
「あらルェン。貴方も賛同してくれたじゃない。今更反対はひどいわ」
「ひどいというか、その、私たちはアシュラン様と接触が禁じられているのですよ」
「護衛と尾行が禁じられているだけで、接触は問題ないはず。それに、どこぞの怪しい人でなしと違って私は堂々と行くわ。第四極長として誇りある登場をするの」
「……彼にはモモ・シャルロッティア嬢がいます」
「恋人なの?」
「いえ、恋人ではないようですが互いに意識はしている仲かと」
「なら問題ないでしょう」
「え?」
「私は単純に彼と接触したいだけ。今のところは別段、異性として見ていない。ね? 問題ないでしょう。加えて彼には恋人はいない。何も変なところなんてない」
「……」
「では、最後の調整に入りましょう。皆、よろしくね」
≪はい!≫
一息。
「はぁ。第六極長ともあろう者が何をやっているんだろう。『今のところは』……なんて、まるでこれからは違うと言っているみたい。シェリナ様からの許可があったとはいえ、まさか彼女が動くなんて考えもしなかった。でも、今まで『妃人』が男性に興味を持ったとしても全て思い違いで終わっていたし。だから大丈夫と思うのですが……こんなにも不安が渦を巻き大きくなるのは、いったい何故なのでしょうか。
ううん、こんなんじゃ駄目。愚考の極み。
私にできることをやろう。今更悔いても仕方ないわ。
予定通り明後日、アシュラン様を例の場所にお連れして……『忠告』しよう。それが私にできる────唯一の行動だから」