白い結婚には白い神子が宿る
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※ネタバレですが元夫死んだので一応残酷タグにチェックしました
白い結婚には白い神子が宿る
リリーナ・フォン・アルテアは、伯爵家の令嬢として育てられた。
穏やかで控えめな性格の彼女は、社交界でも「雪の花」と呼ばれ、静かな美しさで知られていた。
そんな彼女に舞い込んできた縁談は、隣国との交易で力を持つラインハルト伯爵家への嫁入りだった。父は大喜びで承諾し、リリーナも「良い妻になります」と微笑んだ。
しかし、結婚式の夜、すべてが狂った。
「愛する女性がいる。君とは、形だけの夫婦でいい」
新婚初夜の寝室で、夫であるエドガー・ラインハルトは冷たく告げた。金髪に鋭い青い瞳の美丈夫は、リリーナの肩に手を置くこともなく、ただ契約書のように言葉を並べた。
「白い結婚だ。触れ合う必要はない。跡取りは愛する者との子を養子にすれば、それで十分だ」
リリーナは震える声で尋ねた。
「…その女性は、どこに?」
「関係ない。君は伯爵夫人として振る舞えばいい。3年後に離縁してやる」
それが、リリーナの結婚生活の始まりだった。
ラインハルト邸は豪奢だったが、リリーナにとっては氷の牢獄だった。義母であるロザリア夫人は、毎日のようにリリーナを責め立てた。
「まだ子供が出来ないのですか? あなたのような凡庸な娘を娶った息子の不幸ですわ。早く跡取りを産みなさい!」
メイドたちも義母の意を汲み、リリーナへの対応は冷ややかだった。食事は遅く運ばれ、衣装は流行遅れのものを与えられ、庭園を散歩する権利さえ制限された。
エドガーはほとんど屋敷にいなかった。愛人である男爵令嬢の屋敷に通い、時折帰ってきてはリリーナを石女として振る舞った。
耐えきれなくなったリリーナは、ある雨の夜、ラインハルト邸を抜け出した。
王都の中央大聖堂へ向かい、王国の守護神《白き聖母》の像の前に跪いた。
「どうか、私に救いを…。この苦しみを、誰かに分かち合いたくはありません。ただ、生きる意味を…」
涙が石の床に落ちる。処女の身でありながら、奇妙な温かさが下腹部に広がった。
その夜、リリーナは夢を見た。白い光に包まれた女神が、優しく微笑む夢を。
三ヶ月後、リリーナの体に異変が起きた。
吐き気、倦怠感、そして…月経が止まった。医師を呼ぶと、彼は震える声で告げた。
「伯爵夫人…おめでとうございます。ご懐妊です」
エドガーはそれを聞いてリリーナに嘲笑った。
「浮気か?誰の種だ?」
しかし、妊娠が進行するにつれ、異変は明らかになった。リリーナの肌がますます白く透き通り、髪に銀色の光沢が加わった。そして臨月を迎えたある朝——。
激しい陣痛の末、リリーナが産み落としたのは、雪のように白い肌と髪を持つ、宝石のような赤ん坊だった。瞳は淡い紫色で、泣き声すら神聖に響いた。
大聖堂の神官が駆けつけ、跪いた。
「これは…《白き聖子》!守護神の血を引く御子に間違いありません!」
噂は瞬く間に王都中に広がり、王宮にまで届いた。
王陛下は直々にラインハルト邸を訪れ、赤ん坊を抱き上げた。
「これは神からの贈り物だ。リリーナよ、よくぞこの子を産んだ。直ちに王太子の婚約者として迎え入れよ。母子ともに、王都の離宮に移り、最高の待遇を与える」
エドガーの顔が青ざめた。
「陛下、それは…この子は私の血を引いていない、不貞の子なのです」
「黙れ!神の御子が生まれるのはリリーナが潔白である証拠!それに疑いを挟むとは、何たる不敬!」
王命により、王都から選りすぐりのメイドと侍女が派遣された。彼女たちはリリーナを「聖母」と呼び、赤ん坊を「聖子様」と崇めた。
冷たいラインハルト邸から一転、リリーナは暖かな離宮で暮らすようになった。
毎朝、聖母の祈りを捧げ、娘を抱きながら穏やかな時間を過ごす。娘の名は《セレスティア》。天の恵みを意味する。
エドガーは焦った。愛人との間に出来た子供を認知し、ラインハルト家の跡取りにしようと画策したが、すべてが裏目に出た。
彼は周囲に言いふらした。
「あの子供は浮気で出来たに違いない!リリーナは不貞を働いたのだ!白い髪など、ただの奇病に過ぎん!」
しかし、王都のメイドたちは優秀だった。すぐに調査が入り、エドガーの浮気、愛人の存在、白い結婚の強要がすべて明るみに出た。
「神の御子を侮辱し、王命による婚約を反故にしようとした罪は重い」
エドガーは王命により、エドガーは有責離縁とされ、爵位を剥奪された。領地は没収され、愛人である男爵令嬢とともに王都から追放された。
そしてリリーナは実家であるアルテア伯爵家に戻った。王の計らいで、セレスティアとともに静かな領地で暮らすことが許された。
父と母は、娘を抱きしめて泣いた。
「よく耐えたな、リリーナ。お前は神の祝福を受けた立派な娘だ。何も責めはしない。むしろ誇りに思う」
王都から派遣されたメイドたちは優秀で、誠実だった。セレスティアはすくすくと育ち、時折不思議な光を放つようになった。花が咲き、病める者が癒される——そんな奇跡が、彼女の周りで起き始めた。
リリーナは毎朝、娘を抱いて守護神に祈りを捧げる。
「ありがとうございます。私に、この子を授けてくださって」
数年後。セレスティアは王太子の婚約者として王宮に迎えられ、リリーナは「聖母の巫女」として敬われるようになった。
一方、元夫エドガーは、まだ希望を捨てていなかった。
「ふざけるな…あんな凡庸な女が聖母だと? すべては私の財産だ!」
彼はかつての取引先や貴族仲間を訪ね回り、助力を求めた。しかし、返ってきたのは冷たい視線と閉ざされた扉ばかりだった。
「ラインハルト卿…いえ、もう卿ではないのでしたね。神の御子を不貞の子呼ばわりした男に、誰が手を貸しますか?」
ある大商人は吐き捨てるように言った。
「あなたがリリーナ様を氷の牢獄に閉じ込め、愛人を屋敷に呼び込んでいたことなど、すでにすべて調べがついています。商売敵にまで情報が流れた今、私どもはもうあなたとは関わりたくありません」
エドガーは必死に愛人の手を取り、貧民街の安い小屋に転がり込んだ。愛人は最初こそ「一緒に頑張りましょう」と甘い言葉をかけていたが、食卓に粗末なパンと薄いスープしか並ばなくなると、顔色を変えた。
「私、こんな生活耐えられないわ!あなたが爵位を取り戻すって言ったじゃない!」
三ヶ月後、愛人はエドガーのわずかな金を盗んで、別の裕福な商人と駆け落ちした。残されたエドガーは、酒に溺れるしかなかった。
昼間は酒場の隅で震える手で杯を傾け、夜になると路地裏でぼろを纏って寝転がる日々。かつての美丈夫の面影はどこにもなく、髪は脂ぎって乱れ、青い瞳は血走り、頰はこけていた。
ある雨の夜、酔いつぶれたエドガーは、ふらふらと王都の中央広場まで流れてきた。そこでは聖母の巫女として敬われるリリーナと、幼いセレスティアが王太子とともに馬車で通りかかるところだった。
白く輝く髪の少女は、母の手を握り、通りすがりの人々に優しく微笑んでいた。周囲の民衆が「聖子様」「聖母様」と跪く光景が、エドガーの目には地獄のように映った。
「…リリーナ…お前が……」
エドガーは思わず叫ぼうとしたが、声は枯れて嗄れた咳に変わった。衛兵に気づかれ、汚らしい浮浪者として蹴飛ばされ、路地に転がされた。
「その女は俺の妻だったんだぞ…!俺が捨てたはずの女が…なぜ…!」
彼は泥の中で這い蹲り、激しく嘔吐した。胃の中の安酒と一緒に、かつての傲慢さと後悔が混じり合って溢れ出た。 元部下の一人が、たまたまその姿を見かけた。
「昔はあんなに傲慢で、夫人を石女呼ばわりして笑っていたくせに…ざまぁみろ、だな」
エドガーは最後に一度だけ、アルテア領の近くまで辿り着いたという。遠くから、華やかな離宮で花を愛でるリリーナと、奇跡を起こすセレスティアの姿を盗み見た。
その夜、彼は廃屋で高熱を出して倒れた。誰も看病する者はいなかった。かつて彼が「凡庸」と蔑んだリリーナの優しさなど、当然ながら届くはずもなかった。
数日後、エドガーは路地裏で息絶えた。死に際に彼が呟いた最後の言葉は、酒場の常連たちに語り草となった。
「白い結婚が…白い子を…俺の人生を…奪った…」
人々は嘲るように笑った。
「神は、純粋な者の祈りを決して見捨てない。そして、汚れた者の傲慢は、必ず自らを滅ぼすのだ」
リリーナは娘の手を握り、静かに微笑んだ。
雪のように純白で、しかし温かな未来が、彼女たちの前に広がっていた。




