第1話 雪の王都・断罪祭
冬至前夜、王都ルミナは凍てつく風に包まれていた。
氷の街路を行き交う民の吐息が、灯籠の光に白く散る。鐘楼の頂から、ひときわ重い音が響いた。――断罪祭の始まりを告げる鐘だ。
ユウトは列の中で、息を殺していた。神殿が定めた手順書通りに、ひとりの勇者として進む。肩には神剣〈リコール〉。刃に刻まれた紋章が、祭壇の光を反射して淡く瞬く。
氷の城塞都市ルミナ。
千年に一度、“滅びの女王”が棺から目覚めるという。
そして毎回、彼女は断罪される。世界を維持するための儀式――そう教えられてきた。
けれど、玉座の間の空気は、どこかおかしかった。
群衆のざわめきが、冷えた空気に沈んでいる。ガレン聖騎士長が儀礼的に罪状を読み上げ、巫女マリアが神託の詔を宣言する。
「女王を討て、世界は続く」
それがこの街の伝統であり、安定を約束する合図だった。
ユウトは無言で剣を抜いた。金属の音が、厳粛な空間に冷たく響く。
ゆっくりと、一歩踏み出す。
その瞬間だった。
玉座の上の女王が、わずかに睫毛を震わせた。
氷の結晶のような白金の髪、透き通る肌。虚ろな人形のように見えたその瞳が、恐怖に揺れている。
そして、ほとんど聞こえない声で――
「……助けて」
ユウトの視界が、白く脈打った。
神剣〈リコール〉が、かすかに音を立てる。“巻き戻し”の囁き。
彼にしか聞こえないはずの声。
だが、今回は“鳴るだけ”だった。時間は戻らない。
つまり、巻き戻せない未来が、ここから始まる。
ユウトは剣を握り直し、刃を横に払った。
斬ったのは――台座だ。
氷の破片が飛び散り、火花のように煌めく。
「規則違反だ、勇者!」
ガレンの怒声が飛ぶ。鎧の音が連鎖し、聖騎士たちが動き出す。
マリアが震える唇で詔文を握りしめたまま、動けない。
ユウトは剣先を下げ、群衆に向き直った。
「この女王は――誰も呪っていない!」
ざわめきが爆ぜる。神殿の禁句。誰もが口にしてはならない言葉。
聖騎士たちが突進してくる。ユウトは女王のもとへ駆け寄り、その身体を抱き上げる。
冷たい。けれど、その温度の奥に、人間の熱がある。
側面通路へ走り出した瞬間、天井から氷柱が崩れ落ちた。
追ってくる騎士たちを阻むように、何本もの氷が道を塞ぐ。
女王の胸が上下している。無意識のうちに“冬の守り”を発動したのだ。
「あなた……なぜ……?」
「話はあとだ。立てるか?」
「ええ。でも、長くは……」
二人は薄暗い通路を抜け、氷壁の裂け目から外へ飛び出した。
外は、白。雪が舞う王都の外縁。
鐘の二打目が遠くで響いた。断罪の続行を知らせる音。
女王は震える声で告げた。
「私が棺に眠っていたのは、力を抑えるため。私が目覚めていると、世界の“疲れ”が私の中に流れ込むの。だから、長くは生きられないのよ」
ユウトは息を呑んだ。
幼い頃、見たことがある。“断罪の翌日”、雪が清くなる現象を。
あれは――血の洗浄じゃない。疲弊した世界を、女王が“引き受けていた”のではないか。
確信しかけるが、証明はできない。
ただ、信じるしかない。
「くそ……あんなのが正義かよ」
吐き出すように呟く。
女王は少し驚いたように、彼を見上げた。
「あなたは勇者でしょう? どうして私を助けたの?」
ユウトは短く答える。
「斬らないでいられるなら、それが一番強いと思ったからだ」
女王の瞳が、わずかに揺れた。
それは氷の奥に差した光のようだった。
風が吹き抜ける。鐘の音が遠のく。
ルミナの外壁を越え、二人は夜の雪原へと駆け出した。
***
その頃、神殿ではガレンが怒声を上げていた。
「勇者ユウト、資格を剥奪する! 女王共々、討伐対象とせよ!」
巫女マリアは目を伏せたまま、祈りを送った。
“真実を見つけて。もし間違っていたら、私が止める”――誰にも聞こえない声で。
***
雪原の上、二人の影が伸びる。
女王の息は浅く、頬は青ざめていた。ユウトは外套を脱ぎ、彼女にかけた。
「世界の疲れ、か……それって、どんな感じなんだ?」
「息を吸うたびに、何千人分の悲鳴が胸に刺さるの。少しずつ、心が削れていく」
「そんなもん、誰が耐えられるってんだ」
彼女は微笑んだ。
「あなたは優しいのね」
「いや、俺はただ、怖いだけだ。自分が誰かを斬るのが」
その言葉に、女王は少し目を見開く。
そして、ふと雪を見上げた。
「昔の私も、そうだったのかもしれない」
「“昔”?」
「ええ。千年前の“滅びの女王”だった頃の記憶が、少しだけ残ってる。
戦争を止めるために、私は自分を“器”にした。人の悲しみを受け入れる箱に。
けれど結局、人々は私を“災い”と呼んだ」
「……皮肉だな」
「そうね。けれど、あなたが最初に名前を呼んでくれた。
イリス、と。そう言われるだけで、少しあたたかくなるの」
ユウトは一歩進み、夜の彼方を見つめた。
「だったら、もう一回世界を信じさせてやるよ。千年分の誤解、全部覆す」
イリスは苦笑する。
「そんなこと、ひとりでできるの?」
「勇者なんだぜ。一応」
雪が細かく舞い、夜が静かに深まっていく。
背後では、遠く王都の鐘が三度目を鳴らした。
***
その夜、ルミナの空を、異変が走った。
神殿の天蓋から光の線が伸び、空を裂く。
“断罪儀式”が自動起動したのだ。
女王の血が城外に出た時、神の装置が作動する仕組み。
地平線の彼方から、氷の嵐が押し寄せてくる。
ユウトは女王の手を掴んだ。
「立てるか、イリス!」
「ええ……でも、もう時間がない」
「じゃあ、時間を稼ぐ。神剣、聞こえるか」
〈リコール〉が微かに鳴いた。
巻き戻しの音。けれど、今度は――確かな意志をもって。
ユウトは空を見上げる。
「一度だけ、世界をやり直せるんだろ。じゃあ次は、“斬らない勇者”として選ばせろ」
刃が光を帯び、彼の腕を包む。雪が止まり、風が逆流した。
イリスの髪が宙に舞う。
鐘の音が遠のき、すべてが白に溶けていく。
***
雪の降る夜、少年は“滅びの女王”の手を取った。
その選択が、千年続いた断罪の輪を断ち切ることになると、誰もまだ知らない。
「あなた、どうして私を?」
「斬らないでいられるなら、それが一番強いと思った」
その言葉が、雪に溶けて消える。
氷の王都の上空に、静かに光が満ちていった。
――物語は、ここから反転して動き出す。




