第六話:逃走先の街コンで
「……やっと、会えたかも」
笑っていた。自然に、心から。
結衣子は、自分でも驚いていた。
そうそう。
こういう、普通に清潔感があって、ちゃんと会話が成立して、こっちの話も聞いてくれて、笑わせてくれる——
そういう、“普通の人”を、ずっと探していたのだ。
*
若葉が揺れ、木漏れ日が風にさらわれていく。
やわらかな風が、袖の先をそっと撫でた。
ここは——神様がつくった、“結婚しなければ帰れない”婚活専用の異世界。
32歳、崖っぷち拗らせ婚活女・椿 結衣子。
ハイスペばかりと付き合ってきた彼女は、神に紹介された“釣り合いの取れた男たち”と向き合うなかで、思い知ることになる。
——現実って、こんなにシビアだったの!?
夢も理想も砕け散って、それでもあきらめきれなくて。
せめて、“普通の人”と出会いたい——その一心で、神の元を飛び出した。
いまは、“出会い”の時代。
自分の足で歩き、自分の目で確かめ、自分を好きになってくれる誰かを探していく。
その先に、“運命の人”が待っていると信じて。
*
──時は少し、遡る。
掲示板に貼られた《街コン開催!参加者募集中》というチラシが、ふと目に入った。
気になって、そこに記された詳細を読み込んでいくと——
“1人参加限定”の文字が飛び込んできた。
(……やった!)
結衣子の心に、火がついた。
“1人参加限定”というその条件が、まるで希望の光のように輝いて見えた。
「これなら……勝てる!」
即エントリーを済ませて、会場へ。
到着してすぐ、受付でもらったネーム札を胸につけながら、結衣子は深呼吸する。
(今日は“ソロ限定”の街コン!)
(つまり、友達同士の身内ノリとか、結婚する気ないのに相方に無理やり連れてこられた人とかは、いないってことよね……!)
(ならば……パッとしない男とマンツーマンで数時間を消耗するより、数打ちゃ当たる多対多!効率の良い婚活戦法で行く!!)
……そう、思っていた。
思っていたのだ。ほんの数分前までは。
しかし現実は、残酷だった。
会場内。
ほんのり灯るモダンな提灯が、空間全体をやわらかく照らしている。
壁際には、紫陽花と風鈴をあしらった小さな装飾。
時折ふわりと風が通り抜けるような気がして、それが仕組まれた風だとは思えなかった。
テーブルの上には、ろうそくのように揺れる、幻想の灯り。
聞き慣れない楽器のようなBGMがかすかに流れていて、現実のような、夢のような空気がそこにあった。
男性は4人、女性は2人。
女性が一人ずつテーブルを回って話すスタイルだった。
(……つまり、数打ちゃ当たる婚活戦法にぴったりってこと!)
目の前の席には、すでに3人の男性たちが腰を下ろしていた。
誰もが、何かしらの「不安材料」をまとっている気配。
(……うん、まぁ、見た目だけで判断するのはよくない。うん、よくない)
(問題は中身。トークだよ、トーク……!)
◆1人目:オオクボ(38)
「……」
「あ、あの……趣味とか……」
「ないです」
(喋った!!……いやでも、トーン低ッ!?)
(なに?威圧系?武士?それとも上司に“そろそろ君も落ち着きなさい”って言わてれて渋々参加してる人…とか!?)
「…………」
(……え、あの……何しに来たの???)
目線はずっと下。姿勢も固く、顔色も暗い。
笑顔ナシ。言葉ナシ。あたりに漂うのは、息苦しいほどの静けさだった。
(ちょっと待って、なんか、酸素薄くない?わたし、ここで死ぬ??)
1分後、結衣子は静かに箸置きを見つめた。
◆2人目:ナカジマ(26)
「俺ってマジで共感力すごいんすよ!マジで!」
「小動物の気配とかすぐ感じるし、職場の女子の髪型の変化にも3秒で気づくって言われて!」
「そ、そうなんですか……」
「あと俺、保育園の頃にひとりだけ昼寝できなかったタイプで!」
「お、おう……」
(ちょ、待って、なんで情報量だけ無限大!?)
(むしろ今、目の前の“この女の子の変化”に気づいてくれ!!)
目が合うたびに目力が来る。
手の動きも大きくて、終始ハイテンション。
どこまでも、“彼の中の”共感力だけが空回っている。
(うん……次。次いこ……)
◆3人目:フセ(34)
「…実家が、寺なんですよ」
「あっ、そうなんですか。落ち着いた雰囲気、すごく素敵です……」
(……なんかこの感じ、覚えある……)
(そうだ、佐久間さん……あのときと同じ、“こっちから盛り上げないと話が弾まない系”……!)
(……頑張れ、私……きっと彼は誠実タイプ……!)
「……先祖代々、禅宗で。いまは父が住職を……」
「あっ。じゃあ、将来的には跡を継がれるんですか……?」
「いえ、まだそこまでは……。ただ、祖父の代から——」
そのとき、静かに扉が開いた。
「……失礼します、遅れました」
(……あれ、今の声……)
一瞬、会場の空気がふわっと変わった気がした。
横を通り過ぎていく男性。黒と灰を基調にした羽織、刀帯、雪駄。
他の男性たちと同じはずの装いなのに——
(……あれ?和装って、こんなに……かっこよかったっけ?)
柔らかく整った髪、笑ったときの目元、さらりと着こなす姿勢。
それだけで、空気がひとつ変わった気がした。
「“悟りとは、日常の延長にある”と申しますが……」
(ちょ、無理。今、煩悩めっちゃこっち来てる。わたしの心の障子、今バキバキに破れてる)
「——たとえば、日々の掃除も“修行”として……」
(きゃー!いま笑った!……この世界、和装のポテンシャル高すぎない!?…え、なに?ごめん聞いてなかった。掃除がなんだって?)
「……うちの寺では、月初めに“心の塵払い”として——」
(…ごめん、ほんとにごめん。私、煩悩と戦う前から完封負けしてる)
——寺の君に集中できない理由が、“煩悩”そのもので本当にごめんなさい。
——南無三!!
*
「はじめまして。風間っていいます」
「あ、えっと……椿です」
「ネーム札、ちょっと曲がってますよ」
「……え、あっ、ありがとうございます……」
(ちょ、なにこの人……!)
声も、反応も、テンションも“ちょうどいい”。
地味すぎず、チャラすぎず、こちらの話にちゃんと笑ってくれる。
目を見て話すけど、じっと見すぎない。
“普通”って、こういうことじゃなかったっけ——?
「転職、考えてるんですよ。今は商社なんですけど……もっと広い世界で、自分の力を試してみたいなって」
「へえ……すごい。しっかり考えてるんですね」
「いやいや、そんな。椿さんの方がすごいですよ」
「……最初に話しはじめたときから、空気感がなんか、柔らかくて」
「えっ、わ、私ですか!?」
(えっ……なにこれ……えっ、なにこれ!?)
「うまく言えないんですけど、“一緒にいて落ち着く人だな”って、直感で思いました」
「そ、そんな……!」
「いや、本当に。声も落ち着いてて話しやすいし。ちょっと笑うときの目元も……」
「え、ちょっと、やめてください、そんな……!」
「あっ、照れてる!…かわいい」
(やばいやばいやばい!!こんなん……落ちる!!)
(やっぱ今日、来てよかったぁぁぁ!!)
風間は、手元のプロフィールカードにふと視線を落とす。
さりげなく内容を確認すると、自然な笑みを浮かべながら顔を上げた。
「旅行、お好きなんですか?」
「はい、最近は国内が多いですけど……屋久島とか、行ってみたくて」
「えっ、僕も!縄文杉、絶対見てみたいって思ってたんです!」
「うそ!?」
「ほんとです。俺、長時間移動とか平気なタイプで、車で8時間とか普通に走れちゃうんですよ」
「え、えっ、そんな人いるんだ……!」
「運転は任せてください。助手席、絶対退屈させませんから」
「きゃっ!楽しみにしてます〜〜!!」
自然と笑いがこぼれる。
心が、ふわっと軽くなるのがわかる。
「椿さんって……どんな人がタイプなんですか?」
「え、私?えっと……普通に清潔感があって、ちゃんと話聞いてくれる人が……」
「じゃあ僕、けっこう当てはまってるかも」
「……あ……はは……」
「こういうとこで出会って“なんとなく”って始まる恋も、悪くないですよね。タイミングって、大事だと思うんです」
(えええええ、待って!?待って!?)
(この流れって、まさか、運命とか、そういうやつ……!?)
「僕、実は今日あんまり気乗りしてなかったんですけど——来てよかったな、って、今すごく思ってます」
(あっぶな……あっぶな……落ちるって……)
(もう半分くらい落ちてるって……!!)
風間がふと身を乗り出し、手を伸ばしてきた。
指先がそっと髪をかき分け、頬に触れる。
「……あ。ちょっと汗、にじんでる」
そう言って、葡萄染のハンカチで、そっと結衣子の頬を拭った。
「この部屋、少し暑いですね。空調、頼んできますね」
(……やば。優しさの暴力……)
(え、え、これって“次がある”流れじゃない!?)
(風間さんと“次”の約束してる……え、付き合うの?え、婚活、終わるの?)
(もう……この人でいいかも……)
(だって、ちゃんと話聞いてくれて、笑わせてくれて、褒めてくれて、共通点もあって……)
(これって、運命……?)
(あっ、また同じこと考えてる……)
(……だめだ、好き。もう好き。付き合って、結婚して、今すぐ名字変えさせて……!!)
***
——あの日、少しだけさかのぼると。
「しばらく……ほっといて……っ!!」
結衣子は、勢いよく立ち上がり、神殿を飛び出していった。
神が止めようとするのを、ハッピーがそっと制する。
「……神さん。ええんや」
「だが……彼女には時間がない。こんな寄り道をしている余裕は――」
「せやけど、急がば回れって言うやろ?」
風が吹き抜け、縁側の風鈴がチリリと鳴った。
しばらくの沈黙のあと、ハッピーがぽつりと言う。
「今までの恋愛と、お見合いで出された男たちのスペックの差……頭ではわかっとっても、心が追いつかへんのやないかな」
「このまま誰かを“選ばされて”もうたら……きっと、ずっとモヤモヤしたまんまやで」
「それって、ほんまの“幸せな結婚”とは、ちゃうやろ?」
ふっと、やさしく笑って、続けた。
「せやから、今は……走らせたったらええねん。納得するまで、あの子のやり方でやってみたらええ。」
「長い目で見たら、これがいちばんの近道やでな」
神は目を閉じて、しばらく風を感じていた。
「……お前が補佐でよかった。」
「女心というのは……本当に、難しいものだな」
「せやろ?ハッピーちゃん様〜言う気になったか?」
「フッ、バカを言え」
どこかあきれたように肩をすくめながらも、神は微笑を浮かべた。
「……とか言うて!今の心を入れ替えた結衣子やったら、サクーッといい男見つけて結婚してしまうかもしれんな!ワッハッハ!」
「そうだといいがな………」
「……まぁ」
「……まぁ?」
ハッピーが不思議そうに神の横顔を見上げた——
***
「結衣子さん、場所変えませんか。この店の雰囲気、ちょっと合わなくて……もう少し静かなとこ、知ってるんです」
風間が、グラスを置いて笑った。
(え、えっ!?二次会のお誘い!?)
心臓が、ひと跳ねした。
(え、うそ……これ、“次”の流れじゃない!?)
「でも……」
(なんか……なんか、今……急に……)
ほんのさっきまで、あんなにやわらかく感じていた空気が。
ふと、少しだけ……濁ったように見えた。
声のトーンは同じ。
笑顔も同じ。
でも、何かが違う。
ほんの一秒前と、なにかが。
(……気のせい、かな?)
いや、たぶん……違う。
さっきまでと同じ表情なのに、なぜかそこに“温度”が感じられなかった。
でも、結衣子は頷いた。
「……はい、少しだけなら」
その瞬間、風間の目が細くなったように見えた。
笑っている。けれど、その奥が、読めない。
彼はすっと立ち上がる。
「じゃ、行きましょうか」
背筋は伸びていて、歩き方も軽やかで、迷いなんてまったくなかった。
その背中を、結衣子は思わず追いかけてしまう。
(……ま、まぁ、でも……)
(変な人ってわけじゃないし、優しいし、楽しかったし……)
(それに、せっかく誘ってくれたんだし……)
足音が夜の街に吸い込まれていく。
——風間の少しだけ後ろを歩きながら、結衣子は話を弾ませていた。
「……それで私、“君”とか、“ちょっと”みたいな感じで、その部署の上司に一回も名前で呼ばれたことないんですよ〜!それがずっと引っかかってて〜」
「へぇ〜……いいじゃん、それ」
(……ん?)
声の調子が、ほんの少し遅れて返ってきた。
まるで、気持ちが少し遅れて追いついてきたような——
「……あ、ごめん。今のって、なんの話だっけ?」
「あ、いえ……そういえば、日が長くなってきましたね」
「……うん、たしかに」
(……まぁ、たまたまだよね…)
夜の街へ消えていく、ふたりの影。
店の灯りが遠ざかり、足音が並ぶ。
……はずだった。
(……あれ…)
気づけば、風間さんの歩幅がほんの少し早まっていた。
いや、それだけじゃない。返事のテンポも、なんとなく——ズレている。
話しかけても、一拍遅れて返ってくる感じ。
まるで、用意されたセリフを探してから答えてるみたいだった。
(さっきの話、やっぱ聞いてなかったよね……)
背中が、遠く感じる。
歩く速さだけじゃない。少しずつ、心が離れていくみたいだった。
声も、笑顔も変わらないのに、あたたかさだけが抜け落ちていく。
空気の中に、微かにひっかかるものが混じっていた。
気のせいかもしれない。でも、それはたしかにそこにあった。
風間の口元が、わずかに歪んだ。
*
神は縁側に座ったまま、夜風を受けていた。
遠くで、鈴の音がひとつ鳴った。
あの時の会話が、風の中でふっとよみがえる。
『……サクーッと、いい男見つけて、結婚してしまうかもしれへんな!ワッハッハ!』
『そうだといいがな……』
『……まぁ』
『……まぁ?』
目を細め、遠くを見つめた。
……まぁ。
——本当に、いい男、ならな。
次回:笑顔の奥に、なにが見える?




