第四話:寄り添う者たち、すれ違う者たち。
柔らかな光に包まれながら、結衣子はゆっくりと目を覚ました。
まぶたの裏に残る夢の名残が、少しずつ現実に溶けていく。
とはいえ、その“現実”さえ、どこか夢のようにふわりとしていた。
目に入ったのは、白木の柱、障子、そして畳の感触。
まるで、昔ばなしの絵本の中に迷い込んだような部屋だった。
「……ふあぁ」
大きく伸びをすると、静けさがすっと身体に染み込んでくる。
吸い込んだ空気は澄んでいて、ほんのりと花の香りがした。
(……ほんとに、異世界なんだなぁ)
障子を開けると、朝の光がやさしく頬をなでた。
結衣子はそのまま、一歩、外へと足を踏み出す。
白い石畳の道。その両脇には、色とりどりの花。
橋の先には、なだらかな丘と、低い屋根の町並みがゆるやかに続いていた。
すべてが穏やかで、どこまでも静かだった。
(……神殿に行くには、まだ早いし。ちょっと散歩してみようかな)
木の下駄を履き、カランと軽やかな音を鳴らしながら歩き出す。
さらさらとした白石の道を踏みしめるたび、風が髪をやさしく撫でていく。
花の香りが一段と濃くなった気がして、ふと足を止めた。
耳を澄ますと、どこかで水音がゆるやかに揺れている。
目を向けると、橋のたもとを細く流れるせせらぎ。
陽の光を受け、きらきらと揺れていた。
(……好きだった乙女ゲームに、こんな景色あったな……)
「……ちょっとだけ、入ってみよっかな」
結衣子はそっと下駄を脱ぎ、小川の縁に足を下ろす。
冷たい水が足先をくすぐった。
丸くなめらかな石の感触と、すべるような水の流れが、心まで洗っていくようだった。
(現実じゃ、朝起きたらスマホ見て、慌ただしく朝ごはん食べて……それがあたりまえだったけど)
いまは、ただ風が吹いて、水が流れて、光がきらめくだけ。
——それだけで、胸の奥がふっとほどけていくようだった。
しばらく歩くと、少し先に、ふたつの影が見えた。
一人は、背が低く、ずんぐりとした体型。もう一人は、細く長い腕と足を持っていた。
どちらも人間離れした特徴を持ちながら、手を取り合い、笑い合い、並んで歩いている。
近づいてみると、小さな方が、ぴょこぴょこと背伸びしては、もう一人の肩に額をこつんとぶつけている。
「ちょっと、そんなに寄ってきたら歩きづらいわよ~」
「そ、それは、足をくじいたからだ……っ!」
そんな風に、からかい合うようなやりとりが交わされていた。
そして二人は、目を合わせるたび、また笑いあう。
(……すごいなぁ)
きっと、育った場所も違った。
年齢も、性格も、何もかも違うだろう。
それでもなお——互いを受け入れ、寄り添っている。
結衣子は、胸の奥がじんと熱くなった。
姿かたちは違っても、人と人は、こんなにも自然に寄り添える。
たったそれだけのことが、どうしてこんなに、尊いのだろう。
だが、その感動も束の間。
次の瞬間、川沿いの道で、妖怪と人間の若い男女が、べったり抱き合いながら——
“休憩処 艶楼”と書かれた妖しげな楼閣の中へ吸い込まれていった。
提灯の灯りが風に揺れ、入口の暖簾が、ゆらりとふたりを迎え入れる。
「……え、えええええぇぇぇっ!?」
思わず声が裏返る。
(いやいやいや!!!さっきの尊さ、どこ行った!?)
(男の方、絶対既婚者でしょ!!!道徳観ッ!!)
ぐわっと拳を握りしめ、地面をドンッと踏み鳴らす。
(返せ!私の感動返せ!!!)
心の中で全力でツッコミながら、顔を真っ赤にして早足で立ち去った。
異世界でも、リアルはリアルだった。
***
歩いていると、道端に、小さな妖怪がちょこんと座っているのが目に入った。
灰色のふわふわした毛並みに、くしゃっと笑うような目。短い手足を揺らしながら、じっとこちらを見上げている。
(……なんか、見覚えがある……)
けれど、それだけじゃなかった。胸の奥が、きゅうっと痛んだ。
名前も知らないはずのその妖怪を前に、なぜか心がざわつく。
何かを、言わなきゃいけなかった気がする。そんな気持ちだけが、先にこみ上げてくる。
この世界に来たばかりの時。
神様を追って、無我夢中で走ったあのとき——
(『小型の妖怪を踏み潰した』)
よみがえる、神の、あの一言。
(……まさか、あのときの……?)
結衣子は、足元にぺたんと膝をつき、思わず深く頭を下げた。
「ご、ごめんなさい……!」
「あの時、私……全然まわりが見えてなくて……!」
妖怪は、にこにこと笑って言った。
「いいんだよ。……どこも痛くないしねぇ」
声は、想像していたよりもずっと柔らかかった。
どこかくぐもっていて、でも心にすっと染み込む声だった。
「誰だって、急いでるときゃ、足元なんて見えやしないもんさ。ちょっと踏まれたくらいで、優しい子を責めたりはしないよ」
(……やば……)
ぐっと胸の奥が熱くなる。
目頭がじんわりしてきて、慌ててそっぽを向いた。
包み込まれるような、あたたかい声だった。
その優しさに触れた瞬間、ずっと心の奥で渦巻いていた後悔が、ふいにこぼれた。
「……私、自分のことでいっぱいいっぱいで……気づかないうちに、たくさんの人を傷つけてたのかもしれない、って……そう、思うんです」
ぽろりと出た本音に、自分でも驚く。
でも、たぶん……今までの私は、本当に、何も見えてなかった。
ハイスペばかり追いかけて、そうじゃないと判断した瞬間に、相手のことを見下して。それが当然みたいな顔で、婚活してきた。
私は、どれだけの気持ちを、踏みつけてきたんだろう。
この人に言ったって、困らせてしまうだけかもしれない。
——それでも、どうしても言いたくなった。
まさか、そんな言葉にまでも、目の前の妖怪はゆっくりとうなずいてくれた。
「そう思えるなら、大丈夫さ」
「気づいたときに立ち止まって、考える。——それって、案外勇気のいることなんだ」
「でもね、それができた人にだけ、見える景色がある」
「……あなたは、もう、じゅうぶん素敵な人だよ」
「……ありがとうございます」
その言葉が、自然と口からこぼれた。
妖怪は、ぴょんっとひと跳ねして立ち上がると、ふっと呟いた。
「じゃ、またどこかで」
風にふわりと乗ったその声は、
小さな体とともに、朝の陽の中へと溶けていった。
(名前も知らないのに……忘れたくないな)
たったひとこと、たった一度の出会いでも、心が救われることがあるんだ。
(……優しい世界、だな)
結衣子は、そっと呟いた。
***
神殿に着くと、神とハッピーが、『縁側の間』で待っていた。
高台にあるその空間は、桜が咲き乱れる庭を見下ろす縁側風の造りで、吹き抜ける風に花びらがふわりと舞った。
日差しがやわらかく、空気は静謐。それでもどこか、今日の空気には張りつめたものがある。
「次のお見合い相手を決めるぞ」
神が静かに手をかざすと、空中に男性たちのリストが浮かび上がる。
(……どれも微妙……いや、贅沢言っちゃいけないけど……)
結衣子は心の中で呻いた。
(この人、顔はまぁまぁだけど、年収が……この人は……堅物そう……絶対、会話続かない……)
ギリギリの妥協ラインで、無言のまま指先を伸ばす。
選ばれた男性の写真が、ふわりと大きく浮かび上がった。
——椎名 光貴(30歳)——
くすんだ赤茶色の髪。少し前に出た歯。へにゃっとした笑顔。
(……せ、清潔感……)
思わず心の中で呟いた。
(……まあ、さっきのリストの中では、まだマシだったし……うん、たぶん……)
微妙に拭いきれない違和感が、胸の片隅に残ったそのとき——
「“清潔感ない”って思ったやろ?」
ハッピーがにやりと笑った。
「えっ、ちょ、ちょっとだけ……でも無理とは思ってないから!」
しどろもどろに答える結衣子。
ハッピーはパチンと扇子を鳴らし、空中に4人の男性映像が浮かび上がる。
【1】一流俳優みたいなイケメン男子
【2】着古した服の肌荒れ小太り男子
【3】地味でパッとしない几帳面男子
【4】無造作ヘアで無精髭のイケメン男子
「どれが清潔感ある思う?」
ハッピーがにやりと問いかける。
結衣子は少し考えてから、指をさした。
「えーっと、1と……4?」
ハッピーは、ニヤニヤしながらパチンと手を鳴らして畳みかけた。
「正解は、1と3や!」
「えぇ!?」
「要するに、顔面補正ってやつや!」
「イケメンはちょっとくらい小汚くても、“きゃー!ワイルド♡”で済むんやけど…」
「ブサメンはどんだけ清潔感あっても、“……無いわ〜〜!!”って、なるんやろ?」
「ほんで、勝手に清潔感ゼロ判定してまう。——脳みその清潔感センサー、バグっとるっちゅうことや!!」
「ぐぅの音も出ない!!!!」
思わず、声に出てしまった。
神も静かに続けた。
「佐久間に清潔感がないと言ったのが気になっていたが……努力できない部分で判断していたのだな」
「椎名はイケメンではないが、爪は短く整い、襟元にはアイロンの跡。細部の気配りから、清潔感は感じられた」
ハッピーが扇子をひと振りし、口元をゆがめて笑った。
「清潔感なんか、嫁が作ったったらええんや!最初っから完璧求めたら、結婚なんかできへんで!」
「……わ、わかった。ちゃんと中身を見る。ちゃんと……!」
結衣子は、ぐっと拳を握った。
***
旅楼の茶寮。
(……“和風ファンタジー版ホテルのラウンジ”って感じ……)
薄紅の花びらが静かに舞い込む中、結衣子はふと、背筋に小さな違和感を覚えた。
(……ん?なんか……空気、変わった?)
静謐な空間に、妙に場違いな熱気が混じった気がした。
湯気のようにゆらりと立ちのぼる、その存在感。
黒地に雲模様の羽織。赤茶の袴。
小柄な男が、軽く駆けるように現れた。
肩から下げた鞄には、アニメキャラのキーホルダーが元気よく揺れている。
「は、はじめましてっ!椎名です!!」
勢いよく頭を下げた椎名を見て、結衣子は、心の中で静かに警報を鳴らした。
(……オタク感すごい……でも、見た目じゃない、中身……!)
必死に自分に言い聞かせる。
最初から決めつけてはいけない。ここは異世界、偏見は禁物。
が。
席に着くやいなや——
「あ、あのっ、アニメとか見ます!?いや見てなくても大丈夫ですけど!でも見てたらテンション上がるかなって!今年の春アニメだと、鬼〇の刃に次ぐほど、薬〇のひとりごとの作画が神だって評価されてて……!」
(ひぃいい…!!喋らせてくれない!!)
怒涛のマシンガントーク。
途中で合いの手を入れるスキもない。
しかも——
(話題、変わる気配ないんですけど!?)
椎名の表情は真剣そのもの。好きなことを語れる幸せに満ちている。
だがその幸せは、今、目の前に座る女性とは共有されていなかった。
(ものすごい疎外感……私は、ただの“聞き役”ってこと…?)
引きつった笑顔の裏で、静かに絶望していた。
心の中で、誰か助けて、と叫びたくなる。
*
桜が揺れる高台の縁側。
神とハッピーは、その木陰で、空に浮かぶ映像──神のモニター越しに、ラウンジの様子を見守っていた。
神は、眉間に皺を寄せながら呟いた。
「……これは、厳しいな」
ハッピーも、そっと目を伏せながら苦笑する。
「うわぁ……あの汗、どないなっとんねん……?人型加湿器かいな……」
結衣子の笑顔が、もはや悟りを開きはじめた頃…
ハッピーはそっと手を合わせた。
——合掌。
*
それでも、結衣子は耐えた。
心を削られながらも、ひたすら、耐えた。
(……こういう人でも、たぶん、誰かには合うんだよね)
(でも、それが私じゃなかったってだけで……)
そのとき、脳裏に蘇る。
神から聞かされた、この世界のシビアな現実。
(……がんばらなきゃ……ここで頑張らなきゃ……結婚なんて……!)
必死に心を叩きながら。
結衣子は、目の前で汗だくで喋り続ける椎名を、じっと見つめた。
(……がんばれ、私……!)
耐えるしかない。もう後がないんだ。
こんなお見合いが、あと何回続くかわからないけど、それでも前に進まなきゃ。
だから、今日も私は笑う。
気持ちが追いつかなくても、心が疲れていても。
笑って、目の前の相手と、向き合う。
そう、自分に言い聞かせながら。
次回:普通ってどこに落ちてますか?




