第三話:開幕!リアル婚活地獄
「佐久間 晃仁、33歳。横浜市内の会計事務所勤務。年収530万。趣味は読書と家電比較サイトの巡回だ」
神の静かな声が、春風のように結衣子の耳を抜けていく。
「……へぇ〜……」
*
はじめてのお見合い会場は、座敷の奥。障子越しの柔らかな光が差し込む和風喫茶。
卓袱台を挟んで、ぺこりと頭を下げたのは、どこか素朴な雰囲気の男だった。
深緑の羽織に茶色の袴。
着こなしはこざっぱりしていて、整えられた前髪と眼鏡が、いかにも真面目そうな印象を与えている。
姿勢は正しく、歩みも静か──良い人なんだと思う。……たぶん。
「今日は、よろしくお願いします」
口角をほんのすこし上げて、男は丁寧にそう言った。
その背後——
橋の向こうから様子をうかがっていた神とハッピーが、ぼそぼそと喋っている。
「どないする?神さん。こないに遠いと、なーんも見えへんで」
「案ずるな。私の手にかかれば、彼女の声も、心も、すべて見通せる」
「…ほぉ〜?……って、今“ココロ”言うた?」
ふわっと風が吹き抜け、宙に光が舞った。
空気がやさしくきらめき、波紋のような光膜が静かに浮かび上がる。その中に、結衣子と佐久間の姿が、淡く幻想的に映し出された。
「……いやそれは流石にキモない!?モニタリングだけやったらまだしも、心まで覗こうとしとるん!?」
「なっ…、失敬な!」
「彼女が男と対峙した時、何を思い、何に迷うのか。それを知らずに——彼女を導けるはずがない」
「椿 結衣子の時間は限られている。……さぁ、私の言葉より、お前の方がきっと響くだろうから、しっかり見ていてやれ」
「あーぁ……あとで結衣子に怒られても知らんで〜」
ハッピーがぽつりと呟いた。
「……でも、優しそうな人やーん!佐久間さん!」
「あぁ。収入も平均以上。清潔感もある。悪くはないはずだ」
「流石の結衣子でも、話してみたら気に入るんちゃう?」
その瞬間、結衣子の心に——響く声。
(……無いわ〜)
「……なにぃ!?」
「は!?ちょっ、はやない!?会話始まってへんやん!!」
*
「えっと……今日は、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ……」
沈黙。
お茶をすする音だけが、空気を裂く。
(……え、なんか、やばい……)
*
橋の向こうで見守るハッピーが、顔をしかめた。
「結衣子…!なにしとんねん!なんでもええから話さんかい……!!って、なんやの?これ」
結衣子を映した空中映像の右側に、謎のゲージが現れる。
《好感度:20%》
「いや初っ端から低ッッ!!何があかんかったんや!?」
「どのタイミングで好感度が下がるのかを記録しておこうかと思ったのだが……計測を始めた途端にこの数値……」
「嫌な予感しかせぇへん……」
*
「……最近、僕、気になってる家電があって……あの、コーヒーメーカーなんですけど」
「あ、はい……」
「お、お好きですか?」
「あ、そうですね。コーヒーはよく飲みます……」
「コーヒー、あっ……コーヒーゼリー。職場の冷蔵庫に、僕のコーヒーゼリー入れてたんですけど、食べようと思ったら、それがなくなってて……」
(……知らんがな)
「えっと、そういうの、わりとショックですよね……っていうだけなんですけど……あはは」
「……あ、はい」
「あはは……」
「……お名前は、書かれてたんですか?」
「あ、はい。いえ」
(…どっちだよ!!)
「……書いてないです」
……
あー……無理。
緊張してるだけだとは思う。うん、わかる。
でも、そんな言い訳もどうでもよくなるくらい──話、つまんなすぎ。笑えない。完全にハズレだ。
さっきから、目、合わないし。
笑いのタイミングも、絶望的にズレている。
(壁と喋ってる気分……)
*
「なんっっっやここ!!!地獄か!!!」
「……犬、落ち着け」
「もうあかん!しばいたろか!!」
「わかっている。わかっているから、一旦見守ろう」
「遠隔やのに、こっちまで空気が凍っとる……!!それにしても佐久間、話おもんなすぎるやろ……!!」
「……言葉は拙いが、誠実さは伝わってくる。どうにか想いを届けようと、懸命に言葉を探している……哀れなほどにな」
「ああいう男は、叶うことなら報われてほしいものだ」
神は一度だけまぶたを伏せ、静かに息を吐いた。
「だが今、椿の瞳からは光が消えている。その笑顔に、彼の言葉は届いていない。——惜しいことだな」
「……もしかしてやけど、佐久間は女性に免疫ないんか?」
「あぁ。プロフィールには交際歴はないと書かれている。男子校上がりの様だから、女性への免疫が一切ない可能性も十分あり得る……」
《好感度:10%》
「……こりゃ、まずいで……」
*
スプーンを持つ手が、かすかに震えていた。
ゼリーの器にカチカチと当たって、変に響く。
何度も落として、ようやくすくったゼリーを口に入れたかと思えば、むせた。
それだけならまだしも、鼻から出そうになってる。
……なんかもう、全部がみっともない。
(……これ、私から話ふらなきゃダメか……)
(…興味ないけど)
「……えっと、佐久間さんって、読書をされるんですよね?どんな本を……?」
「えっ、あっ、ええと、はい。…いろいろ……椿さんは?」
「私は特に読書は……」
「そうですか……」
……
(情報量、ゼロ)
(……え、まだ始まって7分?帰りたいんだけど)
*
「うぉおい!!しっかりせい、佐久間ぁあー!!!」
「少しぐらい興味を持て!椿 結衣子!!!」
《好感度:5%》
「ちょ、ハッピーさんもう限界や……誰かたすけて……結衣子あんた、受け身すぎるで……」
「これは……よく言い聞かせなければならないな……」
*
話すたび、佐久間の額に汗がにじむ。
口を開くと「えっと」が三回入る。
もう、こっちが質問しないと場が保てない。
(なにか理由つけて帰ろうかな……早く相手見つけないと、私には時間がないんだから……)
その時だった。
「わっ!」
佐久間が手元の湯呑みを誤って倒す。
畳にぽたぽた、お茶のしみが広がっていく。
慌てて右往左往する佐久間。
手元の紙ナプキンはうまく開かず、手の震えがますます滑稽で——
(……こいつ、ハンカチも持ってないんかい)
結衣子は、ため息まじりに懐から、淡い桃花色のハンカチを取り出した。
一瞬、佐久間の視線がそこに吸い寄せられる。
「……大丈夫ですよ」
すっと身をかがめて、ハンカチで畳を拭う。
佐久間は、まるで魔法でも見たかのように目を丸くして固まった。
(……ん?)
明らかに、さっきより頬が赤い。
手を出しかけて止めるしぐさ。目線が泳ぐ。
これはもう、完全に「刺さった」時の反応だ。
(えぇ〜……マジ?……)
*
「……椿さん、今日は……楽しかったです。……ありがとうございました」
その声は、まっすぐこちらに向けられていた。
「…はい、こちらこそ……」
(いや、どの辺が……!?)
***
「ただいまー!いやー、ないない!無いわ~。さすがにあれは無いって……」
畳の上にどかっと座り込む結衣子。
ちょっと笑いながら、首をぶんぶん振っている。
「「お前だ(や)ーっっっ!!!!!!」」
「え、えぇ!?私!?なんで私!!?」
「全部見えとったわ!!!心の声まで丸聞こえ!!!」
「会話始まる前から“無いわ〜”言うてたの、お前やろがい!!」
「ちょ、なんで心の声読んでるの!?いやでもさ、普通ないって!あんなに会話が弾まないお見合い!」
「それに彼、年収も高くはないし、清潔感ないし、趣味も地味だし、会話のエスコートもできないし……」
「はいはいはいはい!!!結衣子が拗らせ散らかして婚活害悪腹黒クソ女妖怪化しとんのは、よーーーくわかった!」
「悪口長ッ!!ちょっとくらいオブラートに……!」
「それは置いといてやな。結衣子、あんたは結婚に焦るあまり、人としていっちゃん大事なモンを忘れている」
「大事な……モノ……?」
「人を思いやる心や」
「えっ……そんなに私、感じ悪かった?」
神が腕を組む。
「感じが悪いどころの話ではない。採点表をつける面接官の様だった」
「えぇ……そんなつもりは……」
「ならば見てみるがいい」
神が宙に指を差す。
ぴゅんっと現れる、お見合い映像。
それは、もはや無表情と呼んで差し支えない顔だった。わずかに笑みの形をなぞっているだけの、薄い愛想。
言葉も、反応も、温度がない。目だけが、相手を見下ろすように値踏みしていて──
そこに漂っていたのは、無慈悲なほど冷えた空気だった。
結衣子は、畳にぺたりと座り込む。
「……酷すぎる……」
「まあ、心の声に関しては無許可やったから、怒ってもええで」
「……いや、いいわ。あまりにも自分がヤバすぎて、むしろ感謝してる……」
ハッピーがぱたぱたと扇子を振る。
「今日は、それに気づけただけでも収穫やで!」
「冷静になって考えてみ。お見合いやなくて、普通に出会っとったら、こないに細か〜いこと、気にならへんやろ?」
「……確かに、そうかも……」
「まず結衣子は、結婚するかせんかやなくて、普通の話し相手として、目の前の人間に興味を持つことから始めなあかんのや」
「……うん」
(……佐久間さんだって忙しい中、時間作って来てくれたのに、なにやってんの。私……)
(……最低、だ)
「正直、見た目とスペックだけでテンション下がって、早く終われって気持ちでいっぱいになってた」
「……次はちゃんと興味を持って、どんどん話しかけて、楽しい時間を作れるように工夫してみるわ」
ハッピーがにやっと笑う。
「そんでや。結衣子、あんたが希望しとった理想の男、婚活偏差値でいうとどれくらいかわかるか?」
「え、偏差値?そんなのあるの?」
神が指を鳴らすと、空中に半透明のパネルが現れた。
「あるとも。……君たちが生きてきた、現実世界のデータをな。国税庁だの厚労省だの、そんな記録から拾い集めて――我ら神々が、需要と供給を整えて作った」
「まぁ…不満があるなら、まずは己の世界を呪うがいい」
神は指先で軽く弧を描いた。
すると、結衣子の書いた【希望条件シート】が薄く光をまとって宙に浮かび上がる。理想のスペックが、パネルに静かに読み込まれていった。
「君が理想としていた条件——年収1000万以上、身長180cm超、高学歴、上場企業勤務、塩顔イケメン、細マッチョ、趣味が合う、聞き上手、穏やかで優しくて、浮気しないけど男らしく引っ張ってくれて、家事育児に積極的で、お金を自由に使わせてくれて、親とは別居、実家は裕福——」
「ちょっ、ちょっと待って、改めて並べるとやばいな……!」
「この条件、婚活偏差値で言うと90越え。幻のモンスタークラスやな」
「……そんなに……!?」
「そもそも年収1000万超えの30代男性は、日本全体でたったの2%。つまり50人に1人。しかも未婚に限れば、100人に1人いるかどうかだ」
「……まじか……」
「さらに言うとやな、結衣子。あんたの偏差値は50や」
「うっわ、平凡ッッ!!どうしてよ!?」
「正直に言うたる。身長も学歴も体型も平均点。年齢は……まぁ、な?顔面はわりと整ってんのに、その分……慎ましやかな…」
「いや、もういいです!!よくわかりました!続けて!!」
「これな……偏差値50の人間が、ハーバ○ド大学(推定偏差値85〜90)受けて、“なんで落ちたんや〜”言うて騒いどるようなもんやで」
「……自分、滑稽すぎて泣けてきた……」
神が淡々と続ける。
「そして佐久間 晃仁は、偏差値53」
「……えっ、私より高いの……!?」
「せや。佐久間は低望みやないで。地味やけど、素材は悪くないんよ」
ハッピーがにやっと笑った。
「この意味わかるか!?あいつは“素材”!!丁寧に育てれば立派な旦那になんねん!!ほっといたら、ただの地味男くんで終わるけどな!!」
神が、結衣子をまっすぐ見据える。
「偏差値は5以上開くと、結婚生活に不満が生まれやすい。…故に、君たちがマッチングした」
……思考が止まった。
結衣子の指先から、するすると力が抜けていく。
(……そうだったんだ……)
握っていた何かが、ぽろりと手から滑り落ちそうだった。
心だけが、音もなく崩れていく。
でも──その崩れた先に、
ずっとぼやけていた現実の輪郭が、ようやく少しだけ、見えてきた気がした。
「どや?これから紹介してもらう人らに、ちょびっとは興味もててくるやろ?」
「うんっ……!」
「そもそも期待しすぎやねん。そないなこと言うたら佐久間さんかて、よりええ女と結婚したいやろ」
「逆で考えてみぃよ。若くてスリムで、しかもGカップ搭載。アイドルみたいに可愛くて、芸人並みに話もおもろくて、気遣いもできる明るい子。……そんな夢のスペックの子が来るかもしれん、って思ってたらやな?」
「うわー!!顔そこそこの売れ残りで、厳格無口な“慎ましやかボディ”のおばはん引いてもうたー!!最悪!!無いわ〜!!って思われるんやで?」
「うぉおおい!!胸の話はやめろーー!!!」
「……でも、たしかに……私、佐久間さんに今日、同じことしてたってことよね……穴があったら入りたい……!」
***
夜。結の橋の上。
結衣子はぼんやりと、月を見上げた。
(……私、信じられないくらい高望みしてたんだなぁ……)
(今思うと、佐久間さん、ただ女性慣れしてなかっただけ)
(私がちゃんと会話を回してたら、きっと、楽しい時間を過ごせて、彼のいろんな魅力に気付けたはずなんだよね)
胸の奥が、きゅっと痛んだ。
(スペックじゃない。顔でもない。まず、目の前にいる“ひとり”を、ちゃんと見よう)
結衣子は、そっと顔を上げた。
その瞳は、まるで、細い筒の向こうにしか見えていなかった世界が——
一気に、ぱあっと広がるみたいに、光を宿した。
ほんの少しの、期待とともに。
(……次こそ、ちゃんと)
(この手で、ちゃんと──縁を掴みたい)
次回:寄り添う者たち、すれ違う者たち。




