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【完結】結婚できない女が『普通の男でいいのに』って言ってたら、神様が本気で婚活させに来た。/『泡沫 月華の縁結び〜だから、普通の人でいいんです〜』  作者: 蜂屋
私らしさが未来になる

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第二十四話:泡沫 月華の縁結び


空の色が、少しずつ金へと変わっていく気配があった。


神殿の前、誰もいない境内へ、結衣子はひとり戻ってきた。

やわらかな風が髪を揺らし、指先が無意識にそれを押さえた。


その気配に気づいたのか、先に戻っていたハッピーが振り向く。


「おかえり、結衣子」


その声に、思わずふっと笑みがこぼれる。


「……ただいま。……ハッピー」


たったそれだけで、胸がじんわりとあたたかくなった。

顔を上げる。

すると、建物の影に──


ひとり、立っていた。


あの姿。


「……神様」


影に沈んだ姿を見つめながら、胸の奥がざわついた。


「……ううん。ちがうよね」


そうだ。わたしは、もう知ってる。

この気持ちは、“神様”に向けたものじゃない。


わたしが見てるのは、その奥にいる、たったひとりの“あの人”。


だから、迷わず呼べた。


「“誠一くん”」


その名前を口にした瞬間──

神様の気配が、はっきりと変わった。


背後で、風が止まる。

空気が、ぴたりと凍る。


呼吸すら忘れるような“静けさ”のなかで、

結衣子は、もう一度、言葉を継いだ。


「私、誠一くんに話があるの」


その場に居合わせたハッピーが、ジト目で肩をすくめてみせた。


「……ほれ、いつまでもそんな格好しとらんで」


白い衣が音もなくほどけて、風と共に消えた。


そのあとに残されたのは──記憶の中ではまだあどけなかった、“あの人”だった。


けれど、不思議と迷いはなかった。

その姿を見た瞬間、胸の奥が答えを告げていた。


「……そんなところにいたなんて、全然わかんなかったよ。誠一くん」


彼は俯いたまま、何かを飲み込むようにして、口を開かなかった。

けれど、その手が、ほんの少しだけ震えていた。


「話したいこと、たくさんあるの。……でも、今はこれだけ、聞いてもいいかな」


ゆっくりと近づいていくと、誠一は静かに頷く。

──声は出ないまま、彼のまつげが、わずかに揺れていた。


「この世界……私のために、あなたが作ったって、最初に言ってたよね」

「“泡沫月華の片想い”。あのゲームのこと。……私が、ずっと好きだったやつ」


視線をそらさずに、そっと息を吐いた。


「……あれ、作ったの。誠一くんでしょ?」


「……!」


その瞬間、彼の表情が、はっきりと変わった。


目を見開き、ひと呼吸だけ、迷ったあと。


「どうして、それを……」


彼の声が、少しだけ震えていた。


「ふっ、オタクなめないでよ。クレジット、何回見たと思ってるの?……まぁ、ずっと“同姓同名の別人”って思ったんだけどね」


結衣子は、あどけない笑みを浮かべて言う。


けれど、その笑顔の奥に、泣きたくなるような確信がにじんでいた。




***




──夏の朝。


廊下の窓から差す光が、床を細く照らしていた。

中学三年の誠一は、移動教室のついでに、今日も一年三組の前を通っていた。


──近道だから。

そう言い張るには、さすがにのんびりしすぎた足取りだった。


聞こえた声に、思わず立ち止まる。


「……燈哉がさ、雨の中で……傘落としてさ……」


枯れたようで、それでも夢中な声。


「出た、恋色フラクタル。あんたほんっとそればっか」


(……恋色、フラクタル?)


「めっちゃいいんだよ?燈哉……!」

「でも、あれが和風ファンタジーだったら、わたし、一生やるのに……!」


誠一は、廊下の影にそっと身をひそめた。

教室の扉越しに響く、少女の“好き”のかたち。


──もし、自分がそれを作れたら。


彼女が夢中になる世界を、自分の手で形にできたら。


その日、胸の奥に、火が灯った。



──十年後、25歳の秋。深夜のオフィス。


散らかったデスク。

空き缶が山のように積まれたモニター前に、ひとり腰を上げる男がいた。


画面には、開発中のゲームのタイトル。


『恋色フラクタル*放課後の約束』

──その和風リメイク版。


“泡沫月華の片想い”(仮)


そして、小さく刻まれたクレジット。


──制作:桐島 誠一


月光に照らされた画面の中、凛と佇む剣士がひとり。

それは、結衣子が愛してやまなかった“燈哉”に、よく似ていた。




***




「この世界、相当な泡沫オタクじゃないと気づかないような作り込みばっかりで、本当によく“出来すぎてた”んだから」


結衣子は、まっすぐにその目を見て、静かに言った。


「こんなの、同じオタクか、“製作側”でもない限り、ここまで再現できないでしょ」


結衣子の言葉に、誠一はわずかに目を伏せ、息を吸い込んだ。


ほんの少しの間、返事はなかった。

けれど──


「……そうだよ。俺が作った」


低く、まっすぐな声だった。

言い訳も、照れ隠しもなかった。


ただ事実として、差し出すように。


──やっぱり、そうだったんだ。

夢中でのめり込んだ、あの幻想世界。

どんな時も、私の毎日に、そっと寄り添ってくれていた。

泣いた夜も、“推し”がいてくれたから、前を向けた。


──その全部が、この人がくれたものだったなんて。

胸の奥が、じんわりと熱を帯びた。


「……すごい……ほんとに……ありがとう、誠一くん」


声がかすれているのが、自分でもわかった。

それでも、嬉しくて、止められなかった。


「この世界……妖怪はリアルすぎてびっくりしたし、お見合いばっかで、何度も逃げ出したくなったけど──」


「でも、大好きなゲームの世界で、笑って、泣いて、恋をして──」


「私、本当に幸せだったよ。心から、そう思ってる」


それは、ただの“感想”なんかじゃなかった。


あなたがくれた、この異世界で──私は生きた。

ただ過ごしていただけじゃない。何度も迷って、間違えて、傷ついて。

そうして“私の人生”を、取り戻したんだ。


誠一の喉が、ごくんと鳴った。

わずかに、肩が揺れる。


──きっと、何かがほどけたんだ。

彼の中でも。


そしてもう、抑えきれなかった。


「……誠一くん」


名前を呼んだ瞬間、胸が熱くなる。

ほんの一瞬、息を吸って──



「わたし、誠一くんが好き!!!」



その叫びが、空を金色に染め上げた。


一瞬、風が止まる。

境内が息を呑んだように、しんと静まる。


誠一は、目を見開いたまま固まっていた。


(言われた。ついに──夢にまで見た、その言葉を)


……でも、違う。

喜んじゃいけない。


このまま頷けば、彼女をこの世界に閉じ込めることになる。

終わりのないループの中で、いつかきっと、取り返しのつかない後悔をするだろう。


──それだけは、避けなければ。


「……だめだ。君は佐久間と……それに俺は、もう……死んでるんだぞ」


その声は、小さくて、哀しかった。

けれど──


「うっさい、バーカ!!」


境内に響くその声は、すべてを吹き飛ばした。


誠一がはっと顔を上げる。


「私が“良い”って言ってんだから、良いのよ!!」


それは感情でも勢いでもない。

ようやくたどり着いた、自分の“答え”だった。


「……お、お前こそバカだ!ちゃんと考えろ!」


「考えてますー!!」


一瞬だけ息を吸って、結衣子はぐっと顔を寄せた。

目を細めるようにして、低い声で語り出す。


「……この世界ってさ。結婚できなかったら、私ここで“永遠に32歳をループ”するんだよね?」

「ってことは──」


ぱぁっと、口元に恍惚の笑みが咲く。

目を輝かせ、宙を仰ぎ見る。


「少なくとも、ここを創った“神様”がいる限り、若さを保ったまま、仕事もしないで、この和風ファンタジーの世界で永遠に生きていけるってことよね!?それって、最高じゃない!?」


誠一は、ぽかんと口を開けた。

あまりの能天気ぶりに、言葉が出ない。

けれどその目に映る結衣子は、ふざけているようで、どこまでも本気だった。


「……だったら、私、ここに残るよ。ずっとこのまま、ループし続けてやる。その先に、何があっても…文句言わない」

「あなたが永遠に“神様”でいなきゃいけないなら、私は永遠に“結婚できない女”でい続けてやるんだから」


結衣子は、まっすぐに誠一をみつめた——その瞳に、揺るぎない想いが宿っていた。


「転生もできなくて、魂だけの寂しさに耐えながら、これからもずっとそこにいるしかない──そんなの……ひとりで背負わせたくないじゃん」


声が少しだけ、震えた。


「他の誰かを選んで、現実に帰るなんて、できなかったよ。あなたの願いを尊重しようって、何度も思った。でも、無理だった」


ふっと笑って、冗談みたいに肩をすくめる。


「だから、たまには顔出してよ。週に一回くらいでもいいから。ハッピーと一緒にさ、ふらっと帰ってきてよ。私、お茶くらい淹れるし、待ってるから。──ずっと」


それは、泣きたくなるような笑顔だった。


「──ね、それでもまだ、“考えてない”って言う?」


その声を聞いた瞬間──

誠一は、胸の奥で、ひとつの声を押し殺した。


──ダメだ。受け入れちゃいけない。

彼女の未来を守るためには、突き放さなきゃ。


そう思った瞬間、ハッとした。


……そうだよ、彼女は“神様”が好きなんだ。

この世界で出会った、完璧に整えられた、あの姿に惹かれただけ。


素の俺なんか見せたら、光の速さで引いていくに決まってる。

だったら──


「……“俺”と、結婚?………結衣子ちゃんが?」


その瞬間、胸の奥に溜めてきた言葉が、怒涛のようにあふれた。


「冗ッッッ談じゃねぇよ、俺なんかが!!」


あまりの叫びに、境内の木々がびくりと震える。

少し離れたところで見ていたハッピーが、「やれやれ」と肩をすくめ、両耳を塞いだ。


「人間の頃の仕事なんて、奇跡のヒットが一回きり!次がコケたら即・窓際族だぞ!?思い出しただけでプレッシャーで胃に穴空きそうなんだよ、言わすな!」

「身長はド平均!顔は?量産型のモブキャラ!目つきが悪すぎて、職質されたことまであるんだぞ!?」


結衣子はぽかんと口を開けたまま、まるで知らない生き物を見るように誠一を見つめていた。


「君が気にしてた“清潔感”?俺にとっては都市伝説だっつーの!服のセンスは中二で止まってるし、靴下なんか毎朝片っぽ行方不明なんだよ!!」


誠一の声はどんどん熱を帯びていく。

言葉は止まらず、むしろ興奮で加速していた。


「なんでイケメンビジュアルだったかって?死んだのにまだキリキリ働いてる社畜だぞ。ちょっとくらい見栄張らせろよ!この顔面で“神です〜”なんて出てったら、“アッ、勘違い系の地縛霊かな…?”って思われて即通報するだろ!?分かってんだよ、俺だって!」


ハッピーは、もはや慣れた様子で空を仰いだ。


「んで、この300年、何してたかって?暇な時間は鏡の前で“神っぽいセリフ”の壁打ち練習だよ!笑えよ、おっさんの涙ぐましい努力を!」

「……そんな“歩く粗大ゴミ”が、イケメンの皮かぶってアンタの隣で“神様”やってたんだよ……!結局、手握られたくらいで感情抑えきれなくて、ボロ出して、正体バレて……今年で334歳!?いい加減落ち着けよ、俺!!……ザコ童○がよ……!!」



──あまりの勢いに、境内の空気が止まった。



誠一は涙目のまま、うつむいて立ち尽くしている。



その顔には、勝ち誇ったような──でも完全にイカれてる風な、妙な達成感がにじんでいた。


湿気だけ残してすべてを吐き出した男の背中は、まるで──

雨上がりに干し忘れた雑巾みたいだった。



「……もう分かっただろう。佐久間の元に戻れ」



結衣子は、しばらくポカンと誠一を見つめ──


ぷっ、と吹き出した。


「……知らなかったよ、そんなの……なにそれ──」

「なんかもう……バカすぎて、泣けてきた……!」


笑いながら、思わず抱きついていた。


「……ずるいくらい、可愛かったんだから」


「……な、なに言って……っ、はぁ!?いや、違うって……っ」


誠一の耳が、見る見る赤くなっていく。


結衣子を見ようとして、目が合いそうになって、すぐ逸らす。

でも、どうしても逸らしきれなくて、視線がふらふらと泳ぐ。


「……っ、それ、そーいうの、ちゃんと前もって言って……!」

「急に……そんなん言われたら……ちょ、心の準備ってあるじゃん……!」


わたわたと手を動かすが、どこにもやり場がない。


「……もう無理……脳がバグる……死ぬ……っ」


そう言いながら、ぎゅっと結衣子に抱きしめ返すのだった。


「スペックとか、ほんとどうでもよくなったの」

「……なんかね、もう、そういう物差しで人を見ることがなくなってて。気づいたら──変わってたの、自分が」


一つひとつ、言葉を選ぶように。

けれどその声には、不思議な力強さがあった。


「仕事が不安?安心して。私なんて未来なんかまっっったく見えてないから。働く意思があるってだけで、十分“まとも”だわ!」

「……ていうか、令和なんて共働きが普通でしょ?確かにハイスペと結婚して、専業主婦コース狙ってたけど──」


少しだけ、笑った。

それはどこか、昔の自分に向けた照れ隠しのような笑みだった。


「冷静に考えたら、私、仕事好きだし。二人で働けば、なんとかなるわよ!」


冗談みたいな勢いだったけど、心の底から出た言葉だった。

結衣子はぐっと拳を握ると、言い切るように続けた。


「清潔感?私が磨く!」

「服も髪も、毎朝セットしてあげるから!」

「——こだわりないなら、黙って私にぜんぶ任せて!」


矢継ぎ早の言葉に、誠一は完全に押されて、目をぱちくりさせていた。

けれど、次第にその顔に、ふっと優しい色がにじんでいく。


ぽつりと、ようやく言葉がこぼれた。


「……君は、本当に……変わったな……」


その声には、驚きと、呆れと──

それでも、どうしようもなく愛しさがあった。


結衣子は、にかっと笑って、宣言するように言い放つ。


「そう思うなら──私と結婚してよ!!」


その声に、迷いはひとつもなかった。

願いじゃない。誓いだった。


一瞬、風が止まり、

境内に“重さ”のような静けさが訪れる。


「後悔する未来があるとしても、それは誰と一緒にいたって同じでしょ?」

「血のつながった家族だって、上手くいかないことなんていくらでもある。なのに、もともと他人だったふたりが、ひとつ屋根の下で生きていくんだよ?簡単なわけないじゃん」


けれどその表情には、不思議なほどの落ち着きがあった。

吹っ切れたような、腹をくくった人間だけが持つ静かな強さ──


「でも──それでも私は、あなたを選びたいの」


覚悟を映したような、まっすぐな声だった。


「うまくいったとしても、ダメになったとしても、それは“私が選んだ人生”。結果より、選んだこと自体に意味があるんだから」

「…それとも、今の“残念な私”見て、300年の片想いも冷めました〜って感じ?……だったら、しょうがないけど」


ずいっと距離を詰め、ぐっと睨みつける。


──どうなのよ。


ほんの一瞬だけ、世界が止まる。


風も音も吸い込まれるような、夕暮れの空気の中──


誠一は、息を呑み──視線を揺らし──

唇を噛みしめ、目をそらして──


それでも、ぽつりと。



「……俺だって、結婚……したい」



本当は言わないつもりだった。


けれど──目の前の彼女が、まっすぐすぎて、もう、無理だった。


「……でもっ!」


誠一が、何かを振り払うように声を上げた。


「でも、俺を選んだら──君は、この世界に閉じ込められるんだ。そんなの……後悔なんてレベルじゃ……」


その瞬間──


「うぉぉぉおおおーー!!やっと言ったあああ!!」


ハッピーの絶叫が境内にこだました。


結衣子が振り返ると、ハッピーの水晶がふわりと淡く光った。


淡い光が差し込み、何かが“現れる”気配に、境内の空気がぴんと張りつめる。


「こっからは、おっさんに任せるで」


「おっさんって……上司のおじさん?」


その声と同時に──神殿の屋根の上に、霧がふわりと晴れていく。

月明かりを背に、白装束の男が静かに立っていた。


190cm近い長身。

白髪混じりの髪が風に揺れ、白装束には金糸が流れ星のように織り込まれている。

神気をまといながらも、どこか人間味のある、あたたかな空気をまとっていた。


思わず、ぽつりと口をついて出る。


「……ロマンスグレーの……イケおじ、じゃん……」


ぽつりとつぶやく結衣子に、上司はにっこりと微笑んだ。


「あら〜?嬉しいねえ」

「昔は“コスプレしてるヤバいおっさん”なんて言われたのに──今日は“ロマンスグレーのイケおじ”?」

「ねえ誠一、大違いだねぇ?」


その視線を受け、誠一が咳ばらいして目を逸らす。


「……結衣子ちゃん。こんなひねくれた弟子より、おじちゃんに乗り換える?」


「…アリだな」


即答する結衣子。


「おい、本気で言ってないよな…?」


慌てる誠一をよそに、上司とハッピーが揃って笑う。


結衣子はくすっと笑いながら、肩をすくめて言った。


「……ジョーダンよ」


「……くっ……」


赤くなった耳を隠すように、誠一はぐっと俯いた。


空気が和んだその隙間に、ふっと静けさが戻ってくる。


「……おじさん!」


結衣子が叫ぶと、すぐ目の前で上司が微笑んだ。


「なんだい?結衣子ちゃん」


結衣子は誠一の手を強く握って、まっすぐに言う。


「私、この人と結婚したいの。……現実に戻れなくても、一緒にいられるなら、それでいい」


上司は軽く肩をすくめ、わざとらしく首をかしげる。


「おやおや〜?でも、こっちはず〜っと32歳の世界だよ〜?まわりは妖怪だらけ。……後悔しても、誰も助けにきちゃくれないよ?本当に、それでもいいの〜?」


「……覚悟の上よ」


言い切る結衣子の声に、上司の表情が少しだけ引き締まった。


「ほう……じゃあ、誠一は?」


視線を受けて、誠一がゆっくりと頷く。


「……俺も。もし、こんなことが許されるのなら……この子と一緒に、いたいです」


その言葉を聞いて、結衣子は一瞬、息をのんだ。

けれど、すぐに小さくうなずくと、重ねた手に、そっと力をこめた。


ぎゅっと、確かめるように、強く。


「……っ」


誠一も思わず、握り返す。

その手の中で、ふたりの想いが、静かに重なっていった。


上司はふたりの手をしばらく見つめ──ゆっくりとうなずいた。


「……なるほど。二人の覚悟はよく分かったよ」


そして、ぱちんと指を鳴らす。


「ぃよっし、認める!ふたりとも──現世に、帰りな!」


「「……え?」」


誠一と結衣子が同時に声をあげる。その反応に、上司はまるで“今思い出した”みたいな顔をして、ぽんと手を打った。


「あれ?……言ってなかったっけ?」

「いや〜、おじちゃん、けっこう頑張ったのよ。“誠一くんを死ななかったことにして〜”ってお願いしたときなんて、もう天界のやつらにめちゃくちゃ文句言われてさ〜」


「……え、あの、……ちょっと、話が見えないんですが……」


戸惑う誠一に、上司は肩をすくめる。


「ま、ざっくり言うとね〜、誠一が寿命で死んじゃうちょっと前に、俺が“こいつに仲人ミッション託すから、成婚させられたら現世に返してやって”って、上に掛け合ったわけよ」

「そしたら、“そんな前例はない”だの、“人間の感情は信用ならん”だの……ほんと、ゴチャゴチャうるさくてさぁ。……最終的には、“どうしてもって言うなら、300年分は働かせろー!”って条件出されて──そんで」


にひっと笑って、ちゃっかりウインク。


「……誠一に、神職押しつけてたってワケ〜〜♪」


「……はあああああああ!?!?!?!?」


「ほ、本当に……!?」


驚くふたりを前に、上司はこともなげに続ける。


「うん、マジマジ。だからね、結衣子ちゃんが誰と結婚しても、お前は“あの日からやり直す”なり“輪廻に戻る”なり、好きに選べたのよ」


誠一の方へ視線を向ける。


「……でもさ、そんなこと本人に教えちゃったら、絶対、顔に出ちゃうじゃん。“選ばれたい”って。それで結衣子ちゃんの選択肢が狭まっちゃったら──その性格だもん。お前が一番望まないだろ?」

「誠一、いっつも結衣子ちゃんのことばっかで……ちょっと不憫になるくらいだったんだから」


その声に、誠一は言葉もなく、ただ結衣子の手を強く握る。


「──で、ここまでやって、それでも君が“誠一と一緒にいたい”って選んだ」

「そんならこれはもう、“結ばれるべくして結ばれた運命でした〜”ってことで!」


どっと疲れたように肩を落とす。


「いや〜〜〜、説得、ほんっと大変だったからね?」

「おじちゃんのこと、たまには褒めてくれたって、バチ当たんないでしょ〜?ね?誠一くん」


「……あ、ありがとうございます……」


少し複雑そうな顔で頭を下げる誠一。その隣で、上司はふたりをまっすぐ見つめた。


「でもね。俺がやったのは、ふたりが結ばれてもいい環境を整えただけ。これを掴んだのは、君たち自身だ」


声にふっとあたたかみが宿る。


「……おめでとう。誠一、結衣子ちゃん」


「…おじさん、ありがとうございます……!」


満面の笑顔で頭を下げる結衣子の横で、誠一は目を潤ませながら、そっと小さくうなずいた。


その直後──


ハッピーが目を真っ赤にして、勢いよく結衣子に飛びついた。


「結衣子〜〜〜!!よがっだなぁあああ!!!」


「うわああん!!ハッピーぃぃぃ!!ありがとおおおお!!」


「やっと、やっと王子様ゲットできたなああ!!」


境内が、泣いて笑って、しあわせでいっぱいになる──


そのときだった。


ふと、結衣子の動きが止まった。


(……戻るってことは──)


「……ハッピーとは……お別れ……?」


ぽつんとこぼれた言葉に──

境内の空気が、ふっと静まり返った。


ハッピーは、涙を拭きながらも、にっこりと笑う。


「ええんよ。うちは、これがいっちゃん嬉しい」

「結衣子が、やっと“自分の人生”を歩き始められるんやから」


その声音が、胸の奥に、儚い波紋を広げた。


結衣子は、小さな体をぎゅっと抱きしめた。

やわらかな毛並みとほんのりとしたぬくもりが、腕の中に広がっていく。

そのあたたかさが、たまらなく愛しくて、切なくて──

もう、離したくなかった。


「……ハッピー、ずっとずっと、大好きだよ」


──その瞬間、風も音も消えた気がした。

ただ、ふたりの体温だけが、そこにあった。


──これが、最後になるんだ。

そう思って、そのぬくもりを胸に刻んだ。


「……ありがとう」


ようやく絞り出した声は震えていた。

けれど、笑顔だけは崩さなかった。


ハッピーは少し黙って、そして、いつも通りの口調で言った。


「神さん……やのうて、誠一」

「結衣子のこと泣かしたら、うちが脳天に雷おっことしたるからな」


「……お手柔らかに」


苦笑しながらも、誠一がしっかりとうなずく。


ハッピーは結衣子に顔を向けて、まっすぐに言った。


「結衣子。うちは、結衣子と家族になれて、ほんまに幸せやった」

「ずっと見とるよ。やから、宇宙一しあわせな女になるんやで」


その言葉に、もう涙が止まらなかった。


結衣子は頷いた。


ゆっくりと立ち上がって──

ハッピーの額に、自分の額をそっと重ねる。


「……ありがとう。……ほんとに、さよなら」


その言葉に、ハッピーは、にっこりと笑って応えた。


「……さよならはいらんよ。すぐに会えるで」


「……え?」


その言葉の意味を問い返す前に──

手が、温かく握られた。


横を見ると、誠一が、微笑んでいた。


「行こう。……一緒に」


その手に引かれた瞬間、世界が、光に包まれた。





白く、まばゆい光の中──


──私は、ようやく知ったんだ。


“大切な人に手を引かれて未来へ歩く”ということが、こんなにも、あたたかいものだってことを。


あっという間のようで、長い道のりだった。

何度も迷って、遠回りもしたけれど……

でも、それがあったからこそ、気づけた。


本当に隣にいてほしい人は誰なのか。

私を、想ってくれていた人が誰だったのか。


“条件のいい人”じゃない。

そんな“あなた”だから、よかったんだ。



涙でにじむ視界の先、

結衣子は、ただひとつの願いを胸に抱く。



「……誠一くんと、ずっと一緒に」



彼の手を、強く握る。

そのぬくもりが、過去のすべてを静かに溶かしていく。



光の中、結衣子は一歩を踏み出した。

向かうのは、ふたりで選んだ“現実”という未来。



ただ、隣に彼がいる。

それが、ようやく見つけた、私の答えだった。



次回:最終話 だから、あなたがいいんです

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