第十一話:惚れてない。惚れてなんか、ない(尊)。
風が、ひとつ季節を越えたように、すっかり秋めいていた。
結衣子は、神殿『縁側の間』で風鈴の音に耳をすませながら、空を見上げていた。
雲ひとつない青空に、柳の枝がそよぎ、風はどこか涼やかだった。
(……ほんと、よくできてるよなぁ、この世界)
白木の神殿、川べりの景色、季節の移ろい。
どこを切り取っても、丁寧に仕立てられた“和風ファンタジー”の舞台。
──神様が、彼女のためだけに創った、婚活のための異世界。
32歳、婚活拗らせ女・椿 結衣子。
人類の未来を担う遺伝子を持つ彼女を、幸せな結婚へ導くために用意された、この箱庭。
ただし、期限は一年。
それまでに結婚できなければ、現世に戻る道は二度と開かれない。
これは、神々が仕掛けた——人生最後の婚活の物語。
*
あの日、縁結び祭と銘打った婚活パーティーで、結衣子は“未来の自分”のような婚活拗らせ三銃士と出会った。
彼女たちの毒舌や執念のなかに、結衣子は、自分の中に巣くう“怪物”──黒く、醜く、情けない感情──を見つけた。
逃げずに向き合い、認め、そして手放した彼女は、もう一度、神様の紹介を受けることに決めた。
お見合い相手たちの誠実さに、感謝と、ほんの少しの愛おしさを抱きながら──
結衣子は、不器用ながらも前を向いて進んでいる。
あれから、結婚を前提とした「真剣交際」には至らなかったものの、“素敵だな”と思える人が増え、お互いを知るための「仮交際」デートは重ねられるようになってきた。
その変化を受けて、“脳内ダダ漏れくん”こと思考感知装置は、正式にお役御免となった。
仮交際まで進めるようになった今の結衣子には、「もう必要なし」と判断されたのだ。
そして今日もまた、一つのお見合いが終わった。
*
「はいっ、本日のお見合い、終了〜!」
神殿『縁側の間』。
結衣子がぱちんと手を鳴らすと、隣で寝転んでいたハッピーがうちわを仰ぎながら「おつかれさーん」とのんきに返す。
「……会話自体は、成立していたな」
神は、いつも通り落ち着いた声音で、今日の所感を淡々と述べる。
「ねえ、どうだった?今日の人」
「礼儀は良い。収入も安定している。性格も穏やかで、話のテンポも悪くなかった」
「ね、私もそう思った!良い人だったよね!」
「……だが、君は途中から明らかに上の空だった」
「……うっ……」
言われてみれば、その通りだった。
むしろ“条件”だけ見れば、かなり理想に近かったはずなのに。
「なんか、こう……途中から、“無”になっちゃって……」
「何も感じなかった、ということか?」
「ううん、ほんとに丁寧で真面目な人だった。全然アリだったと思う」
「……けど、なぜか心がどこかに飛んでいっちゃってた」
(……こういうの、ちゃんと伝わるように言語化するの、地味にむずい)
ダダ漏れくんがあった頃は、いちいち説明しなくても勝手に伝わってたし。
今思えば、あれ──慣れるとめちゃくちゃ便利だったな。
「ふぅん……」
ハッピーがチラッと横目を送る。
その一瞬に、結衣子の心臓がドクンと跳ねた。
(……やば)
言い訳を挟む前に、結衣子は口を閉じてうつむいた。
──そのときだった。
《ピコンッ》
ポケットの中のスマホが、ひときわ高く震えた。
「……!」
思わず反応してしまった。
背筋が伸び、指が勝手にポケットへと向かう。
「なんや、メールかいな?」
「……あっ、うん。家族かな……」
「ふーん?」
ごまかすように微笑んで、スマホの画面を覗く。
──そこに表示されたのは。
『葛城さんから新着メッセージがあります』
(……ああ、また……)
*
——数ヶ月前。まだ初夏の風が心地よかった、あの縁結び祭のあとのこと。
婚活拗らせ三銃士と出会い、自分の中の“怪物”と向き合った結衣子は、もう一度お見合いに真剣に向き合うと誓った。
──その矢先だった。
《ピコンッ》
すっかり忘れていたマッチングアプリから、ひとつの通知が届いた。
(……まだ残ってたんだ、このアプリ)
退会しようと開いた画面に現れたのは──
まるで“推し”が三次元に転生してきたかのような、完璧すぎるイケメン。
金髪に近い茶髪。青い瞳。中世の王子様のような微笑み。
……完璧すぎて、逆にちょっと怖い。
彼の名は、葛城 隼人。
結衣子の脳裏に、かつて一番ハマっていた乙女ゲームのタイトルがよぎる。
『泡沫 月華の片想い』──和風ファンタジーの名作で、作品の“顔”とも言えるメインヒーロー・桂久夜 千朔は、儚げで一途な“最推し”だった。
プロフィールを読めば読むほど、その“桂久夜 千朔”に重なる要素ばかり。
おまけに職業も年収もなにもかもが、高望みしていた頃の、結衣子の理想を詰め込んだような存在だった。
(……これ、絶対詐欺だよね)
──その瞬間、脳裏をよぎったのは。
あの、最悪の記憶だった。
***
大学時代。
はじめてマッチングアプリに登録した頃のことだった。
年収2000万。港区在住。
アイコンは、清潔感のあるスーツ姿で微笑む、爽やかなイケメン。
(……まるでドラマに出てきそうな、理想の“上品な年上男性”だったな)
──しかし、現れたのは。
「よっ、お嬢ちゃん?」
黄ばんだ歯。ドブ川のような口臭。
スーツはくたびれ、足元の革靴は擦り減っている。
「は……はじめまして……田所さん……ですか……?」
「正解〜!お嬢ちゃん、年収2000万に釣られてきただろぉ〜?グフフッ!残念でしたぁ〜!」
「そうでも書かなきゃ、誰もおっちゃんと会ってくれねぇからな〜。グフフフッ」
「……そっ、そうなんですか……お写真と、印象が……」
「そうだろぉ〜?最近のカメラは目いっぱい加工できるから助かるわ!」
「お嬢ちゃんだって、写真盛ってるだろ?お〇ぱい、どれくらいあるの?グフフッ。盛ったらもっとモテるぞぉ〜?」
「ヒッ……や、やめてください……!」
「ささ、デートとかいいから、ほれ、ホテル行こうや。“パ〇活”しよ」
「おっちゃん、生活保護だけど、ちぃーっとくらいなら小遣い出してやるからな〜」
(──いやぁぁああッ!!)
あとにも先にも、あれほど脚が速くなったことはなかった。
その日以来、マッチングアプリは、それはそれは慎重に使うようになった。
「写真と違ったら、即帰る」
そう、固く誓った──あの日の出来事。
*
──なのに、今。
プロフィール上の“葛城”は、その誓いを揺るがすほど、完璧だった。
(……どうせ写真詐欺でしょう。切りなさい。結衣子)
何度もそう言い聞かせた。
──なのに。
その“疑い”を、ふわりと溶かすものが、ひとつだけあった。
──彼のメッセージ。
『ご返信ありがとうございます。写真は加工していませんので、どうかご安心ください』
『まさか、こんな素敵な方と出会えるなんて……正直、まだ少し信じられない気持ちです』
『実は、そろそろ結婚も考えたいなと思って、軽い気持ちで始めたアプリだったのですが……結衣子さんとやりとりできることが、本当に嬉しくて』
『無理のないペースで構いません。少しずつでも、お話しできたら嬉しいです。……こんなふうに誰かを想うのは、ずいぶん久しぶりな気がします』
(……なにこれ……)
(優しすぎる……)
(ダメだって分かってるのに──“宇宙一好みな顔”から、まっすぐに好意を向けられてしまった)
(……こんなの、どうやって抗えっていうの)
一言一言が、心の奥にじんわり沁みていく。
(はぁ、だめ……これ、完全に反則)
(心臓、爆発する……)
──そう思った。
そう思ってしまった時点で、もう完全に“負け”だった。
(でも、ちゃんと「結婚を考えています」って言ってくれてるし…)
しかも、無理に誘ってこない。
私の気持ちを、ちゃんと尊重してくれてる。
──そんな人、今までいた?
(いないよ……こんなの、はじめて……)
でも、ヤリモク風間事件もあったし、お見合いに専念するって決めたんだから……
さすがに、二人には言えない。
会うのを渋って、連絡が途絶えたり、何かしらのボロが出たりすれば──
きっと、諦めがつくのに。
*
それから結衣子は、神にもハッピーにも話せないまま、葛城とのやりとりを──
こっそり、慎重に、でも確かに続けていた。
最初は怖くて、一言だけの返信や、既読スルーで終わる日もあった。けれど彼は、変わらなかった。
かまをかけたり、少し失礼な質問をしたりしても──揺らぐことなく、誠実に言葉をくれるたびに、私も少しずつ、返す言葉を増やすようになっていた。
怒らず、催促もせず、ただ静かに、丁寧な言葉を届け続けてきた。
『今日もお疲れさまです。どうか無理なさらずに』
『返事がなくても構いません。想いを届けられるだけで、嬉しいんです』
(……なにこれ……あたたかすぎる)
(“誠実”って、こういう人のこと言うんだ……)
スマホを胸に抱くと、冷えていた心の奥が、じんわりとあたたかくなっていく。
そんな甘さに包まれながらも、結衣子は、神から紹介された男性とのお見合いに臨んでいた。
相手は誠実そうで、受け答えも丁寧。会話もそこそこ弾んでいる。
(……うん、ちゃんとした人。全然アリ……なはず)
なのに、なぜか集中できない。
(あの人だったら、どんな反応するんだろう)
──そのとき、通りすがった男性の顔が、ふと目に入る。
「あっ……葛城さん!?」
「……え?」
「──っ、ご、ごめんなさいっ!!」
やってしまった。
完全に、やらかした。
相手の眉が、わずかに動く。
「……お知り合い、ですか?」
「い、いえっ!全然違います!空目で……っ!」
(…………これは、まずい。)
(今、なんで名前言っちゃった!?名前!!ああもう最悪!!!)
その場の空気は、もう立て直せなかった。
相手の声も、店先で鳴る風鈴の音も、なにもかも、遠のいていく。
*
「……で?葛城さんというのは?」
──その日の反省会。
神の低い声に、結衣子の肩がピクリと揺れた。
「えっと……その……」
おずおずとスマホを差し出す。
「アプリ、消そうとしたら“いいね”が来てて……」
「……見るぞ」
「この人……」
神とハッピーが画面をのぞき込むや否や、ふたりの声がぴったり重なる。
「「あ、桂久夜 千朔」」
「なんで神様まで私の推し知ってんの!?」
「君があまりに拗らせていたからだろう。誰がこの世界を彩ったのか、忘れたか?」
「……そうでした!!」
──葛城のアイコンは、まさにゲームの推しキャラそのもの。
髪色も、服装も……この世界の空気と合ってるせいか、なんだか余計に“それっぽく”見えた。
「しかも、メッセージまで激ヤバで……!」
スクロールする手が止まらない結衣子。
「“朝晩は冷えるから、暖かくしてね”って……」
「返事なくても、ほら、これ。“無理しないでね”って……もう、ずるいくらい優しくて……」
「──で、問題は?」
「……この人のことばっかり考えちゃって、お見合いに集中できないことです……」
神はスマホの画面を軽く動かしながら、静かに言った。
「会いたいのか?」
「……ちょっとだけ、ね……」
しばしの沈黙。
神は腕を組み、スマホの画面をじっと見つめていた。
「……いいだろう。試しに会ってみろ。何かあれば、私がどうにかする」
「……っっっ!?」
結衣子の目がぱちっと開き、顔にぱぁっと花が咲いたような笑みが広がる。
「ほんとに!?神様、ありがとうっ!!」
勢いよく神の手をガシッと握りしめ──
「もしヤリモクだったら、神サーモで感知して!股間が光ったら即逃げるから!ちゃんと見ててね!?絶対だよ!?」
「……ああ」
その一言に背を押され、結衣子は軽やかに駆けていった。
神は、しばし握られていた手を見つめ──そっと目を伏せる。
*
──結衣子の背中を見送って。
かさり、と落ち葉がすべる音がした。
ハッピーが、ごろんと寝転がったまま、空を見上げる。
「……推しに似たアイコンの男、か。できすぎてて、逆に怖いで」
神は腕を組み、ひとつ呼吸を置いてから、静かに言葉を継ぐ。
「……顔も、口調も、タイミングも。あまりに出来すぎている」
「……“和風趣向”など、ただの味付けのつもりだったが──」
「どうやら、彼女の好みに過剰に一致してしまったようだ」
「ふーん……こんなこともあるんやなぁ」
少し体を起こしながら、ハッピーが興味なさげに言う。
「最近は、マッチングアプリでの出会いが主流だ。20代から30代の約4割が利用している」
「もう、“特別な手段”ではない」
「わかるで、ほんまに増えたよな!」
「ちょっと前は“それって出会い系?”って顔されたもんやけど……」
「今はもう、アプリが出会いの入り口や。使ってへん子の方が珍しいくらいやで」
神が、ふっと小さく息を吐く。
「だが──そのぶん、嘘も増えた」
言葉の温度だけが、ひたりと場を満たしていく。
「プロフィールを偽る者。写真を盛る者。肩書きを飾る者……珍しくもない」
「加工ひとつで、人は簡単に“別の自分”になれる」
「せやせや。“ヤリモク”にとっては天国やな!」
「そうだ。真剣なふりをして、近づいてくる者もいる」
「“遊び相手探し”が目的の者は、調査では2割強だ」
「2割なぁ…でもそれ調査で分かる範囲で、やろ?」
「結衣子が地雷ときめきセンサー搭載女ってのもあるやろうけど……聞いてる感じ、もっとぎょうさんおったで」
「実際の数字なんか、わからんよな」
神は、少し目を伏せるようにしてつぶやいた。
「“誠実そう”と、“本当に誠実”は、まったく違う。……だが、それを見分ける術は、そう多くはない」
「見せかけの優しさなら、いくらでも用意できるからな」
「はぁあ〜!まったく、厄介やなぁ……」
ハッピーが耳をピクリと動かす。
小さく首を傾げると、どこか楽しげに笑った。
「うち、どの雄犬にも遊ばれたことないから、わからへんわ~。遊びはしたけど」
「……お前の手にかかれば、遊び目的の雄も虜にしてしまうのだろうか」
「え、うちがおらな生きていかれへんようにしたらええんやろ?そんなん余裕やわ」
その言葉に、神は、まばたきを一つ落とした。
……やはり、この犬は侮れない。
表情から、わずかに力が抜ける。
「──奇跡と詐欺は、遠目にはよく似ている」
しばらく、風の音だけが流れた。
ハッピーが、ごろりと寝返りを打つ。
「葛城は……どうなんやろな」
「言動には、不自然な点はなかった。無理に誘わず、押しつけもなく、言葉も丁寧だった」
「ヤリモクにしては、手が込みすぎとるわな」
「ああ。“完璧”には、時として違和感がつきまとう」
「だが、今回は──まだ判断できない」
「そんなん考えだしたら、きりないわなあ」
「……それでも、もし本当に、彼女を大切に思っているのなら──」
ハッピーが、欠伸まじりに笑う。
「そりゃもう、最高やなあ」
神は、ふと笑みを浮かべた。
「……ああ。もしそうなら──それでいい」
「推しに似た男と、幸せになれるのなら」
「……せやなぁ」
神は、そっと目を伏せた。
その表情に、ほんのわずかな陰が落ちた。
「……今回も、ちゃんと見ていてやる」
(──君の幸せが、そこにあるのなら)
風が吹き抜ける。
かさり、と。また一枚、落ち葉が風にすべった。
*
夕暮れどき。
窓際に座る結衣子の手の中で、スマホの画面がやわらかく光っていた。
“私を大切に思ってくれている人がいる”
そう思えるだけで、心の奥がじんわりあたたかくなる。
彼から届いた、最新メッセージの通知。
その一行を見つめるだけで、胸がふっとゆるむ。
(……今日は、どんな言葉くれるんだろ……)
(ほんとは、ちょっとだけ……楽しみにしてたりして)
そっと、返信画面を開く。
『こんばんは。お返事遅くなってすみません。今日もお疲れさまでした』
(……信じたいけど、本当に“大丈夫”なのかな)
(また、あの日みたいに──全部、幻だったら)
……そうならないと、信じたいけど。
次回:ロマンスは風のように




