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【完結】結婚できない女が『普通の男でいいのに』って言ってたら、神様が本気で婚活させに来た。/『泡沫 月華の縁結び〜だから、普通の人でいいんです〜』  作者: 蜂屋
結婚しないと帰れません

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第一話:コンカツ女、異世界へ

結婚できない女・椿結衣子による

和風×異世界×婚活ファンタジーです。


──月がゆらぎ、水面が揺れる。風に舞う花びらと、静かな鈴の音。永遠の春のような空気に満ちた、どこか浮世離れした神の領──


「……あー、始まったな。ほら、来るぞ来るぞ、あの男。見てな、ぜ〜んぶ顔に出っから」


軽やかに笑ったのは、顎を撫でながら肩をすくめた、年嵩の神だった。


「……午後十時二十四分。“その時”が来たならば——すべてを始めましょう」


隣で応じたのは、白銀の髪に、静けさと美しさを纏う神。


二人の眼は、“その女”をじっと観ていた。

──彼女の人生は、ただ静かに、運命の境目へと近づいていた。



***



「あ、32歳……へぇ〜」


その瞬間、目の前のイケメンの瞳が、ほんのわずかに曇ったのがわかった。

笑顔の奥から「ナシだわ」という声が聞こえた気がした。


——椿 結衣子 32歳。横浜市内在住、広告代理店の事務職——


婚活パーティーの自己紹介タイム。

騒がしかった会場のざわめきが、一瞬だけ遠のいた。

すぐそばのテーブルでグラスを置く音だけが、やけに耳に残る。


男が、プロフィールカードに視線を落とす。

一拍遅れて、顔を上げた。

わずかに目が泳いだが、すぐに薄い笑顔に塗り替えられる。


「見た目…は、若いですね。……あ、趣味はカフェ巡り?」


その言葉に、結衣子の心がぴくりと揺れた。


(……は? 見た目“は”って、どういうこと!?)

(若作りしてるけど、中身はババアなんですね。とでも言いたいの!?)


(……いや、でも、“若い”ってことは、“良い”ってこと!?)

(つまりコレ、アリなの? ナシなの!? どっちよ!?)


——空気が、ぴんと張り詰めた。

笑い返すべきか、突っ込むべきか。

けれど、動けなかった。心が先に凍りついた。


結衣子は、無意識に背筋を伸ばした。


——さあ、どうくる……?


………


……男の唇が、ゆっくりと開いた。


「……へぇ〜」


表情だけは笑っていた。でも、その目は、まるで他人事。

結衣子は、スッと何かが冷めていくのを感じた。



(……は?)


………それだけ?


思わず自分に問い返す。


(…これで終わり?いやいや、さすがに興味なさすぎでしょ。「へぇ〜」って……)

(——ちょっとくらい興味持ちなさいよ……!こちとら人生かけてんだっつの……!!)





「それでは、みなさまお待ちかね!第一印象カードのお時間です!こちらは“あなたを気になっていた方”からのメッセージとなっております♪」


「…げ。なにそれ…嫌な予感しかしないけど…?」


「カードを受け取った方から順次ご退室くださいませ〜♪」


結衣子の前に、封筒がトンッ。

スタッフの笑顔が、ちょっとだけ曇った。


……あ。


ペラッ。


【該当なし】


——自己紹介では笑顔を絶やさず、カードには“飾らず、自然体でいられる方と出会えたら嬉しいです”と書いた。

メイクも服も気合を入れた。


……それでも、結果は【該当なし】。


32歳。それがすべてを物語っていた。


さっきのイケメンと腕を組んだ若い女性が、こちらをチラリと見つめた。

手には、“25歳”と書かれたプロフィールカード。


すれ違いざま、わざとらしく口元を押さえながら、ひとこと。


「ぷっ…オバサン、必死すぎ」



***



「は〜〜〜!?なによあの子!最後のあれ、ほんっと許せないんだけど!?若けりゃ何言ってもいいわけ?マジで失礼すぎるっつーの……!」


フラフラと繁華街を歩きながら、結衣子はひとり怒鳴った。


何杯目かもわからないレモンサワーのアルコールが、脳の理性をじわじわ溶かしていく。


「あんな性格の悪い女に鼻の下伸ばしてる男たちも、どうかしてるってば!!」

「っていうかさ、32歳だったらなんなのよ!?若けりゃいいってもんじゃないでしょ!?中身を見なさいよ、中身を!!」


……とぶち撒けつつ、やっぱり25歳の肌には敵わない。


「はぁ……肌、つやつやだったなぁ……」





私は、二人姉妹の長女。

妹の明日香は7歳年下。大学院を出たばかりで、すでに入籍済み。

来年、式を挙げる予定だという。


計画的に。完璧に。

私よりずっと賢くて、要領がよくて……若い。


……一方、自分は、どうだ。



「ねぇ、蓮。そろそろ式場見に行かない?ほら、素敵だよ〜」


休日の午後。

一緒に観ていた恋愛ドラマのCMで、チャペルの映像が流れたときだった。


「式場?あー、うん」


ソファに寝転んだまま、東堂 蓮は曖昧に返す。

私の方を見ようともしない。


「……結婚、私が30歳になったら、してくれるって言ってたよね?」


「……あー、もうそんな時期か……。俺、まだ結婚とか考えらんねーや」


部屋の中で流れていたエンディング曲が、やけに遠くに感じた。


「そっか……。じゃ、じゃあ、いつ……?」


「はぁー、そうか、もうお前30なのね。じゃ、もういいや。別れる」


「……え゛っ……!?」


「あ、俺、冷蔵庫のプリンもらってくわ。そんじゃーな」


(え?プリンって……え?まって、まず別れるってなに?)

(いやプリンじゃなくて!!待って!ちょっとーーー!!)


まるで、リモコンを置くように。

何気ない動作の延長で、ぽつりと放たれたその言葉。


——あれから、2年。


休日はマッチングアプリで婚活。

いろんな男と会ってきた。


でも、まともな人はほとんどいなかった。


そして、四月一日の今日。

32歳の誕生日ということで、初めて挑んだ婚活パーティー。


…で、このザマだ。


「誰か嘘だと言ってくれ…」



おなかが、グゥと鳴った。


「……なんか胃に入れないと、死ぬ気がする……」


気づけば、牛丼屋の看板がやけに眩しく見えていた。


ふらふらと繁華街をさまよっていた私は、何も考えず、その明かりにふらふらと吸い寄せられた。


「牛丼、並で。あと……味噌汁。あったかいやつください……」


カウンター席に座り、ぼーっとしていると、店員が湯呑みに入った熱いお茶を、静かに置いていった。


……なんか、沁みるじゃん。


そのタイミングで、スマホが震えた。

──同級生・小夜から、第二子出産の報告。


「……きゃー!さよちーん!出産おめでとう〜〜!赤ちゃん可愛い〜!」


テンション高めのスタンプが、画面の中でぴょんぴょん跳ねる。


「…………」


チャットを閉じると、待ち受けがふと目に入った。

映っていたのは、昔、飼っていた愛犬の写真。


(……ハッピー)


いつもはただ見慣れていたはずのその画像が、今日はなぜか、胸の奥をじんわりと締めつけた。


そのまま、なにも言わず目を閉じる。


心が、静かに、音もなく沈んでいくのがわかった。


……さよちんも、二人目かぁ。

私、今どこにいるんだっけ。


湯気の立つお茶を見つめながら、ぼんやりと考える。


結婚って、たぶん二人三脚の長距離レースだ。

誰かと歩幅を合わせて、転びながらも進んでいくもの。

大人になったら、自然と始まるものだと思ってた。


でも私は、まだ誰の足にも結ばれてない。

そもそも、名前すら呼ばれてない。


コースの外で、ずっと、相手を探してる。

必死に、みっともなく。


もう、疲れたなって思う日もある。


でもやめられない。

やめたら、みんなと並んで歩くことも、もう二度とできなくなる気がして。


……そうしてるうちに、おひとり様センサーだけは異常に育ってしまって、誰がこっちに走ってくるのか、足音だけでわかるようになった。


そんな私の後ろを、二人目を迎えた友人夫婦が、軽やかに駆け抜けていく。


もう、背中すら見えなかった。





「……まぁ、いいんだ。別に結婚なんて、今じゃなくても」

「焦らない焦らない、32歳なんてまだまだ……ね?」


そう言い聞かせた。

でも、なんか……鼻の奥がつんとした。

目の奥も、じんわり熱い。


(……あれ、なんで……?)


みっともない顔で、すがるように牛丼をかきこんだ。


「……っうぅ……なにこれ、しょっぱい。……私の人生も、……しょっぱすぎる……」


熱々の味噌汁をすすりながら、しみじみ思った。


「牛丼屋って……もしかして、この世でいちばん、おひとり様に“やさしい”のかも」


涙と酔いでぐしゃぐしゃになった顔を拭こうとして、意識が遠のく…


その瞬間——


「ふぐぅ!!」


顔面から、牛丼に突っ込んだ。


「お客さん!? 大丈夫ですか!? ちょっと!お客さーん!」


……32歳の誕生日。

気合を入れて挑んだ婚活パーティー。

今日こそ誰かと過ごせるかもしれない。そんな期待すら、もう遠い。


誰も、今日の私を名前で呼ばなかった。

「お客さん」だけが、遠くに響いてた。


……顔、あげなきゃ。牛丼の海で、溺れちゃう。


お願いです、神様。

こんなに孤独な誕生日は、もういらない。

来年こそは、大切な誰かと過ごさせてください。


意識は、静かに白く、遠くへ沈んでいった。



***



——暗闇。顔面から牛丼に突っ込んだと同時に、世界が音を失った。


——そして、静寂のなかに、ゆっくりと、あたたかい気配が降りてきた。



「……」


「午後十時二十四分——椿 結衣子、32歳」


「……へ?」


「——ようこそ、こちら側へ」


声だけが降ってきた。

誰?どこ? え、なにこれ夢?死後?

てか、顔……重ッ!


そのとき、天からの光がゆっくりと広がっていく。

まぶたの裏に、あたたかさが満ちていく。


——でもまだ、何も見えない。


「この世界は……って、なんだその顔は!!ふざけているのか!!」


「は?」


その“誰か”が怒鳴る。


そして結衣子は、気づく。


……顔に、さっき突っ込んだ牛丼のどんぶりが貼りついていた。


「くっそ重ッ……ッぶはぁ!!」


どんぶりを剥がしながら怒鳴り返す。


「ふ、ふざけてないわよ!!なによ、あんたまで私を馬鹿にするの!?……てか誰!?ここどこ!?」


「その顔では話す気にもなれない。……これを使え」


浅縹色のハンカチを差し出された。


「うっさいな……ありがと……」


——その瞬間、不意にこみあげてくるものがあった。

さっきヤケになって胃に流し込んだものが、抗議するように逆流してくる感覚。


「……ゔっ……無理、出る……」


男の目が見開かれた。

その場で小さくのけぞりながら、思わず声を荒げる。


「……やめろ、やめろ!それは神域への冒涜だ……!」


「オエッ……ッッッ###%$&■◎〜〜〜〜!!!!」


式の合図みたいに崩れ落ちる結衣子。

男は、ほんのわずかに距離を取りながら呟いた。


「……もはや、役目を終えたようだ。その布は、君に差し上げよう」


「ッッ……いちいち腹立つ男ね!!」


「……いや、失敬。まさか君が、そんな姿で現れるとはな」


その男は、凛とした和装姿。

異様なほど整った顔立ち。

──けれど、その目はどこか冷たかった。


(……は?なんなのこの人。顔はイケてるのに、嫌味なヤツ…!無いわ〜!)


イラッとした勢いで睨み返しかけて、ふと我に返る。


「……ここは、どこ?」


足元が透けている。音も風も、匂いもない。

でも、息はできている。不思議なほど、静かだった。


(プラネタリウム……みたい?でもそれにしちゃ、空気が現実離れしすぎてる)


もう一度、男を見る。


白い衣。白銀の髪。浮き立つような異質な美しさ。

まるで乙女ゲームから抜け出したかのような、完璧な姿だった。


(……いやいや、落ち着け。イケメンとか言ってる場合じゃない)


混乱と警戒が交差する中で、唯一、確かなのは──この男が“ただ者じゃない”という直感だけだった。

……と思った、その直後。


「……いわゆる“異世界”だ。君は今、“結婚しないと帰れない世界”にいる」


一拍、間が空いた。頭ではなく、口が先に反応した。


「……は?なにそれ。意味わかんないんだけど!?」


「言い換えよう。──これは君ただ一人のために設えられた、運命と選定の舞台。そして私は、君を導く“神”だ」


「か、神様……?」


……いやいやいや、冷静になれ私。

ヤケ酒煽って気絶したあとにイケメン降ってきたら、そりゃ脳もバグるって。


夢じゃないならなんなの。

ていうかもう夢でいいや。夢ってことにする。はい終了。いい夢だ。


……それなのにこのイケメン、私の様子なんて気にも留めず、“こういうの慣れてます”って顔で淡々と話を続けてきた。


「人の世は、静かに終わりへ向かっている。理由は単純——産まれぬからだ」


「…あぁ〜?…はいはい。少子化ね」


「君は、未来に“希望”をもたらす遺伝子を持っている。何代か先に、世界規模の少子化を止める指導者が生まれる可能性がある」

「……その未来を生み出せる分岐点が、唯一ここにあるらしくてな」


ここまできて、ようやく全身から脱力した。


「あー、なるほど〜!…って、なるかーい。知らないわよそんなこと。人の世とか世界規模とか、主語デカすぎて話いっこも入ってこないわ」


「君が幸せな結婚を果たせば、世界は救われる。それが“上”の采配だ」


「……あのさ、さっきからずっと何言ってんの。置いてけぼりなんですけど」

「要するに、そのうち少子化で人類が絶滅するけど、私の子孫が解決するからさっさと結婚しろって意味で合ってる?……これ、もしかしてなんかのドッキリ?」


「ドッキリではない。これは選ばれし者の使命……受け入れるのだ」


「……はぁ!? そっちの都合なのに“使命”とか言われても困るんですけど!?」

「私、言われなくても結婚できますので!ご心配なく!」


怒鳴ってみたものの、どこかで冷静な自分がつっかえていた。


「……まぁ、今日はちょっと事故ったけど……」


怒りまじりにまくし立ててから、ふてくされたように腕を組む。


「てか、それなら、あんたが結婚してよ!イケメンだし、背高いし……性格はちょっとアレだけど──神様なら、年収っていうか…お金なんて、無限に出せるんじゃないの!?」


これほどのイケメンは二度と現れない気がしたので、思ったままを口にしてみる。


こんなこと、普段なら口が裂けても言えない。

……私はまだ、酔っている様だ。


神は一瞬、言葉に詰まり——

ほんのわずかに視線を外し、ため息すらつかずに言った。


「“自然体でいられる方と出会えたら嬉しい”——」


「……は?」


「君の自己紹介カードに、そう書いてあったな」


「……っ」


間を置かず、神は淡々と告げた。


「その“自然体”、誰かに好かれるために整えた“演出”に過ぎぬのではないか」

「中身を育てず、上辺だけを繕ったそれを──“ありのまま”とは呼ばない」

「……君が誰かに選ばれたとき、本当に幸せだと感じられるように。そう願っている」


「……ッッ!!」


図星すぎて、反論の余地もなかった。


「年齢で切られるより効くーーー……!」


その言葉の途中で、世界が突然、軋んだ。


「えっ、ちょ、なに……?」


足元がふわりと揺れ、光が一気に引いていく。

視界の端から星々が流れ込み、青白い月がぐん、と空に浮かび上がった。


無数の灯籠がぽつ、ぽつ、と勝手に灯り、桃色の花びらが風もないのに舞い始める。


「えっ?ちょっ、えっ、さっきまで黒い宇宙空間だったよね!?これ、牛丼屋で見てる夢とかじゃないの!?」


気づけば、目の前に朱色の橋。その先には、満月に照らされた木造の神殿が、静かにたたずんでいた。

満月の下、朱の橋は縁の文字を象るようにゆるやかに湾曲し、足元には、無数の糸のような光が絡み合い、結び目の形を描く。


その先には、“結”の紋が刻まれた神殿が、静かな水面に影を落としていた。


「はっ!?ちょ、すご……なにこの背景美術、クオリティ高っ……て、え?リアル!?」


あっけに取られる結衣子。その耳に、静かに神の声が落ちてきた。


「騒ぐな。ここからが、本番だ」


「こっわ!!どんな演出挟んでくんの!?心臓に悪いんだけど!!」


「この異世界は、現実世界の一年を複製し、君の好みに合わせて“和風ファンタジー風”に装いを整えてある」


「……え?」


(……あ、この景色、私の好みってこと!?)


頭がついていかない。ついていかないけど……ちょっと嬉しいかも。


「君はここで、仕事をせずに婚活だけに専念できる。現実の義務から完全に解放された、“婚活特化空間”だ」


「……ほんとに?じゃあ婚活のために、貴重な休み潰さなくてもいいの?そんでハイスペ捕まえたら、専業主婦コースに乗れて、一生働かずに済むってこと?」


「まぁ、そうなる」

「ただし——一年以内に結婚できなければ、元の世界には戻れないと思え」


一瞬だけ、胸の奥に小さな不安が灯った。


「……やっぱここって、私の家族とか、友達とか……現実の人は誰もいないんだよね。帰れなくなるのは嫌だな……」


「いや。この世界の人間も、文化も、現実とほとんど変わらない。ここで出会う相手も、現実に存在する未婚者たちだ」


「……え?だったら、普通にラッキーじゃない?そんな悪い話じゃないかも……」


神はわずかにまぶたを伏せてから、静かに口を開いた。


「……どれだけ幻想に包もうと、最後に隣に立つ者は、“本物”でなければならなかった」


——その瞬間。


不意に、ポケットの奥でスマホが震えた。


ぴりりりりっ!


「うわ!スマホ!?異世界にも電波あんの!?なにこの仕様!!」


画面を見ると、「お母さん」からの着信。


おそるおそる通話に出ると——


「結衣子〜!お誕生日おめでとう!あんたもう32歳なのね!早くいい人見つけて、顔見せに来なさいよ〜!」


映像に映ったのは、まんまるい顔、ぽてぽての手。

———たぬき耳と、シッポ。


「……た、たぬき……???」


「え?そうだけど、なに言ってんの?あんたのお母さんでしょ〜〜」


「ちょっっっっまって!?お母さんがたぬきになってる!?!?」


「この世界では、“縁”から外れた者は、少し姿が変わるのだよ。……もう結び終えた者も、まだ結べぬ年頃の者も、な」


神が当然のように告げる。


「母君もまた、縁の外にある者。故に、“人間”の姿を保つことはできない」


「……じゃあ、妹も、お父さんも……友達も……?」


「この世界で人の姿を保てるのは、年齢にして君の10歳上から10歳下。その範囲にいて、まだ縁を結んでいない者だけが、人間の姿を維持している」





結衣子は、震える指でスマホを閉じた。


「この世界……めちゃくちゃホラーなんですけど……!!」


「ここまで環境を整えてやったのだ。ここで結ばれなければ、後はない」


「椿 結衣子」


神は静かに、一歩、結衣子に歩み寄る。そのまなざしは、迷いなくまっすぐ彼女を見据えていた。




「この異世界を受け入れ……」

「──命を懸けて“婚活”をする覚悟はあるか?」




その問いに、胸の奥が、静かにざわめいた。


仕事の合間を縫って、アプリで婚活してきたこの二年。

どれだけ足掻いても、結果は“惨敗”ばかりだった。


(『ぷっ…オバサン、必死すぎ』)


あの、25歳の子。

酔った勢いで愚痴ったけど、“失礼な子だったな”で済ませていい?


「私はまだ32歳」なんて強がってるけど……本当はわかってる。“もう”32歳なんだよ。


同級生は、みんな結婚した。

自分だけが、取り残されてる。


婚活市場では、もう崖っぷち。


──それでもここで、意地を張って断るの?

ここまで環境が整えられてるのに?

じゃあ、現実に戻って、また一人でやり直して……本当にうまくいくの?


……目を逸らしちゃダメだ。

そろそろ現実を見よう、結衣子。


だって、結婚したいって気持ちは──本物だから。


結衣子は、ぐっと唇を噛みしめた。


「……今日、分かった。たぶん、私はこのままじゃ、一生結婚できない」

「結婚がすべてじゃないって、ちゃんとわかってる。一人で生きる道を選んでも、幸せになれる時代だって……」


少しだけ目を伏せて、言葉を探す。けれど、声には揺るぎがなかった。


「……でも、それでも私は、好きな人と出会って、恋をして――一緒に笑って、喧嘩して、年を重ねて……平凡でいいから、穏やかな“家庭”をつくりたいって、ずっと夢見てたの」


一瞬だけ、妹の結婚式が脳裏をよぎる。そして、私を捨てた元カレの顔も。


「……やってやるわよ!!」


神は満足げにうなずき、静かに言った。


「よろしい。それでは行こうか、椿 結衣子」


ブワッと花びらが舞う。

渦を巻くように風が起き、花びらが結衣子の体をふわりと包み込む。


「えっ……なに……?」


肌に触れる感触が変わる。

袖が風に揺れて、見下ろすと──


目に飛び込んできたのは、淡い桃花色の着物に、裾へと溶け込む青のグラデーション。

夜の灯りを受けて、桜の刺繍がほのかに浮かび上がっていた。


背には、落ち着いた金茶の帯がきゅっと結ばれ、髪の横では、見覚えのない白と紅の花飾りが、そっと風に揺れていた。


(……すご……これ、私……着替えたの?)


袖の重みも、風に揺れる裾も、どこかしっくりくる。不思議と、少しだけ背筋が伸びるような気がした。


(……ちょっと、いいかも)


朱色の橋の上を、一歩一歩踏みしめる。

静かな水面。揺れる桜の花。

満月の光が、あたりをぼんやり照らしていた。


水面には静かに月が浮かび、ふわりと落ちた花びらが、波紋を描いて消えていった。


——でも。


「……あの、ほんとに……一年以内に結婚できなかったら、帰れないって……マジなの?」


神は、ごく微かに目を細めた。


「……冗談に聞こえたか? あいにく私は、本気だ」


「え……帰れないって……どんな感じ……?」

「え、待って、ちょっと待って、無理だったら……」


「今、現実世界の時間は停止させている」

「一年以内に成婚してここを出なければ、次の四月一日に再び動き出す現実に、君は戻れない」


「は……?」


「そうなれば、君はこの世界で、永遠に32歳をループすることになる」

「周囲の人間は一年ごとに記憶がリセットされ、歳をとることも、死ぬこともできない」


「嘘、でしょ…?嫌だよ!それ本当に終わるやつじゃん…てか、“永遠にループ”とか、死ぬって言われるよりも怖いんですけど!?」


「……問うたはずだ。命をかける覚悟があるかと」


「そ、そんなの……モノの例えだと思ったのよ!!」


「ふっ。言葉を尽くすまでもない。“結婚”さえ果たせば、万事うまく収まる。……君にとっても、“世界”にとってもな」


「な……な……」


神はほんの一瞬、視線をそらすと——静かに、宣告した。


「……ようやく、幕が上がったな」

「ようこそ、椿 結衣子。婚活特化の異世界へ——」


橋の上で、結衣子は叫んだ。


「ちょ、待って!ほんとに始まるの!?うそでしょ!?ムリムリムリムリ!!」


神は、一言も返さず、先へと歩いていった。


「誰か止めてぇえええ!!……あっ、でも置いてかないでぇ…!」





***




——お母さん。


『結衣子、大きくなったら王子様と結婚する!』って、言ってたけど…


ごめん。


結婚できない女なんて山ほどいるのに、私ってば、天界が動くレベルでこじらせてたみたい。


もう王子様とか言わない。普通の人でいいんです。

まぁ、誰でもいいわけじゃないけど。


……ちゃんと、私を見てくれる人なら、それでいい。


次の帰省には、その人を連れて行けたらいいな。

無理だったら……コオロギでも捕まえてくね。


たぬきって、コオロギ好きなんでしょ?


……とか言ってる場合じゃないのよ。

一年以内に結婚しないと、マジで帰れないから!!


次回:毒舌犬と高望み女

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