第1部-第4章 恋と挫折
夏休み前の期末テストが終わった放課後、図書室はひっそりとしていた。
窓から差し込む西日が机の上の本を照らし、紙の匂いがほんのり漂う。
浩一は歴史小説を開いていたが、視線は文字の上を漂うだけで、頭にはほとんど入ってこない。
理由は簡単だ。二つ隣の席に佐伯がいるからだ。
「田島くん、それ面白い?」
唐突に話しかけられ、心臓が跳ねた。
「あ、うん。戦国時代の話で……」
「へえ、そういうの読むんだ」
佐伯は柔らかく笑い、自分の文庫本を見せた。表紙には淡い水色の装丁と恋愛小説のタイトル。
「こっちはちょっと軽いやつ。試験勉強のあとだから」
「……そっちも、面白そうだね」
うまく返せない。もっと話を続けたいのに、言葉が出てこない。
それでも、その日を境に図書室で会えば数分は雑談するようになった。好きな作家の話、好きな食べ物、休日の過ごし方。
浩一にとって、それは新鮮で、ほんの少しだけ自分も「普通の高校生」になれた気がした。
夏休みが明けると、佐伯は文化祭の準備で忙しそうだった。クラスの装飾係に選ばれ、放課後は毎日教室に残っている。
浩一も誘われたが、「ちょっと用事がある」と断ってしまった。理由はない。ただ、人混みや役割分担の空気が苦手だった。
文化祭当日、賑わう校舎の中で佐伯を見つけた。白いエプロン姿で友達と笑いながら、模擬店の接客をしている。
その笑顔は、図書室で見せる穏やかな微笑みよりもずっと明るく、周囲の人たちの輪の中に自然に溶け込んでいた。
結局、浩一は声をかけられずに一日が終わった。
帰り道、校門を出るときに背後から声がした。
「田島くん、来てくれたんだ」
振り返ると、佐伯が手を振っている。
「ああ……ちょっとだけ」
「ありがとう。また図書室で」
その笑顔が一瞬で胸に焼きついた。
だが、その「また」は思ったより早く終わりを告げた。
冬になると、佐伯は他のクラスの男子と付き合い始めたという噂が広まった。
図書室で顔を合わせても、以前のように長く話すことはなくなった。
彼女は恋をして、さらに明るくなった。一方で、浩一の部屋にはまた静かな時間だけが流れ始めた。
――やっぱり、俺は踏み出せないんだ。
その事実だけが、胸の奥に重く沈んでいった。