第1部-第2章 進路調査票
冬の朝は、教室の窓ガラスが白く曇る。
廊下から吹き込む冷たい空気に、思わず肩をすくめた。田島浩一は机の上のプリントを見つめたまま、鉛筆を持つ手を止めていた。
――進路希望調査票。
上の欄には「第1志望」「第2志望」と書かれている。クラスメイトたちは「工業高校」「私立の文系コース」とか、迷いなく書き込んでいるらしい。
自分は空欄のまま、もう十分近く経っていた。
前の席の女子が友達に話しかけている。
「うちは公立一本だよ。私立はお金かかるし」
「いいなあ、決まってて」
その会話が耳に入るたび、胸の奥がざわつく。俺には、そんな具体的な目標はない。
放課後、担任の加藤先生に呼び止められた。
「浩一、進路票、まだ出してないよな」
「……はい」
「お前の成績だと、公立は厳しいかもしれん。私立も考えとけ。推薦って手もある」
言葉は穏やかだが、現実を突きつけられたような気がした。
先生の言う「厳しい」は、ほぼ「無理」に近いことを俺も知っていた。
帰宅すると、母が台所で白菜を刻んでいた。
「先生、何て?」
「……まあ、私立も考えろって」
母は包丁を止め、少し間を置いてから言った。
「お母さんもね、無理はしなくていいと思うの。でも、選べるうちに選んだほうがいいよ」
それは優しさだった。けれど、その優しさに甘えれば甘えるほど、自分は何もしないまま時間を浪費してしまうのだと、薄々わかっていた。
夕飯のあと、自分の部屋にこもってプリントを広げる。
第1志望欄に、とりあえず「公立高校」とだけ書いた。校名は空欄のまま。第2志望も白紙。
記入欄を埋めたくないのではない。ただ、自分の口から将来の形を言葉にする勇気がないのだ。
翌日、その進路票を提出したとき、加藤先生は何も言わずに受け取った。ただ、その目が少しだけ哀れむように見えた気がした。
帰り道、冬空を見上げる。灰色の雲が重く垂れこめている。
胸の奥に広がるこの曇天が、きっと俺の未来なのだろうと、根拠もなく思った。