第3部-第19章 母との静かな日々
就職を諦めてからの日々は、驚くほど静かだった。
朝――いや、昼に目を覚ますと、廊下の向こうからテレビの音が聞こえる。
母はリビングで編み物をしながらワイドショーを見ている。
浩一が顔を出すと、「おはよう」と微笑んでくれる。
昼食は簡単なものだ。トーストと目玉焼き、インスタントのスープ。
食べ終えると、浩一は自分の部屋に戻り、パソコンを立ち上げる。
母は洗濯物を干し、買い物に出かけ、帰ってくる。
その間も浩一はキーボードを叩き続け、時々ゲームの合間にコーヒーを飲みに台所へ降りていく。
夕方になると、台所から煮物や味噌汁の匂いが漂ってくる。
母が呼びに来る前に席を立ち、二人で向かい合って食卓を囲む。
「今日はスーパーで大根が安かったのよ」
「ふーん」
会話は短く、必要なことだけ。それでも沈黙が重く感じることはなかった。
夜はこたつでテレビを見ながら、お茶をすすった。
母はニュースの話をし、浩一は相槌を打つ。
外の世界の出来事は遠い国の物語のようで、現実味がなかった。
こうした日々が何か月も続くうちに、「働かなければ」という焦りは消え、
代わりに「このままでもいいのでは」という甘い囁きが心の中で大きくなっていった。
母の年金と少しの貯金があれば、今すぐ困ることはない。
外に出れば嫌な思いをするが、家にいれば平和だ。
冬が来ても、夏が来ても、この二人暮らしは変わらなかった。
窓の外で季節が巡るのを眺めながら、浩一は思った。
――もしかしたら、このまま一生を終えるのかもしれない。
その予感は、不思議と恐ろしくはなかった。




