【短編】一生の後悔を無くしませんか?
「今夜だけだよ。君がここにいられるのは」
そう言われた場所は、駅の隣、あるはずもない”もうひとつの改札口”だった。
優しい女の声が脳に響く。
俺は疲れているのだろうか。いや実際に疲れていることに間違いない。
だけどこんな夜も更けた街、都内とはいえ明かりの絶えない街中だが、それでも俺の目の前にある改札は、異質で爆然としている。
そして妙なことに、これに気づいているのが少なからず俺だけであるということだ。
本来ここは……何があったのだろうか、少なくとも駅の一角にある倉庫のようなもので普段はどんな姿をしているかいちいち気にも留めないものだ。ただの壁かもしれないし、ただのシャッターかもしれない。それほどまでに深い関心を示した覚えのない場所にさっきから改札がある。
だがこの改札は俺の知っているものから少しばかり乖離している。例えば通行止めのバーがなく開き切っていること、切符またはICカードをタッチする場所がない。言ってしまえばゲートのようなものにも見える。
しかし、誰も気づかないのか。むしろ棒立ちしている俺の方が不審者に思われてもおかしくない様子だ。それにさっき聞こえたあの声は誰なのか。
居ても立っても居られず、俺は中へ入った。
*****
白い光に包まれる、その次に映るのは夜空だった。
だが場所は違う、どこか山の奥の開けた場所だ。花は月光に照らされ、かに照っている。まるで蛍のように儚い光球もふわふわと浮いていた。そして夜空は満天の星で満ち溢れていた。こんな景色、とても都会では見ることのできないものだ。お盆に田舎に帰省した時に見た光景に近いものを感じるが、それをも容易く超える、本当にきれいな世界だった。
「ようこそ、今晩のお客様」
振り返るとそこには女性が立っていた。
160センチほどの身長に、程々な健康を感じる体駆、少しくすんだ華毛のボブに印象に残りやすい赤い瞳の女性だった。着ている服には見覚えのある制服と帽子、そうだ駅員の服だ。すらっとしながらボディーラインがはっきりとしているそれだが、もしかしてこの駅の職員なのだろうか?しかし社名やそれを表すエンブレムがどこにもないのが気になる。
どこかで会ったことがあるよう顔に思ったが、真っ先にその声に心当たりがあることに気づく。
「君が俺を呼んだのか?」
未知の改札を目の当たりにするきっかけの声に瓜二つだった。
「ええ、その通りです」
「ここは……どこなんだ?」
「う~ん、一口にこうだと言えるものではありま……あぁ、これは来る人々皆様にそんな話をしますね。 なのでお決まりの回答を、私はここを“分岐点”と呼んでいます」
「分岐点?」
「そう、分岐点。今のあなたであり続けるか、それとも再度あなたの人生にとっての転換点に立ち直って新たな未来を進むか、それを選ぶ世界です」
何を言っているか理解はできなかった。俺は夢でも見ているのかとそう思ってしまった。
「えぇ、すぐに理解しようと思わないでください。まずはそうですね……あそこにちょうどよくベンチがあります。そこに座ってお話をしましょう」
彼女はそう言って指をさした先には木製の、比較的手入れの入ったベンチを見かける。
俺は言われるがまま、彼女についていき、隣同士になって座った。
*****
「ところで、君のことは何と呼べばいいんだ?」
「私ですか?私にはこれという名前はありません。役割も会う人によって変わるので……今夜あなたの前ではこの服装になったみたいですね。これは何なんでしょうか……あぁ、ごめんなさい、話が逸れましたね、えっとそうですね、せっかくだからあなたがつけてくれませんか?」
「えっ、俺が?」
質問をしたら思いがけない無茶ぶりをしてくる。少し一考した末、それなりの答えを見つけた。
「……ナビ」
「ナビ?」
彼女は首を傾げて聞き返した。
「ナビゲーターという意味で、ナビだ。変に人やペットにつけるような名前にすると、少しこう擽ったい気がしてな」
本当に適当だった。ハナコとかそんなありきたりな名前で十分だったのにどうしても、そうことを付けるのに小さな拒絶反応があり、役割っぽいものにした。
「なるほど、わかりました。ではあなたの前での私はナビです。でも案外正解な名前かもしれませんね」
「それはどういう?」
「あなたの選択を案内するという意味で、ですよ」
「そういえば、さっき言っていた分岐点と言っていたが、どういう意味なんだ?」
「そうですね、それについてじっくり話しましょう」
こうしてナビのこの世界におけるあらましが語られる。
*****
各々には随所で選択肢が与えられ、どちらかを、ことによればどれかを選ぶことを強いられます。
その選択についての是非を問われると主観・客観で同異が分かれます。
この世界ではその選択の是非に関して、主観に基づき、「間違っていた選択」をした人を「もう一方の選択」に案内し、再出発させます。
今晩のあなたの場合は、目の前にある列車があるでしょう。もし希望する場合にはその世界に再出発できます。
これがこの世界、残念ながら名前もない世界ではありますが、そうなります。
*****
一通りその淡白な世界の理を知った。話し終えるとナビは「質問はありますか?」と尋ねる。
「その役割を担っているナビは人間なのか?」
それは今この場では些末な疑問だがまず先に気になる小さなところを潰して回ることにした。
「あなたの目が私をどう映しているか知りません、世界も私の姿も人によって見え方が変わります。もっと言えば入口も。これは私の解釈ですが、もしかして改札みたいになっていましたか?」
「……あぁ、改札だった。切符も通す必要のない、足止めも食らわない不思議な」
「そうですか、なるほど。ですが先打っておきますとこの世界は確かにあなたの心象で構築されています。ですが必ずしもあなたの選択肢との結びつきが合致するものではないのでご安心ください。あくまでも切り取った一部ですから。どこかはあなたの選択肢に作用するものがあるかもしれませんが、それがどれだけ占めているかはあなたしか知りません。あなたがこうだと思うのが正解です」
説明を聞いたとき、「いや俺に電車やこの景色に関して何かあっただろうか」と気にしていたところだったが、今の説明で納得した。これまでの人生で、それらに所縁があったとしても、人生に影響することではなかったのだから。
「この世界では選択しなかった方を再度選び直せると言ったが、具体的にはどういうものなんだ?」
一旦、目の前で起きていることが本当であることを前提に話を進めることにした。いちいち疑い深く睨みつけてもキリがないから。
「そうですね、これについては実例を話しましょう」
そう言ってナビは指を鳴らす。すると天に長方形のスクリーンが見える。そこにはスーツ姿で立派に人前に立って仕事をしている女性がいた。
「おそらくあなたも知らない方だと思います。彼女はいわばキャリアウーマンとしてその地位を築き上げ、30代半ばで課長職に従事しています」
「それは随分と立派だ」
「あなたにはそう映るのですね、ですが彼女はそれを後悔したみたいです」
「……え?」
30代ということは俺より年上である彼女は凛としていて、とても後悔などを感じられない。どういうことか。
「実は彼女のいる会社は、良い評判を聞く機会の少ない、いわゆるブラック企業というものでした。彼女の言葉を借りると、ですが」「ブラック企業の課長職ともなれば色々と苦労しそうだな」
俺の職場はそんな言われはないし、人間関係も良好でワークライフバランスもしっかりと整った場所だ。ブラック企業とは言い難い。だから世間一般の物差しで話してしまっている。
「彼女は課長職を受けるかどうかの選択肢に立ちました。そして彼女の選んだ道は課長職をやる道でした」
「なんだか少し話が見えてきた………」
実際に当人にもなったことないし、そのような場で過ごしてきたわけではないがそれとなく察した。
「彼女の選択で『自分の時間を失った』とかか?」
「ほぼ正解です。彼女には当時お付き合いしている男性がいました。お互い仕事の多忙さを了承した上での交際でしたが、彼女の仕事は今まで以上に増えてしまい破局してしまいました。それでも無慈悲に仕事量は増えて、自分の為に割く時間も徐々に失われていきました。得られる給与は多いものの、失った代償は彼女の心を摩耗させたんだと、語っていました」
「なるほど、それでここに来た彼女は課長になる前の選択肢に再出発をしたということか」
「話の理解が早いですね……えっと……」
そういえば自分が誰かを名乗っていないことを思い出す。
「俺はシラハマだ」
「シラハマ様ですね。話を続けます、それで彼女の結末ですが、課長に就く前に戻り会社を退職しました。それから再就職して別の会社に行きましたが安定した収入で生活し、今では一児の母として生きています」
「へぇ、随分といい結末じゃないか、小説の一本でもできそうだな」
「そうですね。今それがあなたの前でも起きているのですよ」
スクリーンが徐々にフェードアウトして散り散りに蛍のように消える。
「なるほどね、選択肢の間違いか……さっきの話は本当に上手くいった例だろうな」
「と言いますと?」
「あくまでもその選択の是非を決めるのは自分自身かもしれないけど、変えた先でどうなるかなんてわからないものだろう。例えば、前置きするがこれは俺自身が経験したものではないがな、競馬とか結果のわかるレースに全財産投入し当たって大儲けするなんてのはどうだ。それが人生逆転であったとしても、あぶく銭のように遊びに使っちゃって破産になるケースだってあるんじゃないのか?」
「おぉ〜」
ナビは小さく拍手をした。それに対して「何が、『おぉ』だよ」と言う。
「いえ、シラハマ様は思った以上にしっかりと考える方なのだなと思いました。実は残念なことに今あなたのように話した方はいました。そしてその顛末について、全員がそうではありませんが、中にはあなたの話したことが起きたことだってあります」
「だろうな。それにさっきの彼女の例もだが、仮に転職先を間違えたらなどの可能性もある。これは想像の域を出ない話だが、元々彼女には転職先があったのだろうな、『そこでなら私はうまくやれる』というある程度の根拠があった。だけど同時に課長職に就くことで同じ職場でしかも高給ともなれば安定を図るとそっちを取りたくなるものだ。でも全てが上手くいった例としては最高のものではあるな」
「う〜ん。シラハマ様はもっとこう夢を見ようと思わないのですか?」
「いいや見れるものは見たいさ、だけど俺の場合は仮に違う方の選択肢を選んだとして、次にまた別の選択肢に当たると思うんだ。そうなった時、継続して『自分の中で正しい』と思う選択をし続けることができるか不安で仕方ないだけさ」
「なるほど、それはまるで連続した選択肢で常に『自分では間違ったと思う選択肢』を選び続けたような言い草です」
「なっ……!?」
悔しいことに図星だった。だからこそ俺はさっきからこの世界で見て聞いたことをアイロニックに返しているのだと気づかされる。
「あぁ安心してください。実際にあなたみたいに話した例も少なくないです。そういうことを言う人ほど、その思いを持っている傾向にありました。だから私は今的外れなことを言ったかもしれません」
「………いや、悔しいけどその通りだよ」
「そうでしたか…。ただ少なくとも言えるのは、私の声を聞いてこの世界に来たということは『選択肢を間違えた』と思う人です。と言ってもそんな人は万人当てはまることです。その中でも特に想いが強い人ほどこの世界に呼ばれがちです。だからあなたが導かれたことには何か理由があるはずです」
「想いねぇ……確かにそうなのかもしれないな」
話をしているとナビはこっちを向いた。俺は「おお、なんだよ?」と問うとその顔は真剣極まりなかった。
「あなたが話すのを辛いと思うのも承知していますが、一旦どういう選択肢が誤りだとあなたの中で感じているか調べてみますね」
そう言ってナビはその手で俺の額に触れる。まるで熱を測る時のように。驚きのあまりすっかり抵抗とかする余裕がなかった。
「……ありがとうございました。少しあなたのことがわかりました」
「何がわかったんだ……」
「『野球の夢をあきらめ続けた』のですね」
「……そうか、君には俺の頭の中がそう見えるか」
「私の解釈ですが、その選択肢への想いにトゲトゲとして鬱着とした靄を感じました。これも今までの傾向に準えると、個々人の選択肢への誤りに対して見られる傾向です。しかもあなたは3つもある」
「そうか。そしたら俺のことについて話そうか」
*****
白浜 悟。この名を知る人は、もうとうに減っただろう。
学生野球時代に名を馳せ、プロ野球選手、はたやメジャーリーガーに近い男とまで言われた。
そしてその夢を捨てた男だ。
高校野球は本当に順風満帆で輝かしい活躍をしていた。【白昼夢】なんて通り名があって、まぁこれは三人の苗字の頭文字からきて、メディアがそう括っていたが、その当時優れた球児のカテゴリーで、俺はその一人だった。三年連続甲子園出場を果たし、高校最後の年はベスト8まで進出した。最後は強豪校との鍔迫り合いの末に敗北したが後悔はなかった。問題はここからで、進路について問われる場面だった。監督や校長からはプロへの道を強く勧められ、いくつかの球団スカウトからも声がかかっていた。それは件のカテゴリーにいた二人、昼代と夢前も同様で当人たちはドラフト会議の道を選んだ。かく言う俺は高卒ルーキーとして輝けるかという不安などがあり、その身を引いた。含めて大学時代にもその輝きが残ればと思い、大学に進学し、野球と学び二足の草雑を願いて過ごす決心をした。
大学野球も順調だった。唯一大学進学をした白昼夢の一人として最初は扱われたが、活躍する機会が増えたことで「白浜 悟」という一個人の大学野球選手として名を馳せる。いよいよ球界入りもされた頃に進路を問われた。しかしこの頃、確かな実績は残せたが、怪我が増え、出場機会を幾度逃してしまう。その結果、高校時代に比べれば、微々たるものでも、見劣りすると感じた。その中で球界入りをしたら、果たして高校時代に球界入りした後との埋め合わせができるのか、自分への懐疑と自喪失によりチャンスを手放してしまった。
それから就職して、社会人野球の道もあったが、そこから距離を取ってしまう。今まで培ってきた『野球による栄冠』は日に日に輝きを失っていった。何のためにこれに何もかもを擲っていたのかわからなくなってきた。こうして白昼夢の一人、白浜 悟は今でもなお、社会の波に揉まれ労働をしているが、かつての肩書すら忘れ去られていた。
それでも野球をテレビで見るがかつて肩を並べた二人については、高卒からプロ野球の世界で今でもなお戦っている。昼代はチームのエースとして立派に看板を背負いながら代表の顔として真ん中に立っている。夢前は手術や移籍を繰り返しつつも、しぶとく世界にくらいついて手放すまいと努力をしている。
どちらも異彩の輝きを見せていて、今の俺には眩しすぎる。
*****
「これが俺だ」
「なるほど、あなたのお考えがそうなってしまうのは、なんとなく理解できました。現実主義で、選択を誤った場合のリスクを真っ先に考えてしまう」本当に的を射た表現だ。悔しいけど、彼女の言っていることに間違いはない。避けていた自分の言葉を代弁してくれる気持ちだ。
「俺がこうして野球への想いに後悔しているからこの世界に辿り着いたのか」
「どうでしょう。さっきも言いましたが、あなたの記憶の中でそうと思った部分を切り取ってこことただ指摘しただけなので、正解かどうかはあなたが決めることになります」
なんともまあ無機質で中立的なコメントかと思ってしまった。
「まあ、仮に俺の中に後悔があるとしたらそこなのかもしれないな。もし高校時代に球界入りしていたら怪我のしない体づくりをできたかもしれないとか、大学時代に球界入りしていたらすぐにでも活躍の機会を与えてもらえたかもしれないとか、社会人野球の道を進んで声をかけてもらえたならもうそこで挑もうと決心できたかもしれないとか。今の人生を悪いと全面的に思わないが、その分かれ道で常に後悔しているかもしれない………そう、思ってしまうな」
「なるほど……わかりました。あなたの想いをある程度はわかりました。それではここからは選択の時間ですね。と言っても急かしません。あなたがこの世界にいる間現実世界の時間は進行しません」
そう言って腕時計を見ると確かに入る直前に見た時間と一致し、秒針はピタリと止まっていた。
「ただし、この世界に出るということは『今を受け入れる』ということで、二度とあなたの前にこの世界は現れませんのでそこだけは注意を。それで受け入れるのなら、どうぞ静かに帰って大丈夫です」
ベンチからヒョコっとナビは立ち上がって俺に向けて言う。
「ゆっくり考えてください。あなたにとって悔いなき選択肢を」
一礼しながらそう言って去って行った。一旦足を止めて「お話し相手になってほしかったらまた呼んでください」と一言残して。
「…………」
それから俺はベンチに横たわって、本物か作り物かもわからない星空を眺めていた。
*****
一つの景色を思い出す。
「――――ら浜君は、プロになるの?」
そ の声の主は、秋頃の高校時代の俺に向けての声だった。彼女の名前は名六 標。野球部のマネージャーで同級生だ。誰構わず好意的に接し、部内では『天使』と称されるほどの人物だった。
「いや。どうしようかなって思う。大学からの声もあって、そっちに進むのもいいかなと思えてきたんだ。今時の高卒ルーキーって、成功すればいいけど、うまく行かなきゃ飼い殺しになるし、それで戦力外通告になってしまえば次の就職先はどうなることやら。本当に俺のやりたいことって何だとなってしまうよ」
「えぇ〜、君ほどの実力だったらもっと夢見てもいいと思うよ。だって『今メジャーに近い男』って高く評価している人は多いんだからさ」
「そんなの絵空事だ、なんだっけ、アメリカンドリームというやつ?あんなのを掴めるのは本当にわずかだ」
「まぁそれはさ、結果論というか、そうなったらそうなったで良かったねでいいじゃん。私はね、野球をしている白浜君は本当に楽しそうで、見ているこっちもいろいろともらっているって思うんだ。本当にまぶしいと思えるよ。だから―――――」
目が覚めると、星空が広がっていた。夢を見ていたようだが、随分とリアルな追憶だった。
そして夢に出てきた彼女が俺にかけた言葉は、その時は何も感じなかった。だけど今これを言われると強い衝撃を感じる。
「……あぁ、そんなことを彼女は言っていたな」
こんな話をしなかったら、いやしたからこそ忘れていた言葉を思い出した。
思い出した、ではないか。思い出さないようにしていたが正しいのか。俺はその言葉を一種のマジックワード、この言葉さえあればどうにかなると思ってしまうそんな魔法の言葉に強い負の感情を持っていた。
当時の俺は、端的に言えばハイリスク・ハイリターンを避けていたのだ。それは今も変わらず、挑むことに怖がっていたんだ。それで名六の前ではそうやって虚勢を張っていたんだな。
彼女のマジックワードを押し殺していたからこそ、今向き合うと大学進学をした時の彼女の顔は――。
「馬鹿野郎……俺」
その言葉は空へ舞い、そして心の中に決意の灯火が宿る。
*****
「ナビ? いるか?」
どれくらい時間がたっただろうか。俺は一つの決心を胸に彼女を呼んだ。
「はい、シラハマ様。……その様子はご決断されたのでしょうか」
「そうだな、随分と待たせてしまったかもしれないがな」
「とんでもない。ここはあなた専用の世界でもあるので、遅速は些末なものですよ」
「そうか、少し考えていてな。大方決まったよ」
「お聞かせください」
「端的に、高校時代の進路の場面に戻ろうと思うよ」
「プロ野球選手になるか、大学に進学するか、どちらかを選ぶ場面ですね」
「まあ、とは言っても当時の俺はそもそもドラフトすら申し入れていない。だからその世界に行って指名される保証は無いけどな、いくら確証があったとしても確約ではないからな」
「一つお聞かせいただけますか」
「ん?」
「その決心は了解しました。ただ今まであなたは随分と現実主義だったと思っていました。これは今までの傾向に沿ってですが、現実主義者ほどこの話を鵜呑みにせず、元の場所へ帰りがちです。全員がそうではありませんが、どうしてその決心に至ったか知りたいのです」
「それはアンケートみたいなものでいいか?」
コクリとナビは頷く。
「そうか。話すと、俺は今まで、君の言う通り現実主義で、保守的な人生を歩んでいて、現状維持で十分だった………『やる後悔とやらない後悔、どっちを取るかだよ』。そんなことを俺に言ってきたやつがいてな。その言葉を思い出したら、俺は今までやった後に対しての後悔を怖がっていたんだと気づいた。だからその選択をした。これでいいか?」
「十分すぎるほどです。今後のデータになりますので、参考にしたいですね」
「それはどうも。さて、こう決心したがどうすればいいんだ?」
「さっき言いましたが、あの列車に乗ってもらいます」
この世界に目立つほど存在感を放つ電車が一両あった。示されて目をやるといつの間にか、その扉は開いていた。
「開いてところから乗ればいいんだな」
ベンチから立ち上がって近づいてみると、すぐにでも足を踏み入れることができそうだ。
「はい。その通りです」
「ふぅん……ちなみに、仮に過去に戻る場合って記憶とかはどうなるんだ?」
「もちろん、引き継がれますよ。そうでないともう一度同じ選択を選びかねないですからね」
確かに合理的な理屈だと思い、聞くまでもないと感じた。
「なるほど。それじゃあ長居はしないでやってみるよ、俺の人生をかけた一大挑戦に」
「えぇ、いってらっしゃい。どうか、その選択に後悔が無いように――――」
電車に乗って席に座ろうとする中、意識は暗転していった。
*****
ナビの言葉を最後に目を開くと、かつて通っていた高校の風景が広がっていた。反射する窓に映る俺は、社会人の今と違ってスポーツ刈りでさっぱりとしていた。
「本当に戻ったっていうのか?」
記憶がはっきりしているから現実感がない。夢の中なのかもしれない。
俺は自分の頬をつねったがしっかりと痛かった。
「何してるの?」
俺の奇行に対してかける声は心当たりがあった。振り返るとそこには彼女がいた。
160センチほどの身長に、程々な健康を感じる体、日本人らしい黒髪のボブに平凡な黒い瞳の女性だった。彼女、名六 標の顔を見てハッとした。
あの時会ったアイツは髪も目も色が違っていたから気づきようもなかった。いや、気づいたら自ずとそのマジックワードが過るから自分で抑圧していたんだな。
「そうか……そうか、あの世界は俺の心象を描いていた。自分の想いに関係があろうが、なかろうが……なんだよ、関係あったじゃないか」
思わず笑ってしまった。それに対して「どうしたの?大丈夫?」と首を傾げる名六だったが、それに対して「なんでもねえよ」と言って去った。
それからの俺はドラフトにて5球団からの指名を受け、くじの末に交渉権を獲得した球団に入団した。
順風満帆とは言えないスタートだったが、忘れていた野球の楽しさを取り戻しつつ、今もなお歓声の中、直向きに頑張っている。
数年後には隣に家族ができた。数年前までベンチで応援していたボブの彼女は、今となっては大人びていて髪を伸ばしている。
短編でした。この物語はどちらかと言えばナビと呼ばれる者を中心に色々な選択に悔い悩む人たちが来るオムニバス形式の物語をイメージして作りました。
この中ではナビという女性が白浜さんの前に現れましたが、他の人が来たらこの案内役は姿形が変わる理の世界になっています。もちろん情景についても同じです。
今回は冒頭に改札と与えられたので駅を想定しました。他にも場末のバーだったり、華やかなテーマパークもいいですね。色々と想像の余地があります。
この作品は案内役であったナビにいくつか仕掛けを入れた作品でもあります。少しでも気づいたら嬉しいです。