第6話:桶狭間の風
1554年、那古野城
尾張の那古野城は、ざわついてる。
織田信長――もう「吉法師」とは呼ばれねえ――が家督を継いで数年、城の中は戦の準備で慌ただしい。
俺、前田利家――まだ「犬千代」と呼ばれることもある――は、城の裏庭で本物の槍を手に持ってた。
1538年に生まれた俺は、この頃、16か17歳だ。背も高くなり、力もついて、織田家の小姓から足軽として戦場に出る日が近づいてた。
盗賊をぶっ倒した日から、俺は「槍の犬千代」と呼ばれ始めて、槍の腕を磨く毎日だ。
「犬千代! また槍振り回してるのか!」
声が飛んできた。信長だ。19か20歳くらいのあいつは、背は低めだけど、目がギラギラしてて、威圧感が増してる。俺は槍を地面に突き刺して、ニヤッと笑った。
「振り回してねえよ。練習してただけだ。お前こそ、何騒いでんだ?」
信長がニヤリと笑って、近づいてきた。
「今川がうるせえんだよ。尾張にちょっかい出してきてさ。俺、ぶっ潰してやるつもりだ。お前、どう思う?」
「今川か。面白えじゃん。俺、槍で突いてやるよ」
俺が笑うと、信長が目を輝かせた。
「さすが犬千代だ。よし、お前も戦に出るぞ。準備しとけ」
信長が先に歩き出す。俺は槍を肩に担いで、ニヤけた。戦か。やっと本物の槍を振るえる。
織田信秀が死んでから、信長は家督を継いだけど、尾張はまだまとまらねえ。家臣たちは信長の奇行に振り回されて、俺みたいに信長を信じる奴は少ない。
でも、今川義元が尾張に目を付けてきたって噂が広まって、信長は動き出した。
俺は信長のそばで、槍を手に持つ日を待ってた。
母ちゃんとの「生きて帰る」約束は守るけど、戦場で名を上げるチャンスだ。
信長の奇策
その日の夕方、信長が家臣を集めた。
座敷に平手政秀や佐々木藤兵衛、俺みたいな若造まで並んで、信長の話を聞いてた。信長はニヤニヤしながら、でかい声で言った。
「お前ら、今川が桶狭間で軍を動かしてる。俺、叩き潰してやる。どうだ?」
平手が渋い顔で口を開いた。
「信長様、今川は大軍です。こちらは数で劣ります。慎重に――」
「うるせえよ、ジジイ! 数なんか関係ねえ。俺のやり方で勝つ!」
信長が笑う。家臣たちがざわつく中、俺はニヤッと笑った。
「面白えじゃん。俺、信長のやり方に乗るよ」
信長が俺を見て、目を輝かせた。
「犬千代、お前は先陣だ。槍で突っ込んでこい」
「当たり前だろ。俺、槍の犬千代だぜ」
俺が胸を張ると、信長が笑い転げた。平手が呆れた顔でため息をつく。
「信長様、犬千代まで巻き込む気ですか?」
「巻き込むも何も、こいつがやりてえんだろ。なあ、犬千代?」
「当たり前だ。お前と一緒なら、どんな敵でもぶっ倒す」
俺と信長が笑い合う中、家臣たちは困惑してた。でも、俺には分かる。信長の奇策が、俺たちを勝たせる。
まつの気遣い
その夜、俺は城の外で槍を磨いてた。
明日が初陣だ。盗賊とは違う、本物の戦場。
槍の刃を布で拭いて、気持ちを落ち着かせてた。すると、足音が近づいてきた。
「お前、また一人でいるの?」
声に顔を上げると、芳春院――まつだ。14か15歳くらいのこいつは、織田家の親戚筋の娘で、最近よく城に来る。背が伸びて、目は澄んでて、俺をじっと見てる。
「まつじゃねえか。どうしたんだ?」
俺が槍を置くと、まつが静かに近づいてきた。
「明日、戦に行くって聞いた。お前、平気なの?」
「平気だよ。槍があれば、俺は負けねえ」
俺が笑うと、まつが小さくため息をついた。
「負けないのはいいけど、死なないでよ。お前、母ちゃんとの約束あるんでしょ?」
まつの言葉に、俺は一瞬黙った。母ちゃんの「生きて帰ってきておくれ」が頭に浮かんだ。
「分かってるよ。俺、死なねえよ」
俺が笑うと、まつが目を細めた。
「なら、持ってて」
まつが小さな布袋を差し出した。中を開けると、干し柿が入ってた。
「何だ、これ?」
「戦場で腹が減るでしょ。お前、無茶するから、ちゃんと食べてよ」
まつが言う。俺はニヤッと笑って、袋を受け取った。
「へえ、お前、気遣い上手だな。ありがとよ」
「礼なんていいよ。生きて帰ってくれば、それでいい」
まつの澄んだ目が、俺の胸に刺さった。こいつ、妙に俺を落ち着かせる。
影の警告
その夜、寝床で目を閉じた。
初陣の興奮とまつの言葉が頭に残って、眠りが浅かった。
そして、夢を見た。
暗い森だ。俺が槍を持って立ってる。目の前に、黒い影。兜をかぶった武将が、俺と同じ槍を持ってる。顔は見えねえ。兜の下は闇しかねえ。
「お前は誰だ?」
俺が聞くと、そいつが低い声で答えた。
「お前が殺すものだ。そして、お前が守るものだ。戦場で何を貫く?」
目が覚めた時、心臓がバクバクしてた。
汗で全身が濡れてた。夢だった。
でも、今回は問いかけが違った。
まつの声が混じってる気がした。
俺は布団の中で拳を握った。
あの影が何だか分からねえ。でも、信長とまつが、俺の中で何かを変えていく。俺は槍を握り続ける。