第2話:槍の目覚め
1540年代後半、荒子城
尾張の風は、いつも埃っぽい。
荒子城の裏庭で、俺、前田利家――まだ「犬千代」と呼ばれてる――は、木の棒を手に持ってた。
1538年に生まれた俺は、この頃、11か12歳くらいだ。
あれから数年、背は少し伸びたけど、四男坊で跡取りでもねえ俺は、相変わらず好き勝手やってた。
でも、あの日から何か変わった。
吉法師――織田信長――と出会って、木の棒と木刀で勝負してから、俺の胸に火が点いたんだ。
「犬千代! またサボってるのか!」
声が飛んできた。
兄貴の利隆だ。
長男で、俺より8つ年上。真面目で、父ちゃんの利春に似た顔が、今日も呆れた表情で俺を見てる。
「サボってねえよ。槍の練習してただけだ」
俺は木の棒を振り回して見せた。
地面に突き刺してた棒を抜いて、利隆に向かって軽く突く真似をする。
利隆が腕を組んでため息をつく。
「槍? まだその棒っきれか? お前、いつまでガキの遊びやってんだ?」
「遊びじゃねえよ。俺、槍で強くなるんだ」
俺が胸を張ると、利隆が鼻で笑った。
「強くなる? お前みたいなチビが? 父ちゃんに言いつけて、ちゃんと働かせてもらうぞ」
「言えばいいじゃん。俺、父ちゃんに本物の槍持たせてくれって頼むよ」
利隆が一瞬目を細めて、ニヤッと笑った。
「へえ、根性だけはでかいな。ま、怪我すんなよ」
利隆が背を向けて去っていく。
俺はムッとして、木の棒を地面に叩きつけた。チビって言うなよ。
俺だって、いつかでっかくなるんだから。
前田家は織田家に仕える小豪族だ。
尾張の片隅で、織田信秀の命令に従って細々と生きてる。
父ちゃんは昔、「槍の利春」と呼ばれてたらしいけど、今じゃ酒と喧嘩で有名だ。
母ちゃんは優しいけど、兄貴たちの跡取り争いで疲れてる。
長男の利隆、次男の利久、三男の利政――みんなくそ真面目で、俺とは合わねえ。
俺は四男坊で、誰も期待してねえから、自由にやってた。
でも、吉法師と会ってから、俺の中で何かが動き出した。
あいつのギラギラした目、木刀を振り回す素早さ。
あいつに勝ちたいって、初めて思った。
あの日から、俺は裏庭で木の棒を手に持つ時間が長くなった。
木を敵に見立てて突いて、汗だくになって笑ってた。
吉法師の再訪
その日の昼過ぎ、城に騒ぎが起きた。
「織田の吉法師様がまた来てるぞ!」
家臣が慌てて走り回ってる。俺は裏庭から座敷を覗いた。
そこには、父ちゃんと向き合う吉法師がいた。
織田信長だ。1534年生まれだから、俺より4つ年上の15か16歳くらい。
背はまだ低めで、髪はボサボサ、着物は泥だらけ。
でも、あの目は変わらねえ。
野良犬みたいにギラギラしてる。
「利春、犬千代を呼べよ。こないだの勝負が面白かったから、また遊んでやる」
吉法師が生意気な声で言う。父ちゃんが俺を睨んだ。
「犬千代! さっさと出てこい!」
俺はニヤッと笑って、座敷に上がった。吉法師が俺を見て、ニヤリと笑う。
「お前、まだその棒っきれ持ってるのか? 槍使いの息子なら、本物持てよ」
「本物なら父ちゃんがくれねえよ。お前こそ、木刀でいいのか?」
俺が言い返すと、吉法師が目を輝かせた。
「へえ、口だけは達者だな。よし、庭で勝負だ!」
父ちゃんが慌てて止める。
「吉法師様、そんなガキと遊んでどうするんです?」
「いいんだよ。俺、退屈なんだ。犬千代、来い!」
吉法師が先に庭へ飛び出した。俺は父ちゃんに睨まれたけど、笑って走った。こいつ、ほんと面白え。
再戦の火花
庭で、吉法師が木刀を手に持つ。俺は木の棒を握り直した。
「前回はお前にやられたけど、今日は負けねえぞ!」
俺が叫ぶと、吉法師が笑った。
「ほざけよ、バカ犬! 来い!」
俺は木の棒を構えて突っ込んだ。
「うおおお!」
棒を振り上げて、吉法師の肩を狙う。
だが、次の瞬間、俺は地面に転がってた。
吉法師の木刀が俺の足を払ったんだ。
「遅えな、お前! それじゃ俺に勝てねえぞ!」
吉法師が腹を抱えて笑う。俺は悔しくて、歯を食いしばって立ち上がった。
「もう一回だ!」
何度も突っ込んだ。
何度もやられた。
吉法師は素早くて、動きが読めねえ。
木刀が俺の肩や腕を叩くたび、痛みが走る。でも、俺は負けねえ。
汗と泥だらけになりながら、木の棒を握り続けた。
「うおおおお!」
何度目かの突進で、俺の棒が吉法師の木刀に当たった。
ガキンって音がして、吉法師が一瞬よろけた。
「おお! やるじゃん、犬千代!」
吉法師が目を輝かせて叫ぶ。俺は息を切らして笑った。
「次はお前をぶっ倒すぜ!」
「やってみろよ!」
吉法師が木刀を構え直す。
俺たちは何度もぶつかり合った。
最後はどっちもヘトヘトで、地面に座り込んで笑ってた。
「お前、ほんと根性あるな。俺の友達だよ、犬千代」
吉法師が手を差し出す。俺はそれを握った。
「友達なら、次は勝つぜ」
「ほざけよ、バカ犬!」
吉法師が笑う。俺も笑った。
この縁が、俺の運命を変えるなんて、その時は知らなかった。
母ちゃんの心配
その夜、母ちゃんが俺の部屋に来た。
荒子城に残ってる母ちゃんが、俺に会いに那古野城まで来てくれたんだ。
「犬千代、また吉法師様と喧嘩したって本当かい?」
母ちゃんの声が心配そうだった。
俺は頷いた。
「うん。あいつ、強えよ。俺、もっと強くなってやる」
母ちゃんが目を潤ませて、俺の頭を撫でた。
「強いのはいいけど、危ないことはしないでおくれ。母ちゃんにはお前が大事だよ」
「分かってるよ。俺、死なねえよ」
俺は笑ってやった。母ちゃんも笑ったけど、涙がこぼれてた。
「生きて帰ってきておくれ。それが母ちゃんとの約束だよ」
「約束するよ」
母ちゃんの言葉が、俺の胸に刺さった。俺は母ちゃんの手を握って、頷いた。