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槍の又左衛門 前田利家が貫いた乱世の幻影と能登の未来  作者: 《本能寺から始める信長との天下統一》の、常陸之介寛浩
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第1話:荒子のやんちゃ坊主

 尾張、1540年代の荒子城

 ちっぽけな城

 尾張の荒子城は、ちっぽけだ。

 石垣は低く、苔がびっしり。

 堀は浅くて、夏になれば水が濁り、蚊がブンブン飛び回る。

 風が吹けば、乾いた土が舞って目が痛い。

 1540年代のこの城。

 織田家に仕える前田家の居城だけど、立派とは言えねえ。

 周りは田んぼと雑木林。

 遠くで牛が鳴いて、時々村の子供の笑い声が聞こえる。

 そんな城の裏庭で。

 俺、前田利家――まだ「犬千代」と呼ばれてる――は、木の棒を手に持ってた。

 1538年生まれ。

 この頃、7つか8つくらいだ。

 四男坊で跡取りでもねえ。

 だから毎日、好き勝手やってた。

 陽が傾いて、裏庭に長い影が伸びる。

 汗が首筋を伝って、着物の襟が湿る。

 でも、俺は木の棒を握り直した。

 何か、胸が熱くなるんだ。

 兄貴の目

「犬千代! また遊んでるのか!」

 声が飛んできた。

 鋭くて、低い声。

 兄貴の利隆だ。

 前田家の長男。

 俺より8つ年上。

 背が高くて、顔は父ちゃんの利春にそっくり。

 眉が太くて、目つきが厳しい。

 真面目な奴で、家臣からも「次期当主」と持ち上げられてる。

 利隆は腕を組んで、俺をじろっと見下ろす。

 その視線が、刺さるみたいだ。

「遊んでねえよ。」

 俺は木の棒を手に持ったまま、言い返した。

「槍の真似してただけだ。」

 地面に突き刺してた棒を抜く。

 利隆に向かって、軽く突く真似をする。

 棒の先が、風を切ってシュッと鳴った。

 利隆が呆れた顔でため息をつく。

「槍? その棒っきれでか?」

「お前、ほんと落ち着きねえな。父ちゃんに言いつけるぞ。」

「言えばいいじゃん。」

 俺は胸を張った。

「俺、父ちゃんに槍教えてくれって頼むつもりだし。」

 利隆が鼻で笑う。

「へえ、でかい口叩くじゃん。」

「ま、怪我すんなよ、チビ。」

 そう言って、利隆が背を向ける。

 足音が遠ざかっていく。

 俺はムッとした。

 木の棒を地面に叩きつける。

 バキッと乾いた音が響いた。

 チビって言うなよ。

 俺だって、いつかでっかくなる。

 槍を手に持って、でっかいことをやってやるんだ。

 前田家の日常

 前田家は織田家に仕える小豪族だ。

 尾張の片隅で、細々と生きてるだけの家。

 父ちゃんの利春は昔、「槍の利春」と呼ばれてたらしい。

 槍一本で敵を十人もぶっ刺したって。

 酒を飲むたび、赤い顔で自慢してる。

 でも、今じゃ酒と喧嘩で有名なオッサンだ。

 髭は伸び放題で、着物はいつも酒臭い。

 母ちゃんは優しい。

 細い体で、いつも糸を紡いでる。

 でも、目尻に疲れが溜まってて、笑うと少し悲しそうに見える。

 兄貴たちは跡取り争いで忙しい。

 長男の利隆、次男の利久、三男の利政。

 みんなくそ真面目で、俺みたいなやんちゃ坊主とは合わねえ。

 だから、俺には構ってくれねえんだ。

 俺は一人で遊んでた。

 裏庭の木に棒を突いて、「敵だ!」って叫ぶ。

 近くの川で魚を突いて、跳ねる水に笑う。

 村のガキどもと喧嘩して、鼻血まみれで帰ってきたこともある。

 近所じゃ「前田の犬千代、またやったな」って評判だ。

 でも、俺はそれでいいと思ってた。

 だって、俺には何か燃えるもんがあったんだ。

 木の棒を手に持つと、胸が熱くなる。

 いつかでっかいことをやってやる。

 そう思うと、足が軽くなった。

 裏庭の小さな戦場

 その日の昼下がり。

 俺は裏庭でまた木の棒を振り回してた。

「うおおお!」

 棒を振り上げて、目の前の木を敵に見立てる。

 突く。

 汗が額を伝って、目に入って痛い。

 でも、止まらねえ。

 突 突いて、突いて、突きまくる。

 木の皮が剥がれる。

 棒の先が欠けた。

 それでも俺は笑ってた。

 汗と埃にまみれて、息が上がる。

「お前、ほんと馬鹿だな。」

 声がした。

 振り向くと、利政が立ってた。

 三男の兄貴。

 俺より5つ年上。

 利隆ほど真面目じゃねえけど、頭が良くて口がうまい。

 瘦せた体に、いつも薄い笑みを浮かべてる。

 利政は木の根元に座って、俺をニヤニヤ見てる。

「馬鹿じゃねえよ。」

 俺は棒を握り直した。

「槍の練習だ。」

「それで槍の練習になるなら、俺はもう大名だよ。」

 利政がからかう。

「お前、木を突いて何になるんだ?」

 俺はムッとして、棒を利政に向けた。

「じゃあ、お前が敵になってみろよ。」

「俺の槍でぶっ倒してやる。」

「やめとけ。母ちゃんに怒られるぞ。」

 利政が笑って手を振る。

 俺は舌打ちして、棒を地面に突き刺した。

「母ちゃんには言わねえよ。」

「俺だって、ちゃんと分かってるさ。」

「へえ、珍しいな。」

「犬千代が分別あるなんて。」

 利政がからかうけど、俺は無視した。

 母ちゃんには心配かけたくねえ。

 それだけは、俺の中のルールだった。

 利政が立ち上がって、俺に近づいてきた。

「お前、ほんと槍好きだな。」

「父ちゃんの話でも聞いて影響されたか?」

「当たり前だろ。」

 俺は目を輝かせた。

「父ちゃんの槍の話、かっこいいじゃん。」

「敵を十人もぶっ刺したんだぜ。」

 利政が苦笑いする。

「あれ、半分は酔っ払いのホラだよ。」

「信じるなよ、馬鹿。」

「ホラでもいいさ。」

 俺は胸を張った。

「俺、父ちゃんみたいになるんだ。」

 利政が肩をすくめる。

「なら、頑張れよ。」

「俺は跡取り争いで忙しいから、お前には期待してねえけどな。」

 利政が去っていく。

 俺はまた木の棒を手に持った。

 木を突き始めた。

 父ちゃんの話がホラでも、俺には関係ねえ。

 槍を手に持つこの感じが、俺を熱くするんだ。

 母ちゃんの温もり

 夕方。

 俺は汗だくで城に戻った。

 裏庭から土間を抜けて、座敷に入る。

 そこには母ちゃんがいた。

 細い指で糸を紡いでる。

 静かな音が、部屋に響く。

 俺が入ると、母ちゃんが顔を上げた。

 優しく笑う。

「犬千代、また泥だらけだね。」

「何してたの?」

「槍の練習だよ。」

 俺は笑って、母ちゃんの隣に座った。

「木を敵に見立てて突いてた。」

 母ちゃんが目を細める。

「そうかい。」

「でも、怪我しないようにね。」

「母ちゃん、心配だから。」

 その声が、柔らかくて温かい。

 俺は胸を叩いた。

「大丈夫だよ。」

「俺、強いから。」

 母ちゃんが小さく笑う。

 でも、その目が少し悲しそうだった。

「強いのはいいけど、危ないことはしないでおくれ。」

「母ちゃんにはお前が大事だよ。」

 その言葉が、俺の胸に刺さった。

 何か、喉が詰まる。

 俺は頷いた。

「分かったよ。」

「母ちゃん、心配させねえ。」

 母ちゃんが俺の頭を撫でてくれた。

 その手は温かくて、俺は目を閉じた。

 母ちゃんとの時間は、俺にとって特別だった。

 父ちゃんの槍

 その夜。

 父ちゃんが酔っ払って帰ってきた。

 ドカッと座敷に座り込む。

 酒臭い息を吐いて、でかい声で笑う。

 母ちゃんが「もう寝なさい」と宥めるけど、父ちゃんは聞かねえ。

「犬千代!」

「お前、今日も木を突いてたらしいな!」

「情けねえぞ!」

 父ちゃんが怒鳴る。

 顔は真っ赤で、目がギラついてる。

 俺は座敷の隅で膝を抱えてた。

 でも、ムッとして立ち上がった。

「情けなくねえよ。」

「俺、槍の練習してたんだ。」

「練習? その棒っきれでか?」

 父ちゃんが目を細める。

「俺が若い頃はな、槍一本で敵を十人もぶっ刺したんだ!」

「お前もその血を継いでるはずだろうが!」

 その言葉に、俺は思わず叫んでた。

「だったら俺に槍教えてくれよ!」

 父ちゃんが一瞬黙る。

 そして、ニヤリと笑った。

「お前、槍持てるのか?」

「持てるさ!」

「やってやるよ!」

 父ちゃんが立ち上がる。

「よし、ついてこい。」

 裏庭に連れて行かれた。

 月が空に浮かんで、薄い光が地面を照らす。

 父ちゃんが納屋から槍を持ってきた。

 初めて見る本物の槍。

 重い。

 木の棒とは比べ物にならねえ。

 柄は俺の背より長くて、先端の刃が月明かりに光ってる。

 父ちゃんが槍を俺に渡す。

「持て。構えろ。」

 低い声が響く。

 俺は両手で槍を握った。

 なんとか構える。

 足が震える。

 重さに腕がプルプルする。

「突け!」

 父ちゃんが叫ぶ。

 俺は目の前の藁人形に向かって突いた。

 だが、槍が重すぎて、途中でバランスを崩す。

 ドサッと地面に転んだ。

「ははは!」

「何だそのザマは!」

「槍の利春の息子がそれか!」

 父ちゃんが腹を抱えて笑う。

 俺は悔しくて、槍を握り直した。

「もう一回だ!」

 何度も転んだ。

 何度も突いた。

 汗と泥にまみれて、息が上がる。

 父ちゃんは笑ってたけど、だんだん黙り込んだ。

「へえ……」

「根性はあるじゃねえか。」

 父ちゃんが呟いた時。

 俺は汗だくで地面に座り込んでた。

 でも、初めて槍をちゃんと突けた気がした。

 月明かりの下。

 槍の刃が、キラリと光った。

 俺の胸が、熱くなった。



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