プロローグ:復興の槍
令和6年、能登の荒野
砕けた故郷
2024年1月1日。
能登半島を襲った地震が、俺の故郷を粉々に砕いた。
空はまだ暗い朝だった。
マグニチュード7.6。
最大震度7。
輪島市と志賀町が震源に近く、俺の住む能登町も震度6強で揺れた。
家の柱が軋み、屋根が落ちる音。
土埃が舞って、目が開けられなかった。
道は裂け、海岸は隆起して、漁港は干上がったまま。
死者と行方不明者は数百人。
俺の知る能登は、一瞬で変わっちまった。
それから1年。
2025年の春、4月6日。
復興はまだ道半ばだ。
瓦礫の山が残り、風が冷たく吹き抜ける。
俺は佐藤悠斗、24歳。
能登町生まれ、能登町育ち。
大学を出て金沢で働いてた。
でも、地震の後、実家に戻った。
復興ボランティアに飛び込むしかなかったんだ。
地元の漁師だったじいちゃん。
避難所で力尽きて、冷たい床の上で息を引き取った。
母ちゃんは仮設住宅で、薄い壁に囲まれて暮らしてる。
その姿を見てたら、黙ってられなかった。
胸の奥が熱くなって、いてもたってもいられなかったんだ。
海岸の朝
今、俺は能登町の海岸沿いにいる。
がれきに埋もれた漁港を片付けてる。
朝日が水平線から顔を出す。
オレンジ色の光が、波の残骸を照らす。
仲間たちと一緒に、壊れた船を引っ張り上げる。
泥まみれの網を手に持つと、冷たい感触が指に絡みつく。
汗が額を伝って、目に入る。
痛くて顔をしかめたけど、手は止めない。
止める気なんて、毛頭ねえ。
「悠斗、また休憩なしで突っ走ってるな。」
声が飛んできた。
振り返ると、幼馴染の美咲が立ってる。
「お前、倒れるぞ。」
彼女は呆れた顔だ。
24歳、俺と同い年。
地震後に地元に戻ってきた。
看護師の資格を生かして、仮設住宅で高齢者を支えてる。
美咲の髪はショートカットで、風に揺れる。
白いジャケットに汚れがついてて、疲れがにじんでる。
でも、目は強い光を宿してる。
「休んでる暇ねえよ。」
俺はシャツの袖で汗を拭った。
「漁港が復活しねえと、みんなの生業が戻らねえだろ。」
美咲は小さく笑う。
その笑顔に、疲れが滲んでた。
「分かってるけどさ、無理は禁物だよ。」
彼女は少し目を細めて、海を見た。
「能登はまだ長い戦いなんだから。」
その言葉が、胸に刺さった。
確かにそうだ。
地震から1年。
道路は9割復旧したって言うけど、住宅の公費解体は遅れてる。
水道は復旧したって県は言う。
でも、宅内の配管が壊れて、水が出ねえ家がまだ多い。
人手不足も深刻だ。
高齢者が多い能登じゃ、働き手が減る一方。
復興作業は、思うように進まねえ。
去年9月の豪雨で、さらに被害が広がった。
土砂が流れ込み、せっかく片付けた場所がまた埋まった。
仲間たちの士気も、削がれてる。
でも、俺には何か燃えるもんがあった。
それは、じいちゃんの言葉だ。
じいちゃんの槍
じいちゃんは漁師だった。
日に焼けた顔に、深いしわ。
網を手に持つ指は太くて、力強かった。
でも、前田利家の話になると、目が輝いた。
加賀百万石の礎を築いた戦国武将。
槍の名手で、「槍の又左衛門」と呼ばれた男。
「悠斗、能登は前田利家が守った土地だ。」
じいちゃんはそう言って、俺の頭を叩いた。
「どんな苦境でも、槍一本で立ち上がった男の血が流れてる。」
「お前もその根性を持てよ。」
その言葉が、俺の胸に刺さってた。
今でも、耳の奥に響いてる。
前田家の遺産
その日の夕方。
俺と美咲は、能登町の公民館にいた。
復興ボランティアのミーティングだ。
公民館の中は、古い木の匂いがする。
地元の漁師や農家、県の職員が集まる。
みんな疲れた顔してるけど、目は諦めてねえ。
壁には、地震前の能登の写真が貼られてる。
キリコ祭りの灯り。
里山里海の穏やかな風景。
あの頃の能登を、みんな取り戻したいんだ。
「佐藤君、ちょっとこっち来てくれる?」
声をかけてきたのは、山本さん。
県の復興担当の職員だ。
50代くらいで、落ち着いた声。
いつもネクタイを緩めてて、俺たちを支えてくれる。
「何ですか?」
俺が近づくと、山本さんが一枚の紙を見せてきた。
黄ばんだ和紙。
墨で書かれた字が、力強く並んでる。
「これ、前田家の資料なんだ。」
山本さんが静かに言う。
「地震で壊れた蔵から出てきた。読んでみてくれ。」
俺は紙を手に持った。
そこには、達筆な字でこう書いてあった。
「我が槍は乱世を貫く。能登の民を守り、未来を切り開く。利家、記す。」
前田利家の直筆だ。
俺は息を呑んだ。
手が震えて、紙が揺れる。
「これ、本物ですか?」
「鑑定中だけど、ほぼ間違いねえよ。」
山本さんが頷く。
「前田育徳会の人も確認に来てる。利家が能登に残した遺言みたいなもんだ。」
俺は紙を見つめた。
利家の言葉が、胸を熱くする。
何か、力が湧いてくる。
その時だ。
公民館の外で、妙な音がした。
ゴオオオ……。
低い響きが、空気を震わせる。
地震か?
俺たちは一瞬固まった。
でも、揺れは来なかった。
代わりに、窓の外に何かが見えた。
黒い影。
兜をかぶった武将が、槍を持って立ってる。
月明かりに照らされて、顔は見えねえ。
でも、その姿は、俺に何かを感じさせた。
「悠斗、どうした?」
美咲が俺の肩を叩く。
俺は我に返った。
窓を見た。
影は消えてた。
「いや、なんでもねえ。」
俺は笑って誤魔化した。
「疲れてるのかもな。」
でも、心のどこかで引っかかってた。
あの影、前田利家だったんじゃねえか?
復興の第一歩
翌朝。
俺は漁港の作業に戻ってた。
仲間たちと一緒に、壊れた防波堤のコンクリートを運び出す。
重くて、腕が震える。
汗が背中をびっしょり濡らす。
でも、昨夜の利家の言葉が頭から離れねえ。
「能登の民を守り、未来を切り開く。」
俺たちの復興は、まだ始まったばかりだ。
漁港を直して、漁師たちが海に出られるようにする。
農地を復旧して、米やスイカを育てられるようにする。
それが、能登の未来だ。
「悠斗、ちょっと休憩しようぜ。」
仲間の一人が、息を切らして言う。
俺は首を振った。
「まだだ。もう少し頑張る。」
コンクリートを担ぎ直す。
すると、美咲が笑いながら近づいてきた。
「お前、ほんと頑固だな。」
彼女は缶コーヒーを差し出す。
「利家公みたいだよ。」
「そうか?」
俺は冗談で、近くの木の棒を拾った。
槍みたいに構えてみる。
「なら、槍でも持ってみるか。」
美咲が笑う。
「槍の又左衛門、復活だね。」
その言葉に、俺はニヤッと笑った。
夢の武将
その夜、また夢を見た。
暗い森。
湿った土の匂いが鼻をつく。
俺は木の棒を持って立ってる。
目の前に、あの黒い影。
兜をかぶった武将が、槍を手に持つ。
月明かりが、鎧の縁を光らせる。
「お前は誰だ?」
俺が聞くと、そいつが答えた。
「お前が守るべきものだ。」
低い声が、森に響く。
「そして、お前が貫くべきものだ。」
目が覚めた時、心臓がバクバクしてた。
汗でシャツが張り付いてた。
でも、俺は分かった気がした。
あの影は、俺の覚悟だ。
能登を復興させる、俺自身の意志だ。
そして、遠い昔。
前田利家がこの土地に残した魂だ。
新しい朝
俺は布団から出て、窓を開けた。
2025年4月の能登の空。
澄んでて、青が深い。
遠くで、海が静かに波打ってる。
復興は長い戦いだ。
瓦礫はまだ残ってる。
未来は遠く見える。
でも、俺は負けねえ。
槍を手に持つように。
この土地を守り、未来を切り開く。
朝日が、俺の顔を照らした。
その光が、胸の中まで染み込んでいく。