第九話
魔王を倒す旅の途中、勇者一行は荒野を抜けて小さな町に辿り着いた。石畳の道と木造の家々が並ぶ静かな町で、一行は疲れを癒すために宿屋に部屋を取った。暖炉の火が部屋を温め、窓からは夕陽が差し込んでいた。
リリィは新しい白いワンピースと青いベストを着て、銀髪を風に揺らしながら、レオンとガルドに連れられてどこかへ出かけていった。ガルドが
「リリィ、町の酒場で何か旨いもん食おうぜ!」
と豪快に笑い、レオンが
「ついでに情報も集める」と冷静に付け加えた。
リリィは無言で頷き、二人の後ろをついて宿を出た。ミリアは
「私は少し休むわ。気をつけてね」
と微笑み、彼らを見送った。
宿の一室に一人残ったミリアは、ベッドに腰を下ろし、杖を膝に置いた。彼女の穏やかな瞳が暖炉の炎を見つめ、静かな思索に沈んだ。リリィのことだ。影の森で倒れていた少女を拾って以来、彼女の異様な存在感がミリアの心に引っかかっていた。
リリィの身体能力の高さ、感情の薄さ、そしてその背後に潜む何か。
ミリアはヒーラーとして、人の心と体を癒す術を学んできた。
だが、リリィは彼女の理解を超えていた。彼女はリリィのことを考えながら、頭の中でその謎を解きほぐそうとした。
まず、リリィの身体能力だ、ミリアはこれまでの旅を振り返った。
荒野での魔物との戦い。狼のような魔物の群れが襲いかかってきた時、リリィは二本の狩猟刀を手に、信じられない速さで動いた。
敵の爪をかわし、喉を切り裂き、血が飛び散っても一瞬の迷いもなかった。
ガルドでさえ「俺より戦士向きだぜ!」と感心するほどの動き。ミリアは自分と比べた。
彼女は魔法で癒し、守ることはできても、戦士のような力はない。レオンは剣の達人、ガルドは怪力の持ち主だが、リリィのそれは別次元だった。
小柄な体に似合わない敏捷さと力。まるで人間を超えた何か——鬼神のような存在感があった。
「あの子、どうしてあんな力を持ってるの?」
ミリアは呟き、首を振った。普通の少女ならありえない。それは訓練で得たものとも思えなかった。
生まれつきの何か、異常な何かがあるとしか考えられなかった。
次に、リリィの感情の薄さだ。ミリアはリリィの紫の瞳を思い出した。
いつも穏やかで、無垢で、感情の色がほとんどない。
あの瞳が敵を倒す時も、仲間と話す時も変わらない。盗賊団を壊滅させた話を聞いた時、リリィは「ナイフで刺した。動かなくなった」と淡々と語った。
血に染まった手を見ても、彼女は動揺しなかった。ミリアは自分の心と比べた。彼女なら、誰かを傷つければ罪悪感に苛まれ、血を見れば震えるだろう。だが、リリィにはそれがない。
「悲しいとか怖いとかわからない」と彼女が言った言葉が頭に響いた。ミリアはヒーラーとして、心の傷を癒す術を知っている。だが、リリィの心には傷すら見えない。感情が欠けているのか、それとも深く埋もれているのか。ミリアは考え込んだ。
「あの子、何かを感じないわけじゃないよね…?」
リリィが「怒りはあった」と語ったことを思い出し、彼女の内に何かがあるはずだと感じた。
ミリアはリリィの過去を思い返した。村が焼かれ、老夫婦を失い、盗賊を倒した話。
彼女が「守れなかった」と呟いた時の声には、感情がほとんどなかった。だが、ミリアが手を握り、「辛かったね」と言うと、リリィの瞳がわずかに揺れた。あの瞬間、彼女は何かを感じていたはずだ。ミリアは自分の記憶を掘り起こした。癒しの魔法をかけた時、リリィの体に異常はなかった。だが、心はどうだろう?
「感情が薄いのは、生まれつきなのか、それとも…過去のせい?」
ミリアはトラウマの可能性を考えた。村の壊滅、老夫婦の死。あの出来事がリリィの心を閉ざしたのかもしれない。だが、彼女が「強く、優しく生きなさい」を守ろうとする姿に、ミリアは別の可能性を見た。
「あの子、感情がないんじゃなくて、わからないだけなのかも…。」
暖炉の火が小さく揺れ、ミリアの思索が深まった。リリィの異常性は、身体能力と感情の両方に及んでいる。彼女は戦闘で鬼神のような力を発揮し、感情をほとんど表さない。
だが、ミリアが髪を編んだ時、「嬉しい」と呟いた声。ガルドが褒めた時、微かに微笑んだ顔。レオンが「よくやった」と言った時、照れた表情。
それらは小さな変化だったが、確かにあった。ミリアは呟いた。
「リリィちゃん、感じてる。ただ、それが何かわからないだけ…。」
彼女はヒーラーとしての直感で、リリィの心が完全に閉ざされているわけではないと確信した。
老夫婦の愛情が、彼女に道徳と目的を与えた。それがなければ、リリィはただの殺戮者になっていたかもしれない。
ミリアは杖を手に持ち、リリィのことをさらに考えた。
彼女の異常な力は、魔王との戦いで大きな武器になる。だが、その感情の薄さが、仲間としての絆を築く障害にもなり得る。
「あの子、私たちと一緒にいることで変わるかしら…?」
ミリアはリリィがミリアを助けた時のことを思い出した。敵の指示に従い、下着姿で隙を待ったあの瞬間。
ミリアを傷つけさせないための決断だった。彼女は無感情に戦ったが、ミリアを守る意志があった。
「リリィちゃん、私を大事にしてくれたよね…。」
その思いが、ミリアに温かい確信を与えた。リリィの心は、仲間との絆で少しずつ開くかもしれない。
窓の外で、町の灯りが揺れていた。ミリアは立ち上がり、リリィの荷物を手に取った。そこには迷彩の戦闘服と狩猟刀が入っている。彼女はその装備を見ながら、リリィの強さと脆さを思った。
「あの子、強いけど…壊れそう。」感情が薄いゆえに、彼女は自分の限界を超えて戦うかもしれない。ミリアはヒーラーとして、リリィの体だけでなく心も守りたいと思った。
「私がそばにいてあげなきゃ。」
彼女はリリィのトラウマを癒すことはできないかもしれないが、寄り添うことはできる。リリィが感情を理解する手助けになれるかもしれない。
その時、宿の扉が開き、レオン、ガルド、そしてリリィが戻ってきた。
ガルドが「酒場の飯、最高だったぜ!」と笑い、レオンが「魔王の手下が近くにいるらしい」と報告した。リリィは無言で部屋に入り、ミリアを見上げた。
「ミリア、休めた?」その声に感情はほとんどなかったが、ミリアは微笑んだ。
「うん、ありがとう、リリィちゃん。楽しかった?」リリィが小さく頷き、「うん。ガルドが肉をくれた」と答えると、ミリアはクスクス笑った。
「よかったね。」
ミリアはリリィの紫の瞳を見つめ、内心で決意した。
「あの子を理解したい。そして、支えたい。」
リリィの異様な身体能力と感情の薄さは、彼女の過去と異常性に根ざしている。だが、ミリアは信じていた。リリィの心は、仲間と共に旅する中で、少しずつ動き出すと。暖炉の火が静かに燃え、一行の夜が更けていった。ミリアの考察は、リリィへの深い思いと共に、旅の先に答えを見出す希望へと繋がっていた。