第七話
小さな町の宿屋の一室で、勇者一行とリリィは夕食を終え、暖炉の火がパチパチと鳴る中、静かに時間を過ごしていた。リリィは新しい白いワンピースと青いベストを身にまとい、銀髪をミリアに梳いてもらったばかりだった。紫の瞳が暖炉の炎を映し、彼女の無感情な表情が柔らかな光に照らされていた。村での生活しか知らないリリィにとって、町での一日や勇者たちとの旅は未知の世界そのものだった。ミリアが優しく微笑みながら提案した。
「リリィちゃん、外の世界のこと、知りたいと思わない? 私たちで少し教えてあげようか。」
リリィは首を傾げ、静かに頷いた。
「知りたい。村の外…わからないから。」
レオンが腕を組み、暖炉のそばに腰を下ろして言った。
「なら、俺たちで教えてやる。お前が知ってる世界とはだいぶ違うぞ。」
ガルドが豪快に笑いながら肉を頬張り
「まあ、気楽に聞けよ!」と付け加えた。
ミリアがリリィの隣に座り、穏やかに話し始めた。
「リリィちゃん、村の外には大きな国があって、そこには王様や貴族、兵士たちがいるの。町や村がたくさんあって、人々は畑を耕したり、物を売ったりして暮らしてる。私たちは魔王を倒すために旅をしてるけど、その魔王はね、国を脅かす恐ろしい存在なのよ。」
リリィは静かに聞き、紫の瞳をミリアに向けた。
「魔王…強い?」
レオンが頷き、言葉を引き継いだ。
「ああ、強い。魔物を使って国を襲い、人々を苦しめてる。俺たちはそれを止めるために旅してるんだ。」
リリィは少し考えてから呟いた。
「おじいちゃんとおばあちゃんを殺した盗賊とは…違う?」
その質問に、三人は一瞬顔を見合わせた。レオンが深呼吸し、ミリアが小さく頷いて、リリィに真実を語る時が来たことを悟った。
レオンが静かに話し始めた。
「リリィ、お前が倒したあの盗賊団のことだ。あいつらはただの盗賊じゃなかった。元は帝国の兵士だったんだ。」
リリィの瞳がわずかに揺れ、無言でレオンを見つめた。ミリアが優しく補足した。
「帝国っていうのは、この国を治めてる大きな力のこと。魔王が現れた時、帝国は兵士たちを派遣して魔王と戦わせたの。彼らは勇敢に戦ったけど…魔王が強すぎて、軍は壊滅した。」
ガルドが肉を置いて口を挟んだ。
「生き残った奴らが何とか帰ってきたんだが、そこで話がややこしくなるぜ。」
レオンが続ける。
「そうだ。生き残った兵士たちは、魔王がどんな戦い方をするのか、どんな力を持ってるのかを知る貴重な情報源だった。だが、国に戻った時、国の偉い連中や一部の民衆は彼らを『おめおめと逃げ帰った臆病者』と罵ったんだ。」
リリィは静かに聞き、初めて聞く言葉に戸惑いながらも質問した。
「臆病者…逃げるのは悪いこと?」
ミリアが悲しげに目を伏せ、答えた。
「逃げること自体は悪いことじゃないわ。でも、国は彼らに『勝つまで戦え』と命じたから、生きて帰ってきたことが許せなかったのね。民衆の中には、家族を魔王に殺された人たちがいて、彼らの怒りが兵士たちに向かったの。」
レオンが厳しい口調で続けた。
「国の偉い連中は、兵士たちを見捨てた。戦で傷つき、仲間を失った彼らに仕事も住む場所も与えず、冷たく追い払った。生き残った兵士たちは国での生活が立ち行かなくなり、盗賊に身を落としたんだ。」
ガルドがため息をつき
「まともな暮らしができりゃ、あんな真似はしなかっただろうにな」と呟いた。
リリィは暖炉の炎を見つめ、静かに呟いた。
「じゃあ…私が殺した人たちは、魔王と戦った人だったの?」
その言葉に、レオンが重々しく頷いた。
「そうだ。あいつらは元々、魔王を倒すために命をかけた兵士だった。お前が戦った時、彼らは盗賊として村を焼き、おじいちゃんとおばあちゃんを殺した。それは許されないことだ。だが、その原因をたどれば、国の偉い連中の無責任さや、根源的には魔王の存在に行き着く。」
ミリアがリリィの手を握り、優しく言った。
「リリィちゃん、あなたが怒ったのは当然よ。彼らがしたことは悪いこと。でも、彼らがそうなった理由を知ると、少し複雑よね。」
リリィは握られた手を見つめ、少し考えてから尋ねた。
「私がやったことは…正しいこと?」
その問いに、レオンは一瞬言葉に詰まったが、真剣な目で答えた。
「お前がやったことは、おじいちゃんとおばあちゃんを守るためだった。あいつらが村を襲ったのは事実で、お前は自分の大切なものを守った。それは正しい気持ちだ。だが、世界は単純じゃない。あいつらを盗賊に追いやったのは、国の失敗であり、魔王の力だ。お前が感じた怒りは、その全てに向かってたのかもしれない。」
リリィは静かに聞き、紫の瞳にわずかな揺れが宿った。
「怒り…魔王のせいでもあるの?」
レオンが頷き
「ああ、そうだ。魔王がいなけりゃ、こんなことにはならなかった」
と答えた。
ガルドが焚き火に薪をくべながら言う。
「だから俺たちは魔王を倒すんだぜ。あんな悲劇が二度と起きねえように。」
ミリアがリリィの手を優しく撫で
「リリィちゃん、あなたの気持ちは間違ってない。でも、これから外の世界でいろんなことを知るわ。そのたびに考えることが増えるけど、私たちが一緒にいるからね」と励ました。リリィは無感情に近い表情のまま、静かに呟いた。「魔王を倒せば…おじいちゃんとおばあちゃんが喜ぶ?」
レオンが小さく笑い
「ああ、きっと喜ぶ。お前が強く生きてる姿を見てな」と答えた。
その夜、リリィは暖炉の前で膝を抱えて座り、聞いた話を反芻していた。村しか知らなかった彼女にとって、外の世界の複雑さは理解しきれなかった。盗賊たちが元兵士であり、魔王と戦った者たちだったこと。国が彼らを見捨て、盗賊に追いやったこと。そして、彼女の怒りが魔王にも向かうべきものだと知ったこと。感情が薄いリリィにとって、これらの事実はただ頭に浮かぶだけで、心に響く実感はまだ薄かった。だが、老夫婦の(強く、優しく生きなさい)という言葉が胸に刻まれている以上、彼女はそれを追い求めるしかなかった。
翌朝、一行は町の広場で魔王の手がかりを探す準備を始めた。リリィは新しい私服を着て、戦闘用の迷彩装備と狩猟刀二本を背囊に詰めていた。ミリアがリリィの銀髪を結いながら言う。
「外の世界は難しいことも多いけど、リリィちゃんには私たちがいるからね。一緒に考えていきましょう。」
リリィは小さく頷き
「うん…ありがとう」と呟いた。ガルドが笑いながら肩を叩き
「魔王をぶっ倒せば全部解決だぜ! お前も一緒にやろうな!」
と明るく言った。レオンは掲示板に貼られた情報を確認しながら、リリィに目を向けた。
「お前が倒した盗賊は、魔王の手がかりを知ってたかもしれない。これから先、お前の力が必要だ。」
リリィは紫の瞳でレオンを見上げ、静かに答えた。
「わかった。魔王を倒す…それが正しいことなら。」
彼女の声には感情がほとんどなかったが、その言葉には老夫婦への思いと、新たに芽生えた目的が込められていた。村を失い、盗賊を倒し、勇者たちと出会ったリリィにとって、外の世界はまだ広大で未知だった。だが、魔王を倒す旅が、彼女の怒りと悲しみを昇華する道になるかもしれない。勇者一行と共に、リリィの新たな旅が始まろうとしていた。