第十八話
魔王を倒す旅を再開した勇者一行は、苛烈な戦いの果てに休息を終え、新たな目的を胸に進んでいた。
彼らの耳に届いたのは、古の伝説――かつて異世界から召喚された勇者が魔王と戦い、敗北こそしたものの魔王に深手を負わせ、引き分けに近い結末を迎えたという話だ。
その勇者は、最後の力を振り絞って迷宮の奥深くに身を隠し、愛用した武器と共に眠りについたとされる。
魔王との戦いを再び挑むためには、その武器が鍵を握ると古老たちは囁いた。
一行は四人。勇者レオン、戦士ガルド、魔法使いミリア、そしてリリィ――
迷宮は、荒れ果てた大地の裂け目に潜むように口を開けていた。入り口から漂う冷たく湿った空気は、まるで死者の吐息のようだ。レオンが先頭に立ち、剣を構えて進む。
「ここに眠る武器が魔王を倒す力になるなら、必ず手に入れる」
と彼は言った。ガルドが肩を鳴らし
「どんな魔物が出てこようと俺がぶっ潰してやる」
と豪語する。ミリアは慎重に周囲を見回し
「この迷宮には古の魔力が残っている。油断は禁物よ」
と警告した。リリィは何も言わず、ただ一行の後ろを静かに歩く。彼女の瞳は虚ろで、感情の欠片も映さない。
迷宮の中は予想通り魔物が巣食っていた。鋭い爪を持つ狼型の魔獣や、闇に紛れる影のような亡魂が次々と襲いかかる。
レオンが剣で切り開き、ガルドが戦斧で叩き潰し、ミリアが炎の魔法で焼き払う中、リリィは狩猟刀を手に無機質に動いた。
一振りで魔獣の首を落とし、次の瞬間には別の敵の胸を貫く。
その動きは流れるように正確で、まるで命を奪うことが彼女にとって呼吸と同じくらい自然な行為であるかのようだった。
血が彼女の頬に飛び散っても、彼女は表情を変えず、ただ静かに刀を拭う。
ガルドが「気持ち悪いくらい冷静だな」と呟くと、ミリアが「それが彼女の強さよ」と返す。
レオンは黙って彼女を見つめ、何か言おうとしてやめた。
幾つもの階層を抜け、魔物の死体を積み重ねながら、一行はついに最深部へと辿り着いた。そこは広大な円形の広間だった。
壁には苔が生え、薄暗い光が石床を照らす。
中央には古びた石の棺がぽつんと置かれ、その前には奇妙な形状の武器が突き刺さっていた。
持ち手が長く、先端が平らで鋭い――スコップのような形をしているが、明らかにただの道具ではない。表面には異界の文字が刻まれ、微かに青白い光を放っていた。
「これが…異界の勇者の武器か?」
レオンが近づき、スコップに手を伸ばす。
瞬間、青い電気がバチバチと迸り、彼の手を弾いた。
「ぐっ!」とレオンが後退し、手を押さえる。
ガルドが「俺に任せろ」と前に出て、力任せに引き抜こうとしたが、同じく電気が流れ、彼の巨体すらよろめかせた。
「何だこりゃ、触るなってか?」
とガルドが唸る。
ミリアはスコップをじっと観察し
「この武器には意志があるのかも。選ばれた者しか扱えないのかもしれない」と分析した。
リリィは黙ってスコップの前に立った。
一行が息を呑む中、彼女は迷わず手を伸ばす。
電気が流れる気配はなく、彼女の細い指が柄を握った瞬間、スコップは静かに地面から抜けた。
まるで彼女を待っていたかのように。
その感触は不思議と手に馴染み、長年使い込んだ道具のように体に溶け込む感覚があった。リリィは無表情のまま、スコップを軽く振ってみる。すると、彼女の頭に情報が流れ込んできた。
――
この武器は「魔斬りの刃」。魔なるモノを切り裂き、打ち払う力を持ち、状況に応じて長さが伸縮する。異界の勇者が魔王と戦った際にその身を護り、敵を打ち倒した聖なる遺産。
リリィは目を閉じ、その情報を静かに受け止める。仲間たちが驚きの声を上げる中、彼女はスコップを手に持ったまま、微かに口角を上げた。「これ…私に合う」と呟く声は小さく、感情がこもっていないように聞こえたが、どこか満足げだった。
「リリィ、お前…本当にそれを使えるのか?」
レオンが尋ねると、彼女は静かに頷く。
「試してみる」とだけ言い、スコップを構えた。すると、柄が伸び、先端が鋭い刃に変化する。彼女が一振りすると、空気が切り裂かれ、広間の壁に浅い傷が刻まれた。ガルドが「すげえな」と目を丸くし、ミリアが
「異界の技術と魔力が融合した武器ね。リリィに選ばれた理由が何かあるはず」と呟く。
その時、広間の奥から低いうなり声が響いた。魔物の残党か、あるいは武器を守る守護者が現れたのか。
闇の中から巨大な影が姿を現す――四本脚で歩く、鱗に覆われた魔獣だ。
レオンが剣を構え、「来るぞ!」と叫ぶ。
一行が戦闘態勢に入る中、リリィは一歩前に出た。
魔獣が咆哮と共に突進してくる。リリィは無感情にスコップを振り上げる。
柄が伸び、先端が魔獣の首元に届く。
一閃。血が噴き出し、魔獣の頭が床に転がった。
戦闘は一瞬で終わり、仲間たちは言葉を失う。リリィはスコップを肩に担ぎ、静かに振り返る。
「これでいい?」と尋ねる声に感情はなく、ただ事実を確認するような響きがあった。
「いいも何も…お前、化け物かよ」とガルドが笑い、レオンが「いや、頼りになるよ」と苦笑する。ミリアはリリィをじっと見つめ、「その武器はお前を選んだ。異界の勇者の意志が、お前の中に何かを見たのかもしれない」と言う。リリィは首を振る。
「わからない。ただ、これが私の手にある。それだけ」
その夜、迷宮の外で休息を取る一行。リリィは焚き火のそばで、スコップを手に持ったまま座っていた。狩猟刀と共に、彼女の第二の武器となった「魔斬りの刃」。彼女はそれを眺めながら思う。――私はこれで「正しいこと」を証明できるのか? 異常な自分を超えられるのか? それとも、この冷たい刃と共に闇に沈むのか?
答えはまだ出ない。だが、スコップの冷たい感触が、彼女の手に確かに馴染んでいた。一行の旅は続く。
魔王を倒すために。
そして、リリィ自身が何者であるかを知るために。