第十話
魔王を倒す旅の途中、勇者一行は小さな町に立ち寄り、宿屋に部屋を取った。夕陽が町を赤く染める頃、レオンはガルドとリリィを連れて酒場へと足を向けた。ミリアは「少し休むわ」と宿に残り、一行を見送った。酒場の木製の扉を押し開けると、酒と焼き肉の匂いが漂い、旅人や地元民の笑い声が響いていた。レオンは奥のテーブルに陣取り、ガルドが「腹減ったぜ!」と豪快に笑いながら席に座った。リリィは無言で二人の後ろに立ち、白いワンピースと青いベストを着た小さな姿が酒場の喧騒に溶け込んでいた。レオンが「座れ」と顎で示すと、リリィは静かに椅子に腰を下ろした。
ガルドが店主に大声で注文を飛ばし、焼き肉とエールが運ばれてきた。レオンはエールの入った木製のジョッキを手に持ち、静かに一口飲んだ。ガルドが肉を豪快に頬張り、「リリィ、食えよ!」と鉄板から一切れを彼女の皿に載せた。
リリィは無感情に「ありがとう」と呟き、小さな手で肉をつまんで口に運んだ。その隣で、彼女がクピクピとミルクを飲む姿を、レオンは鋭い目で見つめていた。
表面上は仲間と共に休息をとる勇者に見えたが、彼の頭の中では、リリィについての考えが渦巻いていた。ミリアが宿でリリィの異常性を考察しているのとほぼ同時刻、レオンもまた、彼女の謎に迫ろうとしていた。
レオンはリリィの体を観察した。白い肌、白銀の髪、紫の瞳。幼い少女の外見に似合わない異様な身体能力。影の森で拾った時から、彼女の戦闘力は一行を驚かせていた。魔物の群れを瞬時に切り裂く速さ、小柄な体からは想像できない力。
ガルドでさえ「俺より戦士向きだぜ」と認めるほどだ。レオンは剣の達人として、自分の技術と比べてもリリィの動きが異常だと感じていた。それは訓練で得たものではない。
生まれつきの何か——人間を超えた何かだ。彼の頭に、一つの言葉が浮かんだ。「ホムンクルス」。
ホムンクルス。魔法と錬金術によって鋳造され、生み出される人工生命体。レオンはかつて、帝国の辺境でホムンクルスの実験を見たことがあった。白い肌、白銀の髪、通常とは異なる瞳の色。戦闘用に作られたそれは、驚異的な力を持ちながら、感情を持たず、命令に従うだけの存在だった。リリィの特徴と酷似している。彼女の感情の薄さも、ホムンクルスの特性に当てはまる。「怒りはあった」と語った彼女だが、悲しみや喜びをほとんど表さない。レオンは肉を噛みながら考えた。
「もしリリィがホムンクルスなら、あの異常な力も説明がつく…。」
だが、すぐに疑問が浮かんだ。現在の錬金術では、ホムンクルスの寿命は長くて3年程度だ。帝国の実験でも、それは短命で脆い存在だった。
リリィは10歳ほどの外見を持ち、村での生活を語っていた。少なくとも数年は生きているはずだ。ホムンクルスなら、とうに崩壊しているのではないか? レオンはジョッキを手に持ったまま、視線をリリィに移した。
彼女はガルドから分けてもらった肉を小さく噛み、ミルクをクピクピと飲んでいる。無垢な動作、無感情な瞳。ホムンクルスにしては、あまりに自然な「少女」だった。
そこで、レオンの頭に恐ろしい考えが浮かんだ。
「もし、リリィが人間とホムンクルスのハーフだとしたら…?」
彼の手がジョッキを握る力が増し、木の表面が軋んだ。錬金術の禁忌とされる実験——人間と人工生命の融合。それが成功すれば、ホムンクルスの短命さを克服し、人間らしい外見と感情の片鱗を持つ存在が生まれるかもしれない。リリィの異常な力と感情の薄さ、そして老夫婦に育てられた過去。それらが全て繋がる可能性があった。彼女の白い肌と銀髪はホムンクルスの特徴を引き継ぎ、感情の薄さは人工的な起源を示しつつ、老夫婦の愛情が人間らしい部分を育てたのではないか。
レオンは目を細め、リリィを見つめた。彼女は肉を食べ終え、ミルクの入ったコップを両手で持ち、静かに飲んでいる。
ガルドが「もっと食うか?」と笑いながら肉を追加で載せると、リリィは「うん」と小さく頷いた。その仕草は、確かに幼い少女そのものだった。
ホムンクルスなら、こんな自然な反応はしないのではないか? レオンは自分の考えに疑いを抱き始めた。
「いや、まさかそんな筈はない…。」
人間とホムンクルスのハーフなど、錬金術の歴史でも成功例はない。帝国の実験ですら、失敗に終わった禁忌だ。リリィがそんな存在である確証はない。
彼は頭を振って考えを振り払おうとした。
だが、リリィの過去が気にかかった。彼女は村で老夫婦に育てられたと語った。もし彼女がハーフなら、誰が彼女を生み出したのか? 老夫婦がその秘密を知っていたのか? レオンは盗賊団が元帝国兵だったことを思い出した。帝国が関与している可能性は否定できない。
リリィが実験の産物として村に捨てられ、老夫婦に拾われたとしたら…。だが、それも想像の域を出ない。
彼女の異常性に説明をつけたいがために、突飛な仮説に飛びついているだけかもしれない。
ガルドがエールを飲み干し
「レオン、何だその顔? 考え事か?」と笑った。レオンは「いや、魔王の手がかりだ」と建造物が「情報だ」と誤魔化した。
リリィが「レオン、情報?」と尋ねると、彼は冷静に答えた。「ああ、酒場の噂じゃ、魔王の手下が近くにいるらしい。」ガルドが「そりゃ面白え! リリィ、明日ぶっ倒しに行こうぜ!」と笑うと、リリィは静かに頷いた。「うん。」レオンは彼女の無感情な返事を聞きながら、再び考えに沈んだ。ホムンクルスなら、命令に従うだけのはずだ。だが、リリィには意志がある。彼女は「強く、優しく生きなさい」を守ろうとしている。それは人工生命にはない、人間らしい目的だ。
レオンはエールをもう一口飲み、リリィを見た。彼女はミルクを飲み干し、空のコップをじっと見つめている。ガルドが「もう一杯飲むか?」と聞くと、リリィは「うん」と小さく答えた。その素直さが、ホムンクルスの無機質さとは違うと感じられた。レオンは内心で笑った。
「俺は何を考えてるんだ…。」リリィがハーフである可能性は、あまりに荒唐無稽だ。彼女はただ、異常な力と感情の薄さを持つ少女だ。それ以上の確証はない。
酒場での時間が終わり、一行は宿に戻った。ミリアが「楽しかった?」と迎えると、リリィが「うん。肉が美味しかった」と答えた。レオンは彼女の無垢な姿を見ながら、自分の疑念を捨てた。ホムンクルスだろうとハーフだろうと、リリィは仲間だ。魔王を倒す旅で、彼女の力が必要だ。それが全てだ。彼はベッドに腰を下ろし、明日への決意を新たにした。リリィの謎は解けないかもしれないが、彼女がそばにいる限り、共に戦う。それで十分だった。