舅と姑
どんな風に日々を過ごしていたのか思い出せないほど、私の記憶に残っているのは私向けられた暴言の数々だった。
妊娠して秀樹を授かった時は、あの人が両親との攻防を繰り返していた。
「子どもを育てるのは姑にする。」と決めた舅に対して、あの人は「母親が育てへんのは可笑しいです。生まれてきた子を育てるのは綾子です。私は綾子と二人で育てます。」と……。
生まれてきた子に付ける名前も「惣」の文字を入れるのが当然だという舅に対して、あの人は「私たち夫婦の子やから、私たちで決めます。」と言って決して退かなかった。
譲らなかったあの人が決めた通りになった。
秀樹を授かってから忠司を授かった。
舅も姑も「男子」だということで喜んでいた。
舅が倒れたのは忠司が生まれて間もない頃だった。
その頃、既に会社は会長職に退いていた舅が会社で倒れたのだ。
そして、救急車で運ばれた病院で息を引き取った。
最期まで私を無視し続けて名前を呼ぶなど一度もなかった舅だった。
姑がその後、身体を壊して寝込むようになった。
私は姑のおむつを替えて、床ずれを起こさないように寝返りを打たせて……介護した。
嫌な、辛い想い出しかなかった姑だったが、笑顔を張り付けて介護した。
ベッドで横になっている姑が一度だけ言ったことを私は忘れない。
「貴女は……ええねぇ。
息子二人……戦争にもっていかれへん。
羨ましいわ。」
「お義母様?」
「惣一郎さん、惣二郎さん……お母さんを待ってくれてはるやろか……。」
「お義母様?」
「綾子さん、私には惣一の前に二人の息子がおりましたんや。
戦争が酷うなって大学生やった息子二人とも……学徒動員で…
逝ってしまいましたんや。
惣一の最初の名ぁは、惣平やったんや。
それを私が旦那様にお願いして、変えて貰いました。
惣一に……。
惣一郎さんやないのに……この家の跡取りの惣一郎さんやないのに…。
秀樹も忠司も要らんわ。
惣一郎と惣二郎がええわ。
……二人とも出征する前にね。許嫁と結婚させたかった。
せめて……結婚させたかった……。
戦争で死ぬために生まれて来たんやない。
結婚して、束の間やったとしても、ささやかな幸せをあげたかった。
けどな。二人とも『相手に悪い。私は死ぬんやから……。』そない言うた。
戦争が憎いわ。
綾子さんは、ええなぁ……。
子どもを戦争にもっていかれへん。ええなぁ…。」
それから……私は姑の介護中に第三子を流産した。
後で「女の子」だったと聞いた。
小さいけれども男女の差は分かったらしい。
ベッドで寝ている私は泣き続けた。
まだ見ぬ我が子を失った苦しみは簡単には薄れなかった。
蒲鉾板を若い使用人に頼んで持って来て貰った。
その蒲鉾板に「水子供養」と書いた。
これが、あの子のお位牌。
生涯大切に持って供養しよう。
そう決めたのだ。
身体が癒えてから姑の介護が再開されたが、肺炎になった姑は直ぐに亡くなった。
それでも、親族からの暴言は変わらなかった。
舅の妹が言ったのだ。
「ホンマやったら、貴女など惣一さんの妻に選ばれへんはずやった。
惣一さんの妻には私の嫁ぎ先の姪が選ばれるはずやったんや。
貴女のせいで! 全部、変わってしもうた。」
そうだったのだ。
選ばれるはずの人が他に居たのだ。