枯鼴の章
「先程は何をなさったのでしょう」
「眠る度に、あいつがやろうとしていたことを夢に見るようにした。裂かれる立場はあいつの方だがな」
月影の中、立ち枯れの目立つ山中に影が二つ、里を見下ろしている。
「禾助様は二度と夢に安らぐことがないのですね。お気の毒なことでございます。折角お買い上げいただいた薬も、お試しいただく機会は無さそうですね」
「大して気の毒がっては見えないが」
口の端を上げるりんに、
「お前の探し物はこれだろう」
男は懐から袋を取り出すと、相手の胸元に無造作に押し付けた。りんの手がそっと袋を開けると、鼠に似た鼻先が覗く。袋から微かに流れ出る樟脳のにおい。
毛の代わりにつるりとした鱗に覆われたそれが、ひくひくと鼻を蠢かす。
「見つけてくださったのが貴方様でようございました」
「虹蚯蚓かと思い土を掘り起こしたら出くわした。お前のような者がここに居たのは、それのせいだったのだな。珍しい草だまりの土の下で丸まっていたぞ」
「『枯鼴』と申します。虹蚯蚓の残り香に惹かれ、この地に留まっていたのでございましょう」
りんがひと撫ですると、枯鼴は大人しく袋に顔を引っ込めた。
「これは土中を動きながら、気に入りの滋養をあちこちに集める癖がございます。そして、その土の上には特殊な薬草が育つのです。その分、他の草木を大きく損なう事もございますが」
枯鼴を懐にしまうりんに、男はさして興味もなさげに、
「虹蚯蚓も似たようなものだ。辺り一帯の滋養を己のものにするまで、その場に留まる」
周囲から吸った滋養豊かな寝床で何年でも眠り、時折目覚めてはまた気に入りの滋味を集める。虹蚯蚓が留まる地は一見豊かに見えるが、いずれはそれも吸い尽くし、新たな寝床を求め去っていく。後に残されるのは草木一本生えない出がらしの痩せた土だけ。
偶々、それと知らない者――月日を掛けた簒奪に過ぎないと知らぬ者が、虹蚯蚓の眠る地に気付いたとしたら。
一時の繁栄に過ぎないと気付くには、人の時はあまりにも短い。
男が首を傾げた。
「山に居るとばかり思い、随分と探した。滅多に動かん質のこれが何故里に下りていたのか、お前は知っているか」
「以前に、山崩れがあったようでございます。恐らくはその際に、土と共に流れてしまったのでしょう。気の毒に、土に残った滋養と、平野のごく僅かな地味を集めて過ごしていたのでございましょう」
「そして、山に残る虹蚯蚓の集めた滋養には枯鼴が住み着いたのか。お陰で、虹蚯蚓の気配に中々気付けなんだ」
「お互い様でございます」
「それもそうだな」
見つかって僥倖だったと思うておこう。そそっかしい互いの主に遣わされただけのこと……微塵も面を変えず男が呟く。
「ご不満なのですか?」
「いいや。ただ、こやつ等も、主が探せば手早かろうと思うただけのことよ」
「それがままならぬ身ゆえ、我らのようなものが居るのでございましょう。それに、案外楽しゅうございますよ。様々なもの、特に、『ひと』と交わることは」
「別に楽しくない」
「さようでございますか? ならば何故、貴方様もわたくしも『ひと』の形をなしているのでしょう」
「考える由もない。所詮は主の一部に過ぎん身だ……お前と同じくな」
その主とて、大主のものよ……声に混じる微かな棘に、りんが弓型に撓む口元を更に持ち上げる。
「わたくしは『クスノキのりん』と申します。再び見えることもありましょう、どうぞお見知り置きくださいませ」
「ふん……俺のことは『千年杉の洞虚坊』とでも呼べ」
凪ぎを取り戻した声音に、りんが問う。
「うろこ坊様は、これから如何なさるお心算ですか」
「虹蚯蚓を届ける。さらばだ、クスノキの」
「どうぞ、主様によろしくお伝えくださいませ。わたくしは、もう少々ここに留まりましょう。これからこの地がどうなるのか、少々興味が湧きました」
「……悪趣味だな」
青々としたにおいを残し、怪僧姿が闇に溶けた。
「『悪趣味』とは、先を見通せばこそのお言葉でしょうに。うろこ坊様は、ご自分が思うより『ひと』を知っていらっしゃる」
果たして、その通りになりましょうか……忍び笑いと樟脳のにおいが、薄闇の木立を流れる風に散った。