籤引きの章
「茅は、兄貴の妻だったんだ」
添助も、兄の禾助もまだ独り身だった頃のことだ。父が急死し、どちらが田を継ぐか決めることになった。丁度妻を迎える年頃でもあり、二人共が、幼馴染の茅を妻にと望んでいた。
籤引きの末、田は禾助が継ぐことに決まった。豊かな田畑が約束された兄と、何も持たない弟のどちらが茅の夫に相応しいか考えるまでもない。
だが、添助は気付いていた。籤引きの日に、兄は、見届け人を買って出た友人達に頼んで籤に細工をしたのだ。沃土を手に入れるというよりも、茅を望む気持ちが大きいのだろう――そう思えばこそ、小細工を誰にも告げることなく身を引き、里外れでの一人暮らしを受け入れた。
それから二年経ち、兄と茅は所帯を持った。
心を引き留めるものを無くした籤引きの日、己は里を出るべきだったのだ。
「でも何でだか、そん時ゃその気にならなかったんだよ」
それから一年も経たないうちに、子を生さないからという建前で、禾助は茅を離縁した。
実のところ、禾助は疑い続けていたのだ。茅の心は添助にあるのではないか。弟も茅も籤の細工に気付いていて、内心では呆れた目で自分を見ているのかもしれない。茅の想いが足りないから子が出来ないのでは……そんな考えが、馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばせないほどの大きさになってしまった。
離縁の際に遠回しにそう言われ、茅はようやく腑に落ちた。時折、昏い目で自分の事を横目にしていた夫。目が合うと、慌てて視線を逸らす。あれは、全く己のあずかり知らぬことで心を疑われていたのだ――添助は、夫の細工に本当に気付いていなかったのだろうか。
禾助の家を出た茅は、添助の小屋へと足を向けた。
それから季節が一巡りし、結局、添助と茅は所帯を持った。更に一年経った今、茅の腹には添助の子が宿っている。
「子が出来なかったのは茅のせいじゃなかった。けどそれはさ、兄貴には認めたくねえことなんだよな」
子を生さないからと離縁した女が、二年も経たないうちに他の男の子を宿した。茅が里に居続ける限り、その話は何時までも消えることなく囁かれ続ける。外から後添えを貰うにしても、何かと差し障るのは目に見えていた。籤の見届け役をした友人からも、流石に勝手が過ぎるのではと咎められる。
「お前達、このまま村に残るのか」……兄がそう言い出したのは、茅の腹が目立ち始める少し前のことだった。
村を出ようにも、茅は子を宿してからずっと身体に不調を抱えていた。せめて、茅が無事に赤ん坊を産み身体が落ち着くまで先のことは考えられないと答えると、その日から兄がよそよそしくなった。
それまでは「作り過ぎたから」と、よく菜を持ってきてくれた母の訪いがぴたりと止んだ。しょっちゅう駆り出されていた田畑の手伝いも「何かと大変だろう」と誘われなくなり、その分、駄賃替わりの青物や米や麦も分けて貰えなくなった。
目に見えた諍いこそなかったが、禾助と添助の間には越え難い溝が生じていた。
茅の生家はといえば、弟が継いでいたが、弟には子が五人もいる。姉弟仲が良いとはいえ、姉に実入りを分けられるほどには余裕がない。
暮らしの先が見えてくる。二人暮らしの今は、山の民に教えられた薬草を売ってそれなりに暮らせているが、子が生まれればどうなるかは分からない。
「今はまだ無理だが、必ず出ていく」
膝の上で握った拳を見詰め、添助が呟く。
「そんでいつか、俺の虹の土を見つけるんだ……」
「虹の土、とは?」
風の囁きの様な声に、添助がはっと目を上げる。
「なんでもねえ。じいちゃんの法螺話さ」
「どのようなお話でございましょう?」
添助が口ごもる。
幼い頃に祖父から聞いた虹の土の話。これまで、祖父と交わした「誰にも話さない」と言う約束を守って来た。言いつけを守ると言うよりも、もしも誰かに知られてしまったら、全てが台無しになってしまうように思えてならなかったのだ。きっと、兄の禾助もそうだろう。
「豊作になる土地のことを、じいちゃんはそう呼んでたんだ。俺らが子供の頃、寝かしつけに、よく面白おかしい話を聞かせてくれたんだよ」
上手く誤魔化せただろうか……小さく息を吐いた添助の目と、底の見えないりんの目が合う。その瞬間、頭を擡げた想いに添助は狼狽えた。
――なんで誤魔化す必要がある? 籤に手を加えて、先にじいちゃんの言葉を汚したのは、兄貴のほうじゃねえか。
今更、自分の意志で受け入れた過去を変えられる訳でもない。そもそも、俺等が勝手に話を大袈裟に考えてるだけで、本当にあれはただの法螺話だったかもしれないんだ。約束だって、どこまでじいちゃんが本気だったのかも分からない。
あの時。もしも。やっぱり。だが。
話してしまおうか。駄目だ、約束したんだ。
一度に色々なことが頭を廻り……ふいに、祖父の決め事が腑に落ちた。
(ああ、そうか……じいちゃんは屹度、こんな気持ちだったのかもな)
添助は出来るだけ何でもない調子で、
「けど、何でこんな話を気にするんだい。もしかして、商売の口上にしたいのかね? そんなに知りたいかい?」
「はい。大変興味がございます」
りんの三日月の様な目が、二日月に撓む。
ごくり
添助は喉を鳴らし、
「じゃあさ、賭けねえか?」
「賭けでございますか?」
首を傾げるりんに頷き、懐を漁る。
『そんな見極めが出来るのは神様だけだ』
祖父の言葉が甦る。添助は懐から取り出した翠玉を、りんによく見えるように左の掌に載せ、その上に右手を被せると数度上下に振り、
「もし俺が勝ったら、りんさんは何か一つ薬の作り方を俺に教える。りんさんが勝ったら、俺はじいちゃんから聞いた話をりんさんに教える。どうだい?」
「成程。面白うございますね」
薬売りが薄っすらと笑う。
添助は空で振っていた手を素早く左右に拳に握り、
「どっちの手に翠玉があるか。さあ、選んでくれ」
「では、わたくしは……」