決め事の章
灯り代わりの竈の炭が、隙間風にぱちりと爆ぜる。
添助はこちらに背を向けて眠る茅に目を遣り、
「なあ、りんさん。大豆の他に身に良い食い物ってあるのか? 出来りゃ、もっと教えて欲しいんだが」
「よろしゅうございますよ。そうですね、獣の肉などは如何でございましょう。鳥の卵なども精が付きますよ」
「肉か……俺の行く山の獣はえらく用心深くて、滅多に姿を見ねえ。お陰で山歩きは助かってんだが……となると、鳥か。巣でも狙ってみるか」
木登りは苦手なんだが、やってみるよ……添助が頭を掻く。
「鳥が難しければ、魚でもようございますよ」
「分かった、何とかしてみるよ、ありがとうな。はあ、あの大豆を食わしてやれたらいいんだが」
添助が外の畑を透かすように戸口を見遣る。りんが首を傾げた。
「昼間にお話した通り、今年は何処も豊作でございます。そして、添助様は作物が思うように育たないと仰ってましたが、いざこちらにお邪魔すると、田畑では沢山の作物が育っておりました。ですが、そこに育つものは自分達のものではない、と仰る。不思議なことでございます。何処かに納める為のもの、と言う事でございましょうか」
「まあそうなんだが、そうじゃねえ。実りがあるのは東側……あっち側だけよ。あっちは、俺らのもんじゃねえんだ。俺らの田畑はこっちの西側。ほら、うちのすぐ前の、エノコログサも生えちゃいねえところさ」
りんが、細い目を更に細める。
「畑だったのですか。随分と綺麗に草を取ってあると思いましたが」
「ここら一帯の殆どがそうなんだが、元々が大して生えねえのよ。りんさんも、ここに来るまで迄に散々見てきたろ……はは、ま、草取りは楽なもんだけどな」
添助が乾いた笑いを零す。
「それでも里の内は外に比べりゃまだましだ。けどよ、どうしたって実りの良し悪しは出ちまうから、ちゃんと実る田畑は家を継ぐ者達に宛がわれるんだ」
近くに他の村は無い。実りがある田畑は、だだっ広いだけの痩せた平野の、本当に僅かなのだ。ならばと山を拓こうにも、手間をかける価値がある程恵まれた山でもない。そもそも山に育つ樹は、都で行う儀式や殿上人の屋敷の為に使われることになっていて、勝手に切り倒す訳にもいかない。里を捨て、山川を越えて遠くの里村を頼るにも、他からの民を受け入れられる余裕のある村落もそう多くはない。
一度その暮らしを受け入れてしまえば、根を下ろした地を抜けるのは容易ではない。抜け出したところで、流れる先が当てにならないならば猶更だ。
ならば、家を継ぐ者には、豊かな田畑を。継がない者には、その周りの実りの少ない地を。
「成程。先んじた方には責任と実りを、と言う事でございますね」
「それが、うちの里はちょっと変わっててなあ」
添助が首を振る。
他の村なら家を継ぐのは長子の役割だろう。だが、まだ然程代を重ねてはいないこの里には、新しさを取り込む余地があった。
「籤、さ。引くんだよ。先に生まれたってだけじゃ、家は継げないんだ」
「籤引きでございますか」
「ああ、神様の言う通りってやつだ」
誰が継ごうが、上手く行く時はいくし、いかない時はいかない。そんな見極めが出来るのは神様だけだ。なら、誰が継ぐかは神様に決めて貰えばいい。「籤引き」――その結果を受け入れることが出来ないなら、好きに里を去っていい。家を継ぐのが嫌なら、継げないことが不満なら、此処を捨てろ。里を出たがる者を引き留めてはいけない。勿論、田を継げなくとも里に残るのも好きにするといい。ただし、実りの分配は期待するな。
そう決めたのは、添助の祖父だったそうだ。祖父は村長でこそなかったが、大きなことを決める際には不思議とその言葉は重用された。
添助が肩を竦める。
「ま、結局はご覧の通り、田は兄貴が継ぐことに決まったわけだ」
「然様でございましたか。おじい様のお言葉は、中々厳しくも思えますが」
「はは。色々なことが限られた地じゃ、ある程度は仕方ねえさ。それに、『実りの分配は期待するな』ってのは、『分配しちゃならない』ってことじゃねえ」
実際は、実りの少ない田畑を宛がわれ、沃地を継いだ身内に援けられつつ暮らしを立てている者も少なくはない。彼等に、いざという時……つまりは凶作の際に、真っ先に捨てられる立場だという覚悟があるかどうかはわからないが。
「それにしても、おじい様は何故、そのような決めごとをなさったのでございましょう」
首を傾げる薬売りに、
「じいちゃんなりに、皆に……いや、俺に良かれと思ったんじゃないかな。運を手にする機会は皆にあるべきだってな。まあ、ただそういう遊びみたいな真似が好きだっただけかもしらんが」
添助が苦笑する。兄も自分も祖父からすれば同じ孫、差などなかったのだろう。それ以前に、祖父にとっては、田を得るのも里を出るのも大した違いなどなかったのかもしれない。
「己の先は己で決めたっていいだろって、よく言ってたっけ。自分もそうしたんだから、ってさ。じいちゃん、若い頃に自分の村をおん出で、ここに流れ着いたらしい。まあ、変わり者だったんだよ」
「添助様は、おじい様のように里を出るお心算はないということでございますか」
「身重の女連れだと、どうにもなあ」
困ったように呟いた添助が、慌てて妻に目を向ける。
「先程の丸薬は強い眠気が出ます。暫くは目を覚まされませんよ」
りんの言葉通り、茅はゆったりとした寝息を立て続けている。
「そ、そうか……いや、こんな言い方したら、茅の奴が、自分のせいかと気にしちまうからよ」
「仲がおよろしいのですね」
「そんなんじゃねえんだ」
添助が肩を落とす。
「まあよ、色々とあるのよ。幸い俺は目端が利く。りんさんなら解るだろ、あの薬草は一見ただの雑草だ、俺以外の奴には滅多に見分けられねえ。子供の頃、たまたま里に立ち寄った山の民人に気に入られてさ。そのおっちゃんに、あれの見分け方を教えて貰えたんだ。そのお陰でここでも何とか暮らせる稼ぎはあるんだ、不満なんぞ言い出したら、きりがない……」
言葉が途切れる。不満が無い? そんな訳が無い……胸が騒めく。
この暮らしを選んだのは自分だと言い聞かせていないと恨んでしまいそうになるだけだ。そんな下らない思いを吐き出してしまいたい。ここに残ったのはそうなる定めだからだ、仕方のないことなのだと己に言い聞かせるのは、もう飽きた。
話してしまえ。明日にでもここから去ってしまうだろうこの人に。