地運の章
翌年。
青菜や豆、幾種の作物が畝を埋め、風に揺れる……但し、それは僅かな畑だけだった。常ならば十分な実りがある筈の他の畑は、どういう訳かその年は、真面な作物どころか雑草すらほとんど育たなかった。
畑だけではない。田では稲穂の多くは身が入らず仕舞いだった。どこもかしこも土は雨に流れ、水はいつまでも捌けずに泥濘と化す。空が晴れれば泥が乾き、風に吹き上げられた荒土は里に降り積もる。
里の周囲はもっと酷い。元々が荒野とは言え、僅かに生えていた草木が怖ろしい勢いで朽ちていく。荒んだ里に、皆はただ一人豊作だった畑の持ち主の所業を疑った。
己一人が利を得るために、何かしら天に背く行いをしたのではないのか。
それを確かめようにも、畑の主である男はとうに彼岸に渡ってしまっていた。男は、ある時から真面に眠ることが出来なくなり、地に精を吸われたかのように衰弱していった。数日後には気狂いのように喚き散らし始め、それから一月もたたず野辺送りとなったのだ。いまわの際迄目を見開き、墨を刷いたような顔色でこと切れる直前に残した、「もう許してくれ」という言葉が誰に向けられたものだったのかは誰にも分からない。
男には妻も子も居らず、残された老母だけでは田畑すべてになど、とても手が回らない。結局男が残した田畑は、男の弟が引き継いだ。それまで兄から軽んじられていた弟は、子を産んだばかりの妻を休ませ、一人せっせと野良仕事に精を出した。
だが、里人から向けられる疑いの目に身を縮込めるような暮らしが、どのようなものだったか。
更に翌年には、男の畑もすっかり痩せ、実りのある田畑は何処にも無くなった。
弟は収穫を終えた田畑を捨て、妻子と老いた母を連れて里を出た。誰にも気づかれぬうちに里を去った手際は、弟がとうに準備を整えていたことを物語る。
「見極め時を逃すなんざ、愚か者のするこった」
去り際の呟きを里に吹く風が散らす。その数年後には、人影も獣の匂いもない荒れ地に僅かに残る人々の暮らしの残骸だけが、かつて此処に里があったと示す標となった。
件の弟の、その後はと言えば。
里を出て数日、一家は、以前から算段を着けていた山向こうの村に腰を落ち着けることが出来た。
村は何処にでもある貧しさで、暮らし向きは以前と変わらず楽とは言えないが、焦る事は無い。己は儲けの手があるのだからと、弟がほくそ笑む。
次の冬を迎える前。弟は数日かけ、気に入りの山に向かった。
家族が己の帰りを待っている。今迄、色々なことがあったが、美味いものを食べて腹がくちれば、未だよそよそしい老母と妻の仲も深まるかもしれない。全てを水に流すのは難しいかもしれんが、もうそろそろ先を向いてもいいだろう。
浮き立つ心のままに、弟は山奥に分け入る。己にある目利きを信じて……信じて、いたのに。
やがて、常ならすぐに見つける宝の山――自分だけが知る、特別な薬草の群生が何処にもないことに気付き、青ざめる。
ふと感じた違和感に辺りを見回す。
そういえば、いつも以上に山全体が痩せている。そこかしこの立ち枯れの幹に走る深い幾本もの深い爪痕。
正面に目を戻した弟の身が凍り付く。あちこちに齧った跡の残る幹の向こうから己を見つめる、大きな黒い影と獣臭。
飢えに目をぎらつかせた獣が立ち上がり、吠えた。己に迫る影に、頭に浮かぶのは、
――俺は一体、何を見極めそこなったんだ。
答える者は、誰も居ない。