【1-6】物騒な一族
白雪が目を覚ますと見慣れない天井が視界に映った。
(今、何時?)
がばっと勢いよく体を起こして、見慣れない部屋に首をかしげながらも必死になって時計を探す。
これまた見慣れない意匠の時計を見つけたところで白雪は、村から追い出されたこと、自分のいる場所が守り人の屋敷であることを思い出した。
思い出したところでようやく気が緩んで息を吐く。
今の時間は午前六時半。白雪は基本、朝に家事をこなしたかったのでこの時間に起きていた。環境は変われど体内時計は正常に動いていて助かったと心から安堵する。
少しだけ二度寝しようか、と一瞬考えた。
昨夜布団に入ったのが深夜なので四、五時間しか寝ていないことになる。それに正直朝は寒いので布団にくるまっていたい。だが人様の屋敷に世話になっている手前、寝坊はいけないだろう。
二度寝という大変甘美な言葉を頭から振り払い、名残惜しくも眠りの世界に誘ってくる布団から脱出する。
正直に言えばあんなふかふかの布団から離れるのは大変名残惜しい、と二度悔しく思った。
今まで煎餅のようなぺらぺらの固い布団で寝ていたのだからさもありなん。
布団を綺麗に畳んで最初に布団が仕舞われていた押入れに仕舞った。これで白雪を誘惑してくる布団は見えないことに安堵しつつ寂しくなった。
(眠気覚ましに顔でも洗おう)
朝の支度をする前に洗面所に行こうと思い立ち、羽織を羽織って部屋の戸を開ける。すると戸の前に見覚えのない風呂敷が置いてあった。
風呂敷は厚みがあり白雪が両手で抱えられるくらいの荷物を包んでいる。
こんな風呂敷、寝る前にはなかったはずだ。わざわざ戸の前に置いているのだから落とし物ではないだろう。そもそも荷物の入った風呂敷なんて落とすものでもない。
そっと拾い上げてみれば風呂敷の隙間に紙切れが挟まっていることに気がついた。紙切れには『白雪さんへ』と美しい字で書いてある。その後には着替えの着物を置いておくこと、今日はそれを着てほしい旨がしたためられていた。女性らしい字体と最後に鈴と書かれているのでこれを書いたのは鈴だと分かる……が、いったいいつ置いたのか疑問ではある。
「着替え、一応ある、けど」
そう、着替えは持っている。古着ではあるがちゃんと持っている。だが、わざわざそれを着てお目汚しになるくらいなら善意の着替えを有り難くお借りして着た方が良いだろう。着た後は丁寧に洗って返せばいい。
そう自己完結した白雪は風呂敷をちゃぶ台に置いた後、もう一度部屋から出た。昨日の鈴の説明を思い返しながら洗面所へと足を進める。
冬の朝だからか蛇口から出る水は冷えていた。
「…つめ、たい」
そういえば昨日は全身で冷たい水を浴びたなと思い出した。あの時はただ風邪をひいてしまいそうだと思っただけで、冷たいだなんて思わなかった。だからこそ少し感慨深い。
それから部屋に戻り、風呂敷を開いてみるとこれもまた上等な着物と帯が出てきて恐れ慄いた。どのくらいの値段なのだろうと気になってしまうのは庶民の性である。
しかしこういう物は値段を知らない方が心の平穏を保たれることも知っているのでひっそりとその疑問をスルーさせて頂いた。
細心の注意を払い、着物を着てみて大きな姿見の前に立ってみれば、そこには戸惑った表情の少女が映る。
白い小袖に描かれた大輪の椿はまるで、新雪の中に咲いているようで鮮やかで華やかな印象を与えていた。そしてそれに合わせた無地の赤色の帯は白い着物をより際立たせている。
おそらくだが白雪の髪と瞳の色に合わせているというのは想像できた。
白雪は昨日着ていた貧相な白無垢もどきよりも自分に合うように選ばれたこちらの方が断然好きだった。
(けど、こういうのは茉莉の方が似合うだろうな)
白雪はこれまでの人生で散々見てきた茉莉の姿を思い浮かべる。彼女はゆるく波打った茶髪に華美な顔立ちをしており、スタイルも良い。
白雪はよく彼女が人形のように愛らしいと褒め称えられていたのを見たことがある。実際白雪も思っていた。
この用意された着物も華やかで綺麗なものだ。茉莉ならばきっと着物に着られる事なく、見惚れてしまうほどに着こなしてしまうだろう。
対して白雪と言えば髪と瞳の色以外は平凡な容姿だと自認している。
顔立ちも茉莉と比べてしまえば平凡で地味だろう。髪と瞳の色でさえ、老婆のようだとか血のようだとか散々な言われようなのだ。
そこで更に不健康な見た目をしているのだ。自分の容姿に誇れる要素がない、幽鬼のようだと白雪が思ってしまうほどに。
だからこの着物も似合っているものではないのだろうなくらいには考えていた。
だが折角綺麗な着物を借りたのだから浮かない顔は良くないと精一杯の笑顔を作ろうと試みる。
しかし試みたのは良かったものの、十数年生きている中でほぼ表情筋など使ってこなかった白雪の笑顔はぎこちなく、ちょっと人に見せられたものじゃなかった。
強いて言うなら裏社会に通じてそうな、かなりやばい人間に見える。
──閑話休題。まあ、それも当然だろう。感情を出せば何をされるか分かったものじゃない環境の中で生きてきたのだ。今まで泣いたり笑ったりする時間よりも感情のない面のような顔をする時間の方が圧倒的に多い。そんな中急に笑おうとしても無理があるだろう。
しかし白雪はこれから人と関わっていく時処世術として作り笑顔は必須じゃないかとも思っている。
無表情の人間と話すより笑顔の人間と話す方が感じも良いし会話も楽しいはず。
(…練習したほうがいいかなぁ)
流石に笑顔すらぎこちないのはまずいと危機感を覚えた白雪は笑顔をつくる練習をしようかと本気で迷いはじめる。
そもそも笑顔の練習とは、とツッコむ者など白雪一人のここにはいなかった。
姿見に少し近づいて指で強制的に口角を上げる。口は弧を描いたが笑っているようには見えない。
かなり筋金入りの表情筋である。
「…笑顔を作るの以外なら、出来るのだけど」
何となく悔しくなって八つ当たりで自分の頬を両手で伸ばす。肉の薄い頬ではあるものの割と伸びる……が痛いので数秒でやめた。
これ以上は無駄だと悟った白雪は姿見の前を離れてちゃぶ台の近くに置かれていた座布団の上にすとんと座る。
いつもならばとうに活動している時間だが、人様の家の中を勝手にうろつくよりも部屋で大人しくしておいた方が良いと思ったのだ。
(そういえばこんなのんびりと過ごせる朝、初めてかも。家事でいつも慌ただしかったから…)
偶にはそういうのも良いだろうと納得して、白雪は座布団の上で持ち歩いていた携帯食を食べながらぼうっと部屋を観察する。
本当なら暇つぶしに本でも読んでいたいのだが、生憎必要最低限の荷物しか持っていない白雪の手元に本などないのだ。
そういう事で仕方なく持て余した暇を潰す為に部屋を眺めているのである。
(洒落た調度品って見てて楽しいし、私なんかが見る事なんて滅多にないんだから良い機会だと思おう)
どれもこれも上等品だと推測できる家具が置いてあるこの部屋は見ていて飽きない。家具の細かなデザインを目を凝らしながら見ていると気づく事があった。
それは大なり小なり、どの家具にも月の意匠が施されていた事だ。しっかりと観察しなければ分からないものもあるが基本的にどの家具にも必ず月が描かれている。
そこで今まで聞いた術者の二つの名字を思い出す。
『如月』と『駒月』。どちらにも月という文字が入っている。偶然と言ってしまえばそれまでだが、気にかかるものがあった。後ほど天音に聞いてみても良いかもしれない。
部屋を観察し続けて白雪が家具の配置を完璧に暗記した頃、戸を叩く音が聞こえた。
戸を開ければ、朝でも衰える事のない輝きを放つ美少女が立っている。もはや視覚の暴力である。
視界を遮る道具が欲しいと切実に思った。
「白雪様、おはよう御座います。朝食の用意が終わりましたので呼びに参りました」
「お、おはよう御座います。呼びに来てくださりありがとうございます…!」
丁寧で美しい所作で挨拶をしてくれる鈴に白雪もぺこりと頭を下げる。
「あの、寝間着もそうですがこのお着物もお貸しくださりありがとうございました」
「いえいえ当然の事をしたまでですよ。急遽屋敷にあるもので白雪様に似合うお着物を探したので不安だったのですが……とっても良くお似合いです!どうやら私の目に狂いはなかったようですね!」
鈴から紡がれる褒め言葉にむず痒くなりつつも、この賛辞はきっと心からのものではないだろうと白雪は思う。人から見れば着物に着られているように見えるだろうというのは想像がついているからだ。
だが折角お世辞でも褒めて貰ったのに否定的な言葉を発せば鈴が不快になるだけだろうから言わないが。
「こんな着物でもお似合いなら舞姫装束のときは一体どれほど……御披露目の際は気をつけねばならなそうですね……」
「鈴さん?」
「あ、すみません、取り乱しました……では、白雪様の支度も整っていらっしゃるようなので朝食の席に向かいましょうか」
「はい!」
ぶつぶつと鬼気迫る様子で鈴が呟いていたが、呼び掛ければ元通りになったので気のせいだと納得することにした。
「朝食は私が作りましたので白雪様のお口に合うか分かりませんが…」
「え、鈴さんが、作った…?」
そのまま鈴についていったのだが途中なんとなく聞き逃してはいけないような言葉が聞こえた気がしてそっくりそのまま聞き返してしまう。
「ええ、私が。兄様の方が料理お上手なのですけど今日は私の当番でしたので…あ、きちんと食べられるものに仕上がってますからね!毒味もいたしました!」
「あ、いえそこを気にしている訳ではなくて!というか味見の間違いでは⁉︎」
「いいえ、毒味で間違いありません。私が作ったもので白雪様が体調を崩すようなことがあれば謝罪で済むようなものではありませんから!」
天音も料理をするらしいという新事実も発覚したが、それよりも謝罪で済まなかった場合何をするんだろう、と気になった。しかしこれ以上踏み込んだら負けな気がするのと内容を知るのは怖いので聞かないことにする。時に問題から目を逸らす事も大事である。
聞きたくないことをスルーした白雪は、話が聞きたい事とは別方向にズレてしまったので軌道修正をすることにした。
「えっとそういう事ではなく、守り人様の妹である鈴さんがてずから料理を作ってくださるとは思ってもみなかったので…てっきりお手伝いさんのような方が作るものとばかり」
「あー、そういうことですか。確かにお手伝いさんは居ますが自分達で出来ることは基本的に自らやるようにしてますよ。お手伝いさんにお願いする仕事は屋敷の掃除と庭の手入れくらいでしょうか」
白雪の勝手なイメージで家事は召使のような人が行うのかと思っていたがどうやら少し違うらしい。
「守り人様は高い地位に座す方ですから少しイメージと違くてびっくりしました」
「ふふ、外の人から見ればそうかもしれませんね。実際昔はもっと多くの使用人を雇って全ての家事を回していたようですから、白雪様のイメージはあながち間違っていません」
鈴はそこで言葉を切った。
「きっと毒殺未遂がなければ今も使用人は沢山居たかもしれないですねぇ」
「どっ、毒殺…⁉︎」
突然出てきた物騒な単語に白雪は唖然とする。毒殺だなんて物語の中でしか見たことのない単語を現実で聞くとは思わなかった。なんなら聞きたくない単語である。
「といっても先代の守り人…私たちの祖母にあたる方に対して起きた事件ですから数十年以上前の事になるのです。勿論私も語り聞いた情報しか知りません」
「今の話の流れからして、毒を盛ったのは…使用人さんなのでしょうか」
「正確には使用人に変装した部外者ですね。当時は多くの使用人を雇っていたようで部外者が紛れ込んでも気が付きにくい状況だったようです。それでも毒を盛るのは容易ではなかったでしょうが。結局先代は一命を取り留め、犯人は逮捕。これをきっかけに、雇う使用人は身元がはっきりしていて信頼の置ける最小限の人数にしたとのこと。今も使用人さんが少ないのはその名残りですね」
もっとも、現代で毒殺なんてしようとする人は中々いないでしょうけどね、と苦笑しながら鈴は付け足した。
「もしもの話ですしないとは思いますが……白雪様も、先代様のような暗殺に巻き込まれぬようお気をつけてください」
そう微笑んだ鈴の横で青ざめた白雪が思ったことはただ一つ。
(……守り人様の一族、物騒すぎやしませんか)