【1-4】夜間の電話
(どっと疲れた気がする)
白雪はこめかみを押さえながら小さくため息をついた。
たかが数時間、されど数時間。村を出て町に行く前に妖魔に襲われて人生最大の危機を助けてもらった人は国の頂点である守り人の一人。そしてそんな人から自分は舞姫なのだと衝撃の暴露をされる……数時間に人生の大きい出来事の全てを詰め込みましたと言わんばかりの充実ぶりである。
卒倒しなかっただけ充分偉い、そう自分に言い聞かせながら隣に座っている天音に視線を向けた。
車の窓に肘をついて外を眺めていた天音はすぐに恨めしげな視線に気づく。
「落ち着いた?落ち着いたなら話、再開するけど」
視線に関しては鮮やかにスルーしてみせながら発された言葉に白雪は咄嗟に身構えるが、別に身構えなくていいと諭される。どうやら話の続きとやらは白雪のこれからの待遇についてらしい。
「ま、悪いようにはしない。衣食住は保障するよ。働いた分の賃金もね」
家も財産もない白雪にとっては願ってもない話だ。最低限の衣食住があれば生きていけるし、働けばお金も貰える。今までに比べればとても高待遇なのには間違いない。
一つ問題を挙げるならば、仕事は何をするかについてだろうか。そこが気になった白雪はそっと手を挙げる。
「あ、あの、仕事ってなにをするのですか?舞姫の力があると仰っていましたが、私は力を行使する方法を知らないです。それに私は大した教養は持ち合わせてないですし」
自分で言って少し悲しくなる。大した教育を受けてない自分は無能なのだと伝えているようなものだから。
「そりゃ、舞姫の仕事。力を自在に使えるまで鍛錬してからだからすぐにとは言わないけどね」
白雪の言葉を大して気にする素振りを見せずに、淡々とした口調で返された。彼の翡翠のような瞳は窓の外だけを捉えている。
「そう、ですか」
そこで会話が途切れる。会話の話題もなくて車内が沈黙に包まれてどことなく気まずさを覚えた。
白雪は視線を下に下げて膝に乗せた自身の手をぼんやり眺める。あかぎれまみれの手はお世辞にも綺麗とは言えない。着ている着物だって古着で取り繕って着ているものだからみすぼらしく見えるだろう。
そんな自分が高級車に乗っている事が俄かには信じられず頬を引っ張った。勿論現実なのでしっかり痛い。結構力を込めて引っ張ったので小さく悲鳴を上げそうになった。
(夢じゃないんだ。村から出てきた事も、舞姫だって言われた事も)
改めて再認識した現実にパンク寸前の頭が痛みを訴えたので休むために座席の背もたれに体重を掛ける。
白雪の体は想像以上に疲れていたようですぐに眠気が襲ってきた。起きていても気まずい時を過ごすだけだと判断してその眠気に抗う事なく眠りについた。
◇ ◇ ◇
白雪の意識が眠りに落ちて暫く経った頃、ずっと外を眺めていた天音が身じろいだ。
「 」
声を出そうとしたが最初は掠れた音としか言えない声だった。喉の調子を合わせるためか咳払いを何度かする。車窓の景色を見つめるその瞳は淡く光っているように見えた。
「この先、通行止めになっている。どっかから迂回して」
「……御力の無駄遣いをしないで欲しいんですがねぇ」
運転手にそう淡々と声を掛ける。運転手はそんな天音に呆れた声で返しながら指示の内容を疑う事なく迂回ルートを調べて迂回した。
「別に無駄遣いじゃない。それにどうせ今日はもう使わない」
「そういうことを言っているのではないのですよ」
運転手のお小言が続きそうな予感がした天音は低い声で唸って制する。不機嫌になっているのが分かったのかこれ以上運転手が何かを言う事はなかった。
ため息をついた天音は運転手の事を放ってすぐに端末で調べ物を始めた。
白雪の白い髪に今は瞼で覆われた紅い瞳。それは全て鬼の一族の内の一つ、雪柳家に当てはまる特徴だということを思い出したからだ。その昔、雪柳家は一人の女が失踪した事件があった。時系列から見ても白雪はその女の子供だと考えるのが自然なのだが、その女に子供がいたという記録はない。
もしもそんな記録があればもっと早く白雪は、失われていた鬼の舞姫は容易く見つかっていただろうに、と天音は心の中でぼやいた。
しかし今更そんなことを考えても無駄だと思い直し、頭を切り替えて天音は端末に指を滑らせて白雪の氏名を入力する。彼女の事について調べるのは守り人の一族の情報網を持ってすれば容易いと思っていたのだ。なのに一件も、白雪の戸籍すらヒットしなかった。
(……面倒な事になった)
何度目か分からないため息を吐きたい衝動をグッと堪える。検索に引っ掛からない白雪は無戸籍者の可能性が非常に高い。そして彼女は天音に助けられた時、村を追い出されたと言った。
雪柳の名字を名乗らなかったこと、十五年間舞姫だと発覚する事がなかったことも踏まえると白雪の事情がとんでもなく入り組んでいるのは火を見るより明らかだろう。
天音は頭が痛くなる思いだった。これからするべき手続きを虚ろな瞳で指折り数えるが、幸せにならない気がして途中でやめた。
一先ず出来ることから片付けなければいけない。嘆いたところでやるべきことは減らないのは天音もよくよく分かっている。
「……あー、もしもし?夜遅くに悪いけど仕事だから諦めてくれると助かる」
今夜は寝れる気がしないと、柔らかな布団を恋しく思いながら携帯端末でこれから徹夜の巻き添えを喰らう哀れな人間に連絡を入れる。電話は何コールかして繋がった。
『はー、くだらない話だったら不貞寝しますからね』
「俺がくだらない話をする人間に見える?」
『いえ、嫌ってるのは知ってます』
端末から聞こえてくる眠たげな青年の声から寝起きだということが伝わってきたが別に罪悪感は天音の胸にはなかった。寧ろいつも鬱陶しい人間にささやかな仕返しをしているようで実に気分がいい。
しかしそんな心の内は全く表には出さない。
『それで、何の御用でしょうか?』
「舞姫が見つかった」
『あ、そうなんですね〜、良かったよかった……ってはぁ⁉︎見つかったぁ⁉︎』
「五月蝿い、黙れ」
コントのお手本のようなノリツッコミであったが、耳元で叫ばれた天音は眉間に皺を寄せる。
「深夜に大声なんて近所迷惑もいいところだね」
『いやだって!十五年ですよ⁉︎十五年間見つからなかった舞姫様がそんな、あっさりと見つかったなんて信じられないでしょ!大体ですね、そんな軽いノリで言う話じゃないですって‼︎』
天音の嫌味に大声で返す青年の声が余りにもうるさかったので携帯端末を耳から遠ざけた。それでも充分に声が聞こえるくらいには声が馬鹿でかく音割れしている。
「とりあえず黙れない?何の話も出来ないんだけど」
低い声で脅すように言うと、小さく息を吸う音と共に静かになった。電話の相手も天音の怒りを買うのは嫌らしい。
だったら最初から静かにしてくれと天音は思うのだが、本来は電話相手の青年の反応が正しい。探し続けていた舞姫が見つかって落ち着き払っている天音が異常なだけである。
『すみません……それで、舞姫様が見つかった事以外に俺に話すことって何ですか?』
「舞姫が無戸籍者らしいから戸籍取得の為の手続きに必要なもの、揃えておいて」
『無戸籍者、ですか……分かりました。舞姫様という特例なのですぐにでも取得出来ると思いますよ』
青年は騒がしくはあるが、仕事面を見れば非常に優秀な人間だ。彼がすぐにでもと言うのだから割と早くに白雪は戸籍を取得出来るだろう。
「あと…雪柳家について調べたい。俺の方でも集めているけど、雪柳家の記録、余裕があればでいいから集めて」
『うわ、割と重い仕事ですね……拒否権あります?』
「あるわけないでしょ」
嫌がる青年の言葉をバッサリと切り捨てる。暴君だ!と電話越しに聞こえた気もしたが聞こえなかった事にした。
「じゃ、頼んだ」
『あ、切らないで!ちょっと待ってください‼︎』
これ以上話すこともないだろうと電話を切ろうとしたのだが慌てた様子で止められるので渋々通話終了ボタンを押すのを止めた。
『……舞姫様は、どこにいらっしゃったのですか?私たち術者が、それも守り人である天音様をも巻き込んで捜索しても見つからなかったのに、どうして今になって…』
彼だってそれは気になるだろう。何せ舞姫不在の十五年間、天音が焦燥感に駆られている様子を誰よりも見てきている。
だからこそ、舞姫が降って湧いたかのように現れた現状も信じられない。
「これはあまり人に話したくないけど…まあいいか。どうせ翔もいずれ聞くことになる』
電話相手の青年もとい、翔に内密にと言い含めてから、舞姫は山奥で彷徨っていた事を話した。
『そんな事が……山奥を彷徨っていたことに関しては次天音様にお会いする時に詳しく聞きますけど。確かに山奥に居れば捜索の手も届きづらいですし、見つからなかった事も納得できます』
「……それだけが理由じゃないだろうけどね」
今にも掻き消えてしまいそうなその天音の声は電話越しの翔には届かなかった。
「それじゃ、この件くれぐれも内密に。誰にも、特に一族の老害どもには舞姫帰還を悟らせないように慎重に動け」
『かしこまりました』
そこで改めて電話を切った。
天音が内密にと念を押したのはひとえに鬼の一族が信用ならないからだ。舞姫帰還を知らせれば、舞姫を利用したがる者が現れるだろう。
しかも、目星はついているとはいえ白雪は誰の子か分からないのだ。これ幸いと自らの子供だと主張し、舞姫を輩出した家としての恩恵を享受しようと考える奴がいるなど想像に難くない。そうなればより一層、鬼の一族の守り人として、当主として面倒な事になるのは分かりきった話だ。
そんな思いがあったから、鬱陶しいが信頼の置ける翔に諸々を頼んだのだ。
逆に言えばそれだけなのだ。利用されかねない白雪への同情でも、憐れみでもない。ただの利己的な考えで彼女の存在をひた隠そうとしている。そしてそれは天音が毛嫌いする狡猾な一族の人間と同じだ。
(結局、俺も老害と変わらない)
天音は自嘲する。だがそれをやめるつもりはない。
だって狡猾であろうと、そうあらねばならないと分かっているから。