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宵闇に舞姫は希う  作者: 月詠紫苑
第一章
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【1-3】雪空の下、守り人と邂逅する


「うぅ、寒い…」


 自らの赤くかじかんだ両手を擦り合わせながら白雪はぼやく。白雪は村を出てきた後、村から適度に離れていて一晩寒さを凌げそうな場所がないか探していた。

 妖魔のいる森に行くつもりなど白雪には到底なく、目指しているのは大きな町だ。しかし、あの村が山奥にあったので町に行くには三時間程かかる。

 寒い冬の夜、足元が見えずらいほどに暗い森を長い時間彷徨うなど自殺行為に他ならないので一晩明かせる場所を探していたのである。

 しかしこれ以上探しても見つからないとようやく察した白雪は大木の根元に腰掛けた。ここで無闇矢鱈に歩き回っても無駄に体力を消耗するだけ。ならば暖を確保して動かずじっとしていた方が良いだろう。


(確かここに…)


 ごそごそと荷物を漁って取り出したのは未開封のカイロ。村長の家の倉庫からひっそりと持ってきたものだ。

 一週間前から白雪はこの日の為に周到に準備していた。

 カイロや襟巻きといった防寒用品はもちろん、保存のきく食糧と水を荷物に詰めていたのである。

 カイロを開封してシャカシャカと振って少し待つとじんわりと暖かくなってきた。そのぬくもりが冷えた指先に沁みるように感じて白雪は頬を緩める。

 体温が奪われぬよう膝を抱えて座りながらぼんやりと空を見上げた。

 どんよりとした雲が夜空を覆い、雲からは白いふわふわした雪が舞い落ちてくる。そんな空に白雪が吐いた白いため息は吸われるように消えていく。

 何も音はしない。冬の森にはただただ静寂が広がっている。瞼を閉じればまるで世界にただ一人取り残されたようだと感じた。


(…心地いい)


  白雪にとって夜の静寂は唯一心落ち着ける事が出来る時間だ。

 夜に生物は眠りにつく。それは白雪を害する人だってそうだったから。

 静寂に包まれた夜闇の中、ただ一人取り残されたような感覚は、白雪にとって寂しさではなく安らぎだった。

 どうやら村を出ても長年の村での扱いで染みついてしまったその感覚は変わらないらしい。


 暫くそのままでいた白雪はズズ、と何かが這いずる音を聞いて我に返った。一瞬獣かと考えたが獣がこんな足音を立てるわけがないと直ぐに否定する。

──なら、この音の元凶は何なのか?

 白雪は木の隙間から覗く虎のような、それでいて禍々しい姿を見て反射的に息をひそめる。

 音の正体はやはりと言うべきか妖魔だった。しかもかなり力を溜め込んでいる個体だ。幸いにも此方にはまだ気づいていないがそれも時間の問題だろう。

 白雪の体は死ぬかもしれない恐怖に支配されて強張っているのに、頭は酷く冷静だった。

 それは白雪が自らの身を妖魔の脅威から守る術を持っていない事を自覚しているからだ。

 力がないから妖魔に抵抗は出来ない。

 抵抗出来なければ死ぬだけだと、分かっていて。だからこそ、どうせ死ぬのだから考えるのは無駄だろうと頭は諦めているために、逆に冷静だった。


(ついてないなぁ)


 なんせ妖魔の贄にされそうになって、町に逃げる前にこの様である。元々運が良い方ではないがこれは流石についてない。

 現実逃避に無駄な事をつらつら考えていたが、妖魔の眼がギロリと此方を向いた事で思考が現実に戻ってくる。

 もっとも、ここでまずいと思っても意味はない。

 獲物を見つけたとばかりに咆哮する妖魔を前に白雪は後ろの大木を避けるように後ずさった。少し距離が空くが、妖魔が近づいてまたすぐに距離は縮まる。

 妖魔は何故か白雪を警戒しているようで、暫く睨み動かなかったが、白雪はただ後ろに後ずさるだけだと分かると襲いかかってきた。

 喰われる。そう思った白雪はぎゅっと目を瞑り身構える。

 しかし、襲われたはずなのにいくら待てども白雪の体に痛みも衝撃も走らなかった。

 それどころか、妖魔の鳴き声すら聞こえない。

 恐る恐る目を開けてみると、そこに襲ってきた妖魔は居なかった。その代わりというかのように白雪の目の前には着物を身に纏った無表情の青年が佇んでいる。


「……妖魔が男の子になった」

「いや、そんな訳ないでしょ」


 思わずぽつりと呟いた言葉が青年には聞こえていたようで、呆れたような声でツッコミが入る。

 そりゃそうだ、と白雪も思う。冷静に考えれば青年が白雪を助けてくれたのだと分かるのが、襲われた直後で少し混乱していた。


(綺麗な人だ)


 改めて見てみると、青年は暗がりの中でも思わず人の目を引いてしまうような、目麗しい容姿をしている。

 まるで神様が配置したのかと思う程に完璧に整った顔立ちで、最早嫌味すら出てこない。銀灰色の髪は若者らしく整えられており、髪の隙間から覗く翡翠色の瞳が冷たい印象を与えていた。

 細身の彼の身を包んでいる着物は貴人でなければ着ることが許されない程の一級品だと一目見て分かる。無彩色で纏められた襦袢と長着には目を惹くような金刺繍が施されていた。

 そんな名品を身につけた青年は一つの作品のようであり夜闇の中の筈なのに後光が差しているように白雪には見える。

 冷艶清美。この言葉を体現したような青年だと、まじまじと見ながら思った。


 無言でまじまじ見られる事に居心地が悪くなったのか青年が咳払いを一つする。

 そして訝しげな目線を白雪に向けながら話し出す。


「…あんたに聞きたい事はいくらでもあるんだけど、まず怪我はない?」

「あ、大丈夫、です。えっと、助けてくださりありがとうございました」


 青年が間に入ってくれたおかげで五体満足である。かすり傷一つない。問題ないと表現する為に立ち上がってみせた。


「立ち上がれるなら平気だね。じゃあ二つ目の質問、どうして年若い女で身を守れる術もないほど弱っちいあんたがこんな時間に、こんな場所にいるの」


 嫌味ったらしくはあるがその質問はもっともであった。深夜、年若い女がふらふら放浪しているのはどの時代でも、どのような地域でも推奨されるものじゃない。だがここまでの経緯を話すと長くなってしまうし、面倒なので一言でまとめた。


「色々あって、村を追い出されてしまって」

「は?」


 青年が信じられないものを見るような目で白雪を見る。だがそれと同時に納得したような素振りを見せた。


「だから、俺への要請だったのか…」

「そ、そういう貴方はどうしてここに?」


 青年の独り言からなんとなく自分が置いてけぼりになっているような気がして慌てて話題を変えた。

 青年は少し考えた後にすらすらと疑問に答える。


「俺は仕事。妖魔を祓う仕事中。妖魔の気配を感じたから来てみればあんたが襲われていたから助けたって訳」

「妖魔を祓う仕事…って、なら貴方は守り人様の一族の方って事ですか…⁉︎」


 白雪のその言葉に青年は首を縦に振る。

 守り人の一族は代々伝わってきたその力で妖魔を祓う事を生業にしている、というのを文献で読んだ事があった。

 神から力を授かった守り人から広がっていったからなのか、一族にも大なり小なり妖魔を祓う力を持った人間が産まれるという。

 その人々は術者と呼ばれ、その力を使って妖魔を祓う仕事を全国各地で行っているらしい。


「まあそれよりあんた、村から追い出されたんだっけ?帰る場所は無いって事でいい?」


 歯に衣着せぬ物言いで言われるが、事実なので特にツッコまずに頷いた。


「なら俺に、というか俺の里までついてくる気はない?」


 一体この人は急に何を言い出すのだろう、というのがその言葉に対する白雪の感想であった。

 青年が言う里、というのは守り人とその一族が暮らす集落の事だろう。そんな重要な場所に白雪のような部外者を連れて行っていいのか。答えは否だ。

 それにそもそも青年とは初対面であり名も知らぬ間柄だ。ここで里に招待される意味が分からない。


「私は部外者ですよ。それなのに里についていっていいんですか?」

「問題ない。俺にとっても、里にとっても好都合だから」


 はっきりしない答えに訝しみながらもこれならあの村のように無責任に追い出される事はないだろうと白雪は考える。

 怪しさ満点の話ではあるが白雪は凍死する可能性のある未来と天秤にかけて了承した。


「なら、ついていきます」


 あっさりと了承した白雪を見て青年は驚いたように目を見開く。どうやら自分で言った割にこんなにあっさりと話が進むとは思っていなかったらしい。


「知らない人についていっちゃ駄目って言われた事ない?」

「あるかもしれませんが記憶にはないですね。それに私は身寄りがないのです。私が死んで心配させる人はいないですし、怪しい話に乗って誘拐される方が凍死するよりマシです」


 この言葉は白雪の本心であった。

 元々天涯孤独の捨てられた身だ。だったら一人孤独に凍え死ぬより誘拐の方が数倍マシだと思う。

 そんな白雪の言い放った言葉にまた目を見開きながらも、青年は誘拐じゃないと訂正してふい、と視線を逸らした。


「……そう。ならまず山を下りるよ。車を待機させてあるから」

「は、はい!」


 とっとと歩き始めた青年を見失わないように慌ててついていく。二人の間には沈黙が下りる。


(寒いなぁ)


 北風が吹き、思わずぶるりと体が震えた。寒さを紛らわせたくて先程開封した温まっているカイロを取り出して手に握ったが気休め程度にしかならない。

 唸っている白雪を青年は一瞥した後に着ていた羽織を脱いで白雪の肩にかけた。

 突然の出来事に驚いて白雪は青年を見上げる。流石に申し訳なく感じて羽織を返そうとするのだが手で制された。


「そんなに寒そうにされてるとこっちが寒くなる」

「ですが…そちらが寒くなってしまいませんか?」

「俺は平気だから」


 これ以上何も言うなと言わんばかりの空気を出されて白雪はおずおずと引き下がり、ご厚意に甘えることにする。

 上等な反物で出来ている羽織は確かに羽織っているだけで充分暖かい。


(こんな事出来るのは顔がいい人の特権だろうな)


 少し気持ちに余裕が生まれてそんな事を考える。少なくとも村の男子にこんな事をされたら白雪は迷わず拒絶するだろう。


「そういえばあんた、名前は?」

「あ、えっと……白雪です。久遠(くおん)白雪(しらゆき)


 突然名前を問われて反射的に答える。自分の名前など久しく口に出していなかったので後半は掠れたような声になってしまった。


「えっと、貴方は?」

「……如月(きさらぎ)天音(あまね)。一応、守り人の一人」


 良い名前だなぁ、とぼんやり思う白雪は後半の爆弾発言に気づくまでに数秒の時間を要した。


「…え?守り人?」

「そう」

「守り人って神器を守る、あの?」

「そう」

「本当にですか?」

「しつこい」


 そりゃあ、しつこく聞き返すというものである。そんな重要な話をさらりと言うものじゃない。

 守り人なんて国に三人しかいない神器を守るという役割を神から賜った天上人だ。下手すれば一番重要な神州の頂点。術者ならまだ分かるがそんな偉い人が妖魔を祓うという仕事の為だけにこんな辺鄙な場所に来るかと言えば、普通は来ない。


「ど、どうしてそんな人がこんな所に…」

「仕事だって言ったと思うけど」

「それは聞きましたよ。ですが…」


 そんな頂点に立つ人間が来るほどの事だったのか。そう白雪は問いたい。切実に。

 そんな白雪の考えを読んだように青年──天音は簡潔に答える。


「俺への要請だったのと、暇だったから」


 果たして暇だったからと守り人をこんな場所の妖魔退治に駆り出していいのかと思ったが、これ以上聞くとしつこいとまた言われかねないので口を噤む。

 そこから会話は切れて、ただただ無言で山を下りることになった。


 ◇ ◇ ◇


「着いたよ」

(うん、知ってた)


 白雪は目の前に駐車された黒塗りの高級車を見て、もはや驚きも出てこなかった。

 守り人を護送する車なのだから並の車じゃいけないのだろう。それが分からない程馬鹿ではない。

 馬鹿ではないが今からこれに乗るとなると複雑な気持ちになる。村からあまり出たことのない白雪にとって車に乗るのはこれが初めてだ。あまりいい扱いを受けてこなかった白雪の初めて乗る車が高級車となるのは誰が想像出来ただろうか。

 少し気後れしている白雪を横目に天音は運転手に声を掛けて後部座席の扉を開けさせた。


「ほら、突っ立ってないで乗って」

「は、はい」


 おそるおそる車に乗り込み座席に座る。ふかふかの座席は白雪の体をしっかりと支えていた。


「う、うわぁ…」


 少し感動している白雪に、平然と乗り込んだ天音がシートベルトを締めてと声を掛ける。天音の流れるような動作を見ながらもたもたとシートベルトなるものを締めた。


「天音様、そちらの方は?」

「妖魔に襲われかけてた所を俺が保護した。あと()()()()()()()()()

「なんと…!」

「兎に角、里に帰るから車出して」

「かしこまりました、天音様」


 慣れない車を興味津々で観察する白雪に聞こえぬよう、運転手と天音が会話する。短い会話はすぐに終わり、車が発車した。

 窓の外の景色がみるみるうちに変わっていく様子に小さく歓声を上げる白雪を天音は感情の読めない瞳で見つめる。


「そんなに物珍しい?」

「はい!…ってすみません、はしゃいでしまって…」


 明るい声で答える白雪はここではじめて笑顔を見せた。しかしすぐにその顔は申し訳なさそうな表情に変わる。


「初めて車に乗るものでつい……」

「ま、いいけど。今から話す事を聞いてくれるなら」

「話す事…とは?」


 白雪は疑問符を浮かべた。顔を天音に向けて話を聞く体勢になる。


「俺があんたについてこいって言った理由。あんたも何も知らないまま里に行くよりいいでしょ」

「ぜ、是非、お聞かせ願いたいです!」


 食い気味にそう答える白雪に天音がうるさいとぼやく。気になっていた事ではあったので少し力んでしまった。

 静かに姿勢を正した白雪を一瞥して、天音は話し始める。


「俺は妖魔に襲われていたあんたをを保護したけど、本来なら然るべき場所にあんたを預ける筈だった。たとえ妖魔に襲われていた被害者であろうが部外者を里に招致するわけにはいかないから」

「ではどうして里に?」

「それはあんたが俺の探していた人材だったからだ」


 そう言って、天音は遠い昔を思い出すような目をする。


「十五年前、当時の幼かった俺が鬼の権能を受け継いで守り人の立場について一年が経った頃、鬼の守り人の里で当時の舞姫が亡くなった。本来ならそこで一族の若い女の誰かが舞姫の権能を受け継ぐ、はずだった」


 唐突な過去の話とその内容に困惑する白雪であったがそんな白雪の事を気にせずに天音は話し続ける。


「しかし、何故か里の中に新たなる舞姫が誕生する事はなく、俺達の里は舞姫が不在の状態が十五年間続いていた。俺達は必死になって探していたけど、見つからなかった。今日までは」


そこで言葉を切ると、天音は翡翠の瞳で白雪を見据える。その射抜かれそうな視線に白雪は身じろいだ。


「襲われているあんたを一目見てすぐ分かったよ。あんたの身に探し求めていた力が宿っていた事がね」


 心臓がどくどくと平常時より早く波打つ。とっても嫌な予感がする。爪が食い込む程に握った手の平には汗が滲んでいた。




「あんたは俺が探し続けていた()()だったんだよ」




 村を出て数時間、そんな短時間で二度目、しかも自分に関する爆弾発言に白雪は卒倒したくなった。

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