○18
「おいっ。どこへ行く?そっちじゃない。こっちだ」
ただ前だけを見て足を速めていたので、曲がらなければいけない角を通り過ぎようとしていたらしい。
私の手を取って軍人は引き留めた。
「あ。そうだった」
不意に繋がれた手に、昔と変わらない懐かしい温もりを感じて、胸が詰まる。
すぐに離れていく手に、縋りたくなる気持ちをぐっと抑える。
どうしようもなく胸が苦しく、やるせない気持ちが湧き上がってきた。
こうして生まれ変わった彼と出会うのは何度目か……。
私はそのたびに目の前の彼に惹かれてしまう。
だけど、彼はまた私を置いて逝く。
それが耐え難い。
さらには、魂は彼であっても、容姿も性格も違う男性に惹かれてしまうことに、彼を裏切っているような罪悪感が生まれる。
彼なのに、彼ではない。
それも私を苦しめる――――
しばらく歩いていると、軍人が顔を覗き込んできた。
不思議に思って顔を上げると、軍人が少し眉間に皺を寄せていることに気づく。
「どうしたの?」
「それはこっちの台詞だ。俺と歩くのが嫌なのか?」
「えっ?そんなことないよ」
「だけど、その顔……」
自分がどんな顔をして歩いていたのかわからず、ただ軍人を見上げてしまう。
「前も同じ顔してた」
「いつ?」
「俺がルーナって名前を付けたとき。最初は喜んでいたけど、薬草畑ではそういう顔してた」
「そういう顔って?」
「なんていうか、憂い顔?ちょっと嫌そうにも見える。名前のときも喜んでくれたと思ったけど、不満か?本当は嫌だったか?それならそうと――」
「そんなことない!」
軍人が目を見開き、周りの人からも注目が集まったのがわかった。
「ごめん。思ったより大きな声出しちゃった」
「構わないけど。嫌って訳じゃないんだな?」
「もちろん。嫌じゃないよ」
「じゃあなんであんな顔してた?」
「あんな顔って言われても……。自分では見られないし、わかんないよ。ねぇそれよりも、このケーキってどんな味?」
わざとらしく話を逸らしてしまった。
軍人は少し微妙な表情をしたけど、「ケーキだから甘いに決まってるだろ」と話に乗ってくれた。
初めて食べたデコレーションケーキは本当に甘かった。
甘くて、胸がいっぱいになった。
◇
軍人が帰ると程なくして、ギィと古い玄関扉が開いた音がした。
もしかして忘れ物でもしたのかと振り返ると、神経質そうで線の細い男が立っている。
彼は、オクタヴィオ・コートリング。
私が作った薬を回収し、国に納めてくれている。
他に、国に頼むことができないような雑用なども引き受けてくれる。
伝令係の他に、唯一この家を訪ねてくる人物。
「あ。いらっしゃい」
「お邪魔します。先ほど伝令係とすれ違いました。人がいると思わなかったのか、相当驚いていましたね」
軍人の驚いている姿を想像して笑いそうになった。
ソルと初めてあったときのように、腰を抜かしそうなほど驚いたことだろう。
「魔物に間違えられてナイフや銃を向けられなかった?」
「ええ。それは大丈夫でしたが、不審者を見る顔をされました」
「他に人がいることがないから当然ね。彼は軍人だもの。それより、今日はどうしたの?集荷の日ではないけど」
「今日は、こちらをお持ちしました。次のときにでもと思ったのですが、天気も良かったので散歩がてら」
そう言ってテーブルの上に小さな蓋付きの小瓶を置いた。
「これ…………」
「やはりあなたのでしたか。先日、蔵を整理していたところ、こちらが出てきまして。瓶の形や素材から相当古い香水瓶だとわかりましたし、箱に入れられて大切に保管されていたようなのであなたの物ではないかと思いまして」
まさか、今さら当時のものに触れることができると思っていなかった。
伸ばした手の先が指すかに震えていた。
一度手を握って、息を吐く。
気持ちを落ち着けてから瓶を手に取り、蓋を開ける。
「表面は磨いたのですが、見つけた時点で中身は入っていませんでした。当時中身が入っていたとしても、この年月で揮発してしまったのでしょう」
「そう。……ありがとう。大切な物だったの」
「また何か見つかればお持ちします。では」
「あ。お茶くらい――」
「いえ。今日はこれで失礼します」
オクタヴィオが帰った後、蓋を開けて瓶に鼻を近づける。
香るはずがないのに、懐かしい匂いがした気がして胸が締め付けられた。